連載
『読みにくい名前はなぜ増えたか』
著者:佐藤 稔
版元:吉川弘文館
発行:2007年7月
価格:1785円(税込)
ISBN:978-4642056366
たまにはこの連載も気分を換えて,時流にでも乗ってみるかと思い立ったので,この本を紹介する。吉川弘文館の『読みにくい名前はなぜ増えたか』である。
どこぞのエライ人が偏差値と関連付けて何か言ってしまったせいか,近頃にわかに子供の名前の読みにくさが注目を浴びている。我々の分野に引きつけていえば,まるでアニメやキャラクターゲームの登場人物みたいな「響笛」(ひびき)ちゃんだとか,「来愛」(くれあ)ちゃんだとかが,すっかり普及しているのだ。おしゃれといえばおしゃれだし,親御さんの思い入れも強く感じられるが,第三者から見ると,とにかく読めない。
こうした事態に対する本書の分析は,手っ取り早くいうと次のような主旨だ。
- 親御さんはプラスの意味で個性的な名前を付けたい
- 人名の読みには,法的規制がない
- 人名に使える文字には法的規制がある
- 画数や文字の縁起/イメージが使える字を限定する
なんというか,正しいのだがちょっと大外から回り込みすぎで,絞れていない回答のような気がする。少なくとも,個性的な名付けを積極的に引っ張っていく,あるいは許容する主体の考察がすっぽり抜けている点で,書名に比したとき少々拍子抜けの感があるのは否めない。アニメ/テレビ文化や,現代における「個性重視」の細かな実態への考察は,この本の題材ではないのだ。
では,どういう本かというと,日本人の「名付け」の歴史を追いつつ,良き名付けというものについて考えてみようというのが主題である。確かに,地方自治体の広報誌などをソースにした難読名の実例なども豊富に出てくるが,軸となっているのは,上述のような話題だ。
思えば日本には大化の改新以降戸籍の史料がしばらくあるし,文書史料は比較的豊富な国だ。そのなかで,呪術的効果を期待した古代の名付けや,氏(うじ)と姓(かばね),中世以降の官途を含む名前(○右衛門,△之丞)や通字(徳川の「家」など),本居宣長が良いと考えた用字と読みの関係,あるいは中国に倣った命名慣習などの論点が,コンパクトにまとめられている。
名付けの問題とは少々異なるが,例えば姓と苗字は違うものだといわれたら,すぐにピンとくるだろうか? 武田信玄の苗字は「武田」だが,氏は「源」,姓は「朝臣」である。同様に,例えば織豊期から江戸初期を生きた秋田藩主 佐竹義宣であったなら,当時の公文書での表記(公式様)ではおそらく「従四位上 源朝臣 義宣」としか書かないはずで,佐竹(苗字)も次郎(呼び名)も徳寿丸(幼名)も出てこない。そうでありながら,実名敬避の慣習で,彼が生前「義宣様」と呼ばれる機会はほとんどなく,「右京大夫様」「右京殿」と呼ばれる場合がほとんどだったと思われる。
また,戦国時代を扱ったゲームやドラマのクレジットで,役名が「前田まつ」などと書かれていることに,なんとなく据わりの悪い感じを持った人もいると思う。古代以降の史料に,女性の実名が出てくることは(皇族などの例外を除くと)ごく稀であり,通常は官途(清“少納言”とか)か仮名/通称(「まつ」とか「つる」とか)で呼ばれたことも,この本には書かれている。前田まつやら羽柴ねねやらといった呼び方は,現代の慣習に従って整理した結果にすぎない。……まあ,細川ガラシャだけは,また別の便宜かもしれないが。
昔から人の名は読みにくいものだったと述べつつも,重箱読み/湯桶読みの増加や,止め字(〜子さんの「子」,〜美さんの「美」)の多様化などを生真面目に考察し,「名前の機能低下」を憂慮する姿勢がこの本の基調である。ありきたりの名前が良いとはいわないが,まずもって正しく読んでもらえないような名前に,命名者の過度な自意識を込めることにも,再考の余地があろう。
人の名前が果たしてきた役割,担ってきた理念をあらためて考える緒(いとぐち)として気軽に手に取れる本であり,中に出てくる最近の命名事例を,クイズとして解いてみるのも面白いかもしれない。
最近のキャラゲーは,だいぶおとなしくなりましたよ。
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