エディアから2023年6月8日に発売された「
テレネット シューティング コレクション」は,かつて
日本テレネット(※1)から発売されたメガドライブおよびPCエンジン向けのシューティングゲームを4タイトル収録したものだ。
※1 1983年から活動し,2007年に事業停止した企業。「夢幻戦士ヴァリス」シリーズや「天使の詩」シリーズなどで知られる。なお,読みは“にほんてれねっと”であり,MSX用のパソコン通信サービス「THE LINKS」などを提供していた現存企業・日本テレネット(にっぽんてれねっと)とは別。
日本テレネットは,8〜16bit PCユーザーを中心に知られたメーカーだが,特定のタイトルや在籍していた個人はまだしも,会社自体について語られる機会はなかなか無かった。ライオット,レーザーソフト,ウルフチームといった各ブランドの独立性が高かったため,それらを含む日本テレネット自体に目を向けられること自体が稀なのだ。
日本テレネットのトレードマーク
|
そこで今回,かつて
ライオットおよび
レーザーソフトに在籍していたスタッフと,一部タイトルの開発を受託していた
アルファ・システムの元スタッフを招き,日本テレネットについて語る座談会を実施した。また,スケジュールの都合で同席できなかったのだが,
ウルフチームに在籍していたスタッフからもコメントをいただいている。
これら4タイトルのそれぞれに,ステイトセーブ/ロードやリワインド機能,マニュアルのビューワー,収録BGMをじっくり聴けるサウンドモード,PV(一部タイトルのみ)やカットシーンを観られるビジュアルモードなどが搭載されている。開発を担当したのは「プロジェクトEGG」のD4エンタープライズだ
|
|
|
|
3ブランドを擁していた日本テレネット。その内情とは
4Gamer:
はじめに,読者向けの自己紹介をお願いします。
M.Y氏(以下,Y氏):
草創期からテレネットに在籍していて,収録タイトルの中では
「ガイアレス」のプログラムとゲームデザインを担当した者です。わけあって本名は明かせませんので,M.Yとさせてください。
川出陽一氏(以下,川出氏):
新日本レーザーソフトで
「アヴェンジャー」の企画原案とプログラムを担当しました,川出陽一と申します。
久保基史氏(以下,久保氏):
アルファ・システムの企画部・企画課に在籍していた久保基史です。
「サイキックストーム」の開発初期にヘルプで入って,ゲームシステム以外の未完成だった部分を作っていました。なので僕の企画というわけではないのですが,これがアルファ・システムに企画部ができたきっかけにもなった,思い出深いゲームです。
谷 裕紀彦氏(以下,谷氏):
ウルフチームに在籍していた,プログラマーの谷 裕紀彦と申します。「グラナダ」には直接関わった者ではございませんが,当時のウルフチーム内を知るものとしてよろしくお願いいたします。
グラナダは数回テストプレイしたくらいなのですが,THANKSにクレジットされています。当時のウルフチームはスタッフの人数が少なかったこともあって,ほぼ全員の名前が記載されていました(笑)。
左からY氏,川出氏,福岡からオンラインで参加の久保氏,見切れているエディアの小山 敦氏
|
4Gamer:
日本テレネット(以下,本文中ではテレネット)とは,どういった会社だったのでしょうか。“テレネット”とひとくくりにするにはブランドごとの差が大きいので,前々から不思議に思っていたのですが。
Y氏:
もともとテレネットには,何人かの中心的かつ,ライバル関係の開発者がいらっしゃったんです。その人達が
「アルバトロス」というゴルフのゲームや,
「ファイナルゾーン」という縦スクロールシューティングを作っていました(※2)。ファイナルゾーンを作ったスタッフに,
「これからのゲーム業界で大儲けして,悠々自適に暮らすんだ」という野心の強い人がいたんですよ。当時のゲーム業界って,お金が大きな要素でしたから。
※2 アルバトロス,ファイナルゾーンともに1986年(一説には1985年末とも)に発売されたPC-8801(mkIISR以降)用ソフト。X1やMSXなどにも移植されている。
4Gamer:
ゲーム業界の急成長もありますけど,考えがバブル時代ですねえ……。
Y氏:
その人が当時の社長に「ひと儲けさせろよ」と掛け合って,独立するような形で社外に出たと聞きました。それで設立したのがウルフチーム。その後,アルバトロスを作った人が同様に設立したのが,新日本レーザーソフトです(※3)。
本当は私もウルフチームに行く予定だったんですけど,その直前に仕事のしすぎで
結核にかかって……。それで入院したためウルフチームのスタートアップに出遅れて,テレネット本家に残ることになりました。
※3 ウルフチームの独立が1987年。日本テレネットとヨドバシカメラの共同出資による新日本レーザーソフトの立ち上げが1988年。
4Gamer:
本家というのが,ブランドで言うとライオットですよね。
Y氏:
ライオットとかRenoとか言われていた,第一事業部ですね(※4)。第二がウルフチームで,第三がレーザーソフト(※3)だったかな。
※4 1988〜1991年にかけてはRenovation Gameまたは略称の“Reno”。1991年の半ばからライオットのブランド名となった。
※3 日本テレネットは,1990年にウルフチームと新日本レーザーソフトを子会社化。1991年に両社とも吸収合併され,ウルフチームおよびレーザーソフトの各ブランドとなった。
川出氏:
新日本レーザーソフトでは,ライオットを“本社側”と言ってましたよ。合併した後は同じ会社なので,“Renoさん”とか“ライオットさん”とか呼ぶようになりましたけど。
ただ,合併後もレーザーソフト,ウルフチーム,ライオットでの交流はほとんど無かったので,テレネットを語るときにややこしいですよね。中にいた人達からすると,“日本テレネット”として一緒くたにされると,ちょっと違和感がある。
Y氏:
実態としては完全に別会社だったんですよ。
4Gamer:
大きな会社だと,部署間の交流が無いことはよくありますよね。
Y氏:
ウルフチームの野心家の人は「自分にやらせろ」って言うタイプで,
「夢幻戦士ヴァリス」や
「YAKSA」の広告展開が非常にうまい人でした。
川出氏:
学生の頃,どちらも遊んでましたよ(笑)。
それで「これからはビジュアルとゲームが一体化した,こういうゲームが主流になるはずだ」と思うようになり,テレネットに履歴書を送ったんです。
Y氏:
私はフロム・エーでした。大学に推薦で入ることになり,受験期間が暇になったので,バイトでもするかとテレネットに入ったんです。それで結局,大学に行かなくなったので,すごく罪深いんですよ(笑)。
川出氏:
その頃は
「PCゲームのテレネット」の時代ですよね。
Y氏:
シャープのX1というPCで,
「アメリカントラック」(※5)のサウンドドライバーを作ったりしていましたね。アメリカントラック自体は,私より若い高校生が作っていたんですよ。
そのときに,ヴァリスとかファイナルゾーンの絵を書いた林(浩樹)さんという人がいたんですが,「これからはコミック調のイラストを使ったゲームを出していく」って,すごい熱意を持っていたんですよ。
実際,そういった路線で新日本レーザーソフトから出た
「ヴァリスII」や
「レッドアラート」は面白かったですね。
※5 1985年に発売されたPC-8801(mkIISR以降)他,各種PC用のソフト。日本テレネットの第1弾タイトル。
ノーマルのX1が用意できなかったので代理として,PCエンジン一体型のX1である「X1twin」(以下,参考写真は筆者私物)
|
川出氏:
レッドアラートはおすすめです。
Y氏:
レッドアラートは演出過剰がすごいんですよ。本来は笑うようなゲームじゃないんですけど,腹を抱えて笑います。
CD-ROM²って遅かったので(等速読み込みのみ),1秒あるかないかのビジュアルシーンのために7,8秒の読み込みがあるんですよ。ドライブがキーキー鳴って,何が出てくるのかと思ったら,スクロールするだけのアニメーションで終わり(笑)。
ゲーム自体も体当たりだけでどんどん進んでいけるので,酒を飲みながら遊ぶのが最高です。本当に復刻してほしいタイトルです。
CD-ROM²ないしSUPER CD-ROM²が用意できなかったので代理として,CD-ROM²と同型のCDドライブを搭載した「PC-8801MC」とPCエンジン |
こちらも代理として,PCエンジン&SUPER CD-ROM²互換機能を有するLD-ROM²セット(下段。レーザーアクティブ+コントロールパック)。なお上段は,同様にメガドライブ&メガCD互換のMEGA-LDセット |
川出氏:
実は,入社したのがヴァリスIIが発売された直後で,レッドアラートのビジュアルシーンが私の初仕事だったんです。
「納期が7日後だから,これを残りの半分作れ」って言われて。
4Gamer:
ええ……。
Y氏:
当時のテレネットはそんなんですよね。新日本レーザーソフトを立ち上げたのも,第一事業部は忙しすぎて手が空かなかったからじゃないかと思います。詳しいことは知りませんが,福島(和行)社長が「これからはCD-ROMの時代が絶対に来る」と言っていて,CD-ROMに投資するみたいな話もあったんですよ。
当時だとCD-ROMの容量をゲームだけでは埋められないので,「広告をじゃんじゃん入れて広告費を取ろう」という話もあったのですが,ただでさえスケジュールがヤバいのに外部の人が絡む案件を入れたくなかったので,断っていたんです。
川出氏:
アヴェンジャーに入ってますよ,近畿日本ツーリストの広告。新日本レーザーソフトの入っていたビルの1階が近畿日本ツーリストだったんですよ(笑)。
4Gamer:
そんな理由で,あの広告が入っていたんですか!(※6)
※6 今回の移植版では,諸事情によりカットされている。なおプロジェクトEGG版はオリジナルがそのまま配信されているので,「どうしても近畿日本ツーリストの広告が見たい!」という人はそちらも購入しよう。
川出氏:
スケジュールがギリギリなのに,営業部長さんが「絶対入れよう」と言っていて。やっぱり,そういうのも内部がガタついていく要因だったと思いますね。みんないつもカリカリしていましたし。
Y氏:
でも,当時は画像を取り込むシステムがほとんどなかったですよね。ハドソン純正の開発ツールにあったスキャナーで入れると,広告の絵や文章が全然分からないんですよ。横256ドットしか解像度がないですし。「これでやったら,広告主の人は怒るんじゃないか?」と言ってました。
川出氏:
レーザーソフトにはアニメーター出身の人がいたので,綺麗に作ってもらえました。8×8ドットのBGチップのマップでロゴを再現していて,今見ても綺麗だと思いますよ。
4Gamer:
久保さんにうかがいたいのですが,受託側からの印象はどのようなものだったのでしょうか。
久保氏:
たびたび出向でテレネットさんを訪ねていたんですけど,アニメーター出身の人が大勢いらっしゃって,とにかく驚きましたね。アルファ・システムは熊本の田舎の会社で,スタッフも大学生の寄せ集めみたいなものでしたから,僕らから見たらすごい人がいっぱい集まってるわけですよ。一緒にお食事に行ったとき,ゲーム業界やアニメの話をいろいろ聞かせてもらったんですが,それが楽しかった思い出があります。
川出氏:
レーザーソフトはアニメに詳しい人も多かったので,たとえば
「コズミック・ファンタジー」の 越智(一裕)さんは「何々をやった人だ」みたいな話をしていましたね。
久保氏:
そこまでじゃなくても,絵コンテの描き方とか,アフレコについてとか,いろいろ教わりました。そのツテから,サイキックストームの後に作った
「キアイダン00」(1992年にライオットブランドで発売されたPCエンジンCD-ROM²用ソフト)では,大友克洋先生の
「AKIRA」にも関わっていた牧(由尚)さんという人に助けてもらったんですよ。
川出氏:
テレネットを離れた後なんですが,当時としては破格の声優47名,8時間以上の音声を収録した
「ブリガンダイン グランドエディション」(イースリースタッフが開発/発売したSRPG)というPlayStationのゲームを2000年に作ったんですよ。そういうことをやろうと思えたのもテレネットの経験があったうえで,「もっと規模を拡大して,登場人物を全員しゃべらせることもできるはずだ」と思ったからなんです。テレネットの開発体制は酷かったですが,そこでの経験は私も含め,在籍した人間の中で活きているという感じがありますね。
Y氏:
テレネット出身者は打たれ強いしね(笑)。
川出氏:
ライオット側だった友人からも,テレネットの後に経験が活きたという話を聞きますよ。
とにかく当時はカオスでしたね。今でも最先端の方々は手探りでやっていますけど,あの頃は半年先がどうなっているかも分からないし,今作っているものが完成するのかも分からない,カオスの中のカオス。
新人に「3か月くらいで1本作っとけ」みたいな感じで,何の指示も無く任されてしまう。企画から自分で立てなければいけないし,ベテランのスタッフは手一杯なので,新人の企画やデザイナーさんに声をかけて,体制を作るというところから仕事でした。
Y氏:
私は当時,いちおう偉い立場にいて「誰かに教えてもらう」ということもできなかったので,自分で英語のプログラミングの本を読んだりして,泣きそうになりながら勉強していましたよ。
川出氏:
当時はゲームの専門学校なんかも無かったですからね。私も秋葉原に毎週通って,プログラミングの本を読んで勉強をしていました。
Y氏:
まあ,逆に「上から止められる」ということも無かったので,やりたいことをやれました。当時,サウンドの小川(史生)さんは,サウンドプロデュース全般を手掛けたいと考えていて,青二プロダクションの人とがっぷり四つになって「これからはCD-ROMだから,ボイスも歌もやるぞ。じゃんじゃん声優さんにゲームの仕事を入れてやるぞ」と張り切っていたんです。だから
「ファイナルゾーンII」(1990年,PCエンジンCD-ROM²)では,いきなり歌が流れるんですよね。
Y氏:
歌を入れるなら,当時だと普通は全面に押し出すと思うんですけど,そういうのも無くて,渋いシューティングゲームなのにアイドルみたいな歌がいきなり流れてくる。僕らも「これはどうよ?」と言っていたんですけど(笑)。
4Gamer:
久保さんとしてはいかがでしょう。受託側にも無茶振りが飛んできたとかはあるのでしょうか。
久保氏:
最初は納期の短さにビックリしました。僕だけじゃなく,他の同期や先輩もみんな驚いていました。
「半年!?」って。
でも,テレネットさんとお話すると
「ウチは3か月」とか言われて……。夜,焼肉を食べに行って,ずっと愚痴を聞かされたり……懐かしいなあ(笑)。
川出氏:
サイキックストームの出た1992年頃だと,だいぶマシになっていたのでは?
久保氏:
それ以前の伝説もいっぱい聞きました(笑)。
Y氏:
テレネットシューティングコレクションの収録タイトルって,どれも1990年代ですよね。この頃はかなりマシです。私もガイアレスがキツかった記憶はそんなに無いですし。
というのもガイアレスって,当時は部長だったか副社長だったか,社長の弟さん(福島雄二氏)に「こんなんじゃやってらんない!」と言って,好きにやれるラインを1つ作ってもらってたんですよ。レーザーソフトの上の階に系列の事務所があったんですが,そこの社長室を私が一人で使って,そこで開発していました。
川出氏:
アヴェンジャーは命が掛かってました(笑)。
最後の1日でボスを4体作らないといけなくて,どうしたものかと思ってました。レーザーソフトって,納期になったら完成していなくても納品しちゃう方針だったんですよ。“ゲームに期待されるもの”って,ファミコンからPCエンジン,CD-ROM²となって,どんどんレベルが上がっていましたから,「今,3か月で自分ができることは何だろう?」と思いながら,とにかく必死でやってました。
Y氏:
そう言えば,その頃は私もけっこうキツかったですね。
「ゴールデンアックス」を作っていたんですよ。PCエンジンコアグラフィックスとかが出るから,そのローンチタイトルとして。
かなりヒットしたセガのアーケードゲームなんですけど,社長がすごく頑張って移植の権利を取ってきたらしいんです。大喜びで「頑張って作ろう」と言われたのが7月で……でも,発売が
年末予定だったんですよ。
4Gamer:
5か月で,アーケードゲームを全く別のプラットフォームにリリース……(※7)。
※7 実際のところ1990年3月に発売されているので,当初の予定よりも延期されたようだ。
Y氏:
しかも当時のCD-ROMってプレスに時間かかるんですよ。なので7月に開発をスタートして,9月の末にはできていないと,もうかなりヤバい。ただ,このときはハドソンさんにもキラータイトルだからと無理を言っていたので,9月末はちょっと過ぎていると思うんですけどね。
でも,そんな開発期間でメガドライブ版のゴールデンアックスに匹敵するものは作れないので,ものすごく叩かれて……。
川出氏:
私も「
『コラムス』の移植をやってくれ」と言われたんですけど,それは「嫌です」と断りました。私は移植といったら,解析をきちんとやって,できる限りオリジナルと同じにしなきゃいけないと思っていたんですが,当時それを3か月で作る自信がなかった。
Y氏:
コラムスはまだシンプルなゲームですけど,ゴールデンアックスってメガドライブでも無理があるゲームですからね。元の基板の性能が強力すぎるんです。
当時,「CD-ROM²のほうがHuカードよりもゲームが面白くなる」って先入観がありましたが,あのドライブはすごい低速(倍速機能非搭載)なので,ああいうゲームには不向きなんですよね。むしろHuカードだったら,ROMデータの中身を好きなときに好きなだけ使えたんですが。
川出氏:
CD-ROMって容量が大きいから,メガドライブやスーパーファミコンと比べて楽だったんじゃないかと思う人がいるかもしれないですけど,全然そんなことは無かったですからね。
Y氏:
RAM(SRAM)が8Kbyte・8バンクで64Kbyteだったかな。SUPER CD-ROM²なら256Kbyteを使えましたけど。
川出氏
限られたRAMに,CD-ROMからプログラムやグラフィックスを読み込んだうえで,ワークメモリの空間も取らなきゃいけないわけです。そこからデータがはみ出たらロードし直さないといけないんですけど,その設計がすごく難しいんですよ。向いているゲームと向いていないゲームがハッキリ分かれます。
Y氏:
サウンド専用のメモリ(ADPCM用のDRAM)も64KByteあって,普通なら当然サウンドを入れるんですけど,ゴールデンアックスだと
全部グラフィックデータが入ってる。それでも画面いっぱいにエフェクトが出るような魔法を使うと,メモリを確保できなくて背景が消えちゃうんですよ。
先に出ていた
「獣王記」(1989年。発売:NECアベニュー,開発:ノバ)が,プレイ中にCD-ROMを読んでいたのが酷評されたそうで,社長からそういうことが起こらないように厳命を受けていたんです。でも,それはそれでユーザーや当時の雑誌編集者から叩かれましたね。「こんなん出しやがって!」「ゴールデンアックスの名前を汚しやがって!」と散々でした。
川出氏:
私はゲームボーイのソフトも作りましたけど,カートリッジROMならバンクチェンジすることでグラフィックデータを一瞬で手元にある状態にできるんですよね。CD-ROMは,当時の感覚だとかなり大きなデータを抱えられますが,カートリッジのゲームと比べると制限がすごく大きい。ロードを挟むこと自体がプレイの体験として良くないし,雑誌でも批評されるポイントでした。それに合わせた設計にできたら良いのですが,移植だと「そうせざるを得ない」事態になってしまう。
Y氏:
いや,ゴールデンアックスは引き受けた私が悪かったんだと思うよ(笑)。
川出氏:
そんなことは無いですよ(笑)。
4Gamer:
CD-ROM²と言えば,私は久保さんが作られた
「ゴジラ 爆闘烈伝」(1994年。発売:東宝,開発:アルファ・システム)が好きだったんですが,あの開発での苦労などはあったのでしょうか。
久保氏:
あれはハドソンさんに東宝さんが持ち込んだ企画だったんですよ。ハドソンさんからアルファ・システムに依頼が来て,ゴジラに詳しい僕と,僕以上に詳しいメインデザイナーの横沼(公里)くんで,やることになったんです。
当時,東宝の営業さんが「どんな相手なのか」と熊本まで見学に来ることになったんですよ。僕と横沼くんで,開発室に私物のゴジラグッズを並べて,壁にも復刻版ポスターを貼ったりして。実際に来たら「うわっ,すごいな……」って,ちょっと引いてたんですけど(笑)。
東宝が50周年だったかの記念で出した資料集も置いていたんですが,それを見た営業さんが「これ東宝にも残ってないんですよ!」と感激されて。そこですごく空気が良くなったんですよね。
いざ任せてもらってからも,僕がやった仕事の中で予算は一番多かったし,写真や音源といった資料のバックアップも手厚かったです。開発期間も長くて,後半はずっとバランス調整をやっていましたよ。映画のチケットもくれて,あのときは
「ゴジラVSモスラ」だったかな? 開発のみんなで徹夜明けに観に行ったりしていましたね。
4Gamer:
同じCD-ROM²でも、ゴジラはだいぶ余裕があったんですね。
久保氏:
それに,こちらはゴジラファンなので「こういうゴジラのゲームがあったら良いな」というのを作るだけなんですよ。やりたいことは次から次に決まっていきましたね。ファミ通さんだったと思うんですけど,本物の音源を使った鳴き声を高く評価されて,やっぱりキャラクターゲームはそういう部分が大事なんだと思いましたね。
谷氏:
ウルフチームではメガCDのゲームを作っていて,自分も「ソル・フィース」や「アーネスト・エバンス」にガッツリ関わっていました。何か面白いエピソードがあれば良いのですが,自分自身の作業が精一杯で何も思い出せず……。
ただ,アーネスト・エバンスでは社内デザイナーだけでなく,社外アニメーターの協力のもとでビジュアルシーンを作成していたと思います。
日本テレネットの落日――利益追求の末路
4Gamer:
アルファ・システムはPlayStation時代から独自タイトルの開発に移行するなどしつつ,一定の成功を収めて今日まで続いていますが,一方でテレネットはその頃に衰退していきました。その当時のお話などうかがえますでしょうか。
Y氏:
私はスーパーファミコンの
「EDONO牙」(1993年発売)を作っていたのですが,その頃に,私を含めて第一事業部はほとんど退社したと思います。当時は主力が3ラインくらいあったんですけど,
「魔法の少女シルキーリップ」(1992年,メガドライブ メガCD)を作っていたラインの人達や,
「天使の詩」(1991年,PCエンジン SUPER CD-ROM²)を作っていたラインの人達も辞めているんですよね。そこでひとつのピリオドが付いていて,むしろ「誰が残ったんだろう?」と思うくらいです。
ウルフチームも……これは聞いた話なので信憑性は分からないんですけど,
「テイルズ オブ ファンタジア」(日本テレネット開発時の初期タイトルは「テイルファンタジア」)は営業から反対を受けたらしいんですよ。
普通なら,営業には「開発が頑張って作ったんだから,どういう風にすれば売れるか考えよう」とやってもらうのが開発のモチベーション的にも良いのですが,それどころか「今こんなの出しても売れないから,他に権利を売っちゃおう」みたいな話になったとか。メガCDでの展開がイマイチ振るわなかったのもあるんでしょうけど,それでウルフチーム全体のモチベーションがすごく下がったらしいんですよ。
結局,テイルズ オブはナムコさんから発売されることになって……でもクオリティは“テレネットなり”だったので,テコ入れが大変だったみたいですが(笑)。
ウルフチームが注力していたメガドライブ&メガCDと,レーザーソフトが注力していたPCエンジン |
メガCDは,日本ビクターの「ワンダーメガ」など,公認互換機がいくつか発売されていた |
4Gamer:
キャラクター設定を変えたとか,ほぼ完成のところから1年弱くらい変更を重ねたとか,いろいろあったそうですね(※8)。
※8 参考:「バンダイナムコ知新 第4回」(前編 / 後編),「『テイルズ オブ』シリーズ25周年! 歴代制作陣が振り返るテイルズの歩み」(前編 / 後編)。
谷氏:
1990年代初頭のウルフチームはサークルの集いのような感じで,とにかく熱い人,面白い人たちで毎日が刺激的でした。
ゲーム開発会社では珍しいと思うのですが,一度スタッフ一同でソフトボール大会をやったこともあります。普段,運動には縁のない人でも有無を言わせず参加させられたので,あらゆる意味で面白い光景だったと思います。
ウルフチームには優秀な人材が多数在籍していたのですが,開発期間が厳しく,そこに不満を抱いていた人は多かったと思います。そんな中,それぞれ思うところがありガウ・エンターテインメントやネバーランドカンパニーといった独立組が派生していったのだと思います。
Y氏:
レーザーソフトさんがどうなっていたかは分からないですが,まあ売上が立たないと会社の中の雰囲気が悪くなっていきますからね。やっぱり無理しすぎて売れなかったんでしょう。
川出氏:
私はちょうどサイキックストームが出た,1992年3月頃に辞めているんですよ。最後にやった仕事はPCエンジンの
「BABEL」(1992年発売)で,イベントのスクリプトを作ることでした。
辞めるきっかけになったのは,「ちゃんとしたゲームを作りたい」と上へ直訴に行ったことだったんです。そしたら
「川出くん。良いゲームを作ったって,悪いゲーム作ったって,どうせ受注は3万本だから,数を作るのが大事なんだ」と言われて。そのとき「この会社ダメだな」と思いましたね。
4Gamer:
ええええ……。
川出氏:
本当に、しみじみ今でも思うんですよ。当時の開発メンバーとは今でも交流があるし,みんな志を今でも持っているんですよ。今こうやってお話してみても面白いですし。
今ではみんな知っていることですけど,ゲームって財産になるというか,10年,20年経っても遊べるじゃないですか。開発メンバーにはそういうものを作っているという気持ちがあったんですけど,会社は“作り捨てる”ものだと思っていたんですよね。売上は当然大事なんですけど,それよりも大事なものがあるんじゃないかと。
当時はYさんのお話にもあった「ちょっとひと儲け」みたいな人が業界に入り乱れていて,テレネットを辞めた後でも,そういう人の尻拭いに巻き込まれたりして……今と違って,昔は本当にカオスでしたね。
Y氏:
私も元テレネットの連中に「ヤバいから助けてくれ」ってよく引っ張られましたよ。
川出氏:
今になって言うのも結果論ではありますが,衰退したのは「なるべくしてなった」としか言えないですよね。
Y氏:
テレネットの上層部でも,目標や基軸みたいな考えはあったんですよ。
まず,ブランドイメージを大事にする部署――開発費や開発期間をいくら使っても,クオリティがちゃんとあり,お客さんが納得して,続編が欲しいと思わせるライン。そして,それを安定して開発するためにちゃんと稼ぐライン。この両輪がガッツリ組めば良いとは思っていたんですけど,結局テレネットには前者が無かったんですよね。
最初は二輪のつもりで始めたと思うんですけど,どこかで何かの間違いがあって,だんだん片輪だけの「早く出さなきゃ,早く出さなきゃ」ばかりなっていったんですよ。そこをうまくできていたら……我々も,何十年もやってきて「あれが悪かった」と言えますけど,当時は分かっていなかったんでしょうね。
川出氏:
すごく怒ったことではあるんですけど,恨んではいないんですよ。「分からない人には分からないんだな」という話で。そうやっていろんな会社が消えていきましたし。
私が辞めた後も
「コズミック・ファンタジー3」のメンバーとは交流があり,開発期間を取るようになったとかの話を聞いていて,少しずつ変わっていったんだろうとは思いますけど,たぶん間に合わなかったんですよね。その間にゲーム業界が猛烈に発展していきましたから。
Y氏:
そういう意味では,テレネットって変化の過渡期にあったんですよね。私達がゲームを作り始めた頃って,本当に出したい画や音を実装するだけで大変でしたし,実装するだけで仕事になっていました。ですが,時代が進んでくると本物のプロの人が出てくるわけですよ。そうなると,我々みたいなゲームを作る片手間で音楽や絵をやっている人には,とても太刀打ちできないんです。
先ほどのレーザーソフトにアニメーター出身の方がたくさんいたというのも一環ですけど,そういう本物の勉強を受けた人達がゲーム業界に流れてくると,テレネットみたいな「根性・根性・根性だ! 泣いて笑って喧嘩して!」みたいな人達は淘汰されてしまうんですよね。
川出氏:
当初,アニメ業界出身の方達が優秀で短納期に対応でき,イケイケドンドンが止まらなかった面もあったように思うんですよね。一方,アニメスタッフとゲームスタッフでコミュニケーションが取れない部分があって,ときに揉める一因にもなったと思います。今は「ゲームプログラミングにはこういう大変さがある」とか,デザインでは,企画ではといった,それぞれの大変さをみんな認識していますけど,昔から見てきた人間としては,そういう異業種が時間を経て混ざり合い,改善されていったなと思います。
久保氏:
その頃,僕はもうゲーム業界を離れていたので雑誌の記事くらいでしか知らないですけど,PlayStationが現れる前後で,ゲーム業界の勢力図って大きく変わっていったじゃないですか。アルファ・システムとの付き合いがあったハドソンさんも今は残っていないですし,その過程でいろんな資料も失われていますよね。
アルファ・システムですら,多かれ少なかれそういう部分はあったんですよ。僕は資料を取っておくタイプなので,今回いろいろ提供しましたけど,たぶんアルファ・システムには残っていないでしょうね。
令和になって改めてゲーム業界の状況を見てみると,やっぱり過去のデータや資料って残しておくべきだったと思いますね。逆に,そういったものをちゃんと残しておく文化のある企業が,今でも残っているんじゃないかと。
川出氏:
なのでエディアさんの取り組みはすごくありがたいと思っています(笑)。
Y氏:
昔のゲームでも,今遊んで面白いものはいっぱいありますからね。
実際に懐かしのタイトルをやってみよう!
外からやってきた8方向シューティング「グラナダ」
4Gamer:
後半はゲーム画面を見ながらお話をうかがっていきたいと思います。まずはグラナダですね。
Y氏:
グラナダは,もともとX68000用のファン製ゲームだったんですよね。性能を本当に限界ギリギリまで使っていて,非常に良くできていましたよ。メガドラ版はちょっと見劣りしますけど(笑)。
谷氏:
グラナダのメインプログラマーは豊田利夫氏で,彼が高校生時代にX68000のCコンパイラと一部アセンブラで約2年の月日をかけて制作したものをウルフチームに持ち込んだと記憶しています(プロトタイプ版のタイトルは「戦車くん」でした)。
その時点で,ほぼゲームシステムは完成しており,そこからグラフィックや音関係,ビジュアルシーン等を後付けして,グラナダは完成しました。自分がウルフチームに入社したときには,すでに市販版に近い状態まで完成しており,初プレイ時はその作り込みに感動した覚えがあります。
メガドライブ版は,当時ウルフチームがコンシューマ機に本腰を入れることになったため,非常に短い期間で移植していました。今ではコンプライアンス的に考えられないかと思いますが,豊田氏は1か月間ほぼ会社に寝泊まりし続けて作業させられていました……。
川出氏:
当時のテレネットはあんな状況だったので,グラナダを見たときに「誰が作ったの!?」と驚いて探りに行ったんですよ。そこで持ち込みだって話を聞きました。
Y氏:
これ,当時の不具合とかはどうなっているんですか。
エディア:
そのままです。あくまで
“当時を忠実に再現したもの”としてご理解いただければと。ただ,キャラが別の絵になるなどの一部の裏技は修正したりしていますけど。
川出氏:
そういうことを昔はやっちゃうんですよね。みんな爪痕を残そうと(笑)。
Y氏:
ガイアレスもステージ限定で無敵になる隠しコマンドがあるんですけど,実は特定のメモリにFF(2進数の1111 1111)を書くんだったかすると完全無敵になるんですよ。メガドライブのROMデータって,ゲーム名やROMのサイズを書き込んでおくエリアがあるんですけど,その直後に「あの番地にFFを書いたら死ななくなるよ」みたいなことが書いてあるんですよ。
4Gamer:
仕込んでますねえ。
川出氏:
当時は8方向スクロールのゲームを作るのは大変ですよね。レッドアラートも8方向でしたけど,あの頃そういうゲームを面白く作るのは大変だったので,グラナダにも感心しました。
テレネットはバグがあったりダメな部分のあるゲームも多いですけど,すごく遊べるゲームもあるんですよ。カオスの沼から花が咲くように(笑)。
Y氏:
第一事業部はCD-ROM以降,ろくなゲームが無いけどね。シューティングの
「レギオン」(1990年,PCエンジンCD-ROM²)とか,ウォーシミュレーションの
「ハイグレネーダー」(1991年,PCエンジンCD-ROM²)とか,いろいろ酷かった(笑)。でも天使の詩のチームは頑張って良いゲームを作っていたかな。
川出氏:
天使の詩は,レーザーソフト側でも「これはすごい」って噂になってましたよ。カオスな分だけ保守的なことを言う人がいなかったので,ときにすごく良いものが生まれるんですよね。
Y氏:
納期がハードすぎて,言ってる暇が無いんだよ(笑)。
エディア:
マニュアルなども収録していて,見ることができます。
川出氏:
補正もされていると思いますけど,すごく綺麗にですよね。紙からスキャンしたんですか?
エディア:
ポジフィルムが残っているパターンも一部にはあるんですけど,入稿データはもう残っていないので,紙からスキャンしています。
Y氏:
そもそも当時はデジタルデータじゃないからね。
川出氏が持参してくれたPCエンジン版の「アヴェンジャー」と,「テレネット シューティング コレクション」に収録のマニュアルを見ているところ
|
川出氏:
紙は劣化しやすいですから,これは嬉しいですね。マニュアルは大事ですよ。
先にマニュアルができちゃっていて,それにあわせてゲームを作っていたこともあるくらいですし。
4Gamer:
またとんでもない話が。
Y氏:
納期が迫ってくると「何を削るか」って話になるんですけど,マニュアルに書いてあるともう削れないから,マニュアルを見ながら作ることになるんです。
川出氏:
先にゲームの要素がマニュアルに入れられたりしていましたよね。
Y氏:
「プロ野球FAN テレネットスタジアム」(1988年,PC-8801mkIISR以降他)では,マニュアルには盗塁の方法が記述されているのに実際はできなくて,あれも相当叩かれていましたし。風向きを示す矢印があるんだけど,それを反映するプログラムは無かったりも。
ドラマティックシューティングの元祖「アヴェンジャー」
川出氏:
今でも「難しい」って言われるんですよね。当時のアーケード向けシューティングはもっと難しかったんですけど。
Y氏:
むしろ,PCエンジンだと弾幕やカーブが作れないから温くなっちゃうんですよ。でも,当時の水準って東亜プランの
「究極タイガー」や
「鮫!鮫!鮫!」だったから,「それより簡単」と言っても……ね。
4Gamer:
ただ,至近距離で自機狙い弾を撃ってくるのはサディスティックな気がしますね。
Y氏:
それも,凝った動きをする敵がCPU性能的に出せないからなんです。
川出氏:
凝ったプログラムを書く余裕も無かったですし(苦笑)。
優秀な新人プログラマーさんがアヴェンジャーのデバッグをやってくれて,「ここに安地(安全地帯)がありますよ」って報告してくれたんですよ。それを修正している場合じゃない開発状況だっていうのは彼にも分かっていたんですけど。ただ「ありがとう」としか言えなくて,シューティングなら安地があったって良いじゃないかみたいな感じで,そのまま通しました。
至近距離なら弾を撃たないとか,当時の家庭用シューティングで,そこまで気を遣ったものって少なかったんじゃないですかね?
Y氏:
ガイアレスはめちゃくちゃ気を遣いました。ただ,あれはテストプレイした当時のスタッフが「易しい」と言うので,難しくしちゃったんですよ。これも「難しすぎる」って叩かれた。ゲームをやらせるとエンディングまで見せてくれるような人がテレネットにいたんですが,そういう人間にゲームの難度を決めるテストプレイをさせたらやっぱりダメです(笑)。
川出氏:
難しすぎたら怒られるけど,「難しいのが良い」という風潮もある時代でしたからね。そういえば,自機より後ろの敵は弾を撃ってこないだったか確率を減らしたんだったか,そういうことはやりました。作った責任として何回もクリアしていますけど,改めて見ると初見殺しが多いですね。
Y氏:
ガイアレスもかなり初見殺しだから(笑)。
でも「ここでは絶対に敵が撃ってこない」とかのポイントがたくさんあって,知っていると簡単なんですよ。私もガイアレスは今でもクリアできます。
4Gamer:
先ほど東亜プランの話がありましたけど,自機がヘリというのはあちらの流行を受けてなのでしょうか。
川出氏:
いえ,私が
「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」を好きだったからです。だからパッケージでは自機が黒いんですよ(笑)。
これも先にマニュアルを作ったんですけど,デザイナーさんから「黒だと画面に沈んで自機が見えなくなっちゃうよ」と言われて,ゲーム内では白くしたんです。
4Gamer:
確かにシューティングゲームの黒い自機ってなかなか無いですね。
川出氏:
私は
「ゼビウス」も大好きだったんですけど,やっぱり「敵陣に単騎で乗り込んでいく」っていうのがシューティングゲームのロマンだと思うんですよね。そのストーリーが気になって調べると用意されているというのが「ゼビウス」の魅力ですが,アヴェンジャーではゲーム内で「物語を体験させるシューティングゲーム」という切り口が,CD-ROM²ならできるんじゃないかと思い,そういった構成にしたんです。
入魂のプログラミングで美麗グラフィックスを実現した「ガイアレス」
4Gamer:
ガイアレスの開発は,お一人だったんですか?
Y氏:
プログラムは私一人でやっていました。絵や設定は,テレネットの後に日本ファルコムやシェードへ行った人にやってもらったので,正味2人で作ったんです。
エディア:
ガイアレスは日本語版と英語版を選べるようになっています。
川出氏:
英語版があったのを初めて知ったんですけど,最初からその前提だったんでしょうか。
Y氏:
前提ではなかったと思いますけど,英語版と言ってもメッセージを換えるだけですからね。
4Gamer:
ガイアレスはアメリカのRetro-Bitから復刻カートリッジも出ましたけど,向こうでヒットしたそうですね。James Bunkerさんを起用したプロモーションがウケたとか。
Retro-Bitの復刻カートリッジ
|
関連記事
Y氏:
そんなの記憶にないけどなあ(笑)。
ちょっと覚えがあるのは,海外事業部のからみでアメリカに行ったことがあって,今で言うプロゲーマーみたいな仕事をやっていた子と,
「ウィップラッシュ」で勝負したんですよ。あまり強くなかった。
海外版のパッケージは,イラストが強烈で面白いのばかりなんですよね(笑)。
4Gamer:
やっぱり北米のニーズに合わせると,ああいう画風になっちゃうんでしょうね。有名どころでは
「イースIII」とか
「ロックマン」とか。
Y氏:
いえ。当時,海外事業部にいた外国人スタッフも
「これは無い」と言っていました。
4Gamer:
別にニーズも無いのに,ああなっていたんですか……。
Retro-Bitから発売された復刻版カートリッジ(画像は「ヴァリスIII」)では,リバーシブルジャケットの“裏側”に北米版ジャケットが使われている
|
せっかくなので切り抜き。なおTurboGrafx-16(海外向けPCエンジン)版のヴァリスIIIも別ベクトルで怖い
|
Y氏:
こんな画面だったなあ……。
川出氏:
すごく良くできていますね。さすがYさん(笑)。
Y氏:
メガドライブは表示期間中でもVRAMに書き込めるから,スクロールさせながら動かすのが他と比べて楽なんだよ。
川出氏:
任天堂ハードだと制限がキツいんですよね。敵の武装を学習するというネタは,どなたの案なんですか?
Y氏:
イラストを担当された方です。でも,そうなると全部の敵に武装を設定しなくちゃならないわけですよ。いろいろ議論して,確か8種類・3段階の通常武装と,4種類のシークレット武装という形になったんです。
川出氏:
ボスがデカいですねえ。
Y氏:
このグラフィックスを作るために,専用のグラフィックツールから作ったんだよ。
PC-88VAっていうPC-98とPC-88の間の子みたいなマシンでさ。ゲームも,これをやるためにMC68000のアセンブラを頑張って書いたんだから(笑)。
川出氏:
幕間のマップが
「宇宙戦艦ヤマト」のオマージュですね。当時の人達には「これをやりたい」みたいなのがありましたよね。メサイヤさんのゲームには必ず大気圏突入があったり。
Y氏:
ヤマトファンがいたんですよ。反射衛星砲も出てきますし。
川出氏:
ただ,今のゲームに慣れてから当時のゲームを見ると,さっきの攻撃が酷いって言われるのも分かりますよね。
電波新聞社のメガドライブ用RGBアダプタ「XMD-1」
|
Y氏:
あと,こうやってクオリティの高い画面で見ると微妙なミスがあるのが分かる。メガドライブって,スプライトが並んでいるときに座標指定のミスなどで隙間があってもよく見えなくて。当時,電波新聞社のアダプタでRGBディスプレイにつないだら,くっきり見えて初めて分かったんだけど。
川出氏:
他のゲームの復刻でも思いますけど,こんなに1ドットがはっきり見える状態は考えていませんでしたからね。PCエンジンも開発中はPC-98の画面で見ていましたけど,チェックはアナログTVでやっていましたから。
久保氏:
ドットが滲むのを前提で色を付けていましたよね。
Y氏:
その点,ハドソンの開発ツールは優秀でしたよ。ゲーム機と同じアナログ出力で表示できたので,みんなあれを使っていた。
川出氏:
私もハドソンのツールはすごく良かったと思います。
アルファ・システムに新風を吹き込んだ「サイキックストーム」
川出氏:
久保さんはサイキックストームでドットを打ったりもしていたんですか?
久保氏:
当時,ドットを打つのが得意な人はたくさんいたので,ちょこっとだけですよ。僕の机にもツールが揃っていたので,それに下絵だけ描いてドッターに渡したりはしていました。
川出氏:
サイキックストームってレーザーソフトブランドだったんですね。私はちょうど入れ替わりだから知らなかった。
久保氏:
レーザーソフトのラインナップが1本空いていて,埋められなかったのでそこから出ることになった覚えがあります。最初はライオットからという話だったと思うんですけど。
Y氏:
ワイヤーフレームの演出,これ流行っていましたよね。
久保氏:
「トロン」っていう映画の影響が大きかったですよね。
4Gamer:
このオープニング,単なる口パクだけじゃなく,顎から動いてるのがなかなか芸細ですね。
久保氏:
代々木アニメーション学院から採用した人達が描いてくれたんですよ。
川出氏:
このOPもアルファ・システムさんが作られたわけですよね。オープニングのADPCMでしゃべる部分が,ロード待ち時間を回避するための構成になっていて,すごく工夫しているなと感心しました。
久保氏:
中身は全部アルファ・システムで作ってます。僕も含め,大学生あがりみたいな若造だらけでしたけど,分からないことがあったら
「天外魔境II」を作られた長谷川(浩)さんに教えてもらったりして,がんばって作ってました。
川出氏:
しかも2Pモードもある。なかなかすごいですよ。
久保氏:
僕が引き継いだ時点でゲームの根幹は出来てたんですよ。自機と背景の基本パターンとボス,そして2人同時プレイはできて,合体攻撃ができると,そこまでは作られていたんです。ただ,3,4か月くらい経ってもそこから先が進んでいなかった。
アルファ・システムって,もともと移植を専門にしていた会社なので,ストーリーやビジュアルを作れる人,要するに企画制作がいなかったんですよ。僕は漫画家志望だったこともあって,「じゃあやってみないか」と言われたんです。
川出氏:
巡り合わせですね。当時のゲームは今よりもずっと少人数で作っているので,1人いるかいないかで歴史が変わる(笑)。
4Gamer:
サイキックストームが作られていなかったり,テレネットが買い取らなかったりしていたら,
「ガンパレード・マーチ」や
「式神の城」も無かったかもしれない(笑)。
久保氏:
ストーリーすら未定だったので,営業が売り込みに行きたくても,何もできませんでした。他社からお金の出ていない,アルファ・システムの持ち出し企画だったので,「それはいかん」ということで後から企画書を作って,設定画を描いたりして。だから僕のデザイン画を元にボスが作られたんじゃなくて,その逆なんです。
敵のデザインをしていたのが永田(竜也)君っていう,ぶっちぎりで巧いドッターだったんですけど,彼が「ドットを打ちながらデザインする」タイプだったんですよね。自機のストームブリンガーも,ドット絵を見ながらデザインを勝手にでっちあげたんですよ(笑)。
エディア:
そういうことなんですね。限定版に付属のフィギュアを作るに当たって,どこからデザインを整理していいか分からず苦労しました(笑)。
エディアに持参してもらった関連アイテム。限定版に同梱のストームブリンガーと,クラウドファンディングのプレッジだったサントラCDや書籍など
|
川出氏:
ほんと,昔のゲームはひとつひとつにエピソードがてんこ盛りですね(笑)。
久保氏:
今の人達には想像もつかないと思いますけど,そういう時代でした(笑)。
さっきも話に出ましたけど、この頃はアイレムさんの
「イメージファイト」とか,シューティングゲームの得意な人達に向けた
“腕試し”みたいなゲームがどんどん出ていた頃なんですよね。
サイキックストームは,最初からの方針として「易しくしよう」というコンセプトがあったんです。残機制じゃなくライフ制で,合体すれば何発も弾を受けられますし。今見ると,ちょっと簡単すぎた気もしますけど。
川出氏:
いえ,初見では難しそうに思えますよ。私もアヴェンジャーをHP制にして,易しいゲームを作ったつもりだったんですけど(笑)。
久保氏:
当時はいろいろ頑張って難度を抑えようとしましたよね。
Y氏:
でも,それが原因で揉めるんですよね。ライフ制だとゴリ押しできるようになって,それを嫌がる企画の方がけっこう多いんですよ。だからガイアレスでは戻り復活だったりするんですけど。
久保氏:
シューティングゲームって,こだわる人は非常にこだわるじゃないですか。復活位置を戻せとか,パワーダウンさせろとか。でもサイキックストームは,それらの逆を全部やってるんですよ。
川出氏:
ゼビウスとか
「グラディウスII -GOFERの野望-」とかも,今見たらすごい難度だと思うんですけど,当時は
「緊張感も含めての楽しさ」だとみんな思っていたんですよね。ただ,アヴェンジャーは買った人がクリアできるように作ったつもりでも,「難しい」と言われたりしたんですけど。
Y氏:
クリアというか,全部のデータを見てもらいたいですからね。ROMから出てこないデータがあるのはもったいないですから。
当時の競合だったウィップラッシュや,
「インセクターX」「XDR」なんかも易しくて,「これはどうなのか」という議論をよくしていましたよ。
川出氏:
まだ1990年頃はアーケードのシューティングも盛んで,どんどん難しくなっていたので,「そういう流行なんだけど,家庭用を作っている人間としては全部遊んでもらいたいし」というのは,葛藤というほどではないですけど悩みどころでした。
久保氏:
東亜プランは難度を上げまくってましたよね。その後に反動が来るんですけど。
4Gamer:
1990年代にNEOGEOで出たSTGは,温めなのが多かった印象ですね。
Y氏:
「ASO II」とか? でも私
「ニンジャコンバット」は指の骨が折れるかと思いましたよ(笑)
「ニンジャコマンドー」も「これを作ったやつはおかしい!」と思いながら遊んでいました。
久保氏いわく,当初は二本の触手だけだったが,さすがに弱すぎたので頭部を追加したという1面ボス
|
Y氏:
PCエンジンとかは CPUがファミコンの発展形みたいなものだったので,256よりも大きな数字を扱うのは苦手だったんですよ。それに,当時のTVは縦が240ドット分(※NTSC規格の水平解像度は復調時240本程度)しかないので。スプライトが画面上に行って,逆に下からはみ出してくるということがあっても,256なら収まりきるんです。でも,こういう風にエミュレータでやったり,TVのツマミをいじって表示範囲を変えたりすると,画面の外が見えちゃうんですよね。
川出氏:
普通は見えない上下8ピクセルをどうするかは,処理速度にこだわっていると悩みどころでしたね。アヴェンジャーでは全部描いてたと思います。「ここ描かなければ速いのになあ」と思ったりしながら。
Y氏:
8bitしか無いと,波とか放物線とかみたいな凝った表現は無理だったよね。
でも逆に,スーパーファミコンの
「スーパーアレスタ」(1992年。発売:東宝,開発:コンパイル)は8bitで演算しているらしくて,画面も弾もスーパーファミコンの限界を超えるくらい出して,かつ処理落ちしないというのを売りにしていましたね。
川出氏:
その代わり犠牲にしてくる部分があるということですよね。
Y氏:
だから小さいスプライトモードしか使ってないわけです。そうやって,“いかに手を抜けるか”も重要だった。
川出氏:
2面は背景の多重スクロールがすごいですよね。
久保氏:
PCエンジン版イメージファイトの巨大戦艦を見て,「これで二重スクロールできるんじゃないか?」と思って,みんなで解析して作ったんですよ。
川出氏:
BG書き換えですよね。アヴェンジャーはあまり凝ったことはやっていませんが,ハードの制限の中で多重スクロール的な見せ方ができないかと,いろんなゲームが頑張っていましたよね。
Y氏:
PCエンジンはBGが1枚しかないからね(笑)。
PCエンジンやメガドライブは,V-SYNC期間中じゃなくて描けるからね。ガイアレスも60キャラクタくらいは常に換えてる。
川出氏:
横シューだったらラスターで区切ってとかのやりようもあるけど,縦シューでは難しいんですよ。
こうやって見ていると,いろいろ考えが浮かんできますね。アヴェンジャーも見掛けよりは当たり判定を小さくしているんですけど,縦1ピクセルしか当たり判定がないグラディウスなんかと比べられると,確かに大きい。当たり判定が小さい方が良いというのも今なら分かるんですけど,当時は何が正解なのか分からなかったですからね。
Y氏:
予備動作に関しては,部長だか副社長だかに
「サンダーフォースIII」を見せられて,「こういう風にしてよ」って言われたんですよ。テレネットは,他社様のゲームを見せて「こうしろ」っていうのがけっこう多かったな(笑)。
川出氏:
アヴェンジャーは初のメインプログラムで,しかも3か月でよく仕上げたと思ってたんですけど,ガイアレスやサイキックストームの凝りようを見ると……もっと頑張れ俺,と思ったり(苦笑)。
それでも,ネットで「一番好きなシューティングゲームです」と声を掛けてくれる人もいるゲームなので,こうやって再び触れられるようになることは嬉しいです。完成させて良かったと,改めて思います。
Y氏:
今では見ることすら,なかなか難しいですからね。ガイアレスだって,作った私でも「どんなんだったっけ」みたいな感じですから。
久保氏:
僕も動作するCD-ROM²が残っていないので,画面は何年かぶりに見ましたよ。
川出氏:
自分でもたまに遊びたくなることがありますし,開発者にとっても嬉しい企画です。今回,自分でもクラウドファンディングにお金を出しているくらいで(笑)。
エディア:
クラウドファンディング用プレッジの「テレネットシューティングFAN」は,久保さんからサイキックストームとキアイダン00の資料をかなりいただいて,ボリュームを増やせたんですよ。なかなか他の資料がなくて……とくにアヴェンジャーは,ジャケットのイラストくらいしか。
川出氏:
アヴェンジャーは,公式イラストを描いたりする時間的余裕が本当に無かったですからね。
Y氏:
私もガイアレスのソースが無いかと思って探してみたんですけど,見つからなかったんですよ。
「反生命戦機アンドロギュヌス」なんかもそうだったですけど,やっぱり時間が経つといつの間にか散逸してしまうんですよね。
川出氏:
Yさんはとくに大量に作られてますしね。
エディア:
ファンクラブ会報誌の「ゆーざーずぎゃらりー」からページを抜粋して載せたりして,ちょっと偏りはありますけど,テレネット関連のシューティングゲームの資料をできる限り集めました。
川出氏:
ファンコミュニティや会報誌を担当していた営業の人は,ファンに向けてきちんと発信しようとしていたし,開発にも期待に応えようと必死でゲームを作っていた人間がいました。もし,何とかして噛み合っていたら違かった未来だったかもしれないのですが。
Y氏:
なかなか付き合いも続かないですよね。私が在籍している会社から、以前に外注していた先にアンドロギュヌスや
「神羅万象」のスタッフだった人がいて,10年くらい前まではよく飲みに行っていたんですけど,最近はご無沙汰ですし。
川出氏:
私はありがたいことに,アヴェンジャーのときに一緒に仕事をしたデザイナーとは,つい先日も飲みに行っていたくらいで(笑)。
コズミック・ファンタジー3のメンバーとも今でも友人ですし,そういった意味では自分の人生はテレネットから今日までつながっているという感覚がありますね。
4Gamer:
最後に,読者向けのメッセージをお願いします。
久保氏:
若い頃のいろんな想いや夢,やりたいことを詰め込んだゲームなので,ぜひ皆さんに楽しんでいただきたいです。若い人達にも,「ゲームにはこういう時代があったんだ」というのを確かめてもらえればと思っています。ぜひ盛り上げていただいて,第2弾,第3弾と続けていってほしいです。
Y氏:
こういったゲームが復刻されると,昔の自分の作業が肯定されている気がして嬉しいですね。消えて無くなって,何の痕跡も残らないというのではなく,今でも遊べるというのは作った甲斐があります。当時のガイアレスは難しいと叩かれたりもしましたが,シューティングゲームの歴史を乗り越えてきた方々なら,簡単にクリアできると思うので,ぜひともラスボスまでプレイしてください。
ただ,ドラゴンみたいなボスを倒した後に首が落ちてくるんですが,その当たり判定を取り忘れていたので,ぶつかると死んでしまうのでご注意ください。とはいえ当時としては丁寧に作りましたし,出来る限りのデバッグもやりました。隠し要素もいろいろありますので,探してみてください。
川出氏:
さっき話したことではあるんですが,特有の世界観があってストーリーが分岐するというシューティングゲームを作ってみたいという気持ちに向かって,当時の自分としては全力で取り組んでいました。自分でももう一度遊んでみたかったゲームなので,皆さんにも楽しんでもらえると嬉しいです。
谷氏:
グラナダは綺麗なグラフィックや多重スクロールに目を奪われがちですが,敵の放った矢が自機に刺さったままになったり,1ドットの光の弾にもしっかり当たり判定があったりと,細かな部分で豊田氏のこだわりが随所に散らばっていて,プレイするのが本当に楽しい作品だと思います。是非この機会に体験していただけたらと思います。
また個人的な要望となりますが,もし「テレネット シューティング コレクション2」があるならば,ぜひとも「ソル・フィース」を(笑)。
4Gamer:
ありがとうございました。