連載
【鈴木謙介】「〈ゲーム〉とストーリーの幸福な結婚」
鈴木謙介 / 社会学者
鈴木謙介の「そこ見るんですか?」 |
「セカンドノベル」はやっぱり傑作
いきなりですが,今回の結論です。7月末に日本一ソフトウェアから発売された,PSP用ノベルゲーム「セカンドノベル 〜彼女の夏、15分の記憶〜」は,間違いなく傑作です。さあ,お店へどうぞ。
……100字足らずで終わっちゃうと,さすがに怒られそうですね。
ちなみにここで「傑作」という言葉を選んだのは,その内容や歴史的な意義から,何年たっても参照される、あるいは一度はプレイしておきたいゲームを「名作」と呼ぶならば,それに対して,歴史に残る,残らないは別にして,とにかくゲームとしての完成度がとても高い「良くできた作品」という程度の意味です(「名作」でも完成度の低いものなんて,ザラにあります)。
では,なぜ傑作なのか。それは「その〈ゲーム〉がプレイされなければいけない理由を,ストーリーが十分に説明している」からです。当たり前のようで,実はなかなか難しいことをやっていると僕は思います。
例えば,男性向け恋愛シミュレーションゲーム,いわゆる「美少女ゲーム」について考えてみましょう。典型的な美少女ゲームは,「ヒロインと主人公の恋が実るエンディングにたどり着く」ことを目標にした〈ゲーム〉の形式をとります。
そしてその〈ゲーム〉をプレイする際のルールは,「ヒロインとの会話において示される選択肢のうち,正しいものを選ぶ」とか,「会話やデートなどを通じて好感度というパラメータを上昇させる」というものが多いと思います。
スタンダードな形式なので,普段はあまり疑問に感じませんが,よくよく考えてみると,なぜヒロインと恋仲になるためにこのような過程を経なければならないのかは,どこにも説明されていません。
現実の世界では,僕達は女の子からの好意を勝ち得るために部活の大会で頑張るとか,バンドを組んで文化祭で演奏するとか,彼女達と直接関係ないことをしたりもするはずです。それなのに,なぜか「ヒロインとのコミュニケーション」が,〈ゲーム〉の中心的な要素になっている。
もちろん現実には,ヒロインの魅力を伝えるゲームにしたいとか,恋愛シミュレーションなんだから男女のやりとりが中心になるでしょうとか,その〈ゲーム〉が選択された合理的な理由はあるはずです。ですがここで問題にしたいのは,プレイヤーがそのゲームをプレイする際に,その理由がゲーム内で説明されることは,ほとんどないということです。
というか考えてみれば,そもそも〈ゲーム〉がそういうものである理由が説明されることのほうが,少なかったのかもしれません。僕が初めてプレイしたファミコンのゲームは「頭脳戦艦ガル」でしたが,当時は無限ループするステージがいつ終わるのかも,そもそもラスボスがいるのかどうかもよく分からないままに遊んでいました(説明書をよく読めていなかったのもありますが)。
あるいは,ゲーム内で,ある〈ゲーム〉が選択される理由の説明を放棄することで,独特の不条理感を演出することに成功した作品として,「たけしの挑戦状」を挙げることができるかもしれません。
同作は,頭脳戦艦ガルと並ぶ「クソゲー」の代表作とされていますが,制作意図や実際の評価はさておき,その〈ゲーム〉でなければならない理由が明らかにされないままゲームをプレイし続けることは,プレーヤーにとってはある種の苦痛を伴うのは確かでしょう。
ストーリーと〈ゲーム〉の絡み合い
では,セカンドノベルの〈ゲーム〉とは,どのようなものでしょうか。ここから先は,ある程度,ストーリーに踏み込んだ話をせざるをえないので,ややネタバレになってしまうことをご了承ください。
ヒロインである彩野は,5年前,彼女が高校生の時に起きた「事件」の後遺症で,それ以降の記憶を約15分しか維持することができなくなっています。そのことと,日常生活に必要ないくつかのことは,彼女が常に持ち歩いている手帳に記載されていますが,あまり多くのことを書きすぎると,記憶が途切れた際に混乱するので,最低限のことしか書かないようにしています。
そんな彼女の元にやってきたのは,高校時代の同級生であり,この作品の主人公でもある直哉。彼は,彩野がたびたび彼女達の通っていた高校に出入りしているという話を聞き,彼女を連れて,かつて一緒に学んだ教室まで行くのです。
そこで彩野は,突如,ある「物語」を語り始めます。しかし,15分で記憶が途切れてしまうため,忘れてしまわないうちに物語を書き留めなければならない。だが,物語を子細に書き綴っても,記憶が途切れたあとで読み返すのに時間がかかってしまい,続きを語る余裕がなくなってしまう。そこで直哉は一計を案じ,語られた物語の「あらすじ」を名刺の裏にメモし,カードとして溜めておくことにするのです。
ゲームは,このカードを使って「物語」を完成させていく「フラグメントモード」と,彩野自身が語る「物語」を読み進める「ストーリーモード」の二つを行き来しながら進行します。
そうした「物語」の展開を,フラグメントモードで直哉と彩野が対話しながら,様々な方向に分岐させていく。つまり,ノベルゲームと,そのゲームを観察するメタ視点のゲームを融合させることで,セカンドノベルの〈ゲーム〉は成り立っているわけです。
その〈ゲーム〉でなければならない必然性が,ストーリーに埋め込まれているという僕の説明は,これで何となく分かってもらえるでしょうか? つまり,彩野自身の記憶障害がなければ,そもそも直哉はこの〈ゲーム〉に参加する必要がありませんし,あらすじを書いたカードを利用したメタ視点からのゲームという形式も採用されないはずなのです。
また,その〈ゲーム〉に参加する直哉の立場も重要です。直哉はどうやら高校時代,彩野に好意を抱いていたようなのですが,彼女にはユウイチという幼なじみの恋人がいました。そしてそのユウイチは,17歳の夏に,学校の屋上から飛び降り自殺。彩野も後を追うように屋上から飛び降り,一命は取り留めたものの記憶障害を抱えてしまうことになったのです。
そんな彩野が語る「物語」は,まるで現実の彼女をモデルにしたかのような,アヤノという主人公と,幼なじみのユウイチという登場人物が通学路で会話するところから始まります。ですが,二人の性格は現実の彩野たちとは微妙に異なっており,また実際には二人とよく一緒に遊んでいたはずの直哉もなぜか「物語」には登場しません。
この微妙な三角関係の中,彩野の「物語」を聞き出す直哉の立場は,プレイヤーをこの〈ゲーム〉のシステムに誘い込む,絶妙な設定になっていると思います。
言葉の上では,彩野の語る「物語」を,ただの傍観者として整理しようとしているように振る舞う直哉ですが,ゲームの冒頭で,彩野の記憶障害は脳の物理的な損傷に起因するもので,奇跡的に記憶機能が回復することなどあり得ないとはっきり述べられていることからも分かるように,物語が完成したところで,彩野は自分が「物語」を語っていたことすら忘れてしまうので,それが何かを生むわけではないのです。
つまり直哉自身が,彩野の「物語」を聞きたいと望み,積極的に関わる意志を持たない限り,この〈ゲーム〉自体が成立しない。しかし分の悪い三角関係で,しかも恋敵は既に亡くなっているという状況下では,直哉がこの〈ゲーム〉を拒否することはできないだろう。
――そうプレイヤーに思わせることで,セカンドノベルの〈ゲーム〉をプレイする動機を生み出しているわけです。
ちなみにネタバレついでにもう一つだけ書いておくと,この作品が秀逸なのは,初めに彩野によって提起され,直哉(プレイヤー)がプレイすることになったこの〈ゲーム〉が,ストーリーの流れの中で,別の〈ゲーム〉になってしまう点です。つまり,直哉自身が明確な自分の意志で〈ゲーム〉のルールに干渉することで,ストーリーも大きく展開することになっているのです。
これは〈ゲーム〉とストーリーが幸福な結婚を果たしているからこそできる「山場」だと思いました。
優れた作品は歴史に残らない?
とまあ,セカンドノベルを絶賛しまくってきましたが,もちろん不満がないわけではなくて,操作性であるとか,プレイ時間が短いにもかかわらず若干のマンネリ感が否めないところとか,突き詰めれば改善できた点もあったと思います。
それでも僕がこの作品をここまで推すのは,きっとこのくらい言わないと,この作品の「良さ」は,多くの人には伝わらないだろうなと思うからです。
先ほど,どんなゲームなのかを説明するにも,ストーリーにある程度踏み込まなければいけない,それは〈ゲーム〉とストーリーがうまく融合しているからだ,と書きました。しかし普通に考えれば,そんなゲームは「分かりにくい」と思われてしまうに決まっています。というか今回の連載が,すでにそうなってる気がしてちょっと不安ですらあります。
ゲームというのは,基本的に体験型のメディアです。見ているだけで楽しいゲームもありますが,それはあくまで「視聴」のエンターテイメントであって,映画を見たり音楽を聴いたりするのと変わらない。実際にプレイヤーとして〈ゲーム〉を遊んでみないと,「面白い」と感じることはできないわけです。
けれど,そんなメディアだからこそ,ゲームをプレイすることのハードルは,ほかのメディアに比べて高くなりがちです。前回紹介したモバイルゲームのような分野ならともかく,大容量化が進み,ストーリーや世界観についてもきちんと説明する余裕と必要が生まれている現在のゲームの世界において,一言で内容を説明できないゲームは,どんなに面白かったとしても,プレイしていない人のところまで伝播しないのです。
前述した頭脳戦艦ガルにせよ,たけしの挑戦状にせよ,そもそもクリアできた人がごく少数だったこともあって,その魅力を簡単に伝えることはできませんでした。それでも逆に,クソゲー呼ばわりされることで人々の興味が引きつけられ,結果的にいまでも人の口の端に上る作品になったのだと思います。
しかし,Twitterの140文字では語りきれないけれど,「面白い」では済まされないゲームって,あると思うんです。口コミの時代だからこそ,長めの感想文を読んだり書いたりする訓練はしておきたいなと思うのでした。
■■鈴木謙介(関西学院大学准教授)■■ 社会学者として教鞭を執る傍ら,TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」やNHK教育テレビ「青春リアル」に出演中。鈴木氏は,この夏のうちに「ファイナルファンタジーXIII」をクリアするつもりだったそうですが,ようやくコクーンを抜けられたあたりだとのこと。もう少しではありますが……。そうこうしているうちに積みゲーが増えていくんでしょうねぇ。 |
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セカンドノベル 〜彼女の夏、15分の記憶〜
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