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天下統一しないV / 第5回:ああ奥飛騨に,姉小路家[前編]
姉小路家……。なんという甘美な響きだろうか。古くは「信長の野望 ―全国版―」の頃から“天国にいちばん近い大名家”といわれてきた姉小路家が,無慈悲な企画趣旨の下,いま目の前にある。しかも第4シナリオは1582年スタート。織田信長が本能寺の変に倒れ,その張本人明智光秀が,羽柴秀吉に倒された直後である。
豊臣家(勢力名としては最初から豊臣)は信長の孫を傀儡として擁立,主要な地盤を継承して,その領国規模は京都を含む244万石。一方で息子の織田信雄系と織田(神戸)信孝系はそれぞれ別の家に分割されてしまい,豊臣のライバルは北陸の柴田か,東海の徳川かという情勢にある。
そんな一触即発の情勢を前に,我が姉小路家は飛騨(岐阜県北部)の山城三つで1万石。複数の城からスタートするプレイはこれが初めてだという事実は別として,普通死ぬってばさ。だって,西隣の加賀(石川県南部)と越前(福井県)は当の柴田家ですよ? 織田家きっての猛将率いる,北陸軍団がまるまるいるんですよ?
まあでも,姉小路家をプレイすると決めた時点で,このくらいの不幸は予測していた。肩慣らし&基本的な情勢把握のつもりで始めてみると,東隣の信濃(長野県)からものすごい勢いで徳川が攻めてきて,一瞬で終了……ええと,いまのは何???
そう。姉小路家は事実上,柴田と徳川に挟まれて孤立無援という,両手に花の果報者だったのだ。しかも1万石。
ジュネーヴ条約における士官捕虜の取り扱いと,無防備都市条項について確認しつつも,現状を打開できる手を探す。へえ,肉体労働はしなくていいんだ,なるほどなるほど……いや,そっちじゃない。
家中の総意(脳内)としては,初手から伝家の宝刀を繰り出すほかないと決した。必殺「臣従の申し出」である。
日本で恐い人2位と3位に挟まれたら,どちらを信じてついていくべきだろうか? 柴田家は露骨に豊臣家と対立しており,いかにも未来がないイメージ。越前北ノ庄あたりで壮烈に死にそうな相が出ている。対する徳川家は……まあ,この論法の結末は明らかだ。
だが,柴田家の本拠地は越前なのに対し,徳川家のそれは駿河(静岡県西部。すでに三河ではない)と遠い。これは柴田家がより深刻な脅威であるとともに,主と仰げばその武力の傘の下に入れる可能性が大きいことを意味する。徳川家が我が家を攻めるとき,常に柴田家からの反撃の可能性を想定しなければならなくなるのだ。
というわけで,柴田勝家公にそそくさと名簿(みょうぶ)を奉呈。幸いなことに勝家公は快く受け入れちゃってくださり,姉小路自綱は柴田家の家臣となった。
主家とぶつからないように,そして徳川家とは衝突を辞さぬ覚悟で国内を平定するが,山深い飛騨の領地は城一つで4500石とか,そういう調子である。どの城にも鉱山が付属している(主産物は硫黄だろうか?)にしても,台所は大赤字だ。これはどうにもならない。
こまめに「楽市楽座」(どうでもいいが,戦国ゲームはいつまでこの単語を商業振興策の意味として使い続けるつもりなのだろうか?)で町場を成長させ,もっぱらその上がりで戦を続ける。年貢収入と俸禄支出がやってくる秋に,残金はもれなくゼロになるので,これまたこまめに矢銭を徴収してしのぐ。
いずれにせよ,飛騨平定は我が家の明るい未来にほとんど貢献しないので,早晩他国に打って出るほかない。マップ上の街道に沿って見た場合,飛騨は都合4か国に接している。
まず越前は主家領なので論外だ。次に信濃。不可能ではないが,いまの我が家には徳川の侵攻を挫くくらいが精一杯で,押し出していく力量はない。したがってこれも却下である。すると,南の美濃(岐阜県南部)と北の越中(富山県)が残るものの,美濃はまさに柴田/豊臣/徳川による争奪の巷だ。とても乗り出していける状況ではない。
迅速かつ疑問の余地のない消去法で,我が家は越中に向けた北進策をとる。見ればそこには食べ頃の豪族衆がいるものの,織田家の力はここにもしっかり及んでいて,越中最大の勢力は成政率いる佐々家である。
武将個人の戦闘/指揮能力で見れば,姉小路家に佐々成政を叩ける人材などいようはずもない。こんなときこそ,個人の武勇をほぼ無効にする鉄砲の出番である。例によって雨が降ったら手も足も出ないわけなのだが,幸い今回は後背地がそこそこあるので,とにかく鉄砲に特化してバクチに出よう。
ところで,仮に飛騨全土を平定したとすると,総石高は3万石強だ。しかるに越中の豪族を一人逐い落として城を奪うと,それだけで5万石弱……。正直,やってられない差である。我が家の生活を賭けて,佐々成政を倒すと固く誓う。
成政のいない城に攻め込んで挑発すると,成政自ら陣頭に立つ“富山エクスプレス”がたちまち後詰めに出てくる。あとはもう,必死の思いでかき集めた雑兵どもに,鉄砲をつるべ撃ちさせるしかない。質と量,どちらでも劣る我が軍とはいえ,成政本隊のみを目標に撃ち込ませ続ければ,どうにかなるものだ。
こうして本隊を潰走させて後詰めを撃退すれば,城方は意気消沈して降伏,包囲戦なしで城が手に入る。佐々成政の本城である富山城に隣接する領地は,この方法で切り取っていく。
戦に勝ち,情勢を好転させたからといって油断せず,敵情は常に見ていなければならない。“後詰めトリック”をさんざん使ったあとで,佐々成政が負傷して出陣不能となれば,これはもう千載一遇のチャンスというべきである。
成政本隊が当面来ないとあらば,兵力損耗を気に病む必要がなくなる。このゲームにおける領地拡大は常に時間との闘いであって,兵を投げつけてでも城を落とすべきタイミングはある。いまがそれだ。加賀および能登(石川県北部)国境の城は力攻めで奪い,成政軍団の基盤を掘り崩す。本人が復帰した頃には手遅れというのが望ましい。
かくして,かなり理想的なペースで富山城から西をすべて強奪したものの,暴力はより大きな暴力で抑止されるのが宿命らしい。富山より東は上杉領,本城のみとなった佐々家は覚悟を決め,見事に我が家の魂胆を出し抜いた。あろうことか柴田家に臣従したのである。
朋輩を攻めれば,主家の勘気を蒙るのは必然だ。まあ,都合20万石以上を切り取ったうえ,東側に上杉家との緩衝地帯が出来たのだから,ここで兵を引いても悪くない結果といえよう。
柴田と組み,佐々を攻め,ときどき徳川とぶつかっている我が家は,まだまだ織田家の遺産を相手にしなければならない。越中東部へ進めない以上能登へと北上するほかなく,そこにいるのは前田利家である。……ええと,全国レベルの一流人士が篭もる城は,なかなか落ちなくてイヤなんですけど。
そうなのだ。自慢じゃないが知謀二ケタの武将など一人もいない我が家の軍隊で,前田家の人々が篭もる城を囲むと,3ラウンドから4ラウンドくらいしか攻撃機会が与えられない。越中の石高を活用して農兵をびっくりするくらいの数揃え,全軍をハジキで固めたところで,ここで出る質の差は歴然たるもの。ゴロツキはどう着飾ってもゴロツキと言われているような気分である。
こうなったら根比べだ。最初に守将のいない直轄領を切り取ったら,主要人物の篭もる城には「付け城」を構築して,城の修理や兵糧の補給を妨害する。……このルール,初めて有効に使ったなあ。
スペック的に見るべきところのないウチの衆だが,それでも地道に城を壊したり,兵糧を減らしたりしていく。北陸名物の豪雪に祟られつつも,能登攻略は地道に進められ,前田家は逼塞を余儀なくされる。
そんな頃,新たな戦雲が越中東部からひたひたと迫ってくる。さしもの堅塁富山城も,上杉景勝の攻勢の前に陥落,佐々家は滅亡した。上杉から見た場合,富山城とその西は,どちらも柴田家の子分が持つ一続きの領地にすぎない。佐々家が攻められた以上,次は我が身である。
一方で前田家を討ち滅ぼせないまま,我が家は戦う気まんまんの上杉家と対峙するハメに。上杉家が富山城を修復し,そこへまた,我が家の名物,雑兵の束が食ってかかるという,哀しい展開が目に見えるようだ。謙信こそすでにいないものの,上杉景勝は思慮ある人のようなので,アタマの悪い敵より始末に負えない。
こうして開かれた戦端は,押し合いへしあいを続けるものの,そんな矢先に当主,姉小路自綱は病没する。跡目は似たようなスペックの秀綱が継ぎ,家中に取り立てて動揺はなかったが,当主兵力を引き継ぐために出てきた光綱さんまで似たようなスペックなのは,順当な処理と評すべきなのだろうか……?
なんとか越中から上杉勢を逐い,前田家にトドメを刺そうと決意した瞬間,我が家を襲ったのは柴田家を対象とする「包囲網形勢」イベントである。おそらくはAI率いる豊臣家が,朝廷を介して差し回したと思われるこのイベントで,我が家はたちまち寛大なる主君,柴田勝家公までも敵に回す次第となった。
徳川となおも小競り合いを続け,前田/上杉と強固な宿敵関係を育んでしまった我が家は,この時点で世界の孤児である。姉小路家と友誼を保ってくれる勢力は,日本のどこにもいないのだ。
「ヒゲの,ヒゲの大男が北の海から大きな船で攻めてくるよう」と,ノルマンコンクェスト(ヴァイキングのイギリス遠征)前夜の,大ブリテン島在住アングロ・サクソン王朝のような悪夢にうなされつつ,[前編]を終わりたい。……だいぶ天下統一らしくなってきたぞ(笑)。
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