業界動向
Access Accepted第499回:名門スタジオの閉鎖とイギリスゲーム業界
「Black & White」シリーズや「Fable」シリーズで知られるイギリスのデベロッパ,Lionhead Studiosが20年にわたる歴史に幕を下ろした。あふれるアイデアでイギリスのゲーム産業を引っ張ってきたピーター・モリニュー氏は2012年に退社しているが,設立から閉鎖まで,Lionheadのたどった道はイギリスのゲーム史と重なる部分が多い。今週は,そんなLionheadの歴史を振り返ってみよう。
20年の歴史を持つLionhead Studios
Lionheadは,著名なゲームデザイナーのピーター・モリニュー(Peter Molyneux)氏と,マーク・ウェブリー(Mark Webley)氏,ティム・ランス(Tim Rance)氏,そしてスティーブ・ジャクソン(Steve Jackson)氏によって1996年に設立された。
同社には,「Populous」(1989年)の成功後,「Syndicate」(1993年),「Theme Park」(1994年),「Dungeon Keeper」(1997年)などのヒット作を連発してきたBullfrog Productions(1995年にElectric Artsによって買収)のメンバーが多く参加しており,モリニュー氏自身も「Dungeon Keeper」の完成を待ってBullfrogを退社し,正式に合流している。社名は,ウェブリー氏が当時ペットにしていたハムスターの名前に由来するという。
ちなみに筆者はLionheadを訪問した記憶があり,古い記事を発掘してみると,「Black & White」の拡張パックとして開発された「Black&White:Creature Isle」を2001年9月に見に行っていた。そのときの模様は,「こちら」にあるとおりだが,記事に登場したジョンティー・バーンズ(Jonty Burns)氏はその後,アメリカに渡り,現在はBungieで「Destiny」のディレクターとして活躍している。
Lionheadの看板である「Fable」シリーズだが,これは実は同社で生まれたものではなく,Bullfrogに在籍していたサイモン・カーター(Simon Carter)氏とディーン・カーター(Dene Carter)氏の兄弟が独立して立ち上げたBig Blue Boxが進めていた,「Project Ego」という企画が元になっている。Big Blue Boxは,「大作アクションRPGを,30人ほどのチームで生み出す」という目標を持っていたそうだが,当時はまだインディーズゲームという概念も一般的でなく,結局,Lionheadのサテライトスタジオの作品という名目で,Microsoft Gamesとのパブリッシング契約を獲得した。
「Fable」の成功が,Lionheadを崩壊に導いた?
「Fable」のヒットを見たMicrosoftは同作のポテンシャルを確信し,2006年にLionheadを買収してシリーズの拡充を図る。Big Blue BoxもLionheadに統合されることになったが,PC向けのストラテジーやゴッドゲームが得意だった古くからのメンバーは,コンシューマ市場における「Fable」シリーズの意外な成功を快く思っていなかったと言われている。
Lionheadはその後,Activisionから映画スタジオをテーマにした経営シム「The Movies」を2005年に,Electronic Artsとの契約で開発が続けられていた「Black & White 2」を2007年にリリースしたものの,それ以降はほぼ「Fable」のみを作るスタジオになった。
そのため,「Fable」以降のLionheadに居場所を失った中堅社員は,次々と退社していくことになる。その中には,Lionheadで「Rag Doll Kung-Fu」を開発したマーク・ハーレー(Mark Harley)氏やアレックス・エヴァンス(Alex Evans)氏がおり,彼らは2006年にMedia Moleculeを設立して,PlayStation 3向けの「LittleBigPlanet」を制作した。
あくまで個人的な意見だが,現在のような「社内ゲームジャム」といったコンセプトがもし当時,もっと一般的であれば,社内で手持ち無沙汰になっていた彼らにもチャンスが与えられ,Lionheadの行く末も違ったものになっていたように思う。いずれにせよ,「Fable」の成功がLionheadの緩やかな崩壊の始まりであったことは,間違いないだろう。
そんな中,E3 2009でモリニュー氏は,Kinect向けの実験的なプロジェクト「Milo & Kate」を発表した。画面の中にいる少年マイロとプレイヤーがさまざまな形でインタラクションするというデモンストレーションは,新たな技術の可能性と共にLionheadの飛躍を思わせるものだった。ところが,その後,Microsoftの幹部が「ゲームとして発売する予定はない」と発言したり,デモで役者が演技していることが明らかになって批判を受けたりして,現在はプロジェクトそのものがどうなったのか分からない状況だ。
もともとは,夫婦喧嘩の絶えない家庭で育った少年マイロと,彼の想像上の友人であるプレイヤーが友情を育んでいくという,モリニュー氏の幼少期を最新のテクノロジーで描き出した,非常にパーソナルな企画だった。
パブリッシャに翻弄されたLionheadと
開花するイギリスゲーム業界
モリニュー氏はその後,「Fable III」と並行して「Project Opal」というプロジェクトを立ち上げている。こちらは,「Assassin's Creed」に「Minecraft」や「SimCity」のような要素を詰め込みつつ,ほかプレイヤーとの協力を核にしたゲームだそうで,具体的なイメージがつかみづらいが,Bullfrog/Lionheadらしい雰囲気の作品になる予定だった。大きくカスタマイズされた「Unreal Engine 4」が描き出すグラフィックスも,なかなかの出来だったという。
しかし,Lionheadに在籍しながらMicrosoft Studios UKのチーフクリエイティブオフィサーに就任したモリニュー氏は,社外プロジェクトのチェックをしたり,Microsoft本社に頻繁に出張したりと,ゲーム開発以外の職責が増えていく。
一方のLionheadでは,Xbox One向け「Fable」の方針を決定する中,イギリスの歴史をモチーフに,ビクトリア朝風の都市を舞台にするといったアイデアがことごとくキャンセルされ,それに嫌気がさしたカーター兄弟やアートディレクターのジョン・マコーマック(John McCormack)氏ら,開発の中核を担っていた人々が2012年を前に退社していった。
モリニュー氏はそのことをひどく悲しんだそうだが,結局,それから間もなく彼自身も独立を決意し,Lionheadの目と鼻の先に22Cansを設立した。現在もゲーム開発を行っているが,その道が必ずしも平坦でないのは,本連載の第451回,「苦境に立つ“ゴッドゲームの父”ピーター・モリニュー」でもお伝えしたとおりだ。
Lionheadの20年の歴史は,イギリスゲーム業界の現状をよく表している。Lionhead設立当時,すでにイギリスのパブリッシャはほとんど消滅しており,ゲーム産業は,Sony Computer Entertainment EuropeやElectronic Arts,そしてMicrosoft Studiosなどの国際的な巨大企業に支配されていた。世界最大規模のブランドである「Grand Theft Auto」シリーズを開発するRockstar Northも,親会社はニューヨークのTake-Two Interactiveだ。
しかし,ゲーム開発の分野でイギリスは長い歴史を誇り,その独創性の高さはモリニュー氏や,Media Moleculeなどを見ても分かるはす。そして,こうした職人的気質は現在,ゲーム業界における大きな武器になる。
BullfrogやLionheadは大手パブリッシャに翻弄されてきたが,時代は移り変わり,今やクラウドファンディングやデジタル配信などによって,開発者達は大企業の制約を受けることなく,好きなゲームを作れるようになった。
「Everybody's Gone to the Rapture」のThe Chinese Room,「No Man’s Sky」のHello Games,「Surgeon Simulator」のBossa Studios,そして「Prison Architect」のIntroversion Softwareなど,活きの良い独立系スタジオを始め,「Candy Crash Saga」のKing.com,「Total War」シリーズのCreative Assembly,「RuneScape」のJagex,「Project CARS」のSlightly Mad Studiosなど,書き始めるとキリがないほど,一癖も二癖もあるゲームメーカーが現在,イギリスにひしめいている。
生み出す作品も,最新技術を活用したりユニークなシステムを持っていたりと,自分達のクリエイティビティを主張するものが多く,イギリスの底力を感じさせる。
Lionheadには,最盛期の2010年頃には300人,閉鎖時点でも100人ほどのゲーム開発者が在籍していた。ある人はMicrosoft Studios UKの別のスタジオに移り,別の人は新天地に活路を求めたり,独立したりしているのだろう。
Lionheadがなくなったという事実はイギリスゲーム産業にとって,1つの時代の区切りと呼べるが,Lioneheadの遺伝子を受け継いで去っていった人々が各地で花を咲かせ,アイデアの詰まった斬新なゲームがいくつも登場してくることを期待している。
著者紹介:奥谷海人
4Gamer海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,本連載「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年の開始以来,4Gamerで最も長く続く連載記事。欧米ゲーム業界に知り合いも多く,またゲームイベントの取材などを通じて,欧米ゲーム業界の“今”をウォッチし続けている。
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