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ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団が壮絶な戦いを演じる歴史イベント,「グルンヴァルドの戦い」の模様をレポート
簡単に説明すると,これは歴史上の戦いを当時の軍装や装備を用いて再現するイベントのことで,世界中にコアなファンが多数いる。とくにヨーロッパでは,1815年6月に起きたワーテルローの戦いからちょうど200年ということもあって,現在,あちこちで大規模なリエナクトメントが行われているという状況だ。
そんなイベントの1つである「グルンヴァルドの戦い」のリエナクトメントが現地時間の2015年7月17日〜19日,ポーランドで行われた。さっそく遊びに……じゃなかった取材をしてきたので,その報告をしたい。それにしても,5月9日に掲載した「ポーランド軍事博物館」の記事や,2014年4月4日に掲載した「ワルシャワ蜂起博物館」のレポートなど,最近,4Gamerはポーランド共和国にやたらと力を入れていることが分かる。まあ,偶然なのだが。
「グルンヴァルドの戦い」ヒストリカル・リエナクトメント公式サイト
ところで,「グルンヴァルドの戦い」ってなに?
ドイツ史学の影響が強い日本では「タンネンベルクの戦い」として知られているこの戦いは,1410年7月15日にポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団との間で行われた,東欧史の転機となった戦闘だ。この戦いに勝利したポーランドとリトアニアは結びつきをより強め,近世の強国の一つである「ポーランド=リトアニア共和国」の形成へつながっていった。一方,敗れたドイツ騎士団は,総長以下主力の騎士達をことごとく失い,衰退の道をたどった。いわばこの戦闘は,東欧諸国にとって,中世後期と近世との分水嶺にあたる歴史的事件の一つといえるわけだ。
時代が下って近代でも,グルンヴァルドの戦いの記憶はポーランドの民族意識形成に大きな影響を及ぼした。「ドイツに対するポーランドの勝利」を描き出したヤン・マテイコの油彩画「グルンヴァルドの戦い」はその好例だろう。ちなみに,この絵はドイツにとっては屈辱モノであったため,第二次世界大戦におけるポーランド占領の際,ナチスが血眼になって探した。しかし,有志達の手によってすでに隠されていたため,結局見つからなかったという歴史を持っている。
グルンヴァルドの戦いのリエナクトメントが始まったのは1990年代以降で,それほど長い歴史があるわけではない。しかし,上記のようにポーランド人にとってグルンヴァルドの戦いを,戦闘が行われたまさにその場所で再現することには特別な意味がある。
筆者が現地に到着した7月17日には,すでにイベントの参加者の車やテントが立ち並び,まさに決戦前夜(夜ではないが)という感じだった。参加者の多くが中世風の衣装を身にまとい,立ち並ぶ天幕と相まって,まさに中世にタイムスリップしたかのようだ。
これらの野営地からちょっと離れた小高い丘にはグルンヴァルドの戦いに関する常設博物館がある。中の展示は,戦闘が行われた当時のヨーロッパの状況や戦いの推移についてがメインだ。
博物館のある丘を中心にしてさまざまな売店が立ち並んでおり,多くの観光客で賑わっていた。実に多彩だ。
その後,ドイツ騎士団総長の天幕がある小会場へと移動。ここでは,ポーランド国内や他国からやってきた参加者のお披露目が行われていた。
このお披露目が終わると,同じ会場で甲冑をつけた騎士達によるトーナメント戦が開催された。一騎打ちやメレー(集団戦)など,戦いのバリエーションも多彩だ。戦闘の参加者達は,見ているほうが引くくらい,ガチで殴りあっていた。大丈夫だろうか。
とくにメレーの勝敗を決めるのが「地面に倒されたら負け」という実にシンプルなルールであったため,大半の試合が剣闘なのか相撲なのか分からなくなっていた。ちなみに,このメレーは夜の11時まで開催されていたらしい。どれだけトーナメントが好きなんだろうか,ポーランドの人達。
スケジュールが合わずに見に行けなかったが,馬上槍試合や弓の試合も行われており,このグルンヴァルドの戦いがリエナクトメントだけにとどまらない,大規模な催しであることがお分かりいただけるだろう。
一方,サッカー場2〜3面くらいの広さを持つメイン会場では,18日の本番に備えてリハーサルや進行の綿密なチェックが行われていた。
いよいよ,戦いの幕が切って落とされた
7月18日の本番には,前日に輪をかけて数多くの観光客が訪れていた。そんな中,ひときわ異彩を放ったのが,ポーランド軍やリトアニア軍の人達だった。どうやら当日の軍用車輌の一般公開に合わせて前日から泊まり込んでいた模様で,両国の歴史におけるグルンヴァルドの戦いの重要性を,ここでも見た思いだ。
一方,ポーランドには敬虔なカトリック教徒が多く,土曜日のミサが行われていたのが興味深かったが,これは中世とキリスト教との深い関係からも納得できる。ドイツ騎士団総長ウルリヒ・フォン・ユンギンゲン役の人も参列していた。
そうこうするうち,リエナクトメントが始まった。当時の歴史状況を説明するナレーションのあと,おそらくドイツ騎士団のリトアニアに対する侵攻を象徴していると思われる戦いがスタートする。
まだ序盤ということで,あくまで儀式的なぶつかり合い。そのため落馬者が出るわけではないが,数十頭の騎士達が駆け回る光景は実に迫力があった。
その後,舞台はグルンヴァルドの戦いへ進む。戦闘をなかなか始めないポーランド国王とリトアニア大公に対し,しびれを切らしたドイツ騎士団総長が,2本の剣を送って挑発したという,知る人ぞ知るエピソードが再現される。
こうして,ついに戦闘開始だ。ドイツ騎士団側の砲撃に続いて,リトアニア騎兵の擬装敗退が再現される。大砲やらピーシュチャラ(小火器)やらであたりは煙だらけになる。
ちなみに,リエナクトメント直前に雷を伴う土砂降りに見舞われたのだが,そのときすでに設置してあった大砲の爆発効果用の火薬は湿気ることもなく,無事に爆発した。最近の火薬は,かなり性能が良くなったと思う。
その後,戦闘はドイツ騎士団とポーランド軍の歩兵戦へ移った。ぜひ分かっていただきたいが,これらのユニットの動きかたは「Total War」シリーズの戦術モードそのものだ。
その間にも,一度奪われたポーランドの軍旗を奪い返したり,ポーランド国王とドイツ側の騎士との一騎打ちが行われたりしていたのだが,歩兵の戦闘に注目しすぎていて写真を撮りそこねました。
戦局はやがて(史実どおり)ポーランド側の優勢に推移する。ここでドイツ騎士団側が最終兵器として持ちだしたのが,ヨーロッパ最初の戦車とでも言うべき「ヴァーゲンブルク」。後にこれを使用してフス戦争で活躍したヤン・シジュカも,一説によればグルンヴァルドの戦いにポーランド側の兵士として加わっていたという。
なお,会場で公開展示されていたポーランド軍のPT-91主力戦車などとこのリエナクトメントのヴァーゲンブルク,新旧の戦車がグルンヴァルドで一堂に会したと考えると,戦車ファンとしては感慨深い。世界的に見てPT-91がそれほど最新鋭ではない,なんてことは言わない約束だ。
ドイツ騎士団の陣地を攻略したことで,ポーランド軍の勝利がついに確定した。めでたし,めでたし。
所要時間は約1時間。再現されたシーンの数を考えると,かなり濃密だった。また,このリエナクトメントに付随して行われる大小さまざまな催し物も合わせて考えると,このイベントは,歴史ゲームファンならば訪れて損はないと断言できる。
また,参加者が中世の衣装を付け,一般の庶民として当時の出来事や暮らしを追体験するというアトラクションも用意されており,多くの人々がそれに熱中していた。何人かのポーランド人と話したところ,このイベントの来場者とゲームファンとは客層としてかなり重なっているようでもあった。
このように,非常に刺激の多いこのリエナクトメントなのだが,最大の問題は交通の便がものすごく悪いことだろう。グルンヴァルドがそもそもポーランドでもかなりの僻地であることに加えて,これほどの大規模イベントにも関わらずバスの増発がまったくなく,どうやら車で来ることを前提にしているようなのは,筆者のような外国人観光客にとって辛い点だ。国際免許を取ってレンタカー,というのはハードルが高い。
また,英語表示もほとんどなく,案内所の人もほとんど英語が分からないようだった。あえてポジティブシンキングをすれば,「言葉も通じず文字も分からない異世界に飛ばされた」系ライトノベルの主人公になった気分が味わえる。
おまけ(グダニスク&マルボルク編)
宿泊施設にも乏しく,日本からタイミングを合わせて見に行くのもまた困難。というわけで,ここで,グルンヴァルドに比較的近いポーランドの歴史的な街として,日本からの直行便が出ているグダニスクと,有名な城があってパックツアーにもよく組み込まれるマルボルクを紹介したい。
グダニスク,別名ダンツィヒ,あるいはグダンスクは中世,ハンザ同盟の都市として栄え,第二次世界大戦では侵攻してきたナチスによって最初に占領された都市の一つとなり,さらにポーランド民主化運動の中心となった「連帯」が生まれて,冷戦終結に重要な役割を果たしたことなどで知られる,歴史ファンにとってはいわば,一粒で何度でもおいしい街だ。
また,マルボルク,別名マリーエンブルクは,中世にドイツ騎士団の本拠地が置かれていたことで有名であり,彼らの居城はユネスコ世界遺産になっている。歴史再現イベントとは異なり,これらの都市はいつ訪れてもいいので,安心して観光が楽しめるだろう。
「グルンヴァルドの戦い」ヒストリカル・リエナクトメント公式サイト
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