連載
【ヒャダイン】「スーパーマリオ オデッセイ」に見る,“マリオ的正義”
ヒャダイン / 音楽クリエイター
ヒャダインの「あの時俺は若かった」 |
第59回「『スーパーマリオ オデッセイ』に見る,“マリオ的正義”」
ども。先日,東京ビッグサイトで行われた「RAGE vol.5」内の「スーパーマリオ オデッセイ」(以下,オデッセイ)ステージに,MCとして参加させていただきました。任天堂の元倉健太ディレクター,そしてでんぱ組.incの夢眠ねむちゃんと成瀬瑛美さんと一緒でした。ステージに登壇するにあたり,事前に楽屋で体験版をプレイさせていただけたんですよ。
オデッセイは3Dタイプのマリオシリーズ最新作なんですが,箱庭ものとしてはなんと15年ぶりとのこと。なんとも“満を持して”感があります。マリオがとにかく自由自在にステージを探索できるのは,非常に今っぽいなーと最初に感じました。
体験できたのは「砂の国」と「都市の国」だったのですが,都市の国はニューヨークっぽい世界になっていて,リアルに描かれた街並みにはタクシーが走っていたり,リアルな頭身の人間が歩いていたりします。その中をいつものマリオが駆け抜けていくというあたりに,ちょっとした違和感があるようで,だけどなぜかしらものすごい違和感があるってわけでもないんですよね。現実の世界に,非現実の象徴であるマリオが存在しているかのように見えているはずなのに。
これはやはり,マリオがこの何十年で築き上げてきた存在感だったり,ブランドイメージだったりが大きいのかもしれません。
で,今回マリオは何をするかというと……。例の如くクッパがピーチ姫をさらい,クッパとピーチ姫の挙式(クッパとピーチがウエディングスーツとドレスなのですが,意外にお似合いです)を阻止すべくいろんな国を冒険していくという,まさに「オデッセイ」。言葉の意味どおりの,長い冒険です。
基本的な3Dマリオのアクションはもちろんのこと,今回は「キャッピー」という帽子を投げての帽子攻撃が可能なんです。さらに,キャッピーを敵や物に投げつることでマリオがその相手に乗り移るという,新アクション「キャプチャー」も可能になっています。キラーになって空を飛んだり,ハンマーブロスになってハンマーをぶん投げたりと,その自由度はかなり高いです。
“創意工夫でなんとかやる”要素も充実していて,越えられない壁があったとしても帽子のキャッピーを踏み台にしてハイジャンプしたり,思いもつかないものにキャッピーを投げて乗り移ってクリアしたりと,たくさんの手段がゲーム内に用意されているのも,嬉しいところです。
で,今回強く思ったの,僕が思うところの“マリオ的正義”が色濃く見えてとても好感を持てたということです。失礼ながら元倉さんに年齢をうかがったところ,41歳とのことで,まさにマリオで遊んで育ってきた世代。セカンドジェネレーションですよね。
以前もこの連載で書きましたが(関連記事),任天堂のゲームで育った世代にとってマリオは思春期そのもの。反抗期を迎えているゲーマーも多いと思います。一方,元倉さん達はマリオに育てられた恩返しをするかのように,“マリオ的正義”に溢れた愛情たっぷりの作品を創っているわけです。
これも僕が勝手に思っているところなんですが,まずポイントとなるのは残虐性の徹底的な排除ですよね。なんでもできちゃうゲームって,モブにひどいことだってできるケースも多々あるじゃないですか。しかし今回は街を歩く人の頭に乗ったら,なんと連続マリオジャンプできるんですよ! ポインポインって。傷つけることは何もない。
きっとマリオには体重という概念がないんだな。妖精みたいなもんだ。高いところから飛び降りてもちょっと足がじーーーんとするくらいでノーダメージ。敵にやられると,ペナルティとして衣装を買ったりするときに使えるコインが無くなっちゃうので,これはこれで悲しいんですが,残機がなくなるという不安は存在しないんです。
少し過保護かもしれませんが,僕はこれを“マリオ的正義”と言いたいなー。どんなにファミリー向けのゲームであったとしても最近,とくにオンラインに潜れるやつは殺伐としちゃうことがありますよね。“マリオ的正義”と“殺伐”には反対語ぐらいの距離があると僕は思っていて,オデッセイからも殺伐要素が排除されていように感じました。
そして3音+1ノイズで構成されていた「スーパーマリオブラザーズ」から,連綿と引き継がれるBGMのオシャレさ! 今回は歌ものがあったりして,なかなか小粋でございます。「大合奏! バンドブラザーズ」シリーズも任天堂のゲームなわけで,ゲームによる知育じゃないけれど,任天堂はゲームを通じてプレイヤーの音楽的素養を上げようというミッションを自らに課しているんじゃないかな? とすら,毎回思います。
音楽偏差値が高く,しかもどきどきわくわくする音楽がてんこ盛り。これも“マリオ的正義”の一つの形なのでしょう。
マリオという存在が“正義”として揺るぎないものになって,任天堂の中に存在する。これはもしかしたら,どこかで任天堂の足を引っ張ってしまうこともあるかもしれません。ちょっと悪ぶりたい時もあるのに,名家に生まれちゃったばっかりにお堅いイメージで見られてしまい,自分もその枠から抜け出せない,みたいな。
もっとも,“正義”じゃないマリオは需要もないだろうし,多分未来永劫ずっとこのスタンスであり続けるんだと思います。それを苦々しく思う反抗期ゲーマーもいるだろうし,任天堂の幅を狭めているという考えの方もいるかもしれません。
でも,この生き馬の目を抜くゲーム業界,移り変わりの激しいキャラクタービジネスの世界で,安定して正義でいられるヒゲ男と共に人生を歩んでいくのも,けっこう楽しいことなんじゃないでしょうか。
僕も子供ができたら情操教育としてマリオをプレイさせるだろうなあ。あ,子供いなかった。嫁いなかった。彼女いなかった。つらい。なんかつらくなってきた!! 「マリオカート8 デラックス」やろっと。
■■ヒャダイン(音楽クリエイター)■■ 先日,フジテレビで放送された福山雅治さんの番組,「ウタフクヤマ」に出演したヒャダイン氏。秋元 康氏,是枝裕和監督、リリー・フランキー氏といった錚々たるメンバーと初対面ながらたくさん話ができたそうで,「生きてて良かった」と心から思えたそうです。 |
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