[CEDEC 2006#14]開発者と研究者の円卓論議,ゲーム学は何を目指すべきなのか?
CEDEC 2006最終日である9月1日の第3講では,ラウンドテーブルセッション「日本でゲーム学研究をどのように進めるべきなのか,可能性と方法論」が持たれた。国際大学GLOCOMの井上明人氏がモデレータ,開発会社シフトの征矢健太郎氏がパネリストを務めたこのセッションには,研究者と現役のゲーム開発者を中心に25名ほどが参加,主にメーカーと大学がどう協力し合えるかについて,活発な意見交換がなされた。 モデレータである井上氏は最初に,このセッションへの参加理由を来場者全員に聞いた。当然ながら参加者にはゲーム開発者が多く,そこで目立ったのは,開発ノウハウを後輩に教えていくに当たり,論点や概念を一般化して,(言葉や図で)伝えられる形にしたいという要望であり,それに当たってのゲーム学に対する期待だった。 続いて,モデレータ/パネリストサイドから,話題とし得るポイントがいくつか提示された。例えば,
1.海外と日本国内,それぞれの研究の違いと強み 2.用語の不統一の問題 3.研究者と開発者の関心/目的の違いを,どう協同させていくか
といった具合だ。DiGRA JAPAN定例研究会での話題などを導入部にしつつ,次第に討論に入っていったが,主たる話題は3.の研究者と開発者,メーカーと大学がどう協力できるかだった。
ゲーム経済などを研究する,駒澤大学 グローバル・メディア・スタディーズ学部 助教授 山口 浩氏も出席,発言していた
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例えばごく基本的な論点として来場者からは,電話を入れても誰も出なかったり,公式サイトに掲載された連絡先がアテにならなかったりといった,大学側の外部に対する無関心,連絡の取りづらさが指摘された。 これに対しては,研究者側の動機の問題と絡めて日本の大学に,もっぱら国を唯一のクライアントとして動き,また,実績としての研究発表など,大学内のパワーゲームに従って動く(逆にパワーゲームのルールに入ってこないところでは動かない)体質があることが,別の来場者によって補足された。 また,大学側から見た,より実践的な問いとして,どうすれば企業がデータを提供してくれるかという問題をめぐっては,
■データ提供の見返りを,あらかじめ明確に提示できないか ■データ取得は手間であり,大学側から人手を出せないか
といったことが話題に上った。前者に関しては必ずしも個別かつ即物的な見返りでなく,もっぱら提供データがどんな研究に結びつくかを説明することを指す。企業として手間暇がかかる以上,その話を社内で通すには,周囲が納得する理由が必要というわけだ。後者については出席した大学人側から,「講座として取り組むことで対応が可能になるはず」といった積極的な発言もあった。
IGDAアカデミック(1)のセッションで講演を担当した,井上明人氏,新 清士氏,増田泰子氏も議論に参加した
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アメリカで企業と大学がうまく連携できている理由については,第一に企業側が大学にお金を出しており,大学側も理事として民間企業の人を運営ポストに迎えられる体制をとっていることが,そのあたりの事情に詳しい出席者によってコメントアウトされた。 そしてアメリカでは,大学での研究を応用するに当たって,寄付講座のような特定研究のみならず,既存の研究,例えば人間の表情に関する工学的な研究をゲームキャラクターの表情シミュレートに応用するといった部分が,とくに進んでいることが話題として出てきた。 また,SIGRAPHやGDCにおけるアメリカの大学/研究室の出展が,後援企業を募るプレゼンテーションとなっている点などに,日米の産学協同をめぐる大きな違いが見られるという話も出た。
必ずしも有効な回答が見いだせたわけではないが,「企業が大学に求めるのは“スター”としての研究者,そして,ライブラリやツールの管理による,生産工程の合理化ノウハウである」といった率直な意見が聞けた点,そして,参加者同士が互いの人脈として結び合わせられたであろう点において,このセッションはとりあえず有意義だったと評し得よう。 CEDEC全体の趣旨から,ゲーム開発への貢献が話題の中心になるのは必然であったが,同様の機会が今後あったならば,今度は研究者側の主体性,社会なり市場なり消費行動なりを見据えた広い視野でのゲーム学の舵取りについても,ぜひ話を聞いてみたいと思った次第である。(Guevarista)
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