― 連載 ―

奥谷海人のAccess Accepted
2006年10月25日掲載

 前号で,「次回は連載100回記念企画。お楽しみに」と我々の期待を膨らませておきながら,筆者である奥谷氏は「結局何の用意もしていなかった」と堂々と語る。さすが奥谷氏だ,ということで今回のAccess Acceptedは,過去の連載を振り返りつつ,ゲームライターとして彼の思うところや,ここへきて風雲急を告げるアメリカゲーム業界の今後についてなどを語ってもらった。

 

奥谷海人,連載100回目での所信表明

 

ついに100回を迎えた
週刊連載Access Acceptedとは?

 

 このAccess Acceptedも,連載開始以来ついに100回目を迎えた。このページだけが,まだ4Gamerの背景が黒かった時代の雰囲気が強く残る化石のようなルックスなのは,この企画が持ち上がったのが2004年の夏のことだからだ。実際には,同年9月の第一週からスタートしているので,当サイトで2年と少し続く最長寿の週一コラムになる。
 で,せっかくの100回なので4Gamer編集部と協力して何か特別なことでもしようと思案していたのだが,向こうからは「じゃ,なにか記念になりそうなのをお願いしますね」とあっさり言われ,結局自分で何か考える破目になってしまった。
 基本のアイデアとしては,「過去の記事を振り返り,アップデートを書く」というのがあったものの,2年前の時事は古過ぎてもはやアップデートする価値がなかったり,記事中に登場した人物とはすでにコンタクトが取れない状態になっていたりと,なんやかやで失敗。その代わりに祝電や祝辞を並べて勝手にお祝いムードを演出しようともしたが,業界人や知人関係ではお祝いメッセージを送ってくれる人がいないことが判明。強行しても交友関係の狭さだけが際立って切なくなりそうで,思案の揚げ句,このような地味なエッセイで,お茶を濁してみようかなと思ったのである。慣れないことをやろうとするものではないといういい見本である。

 

当連載記事の中,最もアクセス数の高かったのが「第24回:ファイナル・ファンタジーXIを使った世界規模の研究」。研究が終わったときには,研究者の一人ミーズ氏から感謝のメールが舞い込んだ。それもこれも,この連載を読んでコミュニティに広めてくれた,日本のゲーマーの皆さんのおかげです

 この連載は「ニュースやレビューなどで書かれないような時事ネタを配信する」ということ以外は何も決まっていない見事なまでの見切り発車だったため,実際にどれくらい長く続くのかはまったく予想していなかった。今だから言うが,ネタがなくなったら書こうと思っていたのが「第15回:嵐の中で起こっていたこと」で,さらに“本当に”ネタがなくなったら書こうと思っていたのが「第47回:ゲーム映画事情」だった。どちらも2回に分けていることから,我ながらかなりバレバレの応急処置である。
 しかし,そのうち編集部から話題を振られたり,突然,面白いニュースが舞い込んだりして,その後も快調に(?)連載は続けられている。イベント取材などは早書きで知られる筆者だが,この連載に関してはアイデアの絞り込みや調査,取材にかける時間などが執筆よりもはるかにかかる。そうは言っても,ゲームイベントのレポートや「Access Acceptedゲーム大賞」のような,毎年書ける定番ネタもあったりするので,最近では割とスムースに執筆作業や取材はできている……,ような気はする。

 

連載100回記念データ#1奥谷海人が選ぶ,思い出の記事

元祖ゴールドファーマーにコンタクトを取れたのは奇跡的。あの30台のコンピュータ農場には,殺伐とした今のRMT業者にない職人気質のようなものさえ感じました。Xboxゲーセンはどうなったのやら……

第33回:E3 2005 外伝

これまで,我々ゲームライターがどのようにイベント取材をしているのかを書き出せる機会は少なかったと思っています。30代の多い編集部では,そのうち過労で倒れちゃう人も出るんじゃないっすか?

こういうポジティブなネタも面白いな,と思いながら書いた記事。今読み返せば,単なるゲームの紹介になってしまっている気もしますが,シリアスゲームの社会的な浸透が明確になったソフトでした

なんとなく好きな記事。執筆はなるべく事実に基づき,個人的な判断を書き殴るのは控えるべきだと思っていますが,この記事では最後のほうでかなり冒険していたと思います。なにしろ,未来を考えるのは楽しいですからね(笑)

日本ではあり得ないような事件なので,ワクワクしながら書いていた記憶が。原稿を書き出す前からタイトルが決まっていたのは珍しく,我ながら良いセンスだったんじゃないかと思います

 

ゲーム・ジャーナリズム

 

 筆者がこの業界に足を踏み入れた10年ほど前,日本のメディアでは「アメリカのゲームはとにかく大味」と単純に論評されることが多く,それらを目にするたびに反感を覚えていた。そんな先入観の下に書いた文章で消費者にゲームの内容がうまく伝わるわけはないし,作った人にも,遊んでいる人に対しても失礼だと思ったのだ(今でも思っている)。それが理由なのか,自分の過去の連載やレビュー,新作の紹介などを読み返してみると,少しでもゲームに親しみを覚えてもらおうと,開発者が以前にどんなゲームを作っていたかとか,その作品の文化/社会的背景は何かといったウンチクをしつこいほど書いた記事が多いのに気づく。

 

最近,筆者が気にしているのが,暴力ゲームに絡んだ社会的な問題だ。とはいえ,反ゲーム弁護士として知られるジャック・トンプソン氏は,いつも珍妙なネタを提供してくれるありがたい常連である

 個人が情報を発信できる時代になって,ゲーム・ジャーナリズムのあり方が問われつつある。メディア・リテラシーにも関わる部分だが,単純に褒めているだけの記事を書いたのでは,ただの宣伝文と受け取られかねないということは承知している。読者が「この記事はどこまで本音を書いているのだろうか」と疑ってしまうこともあるはずだ。
 欧米では,映画や音楽,社会時評にいたるまで「スタイルガイド」と呼ばれるものが存在する。これに則ってより的確,迅速に作業を進められる“ジャーナリスト達のマニュアル”だ。ゲーム・ジャーナリズムの世界ではまだ聞いたことがないが,映画の手法からゲームエンジンのライセンシングまで,マニュアル化を進めることで余力を創造的分野につぎ込み,それによって奥行きの深さを増すのが好きなアメリカの商法を考えれば,今後はプロ/アマを問わずゲームライターの間でもっと論じられてしかるべきことだろう。

 ゲームのレビューとは因果なもので,たとえ1ページあたり同じ報酬をもらっていても,映画なら2時間ほど鑑賞するだけで執筆作業に取り掛かれるのに対し,ゲームをプレイするには少なくとも10時間,MMORPGともなると50時間や100時間もかかる,といったことが珍しくない。時給にするととんでもなく安価で,経験豊富な古株のライターが業界に残りにくい要因になっていると思う。
 ゲームライターは,いつも特定のゲームだけで遊んでいるというわけにもいかず,(それが直接的に稼ぎにつながるかどうかに関係なく)次々に新しいタイトルをこなしていかなければならない。こうした数々のマイナス要因の中に身をおき,あえてライターとしてあり続けるためには,やはり消費者の代表として,ゲームやゲーム業界のあり方を論じるだけの知識を身に付け,信用を得ていかないといけないとあらためて思う次第である。

 

風雲急を告げるゲーム業界とゲームカルチャー

 

 欧米のゲーム開発者達の間には,ゲーム会社ごとに反目し合っている姿はあまり見られず,PC用にせよゲーム機用にせよ「みんな成功すればいいね」といったアットホームな雰囲気がある。マルチプラットフォームはごく普通になり,海外のショウなどへ行くと,「PCバージョンはいずれ出るから」と,とりあえずゲーム機用のタイトルを取材する場面も増えてきた。今後,PCとコンシューマ機の垣根はどんどん低くなっていくだろう。

 「PCで動くゲーム」という限られた分野でも海外での展開は早い。業界ウォッチャーとして見ていくべきことは手に余るほどだ。Windows Vistaは,PCゲームをどのように変えるのか? 次世代ゲーム機戦争がPCゲームに与える影響は? 2008年には確実に来るであろう“MMORPG 2.0”の波とは? はたまた,反ゲーム弁護士や政治家達の次の一手は何かなどなど……。
 これまで深く追いかけたことのない,ゲームの競技大会やMODの話題,海賊版の問題など,筆者自身勉強しなければならないことも多いし,MMORPGの料金形態はどう変化するか? RMT(リアル・マネー・トレード)に税務省(IRS)の手が伸びるのか? さらに加速し続けるデジタル流通にからむ時事ネタなど,ビジネス関連で興味深い話題もまだまだある。マイナーなタイトルや,小さな開発チームにも,もっと光を当ててみたい。

 

まだ駆け出しの頃に交換した名刺も捨てきれずにいる。Origin Systems時代のRichard Garriott氏のものから,Microprose,Looking Glass Studios,New WorldComputingなどなど,今はないゲーム会社を並べてみた

 E3 Media and Business Summit と改名した,旧E3(Electronic Entertainment Expo)の解体に関しては,北米のゲーム市場そのものが縮小していると見る人が多いようだが,実際にそうなのだろうか。出展に大きな出費を課せられていた大手メーカーが,その宣伝効果に見合うだけの利益を求めているだけであり,ジャーナリストやディーラーとより密着することで,話題を独占したいわけである。
 彼らが新生E3の効果をどのように予想しているのかは知らないが,見せ場を失った弱小メーカーは,その販路を確保するために大手との提携を模索するはずだ。つまり,大企業による中小企業の囲い込みが始まり,アメリカの映画産業が1930年代に体験したように,いわゆる“メジャー”の誕生を迎えることになるだろう。潤沢な予算と人員を投入してゲームを作る,恵まれた環境にあるように見える開発者の背後には,アメリカ流の熾烈なビジネス戦争が見え隠れするのだ。当然,その主導権争いには,日本のメーカーも大きく絡んでいる。

 ここ数年で,ゲーム業界はまた大きく変化していくはずだ。PCゲームにも,それらを生み出すゲーム業界にも,面白いことはまだまだたくさんある。そして,面白い文化は,その実態がどのようなものであれ,後世に伝えるため記録されてしかるべきなのである。
 最後に(これで最終回というわけではないが,まあ,一応の区切りとして),ゲーム業界の関係各位や協力してくれた人,ギリギリの入稿にもへこたれない編集部,そしてなにより,人生の半分近くをアメリカで過ごす筆者の言葉足らずな文章に付き合ってくださる読者の皆さんに感謝しつつ,今後もゲーム業界やゲームカルチャーを眺めていきたいと思う。

 

 

 


来週は,「連載100回記念よりも価値のある10周年」です。お楽しみに。

■■奥谷海人(ライター)■■
本誌海外特派員。本連載での記念すべき第100回を迎えた奥谷氏。本文ではもっともらしいことを述べているが,実は毎週のようにネタ探しに苦しんでいるご様子。そんなツッコミを入れてみると,「ネタ探しだけじゃない。この筆者紹介に提供する話題を考えるだけでも一日を費やしている。人生,そんなに面白いことがあるわけじゃない」と憤慨している。でも,そんな様子が面白いので,これからも続けてもらいますよ。


連載記事一覧


【この記事へのリンクはこちら】

http://www.4gamer.net/weekly/kaito/100/kaito_100.shtml