企画記事
本日発売30周年を迎えたセガサターンの輝きを「バーチャファイター」シリーズで振り返る。PSとの次世代ゲーム機戦争を支えた元祖3D格闘ゲーム
最終的にはPSがこの世代の“覇者”とはなったが,サターンはPSより先に100万台販売を達成するなど,序盤をリードしていたことは,4Gamer読者の多くが知るところだろう。
その原動力の一つとなったのが「バーチャファイター」シリーズだ。1994年11月22日の発売から約2年間で,夏休みや年末といった重要なタイミングに5本ものタイトルが発売された。この事実からも,セガが主力タイトルの一つとして位置付けていたことが分かる。
本稿では,サターン30周年を記念し,同機における「バーチャファイター」シリーズを振り返る。また,当時のゲームシーンを垣間見られるトピックも取り上げているので,リアルタイムで体験した人も,そうでない人も楽しんでほしい。
「バーチャファイター」
(1994年11月22日リリース)
「ゲームセンターで『バーチャファイター』を見たときの衝撃を忘れられない」という人はたくさんいるだろう。当時のビデオゲームにおいてのポリゴンは,「宇宙船や車などのメカを表現するもの」だった。ポリゴンで作られたリアルな頭身のキャラクターが激しく立ち回る対戦格闘ゲームなど夢のまた夢,当時の筆者もその可能性すら考えていなかった。
そんな凝り固まった頭を張り倒してくれたのが「バーチャファイター」だった。リアルな頭身の大きなキャラクターが,あるときは軽やかに,またあるときには重量感ある動きで,中国拳法やプロレスの技を繰り出すのである。それはまさに衝撃だった。
当時筆者は大阪圏のゲームセンターによく通っていたのだが,梅田や難波といった中心部を外れたところだと,多くのゲームが1プレイ50円だった。しかし,入荷したばかりの「バーチャファイター」は200円だったと記憶している。実に4倍だったが,映像の驚きとプレイの面白さを併せ持った「バーチャファイター」には,それだけの価値があった。
そんな「バーチャファイター」のサターン版が発売されたのは1994年11月22日,つまりサターンのローンチソフトとしてだった。
ゲームセンターではシリーズ最新作となる「バーチャファイター2」が稼働していたが,自宅で「バーチャファイター」を遊べるのは十分過ぎるほど魅力的だった。バーチャファイターの対戦熱は高く,1人でプレイを始めたらすぐさま乱入され,あっという間に倒されるといったことは当たり前だったので,家でじっくり練習できることがとてもありがたかったのだ。
移植度も高く,対しゃがみ投げや返し技といった,ゲームセンターではなかなか狙えない技を決めては悦に入っていたものだった。また,謎だらけの最終ボス,デュラルも隠しコマンドで使えたので,「バーチャファイター」を自分のものにできたという喜びがあった。
そもそも,あの「チローン」という,きらきらと輝くようなクレジットサウンドは,ゲームセンターで200円という覚悟を決めて初めて聞けるプレミアムなものだったので,それが家で鳴り響いた時の喜びは,言葉にし尽せないものがあった。まさに“次世代ゲーム機”と呼ぶに相応しい,今までのゲーム機では味わえなかった体験だった。
普段からゲームセンターに通っていた筆者としてはサターンを買った瞬間に元が取れたようなものだった。「サターンは出た瞬間にいきなり極まってんな」なんてことを友達と話し合ったことを覚えている。ゲームセンターに通うような知り合いは軒並み買っているような,マストアイテムだった。
当時筆者が購入したバーチャファイターの書籍には,「セガサターンで鍛えた腕を引っ下げて,強者が待つ街へ繰り出そう」というキャッチコピーがあった。家庭用ゲーム機とアーケード,異なる形態のゲームマシンが共存どころかリンクし始めた時代だったと言えるだろう。
サターン発売の翌週,12月3日にはPSが「リッジレーサー」などのローンチタイトルとともに発売され,次世代ゲーム機戦争が幕を開けた。「バーチャファイター」の永遠のライバルとなる3D格闘ゲーム「鉄拳」がゲームセンターで稼働したのもこの月だ。翌1995年1月にはPS初となる3D格闘ゲーム「闘神伝」もリリースされる。
「鉄拳」はキャラクター造形やコマンド体系に「バーチャファイター」との違いがあり,「闘神伝」はSF的な世界観に2D格闘ゲーム的な技,アニメ風キャラクターなど,どちらも明確な差別化がされた作品だった。
新しいゲーム機が立て続けに発売されたうえ,3D格闘ゲームという新ジャンルに方向性の異なる作品が登場し,ゲーム業界全体に新しい風が吹き込んだ時期だったと思う。
「バーチャファイターリミックス」
(1995年7月14日リリース)
1995年,次世代ゲーム機のシェア争いは激しさを増し,PS側が「いくぜ! 100万台」と題したキャンペーンを展開すれば,サターンは「ありがとう100万台」キャンペーンを張り,販売台数でリードしていることをアピールするといった具合だった。
そんな中,サターンが打った施策が,6月発売の「キャンペーン記念ボックス」だ。これはサターン本体と,単体では7月発売予定となっていた「バーチャファイターリミックス」をセットにした商品だった。
「バーチャファイターリミックス」は「バーチャファイター」にテクスチャマッピングを施した,いわばグラフィックス強化版。素のポリゴンで作られた「バーチャファイター」が,すでにゲームセンターで稼働中だった「バーチャファイター2」のような見た目になるうえ,半額以下の価格(3400円)となったのが魅力的だった。
「キャンペーン記念ボックス」の価格は3万4800円。それまでのサターンの価格は4万4800円,「バーチャファイターリミックス」の単体価格は3400円だったので,実質“1万3400円引き”の商品だったことになる。発売から約半年でのこの値引きには,“ここで一気に次世代ゲーム機戦争の決着を付ける”といった思惑があったのかもしれない。
「バーチャファイター2」
(1995年12月1日リリース)
「バーチャファイター2」はまさに2度目の衝撃だった。さらにリアルになったグラフィックスに加え,蟷螂拳を使うリオン,酔拳使いの舜帝という2人の新キャラクターが登場し,シリーズに新たな風格が生まれたように感じられた。
一方で,ほかの格闘ゲームに登場する超能力や飛び道具は影も形もなく,あくまでリアルな人体とリアルな格闘シーンを追求するのが「バーチャファイター」だという強烈なメッセージを感じたように記憶している。
ゲームセンターにはサターン版「バーチャファイター」で入門した人も押し寄せ,対戦は前作以上の盛況となった。
あくまで筆者の周囲の話にはなるが,ゲームセンターでCPU戦をプレイし,技を練習するような機会はいよいよなくなった。だから自主的に“風邪をひいて”午前中の梅田をウロウロするようなこともしたが,それでもまだまだ足りなかったのである。
ゲームセンターではロクに技も試せなかった本作が自宅で遊べるのだから,サターン版「バーチャファイター2」を発売日に買う以外の選択肢はなかった。さすがにアーケード版を完全再現とはいかなかったが,プレイ感はしっかり再現されており,休日にはサターンのコントローラを持って友人の家に遊びに行ったものだ。このころはアニメ版も放映されており,ゲームの前日譚を見ることもできた。
個人的な話が続いてしまうが,筆者はプロレス好きなこともあり,投げ技や返し技に心惹かれる。「バーチャファイター2」では相手の技をキャッチするなどして返す技や,ほかの格闘ゲームでは見られない中国拳法の投げ技が多数追加されており,筆者にとってはまるで宝箱のようなゲームであった。
アトラクト(集客)デモでは,パイがしゃがんだラウの肩で側転して背後を取る有名なシーンがあるが,これを初めて見たとき,友達とともに驚いた記憶がある。「この技はゲームの中に出てくるんか?」と聞いてきた友人に対し,「こんな映画みたいな立ち回りが出てくるわけない。あくまでデモ用ちゃうか」などとしたり顔で語っていたのは,今思い出しても恥ずかしい。
その技は対しゃがみ投げの「燕風輪翔」であり,ゲーム内で使えるものだった。ポリゴンの人体が豊富なモーションで絡み合うのは,それだけ衝撃的な出来事だったのだ。
返し技を見ても,アキラなら上段P返しの「外門頂肘」に「揚炮」,上段K返しの「単翼頂」に中段K返しの「背歩裏肘」「上歩衝靠」,下段P返しの「翻身単打」,下段K返しの「双拍手」……と実に多彩。さらに,相手が使ってきた技に応じて,返し技のモーションが変化することには驚いた。
すべての返し技が見たい。実戦で使いこなしたい。本作には,「相手のあらゆる技を返すアキラ」という,見果てぬ夢に向けて練習をさせる魅力があり,サターンはそれによく応えてくれた。
「バーチャファイター2」は,大ヒットしただけでなく,一種の社会現象と呼べるようなブームを巻き起こした。「鉄人」と呼ばれた強豪プレイヤーたちがテレビ番組に密着取材され,当時刊行された関連書籍「バーチャファイター2 マニアックス」には,SF作家のブルース・スターリング氏,解剖学者の養老孟司氏,格闘家の船木誠勝氏といった錚々たる面々がコメントを寄せている。
サターン版「バーチャファイター2」は,そんな熱狂が渦巻く1995年の年末に発売されたが,この時期の次世代ゲーム機戦争の激しさはすさまじかった。サターンが「バーチャファイター2」「バーチャコップ」を繰り出せば,PSも「リッジレーサーレボリューション」「ストリートファイターZERO」で応戦。サターンは年末に向けて5000円キャッシュバックの施策を打ち,「バーチャファイター2」の発売日には秋葉原で0時販売が行われるといった盛り上がりだった。
「バーチャファイターキッズ」
(1996年7月26日リリース)
セガの3D格闘ゲームはフォトリアルなグラフィックスでリアルな格闘技を描く「バーチャファイター」に始まり,コミック的な方向性を持つ「ファイティングバイパーズ」シリーズ,武器あり格闘の「ラストブロンクス」シリーズなど,さまざまな方向に分岐していった。
その一方で,このときすでに格闘ゲームの複雑化が指摘され,一般層へのさらなるアピールが必要だという声も上がっていた。そんな状況だった1996年7月にリリースされたのが,キャラクターを2頭身とし,親しみやすさを前面に押し出した「バーチャファイターキッズ」だ。
本作の「キッズモード」では,ボタンを連打しているだけで状況に応じたさまざまな技を繰り出せる。複数のボタンによるコンビネーションや,ボタン同時押しが必要な投げ技もボタン1つでOKだ。
「ストリートファイター6」の「モダンタイプ」,「鉄拳8」の「スペシャルスタイル」など,近年の対戦格闘ゲームでは,操作体系を簡略化したプレイモードが導入されているが,「バーチャファイターキッズ」は約30年前にそれを実装していたわけだ。
簡略化操作モードについて,「操作サポートが対戦の公平性を損なうのではないか」という議論もあるが,顔を合わせて対戦するサターン版では,プレイヤー同士が話し合うことで円満に解決できていたと感じる。
モードとしては「コンボつく〜る」も見逃せない。これは現在でいうマクロ機能で,ボタンやパッドの入力を登録しておき,試合中にボタンを押すだけで,その動き(正確には入力)を再現できるものだ。
例えばウルフなら「レバー半回転+Pのジャイアントスイングを出したのち,ダウン攻撃で追撃する」という一連の動きもボタン1つで出せてしまう。使いこなすと強いが,プログラミングにある程度慣れが必要なのに加え,本来その動きを出せない状態でボタンを押してしまうと,一通りの入力を消化し終えるまでキャラクターを操作できなくなるという,諸刃の剣でもあった。
本作はゲーム内広告が導入されており,キャラクターが大塚製薬の「ジャワティストレート」を飲む姿も話題となった。さまざまな面で,未来を先取りしていたタイトルと言えるだろう。
1996年夏のサターンは,「バーチャファイターキッズ」に加えて,「ファイティングバイパーズ」がリリースされている。PSも,3月発売の「鉄拳2」が好調で,8月には「トバルNo.1」がリリースされるなど,3D格闘ゲーム最初の黄金期といった様相であった。
「ファイターズメガミックス」
(1996年12月21日リリース)
サターンとPSがともに迎える3度目の年末,サターンがアーケードゲーム好きに持ってきたプレゼントが「電脳戦機バーチャロン」,そして「ファイターズメガミックス」だった。
「ファイターズメガミックス」は,「バーチャファイター」と「ファイティングバイパーズ」を中心に,「バーチャファイターキッズ」「ソニック・ザ・ファイターズ」といった2頭身3D格闘ゲーム,さらには「バーチャコップ2」「デイトナUSA」「レンタヒーロー」といった,対戦格闘以外の人気タイトルからのキャラクターが登場する,セガのお祭りともいえるようなゲームだ。
バーチャファイター」と「ファイティングバイパーズ」のコラボが発表されたときの驚きは,大きなものがあった。
この衝撃を伝えるためにも,「ファイティングバイパーズ」の解説をさせてほしい。近未来の街で,身を守る「アーマー」を装備した戦士「バイパー」たちが格闘大会で腕を競い合うという設定のゲームで,ストリート系ファッションをいち早く取り入れたインパクトのあるビジュアルに,アーマーによる独特の駆け引きが目を引いたタイトルだった。
相手に攻撃を当てるとアーマーの耐久力が減少し,限界に達したところで「アーマー破壊技」をヒットさせれば,相手のアーマーを破壊できる。そして,露わになった場所は防御力が下がるため,ここを狙えば試合を有利に進められるのだ。
しかし,アーマー破壊技はたいてい小回りが利かない。この傾向は全員が持つアーマー破壊技「ガード&アタック」において顕著で,投げに対して無防備となってしまうのである。
格闘ゲームに弱点や部位破壊の概念を取り入れる取り組みは既に存在したが,「ファイティングバイパーズ」では,ガードさせることでもアーマーの耐久力を減らせるのに加え,ガード&アタックにより,格闘ゲームの根幹を形成する「打撃,ガード,投げの3すくみ」をあらためてクローズアップしたことにオリジナリティがある。また,四散するアーマーなどのエフェクトの派手さは,ゲームセンターで「バーチャファイター」とは違った層を惹きつけた。
「ファイターズメガミックス」に話を戻そう。すでにお分かりかと思うが,本作には,異質なものが真正面から激突する面白さがあった。
「ファイティングバイパーズ」勢はアーマーがあるうちは高い防御力を誇るが,破壊されてしまうとピンチになる。「バーチャファイター」勢にはアーマーがなく,防御力は変化しない。
一方で「バーチャファイター」勢にもアーマー破壊技が用意されており,本編とは少し違った立ち回りを考える必要がある。「ファイティングバイパーズ」勢からアーマーをなくしてバランスを取る選択肢もあったはずだが,そうしなかったからこそのプレイ感が独特の魅力を生んでいた。
そこに,「バーチャファイターキッズ」「ソニック・ザ・ファイターズ」といった2頭身キャラクターが絡んで,カオスをさらに深める。
「バーチャファイターキッズ」勢は見た目の通り身長や手足が短く,相手にすると非常にやりづらい。「ソニック・ザ・ファイターズ」はこの時点でサターンへ移植されておらず,初見になるキャラが多かったうえ,よりによって爆弾を投げる「ビーン・ザ・ダイナマイト」が参戦しており,飛び道具などない真面目な「バーチャファイター」勢がたびたび葬られることとなった。
予想外の展開に口をあんぐり開けているところに,「バーチャコップ2」「レンタヒーロー」,果ては「デイトナUSA」の「ホーネット」(要するに車)まで出てくるのだから,もう笑いが止まらない。
「バーチャコップ2」のジャネットがアキラを銃で撃ち,リアル頭身のサラと2頭身のサラが蹴りあい,ビーンとレンタヒーローが爆弾と衝撃波を撃ち合った末にレンタヒーローの電池が切れて弱体化,ホーネットが外装を脱ぎ捨ててデュラルを圧倒する……まさにカオスな光景だが,良い意味での無茶苦茶さがあったのは確かだ。
さらに,この年の7月にゲームセンターで稼働が始まっていた「バーチャファイター3」で採用された「避け」の要素も取り入れられるなど,ゲームセンターと家庭用ゲーム機を連携させる取り組みも行われていた。個人的には最高のクリスマスプレゼントだったと思う。
本体の発売から2年が経ち,タイトルラインナップが充実してきた1996年の年末商戦は,前年にも増して激化。サターンでは「サクラ大戦」「機動戦士ガンダム外伝」「NiGHTS」「電脳戦機バーチャロン」,PSでは「レイジレーサー」「パラッパラッパー」「ソウルエッジ」「ワイルドアームズ」などがこの年の後半から年末にかけて発売され,人気となった。「NiGHTS」の冬季限定版「ChristmasNiGHTS」も,サターンファンには思い出深いだろう。
サターンの発売以来,年末と夏休みには必ずリリースされ,プレイヤーを楽しませてきた「バーチャファイター」シリーズだったが,サターン向けのリリースは「ファイターズメガミックス」で打ち止めとなった。「バーチャファイター3」の移植は,ハード性能的に難しかったということだろう。
「バーチャファイター」で家庭用ゲーム機に3D格闘ゲームブームを起こしたサターンは,「2Dグラフィック機能の決定版を目指して開発されていたコードネーム『サターン』は,将来を見据え3DCGを実現するための機能を加えることになった」とセガ公式のコラム(外部リンク)でも語られている。そんな2D機能が真価を発揮した例の一つが、2D格闘ゲームだったように思う。
サターン向けにリリースされた「ヴァンパイア セイヴァー」や「X-MEN VS STREET FIGHTER」といった作品は,4M RAMカートリッジの使用を前提にしたこともあり,いずれもロード時間の短さやアニメーションパターンの豊富さで素晴らしいものがあった。2D格闘ゲーマーには必須のハードだったと感じる。
3D格闘ゲームというジャンルを作り出したセガのゲーム機が,2D格闘ゲームに強かったというのは,実に興味深い話だ。あの頃は「もしもサターンが3D性能に特化した構成であれば『バーチャファイター3』が移植されたのかも?」などと夢想していたが,それが真実かどうかはセガの社員ではない筆者には分からない。そもそも,3D特化の構成では,前述した2D格闘の名移植もなかったかもしれない。すべてはIFの話だ。
「ファイターズメガミックス」が発売された翌月の1997年1月,「ファイナルファンタジーVII」がPS向けに発売された。これによって,サターンとPSのシェア争いに決着がついたとも言われている。
しかし,当時をいちユーザーとして思い返してみると,サターン派だとかPS派だとか,どちらが勝ったとか負けたとかではなく,どちらも素晴らしいゲーム機とソフトラインナップだったという記憶しかない。
どちらか一方のハードウェアしか持っていなくても,本体を貸し借りするなどして,興味があるタイトルをプレイしていた人は多かった。ゲーム好きであれば,どちらも魅力的だった,ということにほかならないのだ。
今回あらためてバーチャファイターシリーズ作品をサターンでプレイしてみたが,3Dグラフィックスで表現されたリアルな人体が多彩な技を繰り出すさまには,変わらぬ美しさがあった。アキラの鉄山靠には重さ,ジャッキーやサラのサマーソルトキックには刃で切りつけたような鋭さ,ウルフのジャイアントスイングには解放感があった。セガが手触りや操作感といったものを重視していたことが伝わってくるし,こうした感覚は2024年の今味わっても楽しい。ゲームは時代を超えるのだ。
2010年の「Virtua Fighter 5 Final Showdown」以降,長らく新作がなかったバーチャファイターシリーズだったが,同作をリメイクした「Virtua Fighter esports」が2021年にリリースされ,2023年には「Virtua Fighter 3tb Online」がゲームセンターで稼働するなど,再び動き出したように感じる。また,真偽は不明だが,一部の海外メディアが「セガがバーチャファイターの新作を制作中」と報じたことも記憶に新しい。
願わくば,過去のリメイクではなく,今のアキラたちを使いたい。現代の技術で作られたあの操作感や重み,鋭さや解放感といった,ゲームの根源的なるものを味わいたいと願ってやまないのは,筆者だけではないはずだ。
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