連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ:第169回「生と死を考える」
人間,生きていれば何度か生と死について考えることがあるんじゃないかしら。私個人も時々考えるんだけど,どれだけ考えても考えても,いつだって答は出ないわ。
だって,ケツ論はいつも同じだから。死ななきゃ,死なんて分かりようがないし,死んだら考えることなんてできないはずだから。しかも,死はいつやってくるか分からない。だったら,生きている限り,いつ死んでも後悔しないように一生懸命生きよう。
ここまでは毎回たどり着くわけです。問題はここから。たぶんだけど,私は比較的前向きな考え方ができる人間だと自分で思っているのね。それに,「どうやったらそんなにポジティブに生きられるんですか」と聞かれることも多いから,きっと周りからもそう見えているんでしょう。
セクシャルマイノリティで,未婚,当然結婚願望なし。お金がたくさんあるわけでもなく,しかもプロレスラーという不安定な職業で明るい未来も見えない。そんな状態でそうして,なぜこんなにポジティブでいられるのか? そういう疑問をよくぶつけられるわけ。
……今,冷静に私の現状を文字にして読み返してみたら,これはこれで泣けてきたけど,まあ確かに何も考えずにプロレスのリング上で本能のままに性をむさぼったり,好きなゲイムをヤりたい時にヤってる姿を原稿という形で見せることで,私はお金を得ているわけだから,周りからそう見えても仕方がないわね。実際,その見方は間違っちゃいないと思うし。
では,どうして私は比較的前向きに生きていけているのか。それは,ゲイムがあるからなの。まだ明るい未来がたっぷりとあった10代の頃からなんだけど,私は「これが発売されるまでは死ねないゲイム」を常に持ち続けているのね。大ざっぱに言えば「ドラクエ20までは死ねない」とか,「PlayStation 10を発売日に買いたいから今はまだ死ねない」とか,そんな感じで。
今の例だとさすがに極端だけど,実際にはもうちょっと具体的に発売日が決まっていたり,情報が出ているタイトルが発売されるまでは死なないし,死ねないと思って,日々を生きている。そしてその思いは,新作情報が発表されるたびに,未来へ更新されていく。
それでね,誰かにこういうことを思わせるのって,エンターテイメントが果たしている社会への奉仕だと私は勝手に思っているの。そしてゲイムこそが,数あるエンターテイメントの中でも,一番その役目を果たしているんじゃないかとすら思っている。
例えば私がヤっているプロレスや,歌手のコンサートなんかも,好きな人からしてみれば楽しみといえば楽しみではあるんだろうけども,“楽しみにその日を待つ”という部分の質が違うわけ。スポーツ観戦や演劇や歌,いわゆる興行モノは,あくまでも受動的なエンターテイメントなのよ。基本的には,興行側が発しているものを消費者が受け取るしかないじゃない。
でも,ゲイムは違う。受け取ったその先に,また選択肢があって,どうするかを選ぶことができる。自分が選んだり操作することで,いろんな結末がやってくる。その点では,事前の情報から想像や予想はできても,ヤってみるまで分からない感は強い。いうなれば,ゲイムのワクワク感は,想像できない未知のモノを知ろうとする欲求によって成り立っているというところかしら。
もっと簡単に言いましょうか。ほかのエンターテイメントは,消費者がある種の覚悟をしてその日を迎える。でもゲイムは,消費者次第で結末が変わるから,そういった意味の覚悟は少ない。でも,手に取った先を自分で選べるから,ワクワク感が多い。もちろん,好き嫌いの程度によってワクワク感の多寡は異なるし,人によってワクワクするポイントが違うから,絶対にこうだと言えるわけじゃない。それにもちろん,どちらが良いとか悪いとかって言ってるわけでもないけど。
ただ,ゲイムだけは与えられる楽しみの質が,ほかのエンターテイメントとは違うなってことを言いたいだけ。だから少なくとも,ゲイムが好きな私は,未知の世界を知りたくて,自分の操作や判断でその未知の世界を切り開きたくて,「このゲイムをプレイするまでは死ねない」と思いながら,世知辛いこの現実を生きているのです。
どれぐらい世知辛いかというと,プロレスのチャンピオンになったら老若男女関係なくさぞかしモテるようになるのかなと思っていたのに,いざベルトを獲ってみても,優しく接してくれるようになったのはいつも吠えてた近所の犬だけだったり,3日連続で車に鳥のフンが着いて「こりゃ運(ウン)がついてきたわい」と独り言の一つもつぶやかないことにはヤってられない気分になったり,「男色ディーノさんですよね」と呼びかけられて「おっ」と思ったら「最高ですよ! 気持ち悪くて! いい意味で!」って言われて枕を涙で濡らしたり。
これが現実だけれども! ゲイムのおかげで未来を楽しみに生き抜けるわけですよ。
っていうか,ファイアーエムブレム 覚醒が,すでにやたらと面白そうに思えるのは私だけ? まだ情報が出揃ってはいないけれど,難度のほかに倒れた仲間が次のマップで復活する「カジュアル」と,今までのシリーズ通り倒れた仲間が復活しない「クラシック」の二つのモードが選べるんですって。これ,前作「ファイアーエムブレム 新・紋章の謎 〜光と影の英雄〜」で実装された要素らしいんだけど,完全新作じゃなかったのでスルーしちゃってですね……。今回,ファイアーエムブレム 覚醒が久々の完全新作ってことで,公式サイトを熟読していたところ,そのことに気付いた次第。そして,俄然楽しみになってきたってわけですよ。
だってそうじゃない? 一度倒れたら復活しないっていうストイックなイメージが強い「ファイアーエムブレム」シリーズが,その特徴を一つ捨ててプレイヤーに歩み寄っていたのよ? 私にとってファイアーエムブレムシリーズって,ゲイムで初めて「生と死」をつきつけられた作品なのね。ストーリーとしての「生と死」ではなく,プレイヤーに与えるメリットデメリットという意味での。
なのに,今回はそれを強要しない見せ方をいつの間にか選んでいて,しかもそれを踏襲するということは,ストイックじゃない部分でも勝負し続けてやるってことなわけで,シミュレーションRPGとしての純粋な面白さが期待できる,と私は判断したわ。
そもそも,ファイアーエムブレムは,シミュレーションRPGの草分け的存在だから,シミュレーションRPGとしての純度で勝負できるのよね。後発じゃない分,思いっきりベタにしてもいい。これって実は,最初にジャンルを定着させた者の特権だと私は思っているの。だから,カジュアルとかクラシックとかの話だけに限らず,純粋にシミュレーションRPGとして王道の作りを,かつ今の時代やハードに適応した直球の面白さを期待している次第。心から,ね。
だから私は! ファイアーエムブレム 覚醒の発売日まで生き抜いてみせる! たとえ「気持ち悪がられる」というつらい現実が私を待っていようと,チャンピオンベルトも守り続けるわ!
えー,ところで,ここまで数週にわたって前振っている「NEWラブプラス」についてですが。もう少し私に時間をくれまいか。今プレイしている感じだけでは,ヒヒョーがまとまらないのよ。先週も言ったけれども,私,ラブプラスに対しては誠実でいたい。なので,今のこの気持ちでは,まだヒヒョーできないの。
書くことができるのは来週かもしれないし,もうちょっと先かもしれない。ひょっとしたら,書かないほうがいいのかもしれない。でも,たぶん書く。
ともかく,今,生きる希望を持てていない方がもしもこの連載を読んでいるのであれば,とりあえずだまされたと思って,ちょっとでも興味のあるゲイムを100本ぐらいプレイしてみてちょうだいな。きっと,生きる希望がわいてくるから。これマジで。生と死について考えすぎてる人も同じく。
そしてもし,100本プレイしても希望がわいてこなかったら,そのときは私のところに文句を言いに来ていいわ。生死について語り合いましょう。生と死。人間が抱え込むにはあまりにも大きなテーマである「生死について」を。とりあえず今私が直面しているのは,うっかり誤変換した原稿を,これまたうっかり読んでしまい,この落差をどうしたらいいのか。
や,実際よく考えているからあながち間違ってもないような気もしなくもないけど。また来週! まで頑張って生き抜きましょう!
今週のハマりゲイム
(文字通りゲイムスロットにハマっているゲイム)
PlayStation 3:「The Elder Scrolls V: Skyrim」
PlayStation Vita:「極限脱出ADV 善人シボウデス」
ニンテンドー3DS:「NEWラブプラス」
PSP:「幻想水滸伝 紡がれし百年の時」
Wii:「ぷよぷよ!!」
Xbox 360:「トロピコ4 日本語版」
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- 関連タイトル:
ファイアーエムブレム 覚醒
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