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印刷2019/04/25 00:00

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[NDC19]「マビノギ」初期の思い出を振り返るキーノート「お婆さんが聞かせてくれた『マビノギ』開発の伝説」をレポート

 2019年4月24日,韓国最大規模のゲーム開発者向けイベントNexon Developers Conference 19(NDC19)が開幕した。26日までの3日間にわたり,100以上の講演が行われる予定だ。本稿では,今年のキーノート「お婆さんが聞かせてくれた『マビノギ』開発の伝説」の模様をお届けしよう。

キーノートはマビノギの話ということで,立ち見が出る盛況ぶり
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「マビノギ」公式サイト


 登壇したのは,「マビノギ」のもともとの開発元であるdevCAT Studioのチーフプロデューサー,キム・ドンゴン氏だ。講演タイトルはもちろん,マビノギのテーマソング「お婆さんが聞かせてくれた昔の話」から取ったもので,開発当時の思い出が語られた。

キム・ドンゴン氏
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 キム氏はキーノートでありながら,今回の講演の話題を1タイトルの昔話に絞った理由を,「ほかの人ももっと昔話をするべきだと思うので,率先してやることにしました」と説明した。
 キム氏は,古いゲームを集めることを趣味としているそうで,例え30年前のパッケージゲームであっても,eBayなどのネットオークションを使えば現在も購入できると話す。タイトルによってはゲームのソースコードがネット上で公開されている場合もあり,そうした名作を手掛けた開発者が講演に登壇することも,世界に目を向ければ珍しいことではない。

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 しかしながら,韓国のゲームは資料がほとんど残っておらず,懐かしいタイトルを振り返るのは難しいという。以前の韓国では,ゲームの資料を残しておく文化が根付いていなかったそうで,その上オンラインゲームが主流だったため,サービスが終了してしまっているタイトルは,eBayで入手するといったこともできない。YouTubeが登場する以前のオンラインゲームに至っては,映像すらなかなか見つからず,完全に世の中から消えてしまうという事態に陥っている。
 こうした問題は,モバイルゲームでも同様だ。配信が終了してストアから消えてしまえば,プレイする術は失われてしまう。思い出を共有することすらできないタイトルは,これからも増えていくことだろう。

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 そうした中で,現在もサービスが続いており,開発当時の資料が残っていて,開発スタッフもdevCAT Studioやネクソンに在籍しているマビノギの思い出を,今のうちに語っておこうというのが,本講演の趣旨だ。
 もともとキム氏は,高校時代からゲームを作っており,大学時代にはパッケージゲームをリリースして3000本ほど販売したこともあるという。そして,次のゲームに何を作ろうか考えたとき,オンラインゲームの面白さに感銘を受け,パッケージゲームが主流のときから,オンラインゲームに目を付けていたそうだ。

 またキム氏は大学時代,ゲーム風のBBSを運営していた。閲覧や書き込みで経験値を獲得してレベルが上がったり,アイテムをもらえたりする仕組みを取り入れたもので,キム氏はこの運営を通して,興味深い利用者を見つけたという。それは,頻繁に閲覧していて,レベルが最大まで上がっているのに,自分から話しかけたり話題を作ったりはしない,内気な利用者だ。それでいて彼らは,自分に関心を持ってもらえると食いつくので,周りと仲良くしたいとは思っている。
 こうした利用者の行動は,オンラインゲームをプレイする原動力になるのではないかとキム氏は考えたという。レベルを上げたり,レアアイテムを所持したりしてほかのプレイヤーの気を引き,友達を増やしていく。キム氏自身が内気な性格だったこともあって,オンラインゲームを作るのなら,こうした人に向けたものにしたいと考えたそうだ。

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 オンラインゲームのアイデアを練っていたキム氏は,プロジェクトをスタートさせるため,当時「風の王国」をサービスしていたネクソンに入社した。しかし,当時は企画書を出してスタートするというよりは,一度何かを当てた人が「次は好きに作っていい」と言われてやりたいことをやる時代であり,新人のキム氏にはなかなかチャンスは訪れなかったらしい。
 そこでキム氏は,とにかく可愛く,立派で,分厚く,目立つ企画書を作り,どういったゲームを作りたいのか,どういう目的で何を狙って市場に参入するのか,どのようなゲームプレイを実現するのかを,細かく伝える作戦に出た。この熱意が認められ,ついにスタートしたオンラインゲームのプロジェクトがマビノギだ。

 しかし,いざ開発を進行すると,大きな壁にぶつかった。その1つが3Dグラフィックスだ。当時のネクソンには,3Dの経験を持つスタッフは1人もいなかった。しかしながら,当時の家庭用ゲームは3Dが主流であり,これはやらなければならないと考えたそうだ。
 また,キム氏はオンラインゲームにおけるキャラクターカスタマイズの重要性を当時から認識していたが,2Dの表現では限界を感じていたとも話す。

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 マビノギといえば,トゥーンレンダリングの可愛らしいグラフィックスが大きな特徴だ。当時のオンラインゲームとしては珍しい手法であり,シェーダもない時代だったので,開発には苦労したという。
 トゥーンレンダリングのグラフィックスでは,とくにライティングが難しく,フラットな色使いをしているマビノギの場合,空間感覚の表現がうまくいかない問題に直面した。ハードウェア的な制約で照明が1つしか使えなかったため,普段は太陽などの影響を受けているキャラクターが,街頭やキャンプファイアなどに近づくと,光源がそちらに切り替わる処理を導入するなどの工夫を盛り込んだと,キム氏は当時を振り返った。トゥーンレンダリングでは色が単調になりやすいため,セルアニメで使う手法を参考に,時間や場所,天気によって色を変える仕組みも導入したという。
 また,マビノギはテクスチャを単純にして,頂点カラーを活用して影を表現している。これは,「メタルギアソリッド」などのPlayStationのゲームを参考にしたそうだ。

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 マビノギのゲームプレイについても触れられた。キム氏によると,「ウルティマ オンライン」を遊んだ経験が多く反映されており,1つの世界を作ろうという思いがあったそうだ。しかし,ウルティマ オンラインは不親切なゲームでもあったので,マビノギは優しいゲームにしようと考えたという。NPCが誕生日を覚えていてくれたり,可愛い動物が登場したり,キャンプファイアで食べ物を分け合ったり……そうした優しい雰囲気を持つ要素が,最初から計画的に盛り込まれていった。

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 看板キャラクターである「ナオ」は,もともとはプレイヤーに同行する妖精(「ピーターパン」のティンカーベルなど)のような存在として企画された。デザインは,憧れや安心感を感じられるような女性として,「銀河鉄道999」メーテルをイメージしたという。

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 マビノギの戦闘は,いわゆる“クリックゲーム”が多かった当時のオンラインゲームの中では,アクション要素が強いものとなっている。この意図としては,ターン制の戦闘を脱却する,攻撃者と被攻撃者のモーションを正確に表現する,確率でミスが発生するような要素をなくすといったものがあったようだ。
 キム氏としては,「ディフェンス」や「スマッシュ」などの駆け引きにより,PvPで心理戦が発生するようにデザインしたものの,実際はマビノギプレイヤーにPvPが受け入れられなかったので,その点はうまくいかなかったと語っていた。また個性的な戦闘システムを実現し,攻撃が当たったときの気持ち良さなどは好評を博したが,長時間プレイし続けるオンラインゲームにおいて,当時のバランスはプレイヤーが疲れるものになってしまったのは,反省点だったようだ。

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 マビノギは,ストーリーの作り込みにも力を入れたゲームだ。当時は挑戦的だったカットシーンによる演出や,プレイヤーキャラクターではなくNPCを操作して挑むイベントダンジョンなども導入した。
 しかし,サービスが始まってからこうしたストーリーを続けていくのはあまりに大変で,ストーリーのアップデートを中止した時期もあった。キム氏によると,当時は,ストーリーがプレイヤーにとってどれだけ大事なものだったのかをきちんと理解できておらず,どうにかして続けていくべきだったと,今では後悔しているとのことである。

マビノギには当時では珍しかった,ゲーム内で音楽を演奏できるシステムがある。もともと複数のプレイヤーで合奏する遊び方は想定しておらず,そうしたものは100%プレイヤーから生まれたコンテンツだそうだ
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日本では同作の公式サイトで公開されていた,ドラマ仕立てのチュートリアル動画「ロナとパンのファンタジーライフ」。現実では内気な性格な人でも楽しめるゲームになってほしいというメッセージを込めた内容で,マビノギでの体験から自信をつけていくロナの姿が描かれている
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 マビノギの韓国のクローズドβテスト初日は,バグのために何もできず,酷いことになったという。メンテナンスを延長して,夜明けに少しだけオープンしたものの,戦闘はできず,チャットぐらいしか機能しないような状態だった。しかしテスト参加者は,「ゲームの雰囲気がいい」と温かく応援してくれて,キム氏はローンチに向けての大きな勇気をもらったと思い出を語った。
 しかし,その力もすぐ尽きることになる。当時はワークライフバランスという概念がなく,週7日会社で働き,さらに徹夜もしていたため,開発チームは疲れ果て,チーム内に重い空気が漂っていた。

 さらにG3アップデートの頃,プレイヤーとの懇談会を行ったところ,ストレートな意見にダメージを受け,当時ディレクターだったキム氏は,ディレクターを別の人間に変えたほうがいいのではと考えたこともあったそうだ。このときキム氏は,「世界を作るのと維持するのは違う,マビノギにはライブサービスの専門家が必要だ」と感じたという。この後,サービスはネクソン本体に引き継がれ,マビノギはキム氏の手から離れることとなった。キム氏自身も,ディレクターからプロデューサーへと転向した。

 最後にキム氏は,マビノギの未来についても語った。devCAT Studioは現在,「マビノギモバイル」iOS / Android)を開発している。これは昔のPCゲームをスマートフォンでそのまま再現するのではなく,当時マビノギが作り出そうとしたものを,現在の基準で表現し,未来につなげるプロジェクトだという。つまり,こうした過去の出来事を踏まえておかなければ,マビノギモバイルは作れない,というわけだ。
 キム氏は,未来に向けてゲームを作るために,過去の話をすることが重要なのだと,改めて強調し,過去の経験を過去のものとして終わらせず,開発者の記憶や経験を共有して,未来につなげていってほしいと述べ,キーノートを締めくくった。

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