「ゲームはハリウッド映画を超えた」とは飽きるほど聞く言葉だが,その当否はともかく,最近のアメリカのゲーム業界では,映画産業の成長の仕組みや業界の構造を学び,共に成長していこうという動きが強くなりつつある。そんな流れの中,2007年1月にユタ州のパークシティで開催が予定されているスラムダンス映画祭でも,ゲームに絡んだイベントが行われることになっている。ところが,開催前からそのゲームイベントで一悶着起きている。しかも,ゲーム業界にとって意外に重要な事件へ発展する可能性さえ出てきているのだ。
映画祭のゲーム選定で起こった珍事
世界でも有名な映画祭の一つとして多くの人に知られている「サンダンス映画祭」。名優ロバート・レッドフォード氏らによって始められ,1978年から毎年開催されてきた。「レザボア・ドッグス」や「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」など,ハリウッドのメジャースタジオにはない自由な発想を持った独立系映画制作者の発掘場所としてスポットライトを浴びている。
しかし,その注目度が上がるにつれて,本来持っていた独自性が薄れつつあるのも事実で,近年ではハリウッドスターや,インディーズ系の映画にはなんら関係のないアイドル歌手のプレスイベントまで行われるようになっている。そんな状況に不満を抱き,「真の独立系映画祭はこうあるべきだ」という有志達によって,サンダンス映画祭と同時期,同じユタ州で開催されているのが,低予算かつその監督の初作品だけにノミネート対象を限定した“スラムダンス映画祭”だ。
「表現の自由」とは,暴力ゲーム規制に対する,米ゲーム業界の魔法の言葉である。筆者は,暴力的なゲームを賞賛するつもりはないが,スラムダンス映画祭のモットー,「By Filmmaker,For Filmmakers」と乖離した今回の決定には疑問を感じる
このスラムダンス映画祭に,昨年からゲームコンペ部門が新設された。「ゲームと映画はかつてないほど影響し合っている」という理由により,1月18日から27日まで行われる同映画祭に併催する形で14作品が紹介される予定となっていた。「Guerilla Gamemaker Competition」と題されたこのゲームコンペはゲーム業界だけでなく映画業界からも注目されており,さらに今回から優勝者に(いたってささやかではあるが)5000ドル(約60万円)の賞金が与えられることになるなど,映画祭の中でも上昇気流にあるイベントのようだ。
ところが,このGuerilla Gamemaker Competitionで,コンペ開催前から一悶着起きているのだ。ファイナリストとして選ばれていた「Super Columbine Massacre RPG!」が,その残虐性に難色を示したスポンサーの意向によって,選考外とされてしまったのである。
主催者がノミネート作品に選んだ後でその作品を引き下げるのは,映画界でも珍事である。例えば,アカデミー賞のような影響力の強い映画祭においても,ノミネート作品の選択や受賞決定にスポンサーが関与できないよう,厳重に取り決められている。
もちろん,独立系映画を対象とし,メインストリームで失われつつある “アクの強さ”をウリにしてきたスラムダンス映画祭が,制作者の表現の自由を規制するかのような処置を行うのは好ましくない。このことを敏感に感じ取ったのか,このコンペで選定されていた「flOw」や「Blaid」など,本命とされていたゲームまで次々にノミネートを辞退するという事態に発展している。
高校銃撃事件をテーマにした問題作
このゲームは,なんとエンターブレインから発売されている「RPGツクール」シリーズを利用して制作されている。マリリン・マンソンのCDなどを探してパズルを解くという形式のゲームで,殺戮だけに焦点が当てられているわけでもない。個人による無料配布だが,18禁の指定がされているので,そのへんはご注意を
Super Columbine Massacre RPG!は,本連載の第95回「銃乱射事件とPCゲーム」でも触れたように,1999年にコロラド州デンバー近郊にある高校で起こった銃撃事件をテーマにしている。12人の死者と現在も後遺症に悩む多くの負傷者を出し,類似事件の発生などを含め,アメリカ国内で大きな社会問題となった。ロッキー山脈を隔てたユタ州の住民にとっても,決して他人事ではないはずだ。
このゲームを一人で制作したDanny Ledonne(ダニー・ルドン)氏によると,このゲームは,プレイヤーが犯人の高校生を演じ,残虐に同級生達を殺戮していくことで何を感じるかを探る,メディアを使った実験的な作品であると強調している。無料で公開していることから,バイオレントな話題で小銭を稼ごうといった意図はなく,公式サイトにおける本人の主張などを読んでみると,ゲームのメディアとしての可能性をきわめて真摯に探り出そうと,彼なりに努力しているようだ。
確かに,暴力的な表現が問題になっている昨今,誰もメディアを刺激するような真似はしたくないはずだ。「Grand Theft Auto」で何度も槍玉に挙げられたTake Two Interactiveは,新作「Bully」のリリースに相当気を使っているようだし,2007年になってからは,反ゲーム弁護士として当連載で何度も紹介してきたJack Thompson(ジャック・トンプソン)氏が,マサチューセッツ州当局へゲーム販売規制を呼びかける草案を提出しているなど,暴力ゲームに対する規制の取り組みは今後も続くだろう。
「犯人になりきって高校に乱入する」というSuper Columbine Massacre RPG!に対しては,多くの人がそのテイストの悪さを感じるだろうし,筆者も少しプレイしてみたところでは,古いタイルベースのグラフィックスなどを含め,うまくまとめられたゲームとは思えなかった。映画祭がこのゲームの除外を決めた背景には,そういったさまざまな事柄も考えられるはずだ。
暴力ゲームと表現の自由
しかし,Super Columbine Massacre RPG!のゲームとしての未完成な部分は,単に制作者の能力不足に起因しており,「暴力的である」という理由でコンペから除外するというのはどうだろうか? 実際,「Postal」や「Manhunt」をプレイしたときのような後味の悪さを感じさせるものの,改めて事件に対するプレイヤーの考えを促した時点で,「メディアとしての可能性を広げる」という本作の試みはある程度成功だったのではないだろうか。
難しい立場なのは,このGuerilla Gamemaker Competitionに協賛し,ノミネート作品の選択や優秀作をジャッジをする予定になっていたゲーム業界の関係者達だろう。インディーズゲームの勃興を訴え,日頃からパブリッシャの利権などに関して意見してきたManifesto GamesのGreg Kostikyan(グレッグ・コスティキャン)氏も,自身のブログサイトにおいて,そのゲームの内容よりも,芸術性の低さやゲームデザインの革新性のなさなどを理由に挙げてスラムダンス映画祭の主催者を弁護しているが,どこか歯切れが悪い。やはり,スポンサーありきのイベントという印象は拭えず,今後,映画祭に対するゲーマーや制作者の評価にも関わってくるのではないだろうか。事実,Guerilla Gamemaker Competitionへ辞退を申し出た独立系ゲーム開発者だけでなく,商用ゲームの開発者の間でも,今回のスラムダンス映画祭の処置に対する反発の声は多いようだ。
Super Columbine Massacre RPG!のノミネート除外に反発し,自主的にコンペからの離脱を表明したJonathan Blow(ジョナサン・ブロウ)氏の「Blaid」。横スクロール型のアクションのようだが,その絵画的なグラフィックスが印象的だ
今のところ,ルドン氏は「悪いのは主催者ではなく難色を示した一部のスポンサーであり,この件に関して深く追及する気持ちはない」と,大ごとにしたくはない様子だ。当初,ノミネート作品の幅広さと濃さが光っていたGuerilla Gamemaker Competitionだが,最終的には,話題性の少ないタイトル10作品程度からの選定となるだろう。
今回の事件は,映画とゲームの結び付きを認識していながら,かえってその溝を広げてしまったように思える。ひるがえって,そもそもゲーム業界は映画の“箔”に寄り掛かる必要があるのだろうか? まだ磨かれない原野の石は,ゲーム業界自らの手で磨いていくべきではないだろうか。