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「ラストハルマゲドン」「学校であった怖い話」を世に送り出したゲームクリエイター,飯島多紀哉氏特別インタビュー
舞台となるのは人類が滅亡し,荒野と化した地球。プレイヤーは魔族として,その荒れ果てた大地の覇権をかけて謎のエイリアンとの戦いを繰り広げていくのだが,魔族達はこの戦いを通じて,やがて愛と優しさを取り戻していく。ゲーム中盤からラストにかけての,どんでん返しに継ぐどんでん返しのシナリオに,いまでも感慨を覚える人は少なくないのではないだろうか。
そんなラストハルマゲドンを世に送り出したのが,ブレイングレイの中心メンバーであったゲームクリエイターの飯島多紀哉(旧・飯島健男)氏だ。飯島氏は同作のあとも,「BURAI」「学校であった怖い話」「ONI」シリーズなど,独特の世界観を持ち,いまなお根強い人気を誇る作品を数多く作り上げてきた。そして現在,商業タイトルの制作に携わるかたわら,自らが率いる同人サークル,七転び八転びを立ち上げ,テキストアドベンチャー形式の作品を次々と発表しているのだ。
そんな飯島氏に,これまで歩んできた経歴や当時のウラ話,さらにはゲームクリエイター観などについて大いに語ってもらった。飯島氏のファンはもちろん,これからゲームクリエイターを目指そうと思っている人はぜひ目を通してほしい。
光栄を退社し,無一文から始まったクリエイター人生
4Gamer:
本日はよろしくお願いします。4Gamerでも,連載記事「インディーズゲームの小部屋 」の第30回で,「アパシー ミッドナイト・コレクション vol.1」を取り上げさせていただきましたが,飯島さんの最近の作品としては,同人サークルとしての創作活動が目立ちますね。
こちらこそよろしくお願いします。いまも夏コミに向けていろいろとやっていて,現在制作中の「アパシー 鳴神学園七不思議1995 最終版」に向けてシナリオを募集したんです。そうしたら,10万文字とか20万文字もあるような大作を送ってくれた人もいて,それが数百も来てしまったので,いまはそれを読んで,審査する作業に追われています。ただ,学校であった怖い話の新作は,夏コミで必ず出したいです。あと,学校であった怖い話の2008年版の文庫本も出す予定ですよ。
4Gamer:
つい先日,「アパシー 学校であった怖い話1995 〜VNV〜 新装版」が発売されたばかりですし,6月には同じく同人作品として,「アパシー レンタル家族」が発売される予定ですので,立て続けのリリースということになりますね。
コンシューマメインのゲーマーには,スーパーファミコン版の学校であった怖い話で飯島さんを知ったという人も多いでしょうが,古くからのPCゲーマーとしてはやはり,ラストハルマゲドンの衝撃がいまでも忘れられません。ずいぶん昔の話になってしまいますが,飯島さんがゲーム業界に入ったきっかけはなんだったんでしょうか。
僕は,光栄(現コーエー)のアルバイトだったことがきっかけでこの業界に入ったんですが,元々は日本大学芸術学部映画学科で,映画の勉強をしていたんです。若いときって,野望というよりは無謀な面があると思いますが,そのときの僕も,自分一人で脚本から監督まで何でもできる人間になろうと考えていたんですね。大学では演技について学んでいましたが,そんなことを考えていたので,これは脚本を書く勉強もしなくてはいけないと。
4Gamer:
その頃はどんな脚本を書いていたんですか?
飯島氏:
当時はちょうどお笑いブームで,大学の一つ上の先輩だったコント集団が「お笑いスター誕生」という番組によく出演していて大人気だったんです。その影響もあって,自分達もコント集団を組んで,脚本を書く勉強を始めました。もともと文章を書くのが好きで,中学生のときは授業中に小説を書いては友達に見せたりしていたんですが,このときに再度,モノを書くことの面白さに目覚めたんです。お笑いのシナリオもとにかく書きまくって,200〜300本は書きましたね。
4Gamer:
お笑いのシナリオを書いていたとは,現在からは想像もつきませんね。具体的には,どんなものを書いていたんですか?
飯島氏:
毎回必ず軍人が出てくるという,かなりコアなミリタリーコント・シリーズや,一流進学校と三流高校の確執を描くバカ学生シリーズなどです。結構人気が出て,ライブにも人が来てくれるようになったんですが,卒業が近くなった頃に「これでは食べていけないぞ」と。
4Gamer:
確かに,ミリタリーコントで食べていくのは難しそうですね(笑)。
ええ(笑)。それでテレビ局とか,お金がもらえそうなところをあちこち受けたんですが全部落ちてしまって,最終的に,学生のときからアルバイトをしていた光栄に入社しました。当時は「信長の野望」や「三国志」が出始めたばかりで,ファミコン版の「信長の野望」を作り始めたころでした。
でも,どうもゲームが求めている脚本と,自分が書きたい脚本は違う,もっとストーリー性のあるものを表現したいと思うようになって。それをやるには自分でやるしかないと,1年ほどで光栄を退社して,すぐにスポンサーを探し始めました。
4Gamer:
かなり思い切った決断だったのではないですか?
飯島氏:
きっと,そういうタイミングだったんだと思います。退社と前後して,ちょうど父親が急死してしまい,そうしたらなんと借金だらけだったことが分かったんですね。それで,財産はすべて放棄させられ,住んでいる家から何から全部取り上げられて,文字通りの無一文になってしまった。それまで人並み以上の暮らしをしていたのが,突然ボロアパートで暮らすことになって。一瞬で,天国から地獄でした。
こうして,自分が母親を支えていかなければならなくなったんですが,母親が「もう何もないんだから,また一からやっていこう。あなたのやりたいことをやるなら今しかない」と言ってくれて。
あのとき父親が倒れなければ,僕の人生はまったく別のものになっていたような気がします。その思いが強くあるから,自分の作品では“選択肢”というものが持つ意味に,よりいっそう気をつけて考えています。
4Gamer:
なるほど,その出来事が大きな転機になったわけですね。
飯島氏:
はい。それで,スポンサーになってくれた方に,好きなことをやらせてもらう代わりに,儲けは好きにしていいと言って,ものすごい辺鄙なところに,仕事場兼住居を用意してもらいました。当時はまだバブルでしたから,辺鄙なところにもマンションがバンバン建っていました。そこに最低限の機材を用意してもらって,給料というか,お小遣いですが,月に3万円もらっていました。
4Gamer:
月に3万円とは……。いくら住居を用意してもらったとはいえ,相当厳しかったのではないですか?
それがそうでもないんですよ。もちろん光栄にいたときはもっともらっていましたけど,日芸を出てカメラマンや音響係,役者になったりすると,月1万円で交通費は自腹なんてのもざらにあった時代で。好きなことをやるならば,お金は二の次です。お金がほしいのなら,それを第一に考えた仕事を選んで,好きなことは趣味に留めればいいんです。だから3万円というのが,むしろ嬉しくてね。それに自分の場合,結構環境に慣れちゃうほうなんですよね(笑)。
4Gamer:
そのときに作った会社というのが,ブレイングレイですか?
飯島氏:
いいえ,違うんです。ブレイングレイの一つ前の会社で,まだ名前もありませんでした。スポンサーとはエジソンという名前がいいね,なんて話をしていたことはあるんですが。お金はないけれど一日中ゲームを作っていられる,幸せな日々でしたよ。
そのときの月に一度のぜいたくが,CDを1枚買うことでした。CDを1枚買うと,今月も頑張ったなあ,なんて。あの頃は歩道橋に座っていたりすると,通りがかりのおばちゃんが「これ,お食べ」なんて言って,饅頭をくれたりしましたよ。
4Gamer:
いまでは考えられない,のどかな時代でしたね。
飯島氏:
肉なんてまず買わないし,野菜も買いませんでしたね。パンの耳や野菜クズもタダでもらえたんですよ。肉屋に行くと牛スジがタダでした。人参とか大根も,葉っぱのところはみんな捨てちゃうんですよね。いまではむしろ,それが付いていたほうがおいしいなんて言ってますけど。
4Gamer:
牛スジの煮込みなんて,いまでは普通のメニューになっているくらいですもんね。
飯島氏:
牛スジと大根を煮るとおいしいんですよ。卵も古いとタダでもらえるんです。最近テレビでは,卵は実は結構長持ちするなんてやってますけど,僕らに言わせれば常識でした。卵は1か月経っても食べられる!(笑)
4Gamer:
いまさら何を言ってるんだという感じですか(笑)。
飯島氏:
賞味期限と消費期限は違うというのを体感していましたね。
「ラストハルマゲドン」「BURAI」の大ヒットの裏で何が起こっていたのか?
4Gamer:
ちょっと話がわき道にそれてしまいましたが,どんな作品を作ろうと思って光栄から独立したんですか?
飯島氏:
とにかくストーリー性を前面に押し出した作品で,それが「抜忍伝説」です。当時の光栄の同僚や大学時代の友人を集めて,6人で作り始めたんです。でもその中で,まったく働かないヤツがいた。毎日グータラしてばかりで,とにかく一日中酒を飲んでいる。「お前は何がしたいんだ」と聞いたら,「オレは将棋のゲームが作りたい」って言うんですよ。それで,抜忍伝説を作るフリをして,将棋ゲームを作っているんです。でも彼はその後,将棋ゲームで成功を収めました。金沢という男です。
4Gamer:
なんと,あの「金沢将棋」の金沢伸一郎氏だったんですね。
彼は天才だと思いますよ。才能があるヤツってのは,人間的にちょっとダメな部分があるというか,金沢君も調子のいい男でね(笑)。とてもここでは言えないようなこともいっぱいしていました。でも,なんか憎めないヤツなんですよ。
さらに,そのときにいた唯一のグラフィッカーが「オレは漫画家になりたい」とか言い始めて。どいつもこいつも,ふざけんなって感じですよ(笑)。それで,このままではゲームを作れないとスポンサーに話したところ,その人には将棋ゲームのほうが受けが良くて,僕達のほうが追い出されちゃったんです。コンピュータ・ゲームが出始めた時代に,ストーリー性の強い複雑なシステムを説こうとしても伝わりませんでしたね。
4Gamer:
それは実に災難な出だしでしたね。
「超兄貴」(PCエンジン) |
その後,また別のスポンサーを見つけて立ち上げた会社がブレイングレイです。しかし,最初に出した抜忍伝説はさっぱり売れませんでしたね。結局,抜忍伝説もMSXに移植したとたん,大ヒットしたんですけれど。ただ,最初はあまりに売れなかったから,今度は何とかしないといけないと思って,グラフィックスや音楽のスタッフを強化して作ったのが「ラストハルマゲドン」です。後に「超兄貴」の音楽で有名になった葉山宏治君がこのときはまだ新人で,これが彼のデビュー作でした。
4Gamer:
ラストハルマゲドンは大ヒット作になりましたね。PC-8801版が発売されたのが1988年ですが,その後,当時のほとんどの国産PCに移植されたほか,ファミコンやPCエンジンなどにも移植されましたね。
飯島氏:
おかげさまで,当時のパソコンゲームの年間売り上げで上位に食い込むほど売れました。ラストハルマゲドンも,初回出荷は数千本程度でしたが,それが,ふたを開けたら即日完売で,そこからがすごかったですね。アニメを作らないかとか,マンガの原作や小説を書いてみないかとか,いろいろなところからゲーム以外のお誘いがありました。
4Gamer:
当時の売れ行きや反響を考えると,それも当然の結果でしょうねぇ。
ところが,当時のスポンサーだった方が「ゲームなんて買うやつはバカだ。これからはコピーの時代だ」なんてことを酒の席で言いだして,これでカチンときて大ゲンカになりましてね。ゲームを作る側の人間がそれを言ったらいかんだろうと。周りのみんなは謝ったほうがいいと勧めてくれたんですが,どうして自分が謝らないといけないのかと。まだ,長いものに巻かれるという大人の社会が理解できなかったんですよね。これは,いまだに分かっていない節がありますけど。
だったら,こんな会社は出て行ってやると思って,みんなに「また一緒に一からやろうぜ」って言ったら,誰一人ついて来ませんでした(笑)。「ようやく成功したのに,バカかお前は?」って言われて。さすがにこのときは大ショックでしたね。
ラストハルマゲドンのヒットのおかげで,設立時からいたメンバーは数百万円単位で成功報酬をもらえることになっていたし,そりゃあ誰もついてきませんよね。結局僕は一銭ももらわず飛び出してしまい,いろいろな意味で悔し涙を流しましたねえ。
4Gamer:
それはひどい話ですね……。
飯島氏:
で,ブレイングレイを辞めて一人になったら,1週間も経たないうちにいろんな方から声がかかったんですよ。そうしたら,それまで落ち込んでいたのに,天にも昇る気持ちに(笑)。そのときは個人で仕事を引き受けようと思っていたのですが,今後のことを考えて会社にしたほうがいいと先輩方に進言されて立ち上げたのがパンドラボックスで,リバーヒルソフトの「BURAI」の制作にも携わったりしていました。結局,自分が設立した会社はこのパンドラボックスだけです。現在のシャノンも,パンドラボックスから引き継いでやっているわけですし。
4Gamer:
ちょうどその頃は,ゲームデザインに関する著作なども出版されていましたよね。実家に帰ると飯島さんの本がたくさんありますよ。パンドラボックスのスタッフは,当初はどんなメンバーだったんですか?
BURAIを作っていたときは,アシスタントの女性が二人いた以外は,本当に僕だけでしたね。僕は結構書きなぐっていくタイプなので,それをアシスタント達に校正してもらう形で仕事を進めていました。当時は小説やエッセイ,漫画の原作など,月に5本以上の連載を抱えながらシナリオを書いていましたから。とにかく書き続けないと終わらなくて,書いた先からアシスタントさんにチェックしてもらってました。
4Gamer:
BURAIもかなりのヒット作になりましたね。
飯島氏:
そうですね。BURAIがヒットしたときに,コンシューマからの制作依頼がいっせいに来るようになりましたね。
でも,コンシューマに移ってから,ゲームの作り方がだいぶ変わりました。それまでは自分が好きに作れたんですよ。誰もチェックを入れなかったし,ラストハルマゲドンなんて,ヒトラーとか平気で出てきますからね。
4Gamer:
ヒトラーもナポレオンも,やりたい放題でしたね。
飯島氏:
コンシューマに行ったら,あれはダメ,これはダメと規制がいっぱいかかるようになって,自分の好きなようには作れないんだなと認識しました。そのときに初めて,プロになったんだという実感が湧きましたね。それまで作っていたPCゲームは,いまで言う同人となんら変わりがなかったですから。
当時のPCゲーム業界やソフトハウスは,規模的にも雰囲気的にも同人と近いものがありましたからね。
飯島氏:
もうまったく変わりませんね。いまよりはまだ規制が緩かったですが,コンシューマではいろいろな人のチェックが入りますからね。それでコンシューマに移って,最初に作ってほしいと言われたのがRPGだったんですが,最初はその類のゲームは断っていたんですよ。
4Gamer:
でも,当時の飯島さんにゲームを作ってもらうなら,当然RPGをお願いしたいでしょう。
飯島氏:
いま思うと,本当にわがままでしたね。抜忍伝説,ラストハルマゲドン,BURAIときたら,次も当然RPGを求められますよね(笑)。でも,RPG以外の作品も作ってみたい。けれども,制作依頼はRPGばかり。そこで,原案とプロットは自分が書くから,シナリオはパンドラボックスのスタッフでやらせてほしいと言って作らせてもらったのが,ゲームボーイ用ソフトの「鬼忍降魔録 ONI」です。
パンドラボックスで自社ブランドを立ち上げ,コンシューマ業界へ
4Gamer:
ONIシリーズはその後も息の長いヒットシリーズになりましたね。
徳間書店から出ていた「ファミリーコンピュータマガジン」でも,読者が選ぶ面白いゲームランキングでシリーズ作品が立て続けに1位になりました。それで熱狂的なファンがついてくれて。やっぱり飯島といえばRPGだろうと(笑)。
でも,同じタイプのものばかり手がけていると,別のことをやりたくなっちゃうんです。それで作ったのが「マイライフ マイラブ」です。マイライフ マイラブでは,ある程度ゲームを進めると就く職業を選べるんですが,この職業の選択にものすごく規制が多くて,ここで初めて規制の洗礼を受けました。これが,より多くの人に売るための手法なんだなと勉強になりました。
4Gamer:
マイライフ マイラブは飯島さんがこれまで作ってきた中でも,かなり異色の作品ですよね。
飯島氏:
元々は,ファンと交わるのが大好きだったんですが,あるとき当時のゲーム雑誌の編集長にものすごい怒られて,ファンがああしてくれ,こうしてくれと言っても,自分のやりたいことをやれと言われたことがあります。ファンの言葉に惑わされて従うようなクリエイターにはなるな,と。
そのときのアドバイスの中で「なるほどな」と思ったのは,何か作品を作って,例えば10万人のファンができたとします。その10万人を喜ばせようと思ったら,ファンは5万人になる。その5万人を喜ばせようとしたら,ファンは2万人になり,1万人になり,最後はみんないなくなる,というものです。
その作品に10万人のファンがいたら,ファンじゃない人は1億人以上いるんだと。だったら,その10万人を捨ててもいいから,別の1億人に対して勝負しろと言うんですね。
4Gamer:
いいことを言いますね。
飯島氏:
それで,いまだに同業者から言われるのが,僕ほどアンチを連れてまわるクリエイターはいないと。雑誌でも何でも,打ち切りにされるようなものはベストにもワーストにもなれない。誰にも見向きもされないものが消えていくんです。人気が出れば,必ずそれをけなす人が出てくるし,ワーストであっても,あれは良いものだという人が出てきて,そこで意見の交流が生まれる。どっちを目指しても,そういう作品は必ず残る。だから,良い意味でも悪い意味でも人に意見される作品作りを目指しなさいと。
4Gamer:
しかし,10万人のファンを捨てて,残りの1億人に対して勝負をしようという考えは,実際問題としてなかなか持ちにくいですよねえ……。
そうですね。でも,難しいからこそ僕はそれを貫きたいです。だから,僕のそういう考え方を分かってくれるファンは,何をやっても喜んでくれるんです。生暖かく見守ってくれるというか(笑)。ああ,また飯島がバカなことやってるなとか,今度は何をやるんだろうと,傍観してくれる。でも,個々の作品についたファンはなかなかそうはいかないですね。その作品世界を愛しているから,やはりその世界観を作家に期待します。そこに温度差を感じますね。作家のファンと作品のファンって,似ているようでまったく異質なものだと思います。もちろん,どちらのファンもありがたいですけれど。
4Gamer:
確かにそれはあるでしょうね。ところで,飯島さんはほぼ同時期に,ライトスタッフの立ち上げにも加わっていましたね。
飯島氏:
そうです。BURAIを出したあと,「エメラルドドラゴン」を作ったシナリオライターとグラフィッカーが僕のところにきて,一緒にゲームを作ろうということになったんです。
4Gamer:
エメラルドドラゴンも,当時非常に人気のあったRPGですね。エメラルドドラゴンのシナリオを担当した飯淳氏は,確かPCゲーム雑誌「POPCOM」のスタッフでしたよね。
ええ,そうです。エメラルドドラゴンを作っていた頃から,彼はPOPCOMでライターをしていたし,僕は小説を連載していたので,交流はあったんですよ。当時はバブルの真っ最中でしたからゲーム会社を作りたいという方がいっぱいいまして,それで,じゃあやるかと作ったのがライトスタッフですね。
4Gamer:
ライトスタッフというと,「アルシャーク」を作っていた頃ですか。
飯島氏:
そうです。アルシャークも僕がプロデュースしていたのですが,完成間近になった頃に抜けました。設立して一年も経たないうちに,このままでは制作方針の食い違いから空中分解するなと感じ,僕のほうから身を引いて脱退しました。
組織的な立場からいえば,僕が脱退する必要はなかったのですが,僕が身を引かないとアルシャークが発売できなかったので。自分にはパンドラボックスがありましたし,ライトスタッフはお手伝いのつもりだったので,アルシャークのメンバーに譲る形を取りました。
4Gamer:
そうだったんですか。飯島さんがアルシャークにどう関わっていたのかがよく分からなくて,当時気になっていたんですが,そんな事情があったとは……。
飯島氏:
僕は言いたいことははっきりと言うけれど,相手と理解しあえないと思ったら「あ,もういいや」って引いちゃうんです。つまらないことでもめたり,ストレスをためたりしたくありませんから。
それまでは,ゲームを制作するときは出来る限りみんなの意見を聞いて,みんなで仲良く作っていければいいという姿勢でいました。ですが,もちろん自分の好きに作りたいという意欲も心の片隅にありました。自分に遠慮してたんですね。けれど遠慮しながらも,自分の意思を押し通そうとする,どこか矛盾している感覚が常にあって,自分が良いと思うものよりも,他人が良いと思うものを優先しようとしていた。だから,ゲームを作ってもどんどん楽しくなくなっていきました。
いまだからこそ思うのは,これから「僕」が作る作品は,もう「みんな」の意見を聞かない。みんなが良いと言っても,自分が良いと思わないものは認めたくありません。今後は周りの意見は一切聞かないぞ,と。自分の作りたいものを作るぞ,と。
4Gamer:
それはクリエイターとしては,ある意味非常にピュアな姿勢かもしれませんね。
そうかもしれませんね。だから,ユーザーが褒めてくれても文句を言っても,どっちも聞きません。信じるのは自分が面白いと思うもので,作るのは自分が作りたいと思ったもの。精神的にいまの状態を言うならば,これまでで最もアマチュアかもしれないですね。初心者以下です。プロって実は,好きなものを自由には作れないですから。
4Gamer:
商業作品だと,どうしても「みんな」が好きなものに仕上げなければなりませんからね。
飯島氏:
そうですね。大衆受けするためにより多くの人の意見を取り入れなければならず,それをまとめていくのは大変です。やはり数字的な結果を出してこそのプロでもあるので,自分を押し殺す場面は多かったんです。それで,自分の作りたいものを作りたくて,パンドラボックスの自社ブランドで,ゲームを制作/販売するようになりました。
4Gamer:
それが「パンドラMAXシリーズ」ですね。
飯島氏:
はい。シリーズを立ち上げた当初は,売り上げの面でかなり苦戦しましたが,シリーズとしては最後のタイトルである「ONI零 〜復活〜」は,20万本のスマッシュヒットを記録しました。しかしその頃には,パンドラボックスでのゲーム制作に限界を感じて,事実上会社を畳んでいました。「偉そうなこと言うなら10万本売ってみせてくださいよ」と若いスタッフに言われたことがあるんですが,そのときにゲーム制作をやめる決心が付きました。何でみんなの意見を聞きながら,借金してまでゲームを作っているんだろう? と,単純に疑問に感じました。ONI零を20万本売った頃には,ゲーム制作会社としてのパンドラボックスはなくなっていましたが,未練はなかったですね。
4Gamer:
うーん,やるせないですねぇ……。
夢のような(?)インドネシア生活を経てコンシューマ業界に復帰
飯島氏:
ONI零がヒットしたあとに,またいろいろな会社から声がかかったんですが,そのときは作る気も失せていたし,スタッフもいない。そんなタイミングで,身内がインドネシアで商売をするからそっちを手伝ってくれないかという話が降ってきた。
4Gamer:
それはまた,意外な展開ですね。
言葉が通じなくてもいいから,営業として頑張ってくれないかと,メチャクチャな話で(笑)。とはいえ,僕なんかはモノを書くだけじゃなくて,会社の社長として飛び込みで営業もしていたので,やろうと思えばやれるかなと。それで,家族でインドネシアに移り住んで,日本と行ったり来たりしながら,身内の仕事を手伝っていました。
4Gamer:
それはいつ頃のことですか。
飯島氏:
2003〜2004年頃の話ですね。向こうは本当に物価が安いし,ニョニャっていう専用のメイドさんも,一人あたり月3000円くらいで雇えてしまう。運転手は月5000円くらい。買い物もマッサージもテニスも英会話も,数百円で利用できるんです。家には何人ものメイドさんがいて,まさに夢のような世界。
4Gamer:
それは,日本に帰りたくなくなりますね。
飯島氏:
ええ。しかも,家も広いんですよ。だから僕も,向こうに永住する手続きをしていたんです。そうしたらうちの息子が,日本の小学校に行きたいと言い出して。いまさら,何言ってんだお前はと思いましたよ(笑)。
4Gamer:
なるほど,それで日本に戻ってきたというわけですね。しかし,帰国してすぐにゲーム制作の仕事に就けるわけではありませんよね。帰国後はどんな仕事をされていたんですか?
飯島氏:
最初は,ゲーム学校の講師をやらせてもらいました。まずは講師をやりながら,ゆっくり仕事を探そうと思っていたんです。
4Gamer:
しかし,ゲーム業界関係者が飯島さんを放っておくわけもなく……。
飯島氏:
とても,ありがたかったです。日本に戻ってきてすぐに,ゲームを作らないかといろいろな人から誘われました。でも,5年もゲーム業界から離れていたので,業界周辺の知識がまったくなくて困りました。僕がゲームを作っていた頃は「パソコン通信」の時代ですが,いまはもう「インターネット」の時代ですし。そもそもスタッフも全然いないし,作ってくれと言われてもシナリオしか書けませんでしたから。結局,開発会社は別という形でコンシューマ業界に戻りました。
帰国後,最初にとりかかった仕事は「四八(仮)」ですか?
飯島氏:
そうですね。四八(仮)の制作には,なんだかんだいって3,4年かかりました。
4Gamer:
それは難産でしたね……。
飯島氏:
シナリオの規模が大きすぎて,納期を守ろうとすると,すべてのスクリプトを制作しきれない状況でした。そこでやむを得ず,僕が担当した部分のシナリオなどを大幅にカットしたりしました。
4Gamer:
なるほど。四八(仮)は発売後も,小さくはないバグがネット上で話題になりましたね。
飯島氏:
ええ,僕のところにも,プレイヤーさんから多くのクレームが届きました。しかし僕は,開発作業はおろか,デバッグにも参加していないので,困惑してしまったことも事実です。これが,企画から開発,デバッグまですべての工程に口出しができる立場だったら話は別なんですが。頑張ってくれた開発会社さんに迷惑をかけるわけにもいかないので,あえて何も言わないように努めました。
4Gamer:
クリエイターとしての“有名税”のようなものなんでしょうか。
それもあるでしょうけど,やはり僕の性格上叩きやすいんでしょうね(笑)。でも,それで話題になるなら,どんどん叩いてもらって結構です。それよりも怖いのは,話題に上らないことですから。
四八(仮)は,僕としては見世物小屋的な,いかがわしさのあるものに仕上げたかった。それを遊んでいくうちに,あれ,この作品ってこれだけじゃないよね,という深みにはまっていく作品にしたかったんです。だけど,その深みにはまるための長編シナリオが,みんな削られてしまったのが心残りです。それでも,ある意味いかがわしさは僕が当初頭に描いていた以上に表現されたようなので,あれはあれでありかもしれませんね。
4Gamer:
長編シナリオが削られてしまった理由は,やはりスクリプトの制作が追いつかなかったことですか。
飯島氏:
そうですね。途中途中に挿入される「自分シナリオ」と呼ばれる基本シナリオが12話入っていますが,本来ならば50話あったんです。それらのシナリオだけで100万文字近く削除されました。最初は大きく3ルートに分岐する予定だったのですが,早いうちに1ルート分削除され,マスターが近くなったころ,もう1ルート削除されました。ゲームの最初にプレイヤーの家族構成や出身地などを細かく入力するようになっているんですけれど,それを活かしたシナリオはすべて削除されました。
4Gamer:
その削られ具合はちょっとすごいですね……。
各県に割り振る予定だった長編シナリオも,ほとんど削られました。ミッドナイト・コレクションに収録した「送り犬」は,その一本なんです。まあ,四八(仮)には大物ゲスト作家さんが多数参加していたので,そちらをメインにしたいというメーカー側の意向が強かったため,僕のシナリオが削られたというところもあるでしょうね。さまざまな設定を繋いでいく予定だった10本の隠しシナリオも全部なくなってしまって。
そのときに使われなかったシナリオの一つに,四八(仮)版の“学校であった怖い話”もありました。これだけでも20万文字を越えるシナリオで,四八(仮)の世界で描かれていたある謎の一つがここで解明される予定でした。そのパートはすべて撮影も終了していただけに,描かれなかったのは本当に残念でした。撮影だけ済ませて登場しなかった役者さんもいっぱいいましたし。
4Gamer:
なるほど。それによって,作品としての整合性や奥深さが若干低くなってしまったかもしれないと。
飯島氏:
うーん,少なくとも,当初自分が望んでいた形とは,ちょっと違ったものになったのは確かですね。ただ,自分の目の届く範囲で開発が行われなかったですし,さまざまな方の意向が取り入れられて出来上がった作品ですから,さまざまな色が表現されていていいのではないでしょうか。
クリエイターとして,ファンを裏切るものを作り続けていきたい
D4エンタープライズのスタッフがスキャンしてくれた,「BURAI上巻」のパッケージ。ご協力ありがとうございました |
飯島さんのシナリオは,どれも濃いめというか,深みがあるというか,非常によく練られている印象があるのですが,身近な恐怖を描くホラー色の強いものから,ラストハルマゲドンやBURAIで描かれたような壮大なストーリーまで,作品によって規模や視点のギャップが大きいですよね。
飯島氏:
自分がそのときに,やりたいと思っているテーマを形にしているだけなんですけどね(笑)。そういえば,最近では飯島=ホラーという印象が強いかもしれませんが,6月に発売予定のレンタル家族には,ホラー要素は一切ありません。
4Gamer:
最近のラインナップを鑑みると,それは意外な展開ですね。
レンタル家族は,舞台設定や登場キャラクターこそ特殊ですが,ドラマとしては日常の断片を切り取った,ごく普通のお話です。こういう作品は,商業作品としてはなかなか作れないでしょうね。少なくとも,僕のところにはこういった作品の依頼は一切来ません(笑)。
4Gamer:
個人的には,ニンテンドーDSの「Apathyアパシー 〜鳴神学園都市伝説探偵局〜」の続編にも期待しているのですが。なんとなく,次回作につながりそうなエンディングでしたよね。
飯島氏:
うん,でも「鳴神」はあれで終わりです。昔の映画作品などには,結果が曖昧な形でエンディングを迎えるものがありますが,「結局その後どうなったんだろう」と想像するのが楽しかった。昔作った「龍騎兵団ダンザルブ」や「ドラゴンナイツ グロリアス」なんかはその典型で,「さあ,これから旅に出るぜ」というところでゲームが終わります。僕はそういう形の,続きはユーザーに想像してもらうという作り方も好きなんです。
4Gamer:
おっしゃることはよく分かります。
飯島氏:
ドラマで青春を描くとすると,そういう形が一つの理想だと思うんです。例えばそれが戦争映画だと,若者達が軍隊の訓練校に行って,そこで何か月間か学んでいく姿を描くような作品は,さあこれから戦争に行くぞ,というところで終わる。もしくは戦争に行って,敵軍に突っ込んでいくところで終わる。
4Gamer:
主人公はどうなったんだろう,死んだんだろうか,いや死ぬはずがない……などとあれこれ想像するのは,とても心地良いものですよね。
飯島氏:
ですよね。それを物足りないとか,スッキリしないなどと否定するのも自由ですけど,そこはクリエイター側だけじゃなくて,受け手側にも想像力を発揮してもらえれば嬉しいです。
4Gamer:
しかし,想像力で物語を補完してくださいと言っても,至れり尽くせりのゲームに慣れたプレイヤーは,なかなか納得してくれないかもしれませんね。
僕が若かった頃は,いまと比べて娯楽の選択肢が少なかった。仮にゲームで遊ぶとしても,基本的には一つを選んで買わなければならなかったし,それを選択するための情報量も,いまと比べ格段に少なかった。
僕は若い頃,半年に一本くらいしかゲームが買えなかったから,もしクソゲーを買ってしまっても,一生懸命遊んだものです。それ以前に,クソゲーだと思わなかった。でもいまの子供達は,クソゲーをつかんでしまったら,中古ショップに売って終わり。噛むことで分かる味にはなかなか到達しないんでしょうね。
4Gamer:
しかもいまは娯楽の選択肢も多いし,無料で遊べるゲームも山ほどあります。
飯島氏:
ええ。それに,インターネットで溢れるほどの情報が手に入ってしまいます。なので,自分の感性や考えよりも,ネットでの評判に頼りがちです。他人の感性に頼るということは,自分の言葉も失っていくことに繋がるので危険ですよ。人の評価なんて気にしないで,自分の遊びたいものを遊べばいいと思うんですけどね。
4Gamer:
良い悪いという話は別にして,「そういう時代」だという言い方はできるでしょうね。
飯島氏:
そういう時代といってしまえばそれで終わりですが,嫌いなものは排除すると言う考え方は人間づきあいにも現れているような気がします。極端に言えば,嫌いな人は殺しちゃうとか。
本来クリエイター側も,時代に合わせたことをやらないといけないんでしょうけど,僕はひねくれてますから,逆にいまのような時代だからこそ,自分のやりたいようにやりたい。もうね,受け入れてもらえるかとか,そういうのは関係なくなってきました。そう割り切っています。
4Gamer:
最近飯島さんが注力している一連の同人活動は,まさに「自分のやりたいようにやった」仕事なわけですね。
そうですね。ミッドナイト・コレクションは久しぶりに,やってよかったと思える作品でした。モノを作るのは自分との戦い。パンドラボックスでは,みんなの意向を聞きながらモノを作っていたけど,この作品は一切そうしなかった。まさしく,自分が作りたいように作りました。だから,マスターが仕上がったとき,本当に気持ちよかった。ゲームを作って,こんなに気持ちよくなったのは何年ぶりだろうと思いましたから。
“学校であった怖い話1995 新装版”を作ろうと思い立ったのも,それがあったからなんです。去年の夏コミで発売して大ヒットした「アパシー 学校であった怖い話 〜VNV〜」は,四八(仮)のシナリオ修正で忙しかったためファンサービスに片手間で作った作品でした。だから,どうしても満足いくものに作り直したかったんです。マスターが上がったときも充実感でいっぱいでしたし,評判も上々で大満足です。隠し要素もいろいろ入れたので,見つけてもらえると嬉しいですね。スンバラリア星人とか(笑)。
4Gamer:
これはまた,旧作のプレイヤーには懐かしい名前が出てきましたね(笑)。
飯島氏:
そのほかに,同時発売した「学校であった怖い話1995」の文庫版にも新作小説を書き下ろしたんですけれど,これも好き勝手に書けたせいか,書き終えたときは本当に幸せでしたよ。同時に執筆した,メッセサンオーさんで購入すると付いてくる特典小説も書いていて楽しかったので,予定のページ数を大幅にアップしてしまいました。メッセサンオーさんにはご迷惑をおかけしてしまいましたが,担当の方にも面白いといっていただけて良かったです。
いまは小説を書いてもゲームを作っても本当に楽しい。いままで生きてきて,一番創作活動を楽しんでいますよ。
4Gamer:
本当に充実していますね。同人作品に関しては,今年も何タイトルかのリリースが予定されていますが,商業作品ではどうですか?
飯島氏:
実は,いくつかのメーカーさんから話はいただいています。でも,自分の作りたいものを作らせてもらえるのかが分かるまで,待ってほしいと伝えてあります。せめて,クオリティアップを目的としたデバッグくらいは自分でやりたいですしね……。復帰後3本の作品に携わったんですが,自分の作りたいものを作れないのであればクリエイターに戻ってきた意味はないと,はっきり感じましたし。
パンドラボックスの末期はスタッフを養うために仕事としてゲーム作りをしていましたが,いまは極力スタッフの人数を抑え,自分の作りたいものを作ることを心がけています。
4Gamer:
なるほど……。しかし,クリエイター自身が自信を持って「やってよかった」と思えるような作品を遊べるのは,ゲーマーとしては幸せなことですね。それは商業作品ではなかなか見られない,同人作品ならではの醍醐味と言えるかもしれません。
商業とか同人とか,プレイヤーからすれば関係ないと思いますし。面白いものを安く遊べれば,それでいいんじゃないかな。
先ほどちらっとお話したレンタル家族でも,すごく“遊んで”いますよ。主人公は,人生を斜めに見ている高校生で,自分の人生の価値は,死に方をいかに演出するかで決まると信じていて,いつも自殺することばかり考えている。それを「間違っている」といって何とか思いとどまらせようとしている親友の男の子がいて,その二人の友情を軸に話が展開するんです。そこにいろいろな人の人生が絡んできて,主人公の男の子の考えがどう変わっていくのか……というお話です。
4Gamer:
うーん,なかなか重いテーマですね。しかも主人公の考え方は,多くの人が一度は通過しているかもしれない。
飯島氏:
若い頃はそういう部分がありますよね。まぁ詳しくは実際にゲームをプレイしてもらいたいんですが,つまるところ,「家族とは何か」というのがテーマです。
4Gamer:
本当に,一切ホラー要素はなさそうですね。あえて「家族」をテーマにした理由は?
飯島氏:
やっぱり,自分に家族ができたというのが大きいですね。3人子供がいるんですけれど,可愛くて仕方ないですよ。その子供達一人一人にも人生があって生き方があって,全員が主役を演じている。昔から愛をテーマにした物語を描きたかったんですけれど,そういうテーマの依頼は来ないし。同人で好きなものを作れるのであれば,商業で来ないテーマを描こうと。そしてみんなに,もっと家族に目を向けてほしいなと。ネットやケータイ,メールなどの登場で,直接的な対話が少なくなってきている昨今ですが,あえてそこで,人と人とのふれ合いを描きたい。この作品は,やりすぎだと思うくらいの,完全なハッピーエンドになりそうです。
4Gamer:
深いところでは,ラストハルマゲドンのテーマともつながっていますね。
ああ,そうかもしれません。これまでの僕の作品と,根本は同じはずです。ただ見た目や話の持っていきかたが違うだけですね。こんなことをやったらファンが怒るだろうなと思うようなことも,同人だとやりたいことがどんどんできるんですよ。
詳しい内容はまだ伏せておきますが,実は9月にも同人で,サイコサスペンスものを発売する予定です。このゲームは,いわゆる“腐女子”が主人公で,自分のやりたいことを実現するために,周りの人をどんどんはめていくというストーリーなんです。周りの男性スタッフはみんな「これは面白い」と言ってくれますが,女性スタッフは全員「こんな“腐女子”はいません」と怒りました。その時点で,この作品は作るべきだと確信しました。
4Gamer:
家族の次のテーマは“腐女子”ですか……。かなり大胆な設定なので,その作品もファンの間では評価が分かれるものになりそうですね。
飯島氏:
僕の作品は男性ファンだけでなく,女性ファンが多いようなんです。だったら今度は,その女性ファン達が,「ふざけんな」と思うような作品を作ってやろうというのも,狙いの一つです。商業では間違いなく絶対出せないような作品ですね。あったかい話から,悲惨な話まで何でも書きたいんです。それがクリエイターとしての自分の使命だと思っています。
4Gamer:
一つの成功したパターンを踏襲するだけではクリエイターとは呼べないということですね。そしてクリエイターであり続けるためには,現在の市場では同人がベターだと。
飯島氏:
そうですね。あくまでゲームという分野に限ってですが,自分にとっては,そうだと思います。規制に捉われず,自分のやりたいことを人にとやかく言われずに表現しようと思ったら,同人が一番でしょう。いまの制作環境には,とても満足していますから,できればこのスタイルは続けていきたいですね。昔からそうでしたが,これからもファンを裏切る作品を作り続けていくためにも,いまの環境は大事にしたいです。
4Gamer:
個人的に,最近のゲームを見ていると,テンプレートなシナリオで,テンプレートなキャラクターのものが多いと感じます。その点について,飯島さんは何か感じることはありますか?
いまの若い人達が作るゲームがもし底が浅いとか,プロットが練られていないとしたら,自分が楽しいと思えることをやっていないのかもしれませんね。いまはネットが普及して1億総評論家という時代になっていて,そういう人達に受け入れられる世界や,望んでいる方向性の作品を作ろうというクリエイターが多いのかもしれません。
ネットでの評価に戦々恐々とし,ネットで良い評判を勝ち取ろうと思い,遊んでくれる人の顔色をうかがって作っていたら,楽しいものはできないですよ。僕は,批評家に媚を売るクリエイターは嫌いです。だから,クリエイターはネットでの評価を気にせず,自分が面白いと思ったものを信じて作品作りをしてほしいです。
4Gamer:
たしかに,ネットでの評判がそのゲームの価値の大部分を占める,という風潮がありますね。
飯島氏:
あともう一つは,勉強不足ということもあると思います。いまのゲームがつまらないともし感じるのであれば,それはクリエイターが自分の好きなものの中だけで完結しているからだと思います。映画学科にいたとき,最初の授業で,自分が絶対見たくないと思うものを,必ず毎日1本見なさいと言われて,最初は何を言ってるのかと思いました。自分も中学校,高校までは自分の好きな映画しか見ませんでしたから。
でも大学に入って,自分の好きじゃないものにどれだけだくさん触れるかを徹底的に叩き込まれた。そうやって,その作品の良い点,悪い点を調べていくことがクリエイターの勉強になります。本にしても音楽にしても,自分が没頭できるものがあれば,好き嫌いに捉われず何でも吸収してほしいです。
4Gamer:
それは非常に大事なことだと思います。ちなみに,飯島さんは普段ゲームをプレイしますか?
飯島氏:
ゲームはほとんどやらないですね。やるとはまっちゃうんですよ。ゲームは1時間,2時間じゃ終わらないので,遊び始めたら,たぶんものを作らなくなってしまうんじゃないかなあ。だから,趣味も兼ねて映画と本をたくさん見るようにしています。とくに僕の場合は映画ですね。映画ならば決まった時間内で完結するので,スケジュールを調整しやすいですから。ゲームだと,平気で200時間とか遊んでしまうので。でも,年に1,2本あるんですよね。はまっちゃうのが……。
4Gamer:
お,それは気になりますね。最近ではどんなものにはまったんですか?
いまの自分の作品の方向性とは違いますが,コンシューマでは「世界樹の迷宮」や,日本一ソフトウェアの「ディスガイア」シリーズなどですね。あと,PCでは「マイクロソフト ダンジョン シージ」や「バルダーズゲート」なんかをかなりプレイしました。
4Gamer:
どれも遊び始めたら,相当時間のかかるものばかりですね(笑)。
飯島氏:
そうなんですよ。だから,やり始めたら何100時間も遊んでしまって,何もできなくなってしまうんです。「Wizardry」なんかも大ファンで,いっそダンジョンの中で死にたいと思うほどファンタジー世界が大好きですね(笑)。
4Gamer:
飯島さんの作るRPGの一ファンとしては,いつかまた,その大好きなファンタジー世界を舞台にした作品を見てみたいですね。では最後に,これからゲームクリエイターになりたいと思っている若い人に向けてメッセージをお願いします。
飯島氏:
普通に生活するだけなら,あえて嫌いな人や物に突っ込んでいく必要はありませんが,ものを作るという発信側の人間になるなら,嫌いなものに触れないと世界は広がりません。触れて初めて,その先の世界が見えてくるんです。
いまは好きなものにだけ触れるのが,ごく当たり前になっているので,自分の知らなかったものに出会ったときの衝撃を忘れてしまう。いまの若い人達を見ていると,そのことをちょっと寂しく感じます。何となく好きなことをやって,何となく感動のない日々を送っている人には,いいものは作れない。いろいろなもの見て,いろいろな体験をしてほしいですね。
4Gamer:
人に感動を与えるには,まず自分がそれを忘れてしまってはいけないということですね。本日はありがとうございました。
「自分が作りたいものを作る」「ファンを裏切るものを作る」というクリエイター観,ゲームデザイン思想は,ゲーム制作に携わる人ならば多かれ少なかれ,誰もが抱くものだろう。今回のインタビュー中にたびたび現れる,飯島氏のクリエイター観の中心をなすものも,まさにそれだった。しかし現実問題として,現在のゲーム市場でそれを貫き通すことが非常に困難であることは,想像に難くない。それだけに,これまでに作り上げてきた数多くの独創的な作品によって成功を収め,同時にまた,同じ数だけの失敗も経験してきた飯島氏の言葉は,重みを持って受け止められる。
今後の飯島氏の仕事は,PCゲームとしてはインディーズ作品という形で楽しめるが,どうやらコンシューマゲーム市場においても,いくつかのタイトルが開発されそうだ。自分の興味や思想に忠実であり,「ファンを裏切ること」に重きが置かれた飯島作品を,若いゲーマー達はどのように評価していくのか。たくさんの“アンチ”を引き連れて,ゲーム業界を縦横無尽に駆け回る飯島氏の,今後の活躍にも注目していきたい。
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