企画記事
5月22日は「パックマン」の誕生日。PS「ナムコミュージアム」のバーチャル博物館を眺めつつ,偉大なキャラを当時の小学生が思い出と共に振り返る
今回はそんな記念日を祝って,PlayStationソフト「ナムコミュージアム Vol.1」で見られる資料を眺めつつ,偉大なゲームキャラクターと当時,パックマンをプレイしていた筆者の個人的な思い出を振り返ってみたい。
期待の新星として生まれたパックマン
1980年5月22日,この日は渋谷の東急文化会館にて「パックマン」初のロケーションテスト(ロケテスト)が行われた。ロケーションテストとは,アーケードゲームを正式稼働する前に,店舗にてテストをすること。ロケテストで売上が悪いと没になる事例もあり,開発にとってもまさに正念場と言えるだろう。
「パックマン」は無事にロケテストを終え,7月に正式稼働することとなった。発売を前にした6月29日には新宿アルタビルの大型スクリーンがジャックされ,ゲームの映像を流すプロモーションが行われた。まるで現在のスマホゲームのような展開が43年前に行われていたのだから,驚くほかない。
パックマンは生まれた直後からナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)に推された,期待の新星だったと言える。アメリカでは同年10月に発売され,1年で10万台以上を売り上げるヒットになった。1982年には,「トムとジェリー」を手がけたメンバーが設立したハンナ・バーベラ・プロダクションによるアニメ「ザ・パックマン・ショー」がアメリカで放映され,大人気を博した。このように「パックマン」は海外でも広く受け入れられ,特にアメリカでは一種の文化的アイコンにまで昇華している。そして43年を経た現在もグッズや新作ゲームの展開が続いているのだから,現在進行形の伝説といっても過言ではない存在なのだ。
バーチャル博物館の展示で,憧れと神秘を感じた「パックマン」体験を振り返る
今回「パックマン」の思い出を振り返るにあたり,PlayStationの「ナムコミュージアム Vol.1」を取り上げた理由,それはゲーム内に収録されている“ミュージアムモード”と呼ばれるバーチャル博物館の存在だ。
ミュージアムモードでは,神殿を思わせる建物に基板をはじめとした資料が展示されており,本当に博物館に行っているかのような気分を味わえる。館内には「パックマン」の世界を表現した部屋もあり,当時そのままのテーブル筐体でゲームを楽しむこともできる。まさに「パックマン」を振り返るにはピッタリのロケーションなのだ。
展示の中で筆者が特に目をひかれたのがグッズ類だ。現在でもさまざまなグッズが展開するパックマンだが,ナムコミュージアムではゲームセンターや通販で売られていた,コルクのコースターやノートといった品が展示されている。
ゲームにおいてキャラクターが重要であることは言うまでもないが,「パックマン」において特筆すべき点は,当時のナムコがずっとパックマンを自社の顔として扱ってきたことだ。ナムコの公式情報誌「NG」の初期はパックマンが表紙であることが多かったし,1985年に出版された「NG」の通販コーナーには,すでにパックマンのキーホルダーやTシャツに下敷きといったグッズ類が並んでいた。その先進性には驚くしかない。
個人的な話をすると,当時大阪の隅っこに住んでいた小学生であった筆者は,パックマンのグッズが欲しくてたまらなかった。今ならグッズのために公式ショップへ出かけるのも簡単だが,子どもは気軽に電車に乗って東京へ行くということもできないため,ゲームに限らず公式グッズを手に入れられる機会はそうそうなかった。たまにアニメ映画を観るため,親に大阪の映画館へ連れて行ってもらった際,いい子にしていたらアニメショップで1品だけグッズを買ってもらえるくらいだったので,どこにあるかもよく知らないナムコの直営店で公式グッズを買うなんて,夢のまた夢だったのだ。
「パックマン」が稼働してしばらく経ったころには,いろいろな情報が飛び交っていたことを覚えている。「ゴーストには“中身”があるらしい」「ステージを進めて行くと,フルーツとして『ギャラクシアン』のボスが出てくるらしい」。
当時の筆者は「“中身”って,そんなに複雑な表現はできひんのちゃうか。ボスって食べ物でもなんでもないやん」などと,情報がガセであった時に備えて予防線を張りつつ,内心はワクワクしていた。だから,ゲームセンターで実際にゴーストの“中身”が見えるコーヒーブレイク(ステージ間のデモシーン)やボスを見た時は本当に驚いた。
ステージを進めた先には,予想もしなかった神秘的なものがあった。ゲーム内で神秘をフィーチャーした作品のハシリとされているのは,ナムコが「パックマン」の3年後に発売した「ゼビウス」であるが,個人的には「パックマン」の時点でゲームにはすでに神秘があったように思う。
「パックマン」稼働当初はインターネットどころかゲーム専門誌すら存在しておらず,攻略にしても誰かがプレイしているのを横から見るしかなかった。「パックマン」に限らずゲームの攻略は秘伝とされていて,あまり長く観戦していると「技を盗みに来たのか」と嫌な顔をされることもあった。そのため見えるような見えないような,という独特の距離感を保つのが良しとされていた。
「パックマン」の達人がモンスターの包囲網をスイスイと抜けていくプレイは美しく,呆けたように眺めていたものだった。友達と一緒にゲームセンターに行ったある日,そうした達人の一人から「これやってええで」とプレイを譲られたことがある。達人は驚いている筆者たちを尻目にゲームセンターから去り,目の前には自力でたどり着けないようなステージにいるパックマンが残された。友達と狂喜乱舞していろいろと試してはみたが,あっという間に全滅してしまい,達人のすごさに感動したものだった。
情報といえば,前述した公式情報誌「NG」も憧れの的だった。直営店が近くにない身としては通販を利用していたのだが,未来的なナムコから普通の家庭である我が家に封筒が届くということがちょっと信じられないような気持ちがあり,躍り上がって喜んだことを覚えている。
「パックマン」の魅力の1つは,シンプルでいて可愛らしいキャラクターだと思っている。筆者は絵心のない自分でも描けるキャラクターということもあり,パックマンが大好きだった。学校では型に金属(確かハンダだったように記憶している)を流し入れてオブジェを作る授業があり,筆者は迷わずパックマンをモチーフとして選んだことを覚えている。残念ながら表面がボコボコになってしまい,イメージとはほど遠いものになってしまったが,それでもこれは自分だけのパックマンで,大切に保管していたものだった。
もう1つパックマンの人気の秘密は,“ゴーストとの複雑な関係性”にもあるように思う。普段はゴーストがパックマンを追い,パックマンは触れられただけでミスになってしまうが,パワーエサ(パワークッキー)を取った時だけはこの関係性が逆転する。
パックマンがゴーストを追うときには痛快さが,そしてゴーストが追われるときには哀愁がある。単なる敵・味方に留まらない,キャラクターどうしのドラマがそこには感じられた。「ゲームで追いかけっこをしている以外の時,彼らは何をしているのだろう」と想像が膨らみ,アニメ版やさまざまな続編の原動力になったのではないだろうか。
「パックマン」は43年後の現在プレイしても面白く,キャラクターたちの魅力も色あせていない。2016年,韓国でたまたま立ち寄ったダンキンドーナツでは「パックマン」コラボを展開しており,パックマンやゴースト型のドーナツが売られていた。「パックマンの魅力なら,当然やな」と誇らしく感じたのを覚えている。このように,「パックマン」の伝説は全世界で現在進行形である。伝説に立ち会えたことを喜びつつ,今後の活躍を期待したい。
「パックマン ウェブ」
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PAC-MAN™& ©Bandai Namco Entertainment Inc.
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