業界動向
ネットとリアルの断絶の終わり――「ニコニコ超会議」が示したものを考えてみた
「ああ,ネットはもうネット空間だけの閉じた世界ではないのだ」
当初4Gamerでは,「ウチはゲームメディアだし,ゲーム系のブースとイベントを押さえておこうか」などと高をくくっていたのだが,実際に会場に足を運んでみると,これはエンターテインメント産業に関わる一員として,あるいはオンラインメディアを運営する当事者の一人として,「ニコニコ超会議が示したものとはなんだったのか」を一度まとめておく必要があると感じた。今のネット文化,そこから派生する盛り上がりの正体がなんなのかを探ることは,ゲーム業界としても,押さえておくべきテーマの一つではないかと思うからだ。
というわけで,今回は,会場来場者9万2384人,ネット来場者347万766人という,一介のネットサービス事業者が開催したイベントとしては空前の来場者数となった「ニコニコ超会議」の意義を,日本のネットコミュニティの歴史/文脈から少し考察してみたい。
ネットが世の“辺境”だった時代の話
さて,「ニコニコ超会議」の話をする前に,まずは話の前提となる日本のインターネットコミュニティの歴史に少し触れておこう。
ニコニコ動画といえば,運営側の参画者として「ひろゆき」こと西村博之氏(元2ちゃんねる管理人)が名を連ねていることからも分かるように,巨大掲示板「2ちゃんねる」をベースとしたコミュニティと文化が,色濃く反映されたサービスとして知られる。
実際,ニコニコ動画の初期にひろゆき氏が果たした役割は大きいものだったようで,2ちゃんねるユーザーへの告知や誘導,あるいはニコニコ動画の方向性を決めるにあたって,ひろゆき氏が有益なアドバイスを多々行ったと言われている。今でも,ひろゆき氏がニコニコ動画のいわば“顔役”として存在しているのは,彼の考え方やポリシーが広く支持されている証明でもあろう。
そもそも,当時(1997〜1998年)のインターネット界隈というのは,パソコン通信時代に比べオープンになっていたとはいえ,やはりまだまだオタク向けのものだったし,そこで扱われる情報も,既存のメディアでは掲載されないような“特殊な需要”のものが多かった。
ニーズの根っこそのものは,今でもそう変わらないわけだが,既存の社会の枠組みで捉えにくいネット空間/ネットメディアというものが,サブカルチャー文化と結びついたり,アングラな情報の温床になっていったのは,ある種の必然であったと言える。
後に2ちゃんねるが「西鉄バスジャック事件」で良くも悪くも注目を集めた(※)ように,「あやしいわーるど」もまた,あの「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る連続殺人犯にまつわる嘘とも本当とも分からない怪情報が飛び交う場所として,大きくトラフィックを伸ばした歴史を持つ。
……いつの時代でも,ゴシップや怪情報は人々の耳目を集める(集めてしまう)という話でもある。
ここでのポイントは,人々の関心事がテレビや雑誌などといったマスメディアで喚起され,その補完情報,つまりテレビや雑誌などでは入手できないような情報を求める先として,インターネットのアングラ掲示板の役割があった,という構造である。つまり,2000年前後の段階では,テレビなどが火付け役(一次メディア)で,インターネットはそれをすくい上げる二次メディアという位置づけであったわけだ。
※犯行予告が2ちゃんねるに書き込まれたことなどからアクセスが殺到した
「ネットで話題≠リアルで話題」だった
こういった背景もあって,ネット上での話題/盛り上がりというものは,長らく現実社会には反映されにくいものであった。日本のネット文化というのは,遡るとパソコン通信,そのさらに昔にはアマチュア無線などのコミュニティが前身となっているわけだが,「テレビで話題=リアル(世間一般)で話題」という構図がある一方で,ずっと「ネットで話題≠リアルで話題」だった点に,異論を挟む余地はないだろう。
いわゆる「2ちゃん用語」なる表現が良い例えかもしれないが,「ネットで話題≠リアルで話題」であるがゆえに,ネット上の話題やコミュニケーションというのはテーマごとに先鋭化され,特定のクラスタに偏りがちであったし,逆にそれがネット特有の居心地の良さにもつながっていた側面もある。ネット文化がハイコンテクスト文化(※)だと言われるゆえんでもあろう。
付け加えれば,例えば「2ちゃんねらー」という共通のネット人格をまとうことで,ネットの向こうの「お前ら」にシンパシーを感じ一体感を得るという構図は,現在の「ニコ厨」にも通じる現象である。
ちなみに「ネットで話題≠リアルで話題」だった頃というのは,ネットの文化が現実社会に出て行くことはあまりなかった。実際,電車内などで2ちゃんねるの話題を耳にすると,なんとも言えない違和感を覚えたのを記憶しているし(まぁ,今も違和感はあるが),当時,ネット上で人気を博していたさまざまなコンテンツ――ネットラジオにしろバーチャルアイドルにしろオンラインゲームにしろ――は,所詮はマイナーないちサービスに過ぎなかった。それを嗜むのは少数の好事家だけだったように思う。
※文化的背景や生活習慣など,体験に共通部分が多い文化のこと。ゆえに「暗黙の了解」や「察する」ことを好む傾向があるとされる。
「電車男」ブームとその広がり方
しかし,2003〜2004年前後に差し掛かる頃には,インターネットを取り巻く環境も大きく変化していく。高速回線が普及して,インターネットはもはや普通の誰もが使うツールになりつつあったし,アングラ掲示板群の興亡を経て生き残った2ちゃんねるは,もはや知る人ぞ知るアングラなサイトではなく,ネット利用者ならば誰もが名前くらいは聞くほどの,超有名サイトへと発展していた。そして,そうした状況のなかで「電車男」のムーブメントが到来する。
一応説明しておくと,「電車男」とは,2ちゃんねるに端を発したというラブストーリーで,モテない男が2ちゃんねる内で他のユーザーに意見を求めながら恋愛を成就していくというもの。後に書籍化やテレビドラマ化,果ては映画化までされて,一大ムーブメントを巻き起こした。
さて。「ネット発」のコンテンツが現実社会で大いにもてはやされたこの現象は,当時も,いろいろな角度で分析や評論が行われていたわけだけれど,「電車男」が本当に“ネットの力でブームになったのか”というと,「そうではない」という見解の方が,識者の間では根強かったように思う。つまり,
「電車男」は“ネットで大人気!”をバズワードに,テレビなどのマスメディアで紹介されることで広く世に知られることになった。
というのが,“ネットに詳しい人達”の認識であったわけだ。
要するに「電車男」は,しょせん限定的な盛り上がりであり,それが広く世に知られるため(リアルで話題になるため)には,まだまだテレビなどマスメディアの力が必要だった。コンテンツが生み出された場所こそネットではあったが,メディアの機能/役割という意味では,依然として既存のマスメディアが火付け役であって,ネット(2ちゃんねる)はあくまで“ネタの提供場所”としての役割に止まっていたという話だ。
これは余談なのだが,当時のオンラインゲーム業界では,人気となった作品ほどわざわざコストをかけて「パッケージ」を作るという動きが顕著だった。要するに,ネット上だけでは広がりに限界があるから,ネットの層を取り切った後は,新しいお客さんに向けて,「手に取ってもらえる」「気付いてもらえる」という戦略へシフトしていったのだ。こうしたエピソードから見ても,当時のインターネットの影響範囲がなんだかんだで限定的なものだったことが理解できる。
「ネットで話題=リアルで話題」の時代へ
話を「ニコニコ動画」,そして「ニコニコ超会議」へと戻そう。
これまでの話を踏まえ,筆者が「ニコニコ超会議」のどこに驚きを覚えたのかといえば,ネット上でしか展開されていないコンテンツで,これだけの人(2日で10万人近い数)が集まったという事実である。
先にも触れたとおり,旧来のマスメディアの力なくして,あるいはマスメディアとの連携なくして,ネットのコンテンツがリアルで話題になることは原則としてなかった。
……のだが,「ニコニコ超会議」では,「歌ってみた」や「踊ってみた」「ゲーム実況」,さらに「例のアレ」といった,絶対にテレビ……どころか,ほかのどんな媒体でも盛り上がりようのないコンテンツ――要するにネット/ニコニコ動画内だけで完結しているコンテンツ――で,10万人近くもの人が“集まってしまった”のだ。
ネット上の辺境の,なんだかよく分からない盛り上がりであったはずのニコニコ動画が,さらにその中のもっとよく分からない盛り上がりであったはずのさまざまなコンテンツが,いまやリアルでも多くの人間を集客できる人気コンテンツになっていることを,ニコニコ超会議は体現し,証明してしまったのだ。そしてこれを目の当たりにしたとき,
「ああ,時代は変わっているのだな」
と実感したのである。
実はこの発表を聞いたとき,「話半分だとしても,40〜50%か!」と,随分と失礼なことを考えていたのだが,後日,4Gamer読者のアンケート結果を見ると,読者の実に87.6%もの人が,ニコニコ動画のアカウントを持っているという事実(※)が判明した。話半分どころではなかったのである。
※次点のmixiが42.4%であった。
これが何を意味するかというと,要するに,少なくともある特定の層(年代)に対してニコニコ動画は,ある種のクリティカルマスを超えた状態にあるということだ。
今の若い世代が,学校でニコニコ動画のネタで盛り上がるといった話はよく耳にする。つまりは,彼らにとってはネットは当たり前にあるものだし,なんの疑問も違和感もなく,「ネット=リアル」という状態になっているわけだ。
もちろん,「ネット=リアル」になっている事実というのは,むしろ今さら感がある,コアなネットユーザーにとっては昔から“実感していたこと”でもある。ゲーム業界周辺の事象でいうと,オンラインゲームのイベントが大きな賑わいを見せていたり,家庭用ゲーム機市場が不振にあえぐ一方で,ソーシャルゲームが急激な成長を果たしたのも,要はそういう話の一つであろう。
ただ,そうした感覚は,これまではあくまでも先鋭的なユーザーの中だけの感覚であったし,一般社会からすると,ネットはネット,リアルはリアルという認識でしかなかったように思う。ネットはちょっと変わった場所で,リアルとは違う――なんだかんだいって,こうした感覚は今なお根強い(実際,まだその通りでもあるのだが)。
ともあれ,そんなことを考えながら,ドワンゴがなぜこのタイミングで,あそこまでお金をかけて(チケットの売り上げなどを含めても,4〜5億の赤字になるという),「ニコニコ超会議」なるイベントを仕掛ける必要があったのかと熟考してみるわけだが,宣伝効果を狙って,顧客のロイヤリティを高めるため……いろいろな狙いがあるとは思うが,結局「ニコニコ超会議」がなんだったのかと問われれば,
「ネットで話題=リアルで話題」になった事を宣言する儀式(イニシエーション)
だったのではないかと,僕は思う。
まぁ客観的に見れば,まだ「ネットで話題=リアルで話題」と言うには時期尚早というか,今は,それが言えるかどうか(あるいはそう言って多くの人が納得するかどうか)のギリギリのタイミングだと思うのだが,しかしだからこそ,今このタイミングで,時代が変わったこと,変わりつつあることを高らかに宣言し,今後の方向性を力強く指し示す必要があったのではないだろうか。
仕事柄,よく「ネットマーケティング」という言葉を耳にする。そして,その度に「なんだよそれは」と,なんとももやもやした気持ちになる自分がいる。なぜなら,この言葉の裏に潜むものに,「ネットは特殊なもの」という意味が含まれている気がするからだ。
でもきっと,もうそういう時代ではなくなってきているのだと思う。ネットとリアルを,別に分けて考える必要はない時代になっているのだ。なぜなら,いまや「ネットで話題=リアルで話題」なのだから。
ゲーム業界も,そうした認識をより強くもったうえで,今後のあらゆる活動に取り組むべきでないか――ニコニコ超会議を取材してみて,そんなことを考えさせられた次第である。
「niconico」のページはこちら
ドワンゴ会長・川上量生氏との対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」
- 関連タイトル:
ニコニコ
- この記事のURL: