レビュー
これは“神ゲー”かも。「ゲームで泣くとか(笑)」という人にこそお勧めしたい「Steins;Gate(シュタインズ・ゲート)」レビュー
昨年末に「428 〜封鎖された渋谷で〜」を遊んだとき,「アドベンチャーゲームでこれに匹敵するゲームはそうそう出まい」と思っていたものだが,本作は,そんな428に勝るとも劣らない内容だ。個人的な好み(スタートレックなどが大好きなSFファン)を加味したうえで言わせてもらうなら,アドベンチャーゲームとしては,ここ最近で最も面白いと感じた作品である。
本稿では,そんなシュタインズ・ゲートを紹介していくと共に,「なぜ本作を面白いと感じたのか」「なぜ気付かないうちに感情移入し,物語に没頭することができたのか」を,ノベルゲームのロジックを紐解きながら考えていきたい。
「Steins;Gate(シュタインズ・ゲート)」公式サイト
【ストーリー】
舞台は,2010年の秋葉原。発明サークル「未来ガジェット研究所」を主宰する岡部倫太郎は,ある日,偶然にも過去へとメールが送れるタイムマシン“電話レンジ(仮)”を発明してしまう。おもしろ半分,興味半分で過去へ干渉し,歴史の改変を試す岡部だったが,やがてそれは,全世界を巻き込む大きな悲劇へと繋がっていく。悲劇を回避しようとする岡部は,絡み合った運命の因果を紐解き,繰り返される絶望の世界から抜け出せるのだろうか!?
厨二病の主人公が「カッコよく見えてくる」不思議
とはいえ,使い古されたシステムだからこそ,システム面での完成度が非常に高いという側面は見逃せない。メッセージスキップや過去ログ表示,セーブ&ロードといった各種機能およびインタフェースは非常に快適で,ゲーム中にプレイヤーが不快になる要素は皆無だ。プレイヤーは,心置きなくシナリオに没頭することができる。
シュタインズ・ゲートが秋葉原を舞台にした作品だということも先に述べたが,本作に登場する主人公の岡部倫太郎は,オタクの街・秋葉原に研究所(実態は,ただの遊び場)を構える自称「マッドサイエンティスト」の大学生(18歳)。いわゆる“厨二病”的な発言を繰り返すとても“痛い”人物である。
具体的にどう“痛い”のかと言うと,
「俺の名は鳳凰院凶真(ほうおういんきょうま)。世界中の秘密組織から狙われる,狂気のマッドサイエンティストなのだ。フゥーハハハ!」
みたいなことを日常的に口にしている感じ。電源の入っていない携帯電話に向かって,「今,俺は機関に追われている!」などと言うのも日常茶飯事だ。要するに,ただの変人である。当然格好も良くない。
※厨二病:ネット界隈で主に使われる表記。元々は「中二病」の意味で,思春期特有の言動や行動などを指すもの。これらと同様な言動・行動をとる人を指してそう呼ぶことが多い。
ここまで読んで「あ,やっぱり私には合わなさそう」と思ったそこのあなた,まだ立ち去るのは早いですよ。というのも,筆者自身,ゲームプレイ当初はこの“痛い主人公”の岡部倫太郎にまったく良い印象を抱かなかったからだ。むしろ,ドン引きしていたと言っていい。「どこの三流アニメの主人公だよ」とさえ思っていた。
――しかし,ここからが本作の凄さの一つでもあるのだろうけれど,シナリオを読み進めていくうちに,だんだんこの“オカリン”こと岡部が格好良く見えてくるのである。上記のような厨二病的な台詞も,シナリオの後半になればなるほど“熱い台詞”に聞こえてくるから不思議である。
ゲーム序盤こそゆったりとした流れで進む本作だが,ゲーム中盤のある事件を境に,物語は一気に急展開を迎える。陳腐な表現で申し訳ないのだが,謎が謎を呼ぶ,良い意味で何度も裏切られる手に汗握るストーリーは,映画や小説,漫画など,ほかの“物語メディア”全般の作品と比べても,特筆に値するレベルだと言える。
実は,筆者はタイムトラベルもの……というか,SF全般が非常に好きな人間で,ワープ理論だけでご飯3杯,タイムトラベル理論だけで追加のご飯4杯はいけるクチ。映画や小説に限らず,スタートレックシリーズだけでも,一体何回タイムトラベルをテーマにした話があったことか! という感じで,とにかくタイムトラベルものには少々うるさかったりする。
そんな筆者の目から見ても,本作のシナリオは非常に優れている印象で,細部にわたって“ネタ”や“伏線”が散りばめられているところも,作り手のこだわりが感じられて好印象だ。過去に干渉すると,それがちょっとした変化であっても,連鎖的に大小さまざまな部分に影響を与えていく……。本作は,そんなタイムトラベルならではの“仕掛け/演出”を,とても上手に料理している。
さらに本作の凄いところは,そうしたタイムトラベルならではの伏線やネタがシナリオの前後で密接に関係し,それらが物語の終盤に向けて,綺麗に回収されていく点にある。プレイしていく過程で気が付く事柄もあれば,最初のプレイでは気が付かないちょっとした演出も,クリア後に再プレイしてみると,自分が選んだアクションによるものだと気付かされる。この計算され尽くした演出とシナリオ構成の妙が,シュタインズ・ゲートという作品の核であり,面白さの源であるわけだ。
“ノベルゲーム”がゲームかどうかはさておき,独特の表現手法なのは間違いない
このように本作の魅力は,ひとえにシナリオの“完成度”の高さ(厳密にいうと,ノベルゲームならではの演出を含めた“完成度”)にある。こういう公の場でカミングアウトするのも恥ずかしい話なのだが,シナリオ後半のいくつかの場面では,不覚にも少し泣いてしまったりもした。繰り返しになるが,本作は,演出……というか,“感情移入のさせ方”が非常に巧みなのである。
さて,筆者はここで,涙ながらに疑問を抱いた。何かというと「自分はなぜ泣けたのか?」であり,この素朴な疑問が,頭から離れなくなったのである。「感受性の強い少年少女ならともかく,30過ぎたオッサンがゲームで泣くってどうなの」と,思わず自問自答をしてしまったわけだ。
感動に値するシナリオだった,まずはそう考えてみた。では,純粋にシナリオが良いということだけが,本当に“泣けた理由”なのだろうか? ノベルゲームといえば,これまでに「泣きゲー」というムーブメントを巻き起こしたこともあるジャンルなわけだが,これは,ただの偶然なのだろうか? 「CLANNADは人生」「Fateは文学」なんて言葉もネットでは見られるが,こうした現象はなぜ“アニメや漫画ではなく,ゲーム”で起きたのか。そうした疑問を,今更ながらに身近に感じてしまったのである。――要するに「つーか,どうして泣いてるんだ私は?」と,ハタと冷静に考え込んでしまったのだ。
まぁこういった話題については,各々さまざまな意見が出てくる部分だとは思うけれど,“ゲームならではの要素”にフォーカスを当てるならば,本作に限っては,やはり“選択肢を利用した演出”の巧みさが挙げられるだろう。
本作でも“ノベルゲーム”の例に漏れず,プレイヤーは,ゲーム中にさまざまな選択を迫られていくわけだが,選択要素の扱いは,プレイヤーの介入(インタラクティブ性)によってシナリオが分岐するという“ゲーム然としたアプローチ”というよりも,物語への感情移入を促がす方向への意味づけが強いように思える。
例えば,本作の特徴でもある「フォーントリガーシステム」は,その最たる例と言えるだろう。通常のノベルゲームでは,重要な場面になると,2〜3択の選択肢が表示され,そのどれかを選ぶことでシナリオが分岐していくというスタイルが一般的である。
しかし本作では,シナリオが分岐するような重要な局面,あるいは大した影響のないどうでもいい選択においても,ゲーム側が「この中から選べ」と選択肢を強制的に押しつけてくることはしない。
あくまでも「自分で携帯電話を取りだして,電話をかける/メールを送る」という能動的なアクションをとらないと,物語に干渉することができないようになっている。あるいは,会話中にかかってくる電話(着信音が結構うるさい)を“あえて無視する”ことでも,本作における物語は分岐する。
携帯電話というパーソナルなアイテムをフックとし,それを自然に使わせる/使わせないことによってプレイヤーをゲームに介入させ,プレイヤーの目線を,作中の主人公の目線と同じ位置に持ってくるための“演出”としているのである。
少し話を広げて考えてみれば,小説や映画に限らず,あらゆる物語においては,いかにして読み手(受け手)を作中の人物の目線に立たせるか――要するに,いかにして感情移入させるかが,作品の面白さを左右する重要なファクターとなっているわけだが,本作は,そうした問題を,ゲーム的なアプローチ(ゲーム性という意味ではなく,インタラクティブ性という意味で)で上手く解決している好例と言えるのかもしれない。
言うまでもなく,こうしたインタラクティブ性を利用した“演出”というのは,ゲームならではの要素の一つである。例えばこれは,ドラゴンクエストシリーズにおける選びようのない“選択肢”を思い浮かべると分かりやすいかもしれない。その選択に“シナリオ的な意味”はない(意味があるものもあるが)が,プレイヤーに能動的なアクションを強いることが,プレイヤーをゲームの世界に引き込むための“演出として機能している”わけだ。
しかし,ゲームが編み出した“インタラクティブ性を利用した演出”が,ほかのメディアでは実現不可能なことは間違いなく,またノベルゲームというものが,“インタラクティブ性を利用した演出”に磨きをかけてきたのも確かである。そうしたゲームならではの独特の手法があったればこそ,筆者は,本作に違和感なく感情移入することができたのではないか。
重要なのは,“ノベルゲーム”がゲームかどうかではなく,現時点ではゲームという枠組み(商品)でしか表現しえない,独特の手法を持っているということではないかと思う。
その意味では,本作はそうした“ゲームならではの要素”があって初めて成り立つ作品であり,決して「小説を読めばいいじゃん」「映画でいいじゃん」で済む作品ではない。本作――というか,ノベルゲーム全般に言えることだが――は,ゲームならではの良さ,面白さが詰まった作品だと言えるだろう。
昔の自分がそうだったので,あまり強くは言えないのだが,本作を「テキストを読むだけじゃゲームとは言えない」「ノベルゲームはなぁ」と一蹴してしまうのは,ちょっともったいないと思うのである。
枯れたジャンルならではの良さというものがある
……とまぁ,いろいろと屁理屈をこねながら本作をおすすめしてみたわけだが,そうは言っても,この作品は「テキストアドベンチャー」と「タイムトラベル」という,言い方は悪いが枯れたジャンル/テーマを題材にしており,ゲーム市場の最先端を走る,目新しいタイトルだとは言えないかもしれない。
しかし筆者としては,今回本作をプレイしてみて,「枯れたジャンルだからこその良さ」があるということを,あらためて思い知らされた。
それは,本作の良さ――すなわち本作の“シナリオの完成度”の高さが,ノベルゲームが長年練り上げてきた“独特の手法”のうえに成り立っているものだと感じられるからである。
システム面が枯れきっているがゆえに,ノベルゲームでは,シナリオやイラスト,音楽,選択肢の見せ方……そしてそれらを組み合わせた“演出”に力点が置かれている。だからこそ,本作のようなレベルの高いシナリオ(演出も含めた)が生み出される素地があるのだと思う。
その意味では,ノベルゲームというのは“物語メディア”として確立されたジャンルだと言えるわけだが,本作は,そうしたノベルゲームの現時点での集大成的な作品の一つなのかもしれない。
ノベルゲームが辿ったシステム面の練り込み,選択肢という演出を駆使した技法の進化。ここ数年におけるノベルゲームの歴史があったがゆえに,本作のような作品が登場しえた……とやや大げさに考えてみるなら,これこそが岡部倫太郎が言うところの,
「これが運命石の扉(シュタインズ・ゲート)の選択なのだっ!」
ということなのかも。いずれにせよ,本作が近年稀に見る傑作なのは確か。本レビューを見て興味を抱いた読者は,ぜひチェックしておいてほしい。
「Steins;Gate(シュタインズ・ゲート)」公式サイト
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STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)
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