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eスポーツの観客は競技よりも感動を求めている。試合の“外”に目を向けることの重要性が語られたバンナム原田勝弘氏らによる座談会をレポート
競技性への注目が高まらない日本のeスポーツ
今回のセッションは,eスポーツ界にゲーム開発者として関わる原田氏と,プレイヤー寄りの視点を持つハメコ。氏,そしてネットエンジニアの村山岳史氏という,それぞれ違った立場の3名による座談会チックな内容である。また,本イベントを主催しているNetAppがデータ活用を主な事業としていることから,その話題は「AI」にも及んだ。
座談会の最初のテーマは,「現在の日本のeスポーツシーンに対して思うところ」だ。これに対してハメコ。氏は,「純粋な競技性よりも,人気選手を見る意味合いでの注目度が高まっている」と述べ,TVのバラエティ番組や“スポーツ大会”に近い印象があるとした。マスメディアなどで広く取り上げられることで,eスポーツの裾野が広がるメリットを感じる一方,競技性への注目が高まらないことに物足りなさを感じているようだ。
これを受けた村山氏は,1人のゲーマーとしては共感しつつも,「eスポーツにおける“凄さ”は,一般のスポーツと比べると多くの人に伝わりにくい部分がある」と指摘した。たとえば,プロ野球のピッチャーが160キロの剛速球を投げれば,その凄さはスポーツに詳しくない人にも伝わる。だがeスポーツにおける凄さは,各ゲームのルールなどを知らないと理解できず,その時点でハードルができてしまうのだ。
何にでも言えることだが,シンプルなもののほうが多くの人に受け入れられやすい。人気選手に注目が集まりがちな日本のeスポーツシーンも,状況として自然だろうと村山氏は続けた。
この2人のやりとりを見ていた原田氏は,そもそも人気選手やストリーマーを目当てとする視聴者は,それがeスポーツであることに特にこだわっていないのでは,との考えを示した。そして,eスポーツの定義について改めて考える必要があると述べ,この“eスポーツ”というネーミングそのものも,広く浸透させることの妨げになっているのでは,と別方向からの持論を展開した。
オールドゲーマーには身に覚えがあるかもしれないが,熟年層のなかにはゲームに対して否定的なイメージを持っている人もいる。彼らにとってゲームの社会的な価値は高くなく,また教育上も“良くないもの”という認識だろう。そういった一面が残っている「ゲーム」に,義務教育としても取り入れられている「スポーツ」が合わさって生まれた「eスポーツ」という造語に対する違和感が払拭しきれていないそうだ。
原田氏はゲームプロデューサーとしてワールドワイドを観察しており,少なくとも海外ではゲームが文化として定着している手応えを得ているという。しかし,そこまでに至っていない日本において“eスポーツ”というネーミングを用いるのは,その魅力がストレートに伝わりきらないばかりか,盛り上がりにブレーキを掛けているのではと分析した。
話を聞いたハメコ。氏は,その問題は時間経過や世代交代を経て,ある程度は解決に向かうのではとの考えを示した。現在はゲームに日常的に触れる世代が親となり,子供もその影響を受けて育っているわけで,ネガティブなイメージを持つ人の割合も次第に下がるというわけだ。
選手の背景にあるストーリーにスポットを当てる
原田氏によると,近年人々のメディアとの接し方が大きく変化しており,幅広い世代にゲームをアピールすることの難しさを日々感じているという。たとえば,昔は子供から大人まで,ありとあらゆる世代がTVを見ており,ゲームメーカーはここに対して広告を展開すれば全世代へのアピールが行えた。しかし現在において,そういうメディアは存在しないのである。
YouTubeやTwitchの人気配信者は,チャンネルの登録者数や動画再生数を見る限りだと突出しているが,その視聴者は極一部の世代に集中していることも珍しくないという。それ以外の世代に対しては,意外なほどアプローチできていないそうだ。これに関しては若年層の人気が高いVTuberや“歌い手”などをイメージすると,実感としてイメージしやすいかもしれない。
村山氏によると,ゲームの魅力を広く伝えるという面においては,2019年の「EVO Japan」でパキスタンの選手が大活躍したエピソードが特に印象に残っているとのこと。このときはパキスタンという国の意外性もさることながら,現地の選手が置かれた背景などが注目され,「鉄拳7」の熱心なファン以外に対してもアピールできていたという(関連記事)。
話を聞いた2人は頷きつつ,これからの日本のeスポーツを盛り上げるためには,もっと競技の“外”にも目を向けるべきという考えを口々に語った。
この方向性における好例として紹介されたのが,格闘技イベント「RIZIN」などが展開している,試合が始まるまでの選手にスポットを当てた紹介映像の「煽りVTR」(外部リンク)だ。こういった手法でストーリーやドラマを演出できれば,視聴者のエモーショナルな部分を刺激できる。前述した“分かりやすさ”を踏まえると,むしろ試合内容そのものよりも重要度が高いのでは,との見解を示していた。
ゲームへの応用も期待できるAI
ここで座談会のテーマは,いったん「AI」へと移った。
原田氏によると,近年はAIに大きな可能性を感じており,ゲーム開発の各方面でも研究されているが,なかなか一筋縄にはいかないという。原田氏が率いる鉄拳の開発チームでも随分前から研究しているそうだが,対戦格闘ゲームで強力なAIを作ろうとすると,「相手を倒す」よりも「相手に倒されない」方面に進化してしまいがちなのだそうだ。
これはどういうことかというと,強力な攻撃技を出すと大きなスキが生じるため,強力なAIは使いたがらない。確実に攻撃を当てられるとき以外はガードに徹してしまうのである。仮にそういった方向性で究極のAIが完成したところで,戦うプレイヤーにとっては全然楽しくないだろう。
つまり,プレイヤーを楽しませるという目的を踏まえると,AIに求められるものは強さや技術の高さとは限らない。それよりも,プレイヤーのモチベーションを刺激させるための何かしらの仕掛けが重要だと原田氏は述べた。
この方面で現在導入されている事例として,バトルロイヤルゲームが紹介された。プレイヤーに対してAIのキャラクターが接待プレイを行ってくれるのだが,このときはAIが強すぎても,逆に弱すぎても,実力差がある時点でプレイヤーは萎えてしまう。ちょうどいいライバル感を演出し,できれば僅差でやられてくれるAIが,プレイヤーを楽しませるという目的において“正解”というわけだ。
原田氏によると,将来的には人間と見分けがつかなくなるまでAIが進化し,ゲームの可能性はもっと広がるとのこと。たとえばMMORPGでは,人間と見分けがつかない行動パターンを持ったAIキャラクターと,一緒にパーティプレイを楽しめるようになるかもしれない。また,AIキャラクターとの交流を通じて,海外ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」さながらの人間模様が繰り広げられる生成シナリオに,知らず知らずのうちに巻き込まれていた,なんてことも。
そのほかにも,プレイヤーが敗退したときに適切に励ましてくれるAIや,プレイヤーに恋愛感情を抱かせたりするAIなども誕生するかもしれないという。ここまで進化してしまうと,もはや人間と一緒にプレイするよりも楽しそうである。
観客は競技よりも感動を求めている
村山氏からは,AIのeスポーツへの活用について質問がなされたが,ここで忘れてはならないのが,AIの技術だけに目を向けてはならないという部分である。対戦格闘ゲームにおいて強いAIは必ずしも求められているわけではない。そして,eスポーツの魅力を広く伝えるという目的を踏まえると,視聴者にとってエモーショナルな部分をいかに刺激するかが大切なのだ。
たとえばだが,試合が始まる前に各選手の戦績やwikipediaなどの基本情報がテロップで挿入されると,視聴者にとって参考になるはず。また,これまでの試合のハイライトや,選手の会場入りや雑談の様子,そして「1分半で分かる○○選手」のようなショートムービーも価値があるだろう。これらを手作業で行うのは大変なのだが,進化したAIならば瞬時に行ってくれるかもしれない。
こういったことをAIが実現するのはまだ先になるかもしれないが,少なくとも確実にいえるのは,eスポーツの観客は競技だけでなく,感動を求めているということだ。その点を追求していくと,選手のストーリーやドラマ性を掘り下げるなど,必然的にゲームの“外”に目を向ける必要性が生じるのだ。3人は,今回の座談会を通じてその大切さを再確認できたと語った。
原田氏がオーナーを務めるYouTubeチャンネル「Harada's Bar・はらだのばぁー」
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