連載
剣と魔法の博物館 モンスター編 / 第119回:リー・バン(Li Bean)
人魚に関する民間伝承は,世界中に数多く伝わっているが,固有の名前を持った人魚は意外なほど少ない。名前がある人魚の代表格としてすぐに思い出されるのは,「人魚姫」をベースに製作されたディズニーアニメ「リトルマーメイド」のアリエルくらいではないだろうか。ほかにもなくはないが,とにかく少ないことには変わりない。
今回紹介するのは,アイルランドの民間伝承に登場するリー・バン(Li Bean)という名の人魚である。詳しくは後述するが,彼女は人間から人魚に生まれ変わった特殊な存在で,最後には天に召されてキリスト教の聖処女の一人として認められたという,実に興味深い一生を送っている。
容姿は通常の人魚と同様,上半身は美しい女性,下半身は魚という姿をしている。ちなみに,下半身の魚の部分は“鮭”だったらしいが,これはほかの人魚には見られない特徴である。鮭は,アイルランドの伝承によく登場する魚なので,そのあたりの要素が取り込まれているのかもしれない。
リー・バンは非常にマイナーな存在で,ゲームなどに登場したのを筆者は見たことがないが,リー・バンにまつわる伝承は興味深いので,ぜひとも紹介しておきたい。
リー・バンは生まれつきの人魚ではなく,フィルボルグの王であるオーヒジと,アイルランドで最も美しいと称されたダーナ神族のエーティンとの間に生まれた女の子だったといわれている。普通なら王女として何不自由なく暮らせる身分である。
彼女らが住んでいた地域には,人々を癒す聖なる泉があり,これを使う者は3人の従者を用意し,使用後には蓋をしなければならないなどの作法があったのだが,これを破った人物がいたせいで,泉から大量の水があふれ出し,大きな湖ができてしまったのだ。この水害に,リー・バンは家族もろとも飲み込まれてしまった。家族はみな溺死してしまい,リー・バンとその愛犬だけは,水中の洞窟に辿り着いて一命をとりとめた。
洞窟での暮らしが1年ほど経過したころ,リー・バンは魚達と一緒に泳ぐ生活を望み,魚になりたいと神に祈った。すると神はその願いを半分だけ聞き入れ,上半身は美しい少女のまま,下半身は鮭という姿へ変身させたのだ。ちなみに,愛犬はカワウソに姿を変え,以後は自在に水中での生活を楽しんだという。
それから300年以上が経過したある日,リー・バンが泳いでいると,近くを聖コムガル司教の部下であるベオークが通りかかった。リー・バンはベオークに向かって「オーラルヴァの入り江で自分を水中から引き上げてほしい」と頼んだ。こうして彼女は再び地上へと上がったが,欲に目がくらんだ人間達は,リー・バンの所有権を巡って争いを始めてしまった。すると天使が降臨し,二頭の雄牛にリー・バンを乗せ,それが行き着いた場所をリー・バンの安住の地にするようにと話した。雄牛はベオークの教会へと足を進め,そこがリー・バンの留まるべき場所となった。
なお最終的にリー・バンは,聖コムガルによってムイルゲン(海で生まれし者)という洗礼名をもらい,今すぐ天国へ行くか,それとも水中と同様に地上でも300年生きてから天国へ行くか,を選択することになり,前者を選択したらしい。さらに彼女は聖処女の一人に加えられ,ベオークの教会ではリー・バンに願うことでさまざまな恩恵が得られたという。
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