― 連載 ―

奥谷海人

 

9月中旬にValve Entertainment社から解き放たれた「Half-Life 2」が,ここ数週間のテストを経て,ついにVivendi Universal Games社からの「ゴールド宣言」がなされるに至った。公式発売日は11月16日。輸入版を予約している人も,Steam版で料金を支払った人も,今からドキドキしているに違いない。今回は,"Half-Lifeシリーズ"の歴史を振り返ってみた。

 

 

Half-Life 2は,さまざまな障壁を乗り越えて,11月16日にリリースされる……はず。キャラクターとのインタラクションやゲーム内での物理効果の利用など,これまでのゲームのコンセプトを大幅に進化させる可能性を秘めた超期待作である

 1997年5月のことだった。ジョージア州アトランタ市で行われた第3回のE3(Electronic Entertainment Expo)が開催される前日,筆者はホテルへの帰り道でSierra On-line社(現Vivendi Universal Games)が直前パーティを開催しているのを偶然見つけて,飛び入り参加した。どんなラインナップが展示されていたかは今では記憶にないものの,一つだけ,部屋の片隅で非常に気になったソフトがあったことを覚えている。「Half-Life」だ。
 現Valve Entertainment社ディレクターのゲイブ・ニューウェル氏やレベルデザイナーのジョン・ガスリー(John Guthlie)氏らが,マルチ・テクスチャリングやマルチ・ライトソースなど当時は聞き慣れていなかった言葉を駆使して,やがて大作となる自分達の作品を誇らしげに紹介してくれたのを覚えている。
 筆者が2000年初頭にValve社に訪問したとき,彼らのオフィスはワシントン湖を一望できるシアトル州のカークランド市にあった。当時,前年までのHalf-Lifeの売り上げが250万本に達したと発表されたばかりで,すでにインターネットでも「Counter-Strike」が不動の地位を確立つつあった。拡張パック「Half-Life:Blue Shift」がリリースされ,また自社でも「Team Fortress 2」を開発していた時代である。


 Team Fortressは,Half-LifeのMOD(モッド/モディフィケーション)として1999年春にリリースされたミリタリー系のFPSゲームで,職業に分かれて戦場で戦うチームプレイがCounter-Strikeに負けず劣らずの人気となった作品だ。元々はオーストラリアの有志4人で制作していたものだが,Valveの認定を得て無料ダウンロード公開されると,わずか一年で50万人のプレイヤーを獲得したといわれる。
 その続編としてTeam Fortress 2は開発されていたが,降下する落下傘部隊を護衛するために近くで軍曹がプレイヤーに怒鳴りつけるという臨場感のある映像が公開されるなど,今から思えば「Medal of Honor」や「Call of Duty」など,多くの作品が強い影響を受けたに違いない作品だった。
 しかし,同じ年のE3ではTeam Fortress 2の情報公開はなく,一気に沈静化。すでに95%は開発済みと言われていたのに,Valve社は開発を完全に封印してしまったのだった。


 その理由は,当時から言われていたように「Valveが独自のゲームエンジンの開発に着手した」のが真相であるのは間違いない。2001年1月には,あるソフトウェア技術の会合に出席した同社幹部が,「キャラクターに恋をしてしまうような自然な仕草のアニメーションとAI」の方法論について発言している。Quake 2エンジンをベースにしたHalf-Lifeを使い回して,当時1億円といわれたライセンス料を支払い続けるよりも,金と時間がかかっても,自分達の技術を獲得したい。Valveには,そのような思いもあったのだろう。
 Half-Lifeは,全世界で50以上のゲーム賞を獲るなどの賞賛を受け,上記のように大ヒットとなった作品だが,開発者達に還元されていたとはいえない。販売元のSierra On-Line社からは合計80万ドル(約9000万円),開発中のゲーム用資金としては3万ドル(約350万円)しか支払われていなかったのだから,うまみのある商売とはいえなかった。また,Counter-Strikeは公式ダウンロードやパッケージ販売で150万人の正規プレイヤーを集めていたが,実際にはそれ以上の利用者がインターネット上に氾濫。中国や韓国ではパッケージ販売も行われたが,なんと1本も出荷されることがないなど,ネットカフェを舞台にした海賊行為も横行した。
 この問題への答えの一つが,インターネットを通じてユーザー個人への直接的な流通を可能にするアプリケーションソフト「Steam」の開発である。Steamの発表は,2002年のGDC(Game Developer's Conference)で行われており,当時からすでにβテスト段階にあった。同じ頃,Valve社とVivendi社はネットカフェへの販売権絡みで係争中だったが,市場へじかにアプローチできるSteam技術と可能性は,VivendiはおろかMicrosoftやElectronic Artsのような大企業も脅威に感じたに違いない。法廷での争いは現在も続いており,それが今では「Half-Life 2の流通障害」として新たな問題へと発展しているわけである。


◆◆Valve社とHalf-Lifeの軌跡◆◆

1996年ゲイブ・ニューウェル氏とマイク・ハリントン氏がValve社設立
1997年5月E3でHalf-Lifeを初公開
1998年5月Quake 2用MODのTeam Fortress(Classic)が,Half-Lifeへの対応発表
1998年11月Half-Lifeリリース
1999年6月Counter-Strike Beta 1初公開
1999年11月拡張パックHalf-Life:Opposing Forceリリース
2000年3月Counter-Strike Beta 6公開
2001年3月Counter-Strike Version1.1公開
2001年6月拡張パックHalf-Life:Blue Shiftリリース
2002年3月Steam初公開
2002年12月Half-Life Platinum Collectionリリース
2003年3月ベルビュー市の新社屋に引越し
2003年4月ナムコがLED ZONEを東京都大田区にオープン
2003年5月E3においてHalf-Life 2のムービーデモが初公開
2003年5月Troika Games社が「Vampire the Masquerade:Bloodline」初発表
2003年7月HLMODのDay of Defeatが公開
2003年9月Counter-Strike Version1.6をSteam初対応ソフトとして運営開始
2003年9月Half-Life 2のATI Radeon 9800XT公式サポート/クーポン付点を表明
2003年9月ソースコードの流出に伴いHalf-Life 2発売延期が発表
2004年3月Counter-Strike:Condition Zeroリリース
2004年9月Half-Life 2の流通権を障害するとしてVivendi Universal社と訴訟へ
2004年5月ドイツでソースコード盗難犯Alex "Agobot゛G.が逮捕
2004年10月MOD用SDKを配付開始
2004年10月Vivendi Universal,Half-Life 2のゴールドと11月16日の販売を発表

2年前に筆者がGDC 2002で撮影した,Steam初公開の画面。オーバーヘッドプロジェクターのために色が綺麗に出ていないが,当時はImpossible Creatureが動作していたのが面白い。ただし,この時点でTeam Fortress 2やCondition Zeroの名前はない。Team Fortress 2がリリースされる日は,果たしてやってくるのだろうか?
 Steamは,順調であれば2002年中に「Counter-Strike:Condition Zero」やRelic Entertainment社の「Impossible Creatures」などのタイトルを手始めにサービスインされる予定になっていたが,ご存知の通りCondition Zeroの開発はRitual Entertainment社からGearbox Studios社,そしてTurtle Rock Studios社へとたびたびの変更を重ね,リリースされたのは2004年3月になってから。Impossible Creaturesも第3者の参入として期待されていたものの,何らかの経緯で今は対応リストから外されているようだ。ただし「Pirates of the Burning Sea」という海賊モノのMMORPGは,Steam対応専用ソフトとして2004年になって名乗りをあげている。
 Half-Life 2が始めて公の場で発表されたのは,Steamから遅れること1年の2003年のE3であり,業界人達が長蛇の列を作って視聴していたのは記憶に新しい。その当時は「2003年9月中の販売は確実」と言われていたものの,8月になるとValve社のサーバーがハッキングされるという事件が発生。Anonymous Leakerなる男は,E3のデモでのスクリプティングや開発進行具合の説明に不満があるとして,ソースコードをウェブ上に流出させ,被害総額100億円とも言われるゲーム業界前代未聞の事件を引き起こした。
 当時のSteamの対応状況などを考えても,やはりHalf-Life 2のリリース遅延は避けられなかっただろうが,このリークによって一部コードの書き換えなどが余儀なくされて,2004年末までに発売が延びてしまった。5月にはAxel G.というドイツ人がインターネットの有志の活躍などで逮捕されて一件落着したものの,ファンはずいぶんとヤキモキさせられた1年だった。


 現在Vivendi社とValve社との間で行われている係争は,2005年3月の出廷日までは一時お預けとなっているらしい。両社に及ぼす損益を考えれば,ソフトを証拠物件として保留させるよりは得策だと考えたのだろう。
 筆者がValve社の広報担当ダグ・ロンバルディ(Doug Lombardi)氏と話したのは,Half-Life 2のゴールドと正式発売日がアナウンスされる1週間前のことだったが,Valve社は非常に楽観的な様子で,「この秋中にリリースされるのは間違いないと信じている」と話していた。
 日本のHalf-Lifeファンとしての問題は,日本語版はどうなるかというひと言に尽きる。最近では,Counter-Strikeが楽しめるLEDZONEの経営などでValve社との提携を強化しているナムコが,Steamの日本での運営権を獲得している。この技術が,我々にとってどう転ぶかは不明な部分が多いが,このプログラムを使ってHalf-Life 2やCounter-Strike:SourceをLEDZONEなりで運営できるようになるという以外は,今のところナムコ側では大きな動きを見せていない。Valve社の製品はおろか,日本独自のソフト販売やオンラインハブとしても利用できるはずだが,ナムコが日本のオンライン市場をどのように見ているかは不明な点も多い。
 ただしロンバルディ氏はHalf-Life 2やSteamの日本市場への浸透に関してもさほど問題にしておらず,そもそも本作はあらかじめ多言語対応されているため,英語版SteamでHalf-Lifeのパッケージを購入しても,日本語で楽しめるようになると語る。Steamは,どの国から接続しているか,何の言語を使っているかを見極めるのは難しいので,極めてリージョンフリーになっている。日本語字幕で遊んでいて翻訳に不満を感じるなら,英語なり中国語なり,ゲーム中でも自由に変更できるのだそうだ。これは,日本人にとっては心強い情報だろう。
 ……と,この連載記事の掲載直前になって,奇しくも「DOOM 3」の国内販売元であるサイバーフロントから,日本語版の発売が発表された(記事は「こちら」)。立て続けの大物FPSの販売権獲得には驚きだが,嬉しいNewsには違いない。


 ハリウッドには「良い映画は裁判5件,素晴らしい映画には裁判10件」などというブラックジョークが存在する。Half-Life 2とValve社が辿ってきた苦難の道も,この作品の大成功を予期していると思えてならない。



リリース延期,サービス終了,そして開発中止……。次回は,低迷する「アメリカのMMORPGの現状」についてお届けしよう。


■■奥谷海人(ライター)■■

本誌専属特派員。Valve社のあるシアトルを本拠にするマリナーズで,今年イチロー選手が大活躍したのはご存じの通り。奥谷氏は,このイチロー選手の大ファンというベトナム系のタクシー運転手に頻繁に遭遇するという。「全アジア人の宝」などと言っている分には奥谷氏としても悪い気はしないようだが,彼はオリックス時代のベースボールカードを入手したいらしく,乗車のたびに「チップはいらないから今度までに見つけておいてよ」と要求するという。しかし奥谷氏の顔を覚えていないのか,彼はこれまでに3度もチップをもらい損ねている。



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