連載
【ヒャダイン】“洋・邦のバイアス”を洋ゲーやって考える
ヒャダイン / 音楽クリエイター
ヒャダインの「あの時俺は若かった」 |
第64回「“洋・邦のバイアス”を洋ゲーやって考える」
ども。洋ゲーやってますかみなさん。僕はやってますよ。大好きですよ! 英語バージョンはやはり厳しいこともあるのですが,翻訳されていたら勇んでやりますよね。
「アンチャーテッド」シリーズはディスクに穴が空くくらいやったし「inFAMOUS Second Son」も何度となくクリアしたなあ。「Grand Theft Auto」シリーズもいいよね。やっぱり。
てかやはりアウトローもの,射殺しちゃうよものは海外が強いなあ。銃社会って悪いことばかりだと僕は思っているけど,ゲームにおけるリアリティを生み出すという部分においてだけは優れているかも? いや,描かれていることは決していいことじゃないんだけども!
さてそんな中,友人にすすめられてPlayStation 4版の「INSIDE」という,デンマークのPlaydeadが開発したゲームを買いました。横スクロールアクションで操作も簡単だからいいよ! みたいな軽いノリで。
とくに情報を調べることもなく始めてみたのですが,初っぱなから怖い! あ,僕,怖いものがすげえ苦手なんですよ。お化け屋敷とか嘘みたいにギャーギャー言いながら走って逃げるタイプ。
なのに始めてしまったINSIDE。真っ暗な森の中,少年が一人転げ落ちてくるスタート。そこから追いかけてくる大人や犬から逃げながらひたすら走る。隠れる。もし失敗したら大人に捕まる。捕まるだけならいいけど噛み殺されたり銃殺されたり。コンティニューは何度でもできるんですが,即死するのがリアリティ満載で怖い怖い。
でね。愚直なまでに横スクロールなんですよ。上に逃げたりとかの余地がなくて,ボタンも横に進む,ジャンプする,物を掴む,以上! みたいな。こりゃ洋ゲーだけど翻訳いらずだね。
しかしそれゆえにできることが限られる。逃げていく途中で進めなくなって「あ,詰んだ?」と思う瞬間がたくさんあるんだけど,この最低限に限られたコマンドだけでどうにか乗り切ることができるんです。
そう,それはプレイヤーの知恵と機転で! まあ平たくいえば謎解きなのですが,「ゼルダの伝説」シリーズにおける謎解きの解法をボタン二つくらいに制限して,しかもめっちゃ闇落ちさせた感じ。
しかし,制限されたなかで謎解きを成功させて進んでいくのは,緊張感があって非常によろしいです。何よりグラフィックスが常に美しい! 豪華絢爛,とかじゃなくて緻密にデザインされた現代建築を見ているかのよう。その世界観で寄ったり引いたりするカメラの前で,ひたすら横に“生”を求めて走り続ける主人公の様子は,現代アートのダンスを観ている感覚に非常に近いです。
生と死という生々しさがかえって神々しさというかスタイリッシュさというか,なんだかとんでもなく美しいものを見せられている感覚になります。もちろん怖いけどね。
で,ただひたすら逃げ続けて走って最後ゴール! やったぜ! 逃げ切ったー! というストーリーではございません。
言葉もないし説明もないんだけどストーリーはちゃんとあって,まったくスッキリできない衝撃のラストが待っています。マジで「何だこれ!?」という印象です。
自分一人じゃ消化しきれないので「INSIDE 考察」で検索しちゃゃいますよね。すると,「確定ではないけどこうではないかな?」というような見解があって,まあそれを信じてもまだ,腑に落ちないところはあるのですが。
ともあれ,そんな情報から裏エンディングまで存在するということを知りました。なんと。やりこみ要素まであるのかよ。横スクロールでやりこみ要素といえば某世界的どメジャー作品すら思い出します。邪悪なNINTENDOといったところでしょうか。世界観はPOPと真逆です。
さて,そのストーリーやオチを体験して,僕はあらためて感じたことがあるんです。ありきたりですが,やはり外国の文化ってどうあがいても分からないところがあるんだなぁ,って。
これは今回遊んだINSIDEだけじゃない話で。映画を見ても音楽の歌詞を読んでも,翻訳された小説を読んでも,です。話の大きな展開は理解できるのですが,微細な表現だったり,あと人間の感情の動き方だったり,「え!? なんでこうなるの!?」みたいなのが必ずあるんですよね。「あー,分かるー。あるあるだよねー」というのが非常に少ないというか。
そういうとき,分かったつもりになるか,見て見ぬふりをして話の大筋を楽しむかして,乗り越えてきた人,少なくないですよね? 登場人物がとんでもない行動をした直後,誰かに叱責されるわけでもなく,何なら褒められて次の展開にすすむハリウッド作品とかを見ると,「ま,海外だから」なんて割り切れたりもするのですが,日本の作品で同じことをされると,「いやいや,ありえないでしょ。どうしてこんな超展開になるわけ? 脚本家,●●なのかな?」と壮絶なdisの対象になるってこと,ありません? 僕の言っていること分かってくれますかね?
もっと具体的に言うと,例えば海外の映画だとすげえピンチなときにいきなりヒロインとキスしたりするじゃないですか。同じ表現を日本でやったら「はあ? 緊急時にサカってんじゃねえよ,リアリティねえなあ。脚本家●●なのかな」となるわけです。
さて,話をINSIDEに戻しますね。このゲームも大人から逃げ回っている最中にとんでもないことが起きて,「え,どういうこと!?」という超展開になるのですが,日本の作品で同じことをやったら「意味が分からない。脚本家●●なのかな」と言われそうです。
そう思ったときにハッとしちゃったんですよ。これって自分で芸術表現にもリミッターをかけてることになるんじゃねえか,って。僕のお仕事は日本のJ-POPを作ること。だから日本人にフィットするように分かりやすく,文脈が矛盾しないように……というスタンスで作品作りを心がけるのですが,もしかしてそれ,そこまで考える必要なくねえか? と思ったわけです。
もちろん受け手の皆様の協力が必要なことは確かです。要するに,洋ゲーだと受け入れられるけど和ゲーだと難色を示す,そういった受け手側のバイアスを想定することをやめたほうが,もっと国内のアーティスト達は伸びるんじゃなかろうか,と。
当然「そもそもそんなバイアスねえよ!」という方もいらっしゃると思います。しかし例えば音楽業界でも,アーティストや楽曲を評価するときに,「邦楽なのに」とか「洋楽っぽい」とか,そういう言葉が出てくる時点で,何らかのバイアスがかかっているんですよねえ。
それがなくなればもっと自由な創作ができるし,それをサポートする動きも出てくると思います。これが重要で,今(昔もそうですが)日本においてニッチな表現をする芸術家達は飯が食えない! 音楽業界なんてとくに,ニッチなジャンルを貫いている人ほど,どんなに音楽性が高くてもそれ相応の扱いを受けられないなんてザラです。
INSIDEだって日本で企画されたら会議の時点でいろいろと変えられているかもしれない。デンマークだから成り立ったのかも。そう考えると複雑な気持ちになります。
この違和感が気になったのでPlaydead社の過去作品「LIMBO」(PlayStation 3 / Xbox 360 / PlayStation Vita / iOS)もプレイしました。こちらも暗い! 美しい! だけど初見殺しの連続! これは世界共通で勘弁してよー!
■■ヒャダイン(音楽クリエイター)■■ ヒャダイン氏が出演する「久保みねヒャダこじらせライブ#12」が,9月30日に開催されます。13:00開演と17:00開演の2公演で,内容は異なるものになるとのこと。こちらの前売り券が,現在発売中。興味のある方はお早めにお買い求めください。 |
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