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[GDC 2018]「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」はいかにして誕生したのか。生みの親がその秘話を語った講演をレポート
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印刷2018/03/22 21:11

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[GDC 2018]「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」はいかにして誕生したのか。生みの親がその秘話を語った講演をレポート

 GDC 2018の3日目に「Classic Game Postmortem: 'Sonic the Hedgehog'」と題されたセッションが行われた。過去の人気タイトルの技術やデザインを振り返りつつ,それを現在のゲーム制作に活かそうという趣旨で開催されているClassic Game Postmortemに,セガが1991年に発売した「ソニック」シリーズの第1作が登場したのだ。「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」(以下,ソニック)というキャラクターがいかにして生み出されたのか,講演を紹介したい。

大島直人氏(中央,現アーゼスト代表取締役副社長),安原広和氏(右,現ユニティ・テクノロジーズ・ジャパン)
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息の長い愛されるキャラクターを目指して作り出されたソニック


 ソニックといえば,ご存知の通り欧米で非常に人気の高い日本生まれのキャラクターだ。任天堂のマリオなどと並んで……もしかすると,それ以上に人気があるキャラクターと言えるかもしれない。
 そんなソニックの生みの親である大島直人氏安原広和氏がGDCで公演を行うということで,セッション開始30分以上前から長蛇の列という混雑ぶり。始まる前から改めてソニックの人気ぶりを再認識させられてしまった。

 1991年にメガドライブで発売されたソニックの第1作でキャラクターデザインを担当したのが大島氏,同タイトルのディレクターを務めたのが安原氏だ。本セッションではまず,20年以上も愛されるソニックがどうやって生み出されたのかが語られた。

 大島氏は当時のセガが任天堂に先を越されていたという状況を紹介し,言葉は悪いがゲームのキャラクターを使い捨てていたという反省があったと振り返る。そのため,16ビット家庭用ゲーム機のメガドライブ(米国名はGenesis)上に,任天堂のように長く愛されるキャラクターがほしいという注文を会社から受けていたそうだ。

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 いろいろな案があり,中には「髭のおじさんを作ってくれ,などという提案もあった」そうである。そこで当時,大島氏はニューヨークに渡航した際にキャラクター案を描いたプラカードを持ってアンケートを取ってみたという。すると「ハリネズミ(ヘッジホッグ)が一番人気で,2位がヒゲおやじだったんですけど(笑),これはハリネズミしかないということになった」と話す。

プラカードに書かれていた原案を並べたスライドがこれ。ハリネズミ以外にアルマジロや犬といった案もあったそうだ
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 ではソニックがなぜあのような姿になったのか。大島氏は当時「いいキャラクターは単純な線で作られてると思っていた」という。強い個性を持たせるのではなく,「つながった目と青いハリネズミ。その2つの要素があれば,あとはどこかで見たような安心できるキャラクターにしたいと思っていた」と当時の想いを振り返っていた。

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 ディレクターを務めていた安原氏も,大島氏に「子供が描けるようなキャラクターにしてくれ」とうるさく注文をつけたという。そこで大島氏が,「そう言うなら描いてみろ」と返したところ,安原氏が描いてきたのが下のスライドの中央のイラストだ。このイラストは大島氏も大いに気に入り,企画書や日本語版の取扱説明書にも使われていたそうなので,当時ソニックを買った人は記憶にあるかもしれない。

中央の絵がディレクタの安原氏が描いた初期のソニックのイラストだ
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大島氏や安原氏が考えたセガの企業イメージ。これらのイメージを彷彿とさせるキャラクターにしたかったとのことで,ソニックが青いのは,単純にSEGAのイメージカラーが青だったからだという
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 その上で安原氏は,「(ソニックのイメージには)3つの重要な柱があると思っていた」と話す。それが下のスライドに挙げられた「かっこいいこと(Cool)」「チャレンジャー」「キャラクターのバックグラウンド(History)」だ。

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 ではクールとは何なのか。当時,安原氏と大島氏はずいぶん考えたそうだが,クールであるためには「Attitude(姿勢とか身構えくらいの意味)が必要ではないか」という結論に至ったという。同時に「媚びないキャラクターにしたかった」とのことで,ソニックの少し尊大な構えは,クールさを表現したものというわけだ。

 2番めのチャレンジャーについては,90年代初頭が環境保護の大切さが口にされるようになった時代であり,それに合わせて自然対環境開発というテーマを盛り込もうと考えたと,安原氏は説明していた。このテーマを設定したことで,ソニックのゲームのストーリーも自然と浮かんできたそうだ。

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 そして最後のキャラクターのバックグラウンドに関しては,大島氏が飛行機のノーズアートの画集を持っていたことをヒントに,ストーリーが設定された。ソニックは,あるパイロットが駆る戦闘機のノーズアートだったという設定で,パイロットの奥さんが書いた童話にソニックが登場する……というものである。

安原氏が考えたソニックのバックグラウンドストーリー原案。これがオリジナルだそうで,なかなか興味深い
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最初に描かれたソニック。エンブレムが描かれているのは,ソニックが飛行機のノーズアートという設定があったからだ
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16ビット機のパワーを活かしたゲーム本編


 キャラクターとしてのソニックの誕生が語られたのに続いて,安原氏から第1作のゲーム本編についての話も飛び出した。
 安原氏は,当時最新鋭(といってもメガドライブ自体は1988年に発売されている)だった16ビットCPUを搭載した家庭用ゲーム機には,8ビット機では無理だった地形のスムーズな描画や,スピード感の表現,そして巨大なオブジェクトを動かすことができるという強みがあったと語る。
 そしてもちろん,これらが実現できたのは,メガドライブの性能だけでなく,ソニックのプログラマーを努めた中 裕司氏の存在が大きかったそうだ。中氏は「これがやりたい」というと,サッと実現してしまうスーパープログラマーだったと安原氏は振り返っている。

当時としては高性能だったメガドライブを活かすゲームデザインを目指したそうだ。メガドライブをフルに駆動できたのは,スーパープログラマー中氏の存在が大きかったと安原氏は語る
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第1作のレベルデザインノート。これが原本だそうで,これまた興味深い資料だ。バツが付いているのは実現できるかどうかわからないペンディングの案だそうだが,「結局全てをゲームに盛り込むことができた」とのこと
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手書きのレベルマップ。SEGA MK5 SCREEN MAPと書かれた用紙を使っているのが感慨深い。余っていたのだろう。実際のステージは,32×32ピクセルのタイル64個のパーツを使って,レベルデザインからパーツを作成していったそうだ
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 また,ソニックのアニメーションは大島氏が担当したそうだが,「アニメーションは学んだこともなかったので苦労した」とのこと。映画やアニメをコマ送りで見て,そこからアニメーションを起こしたりもしたそうだ。

アニメーションの一部。ソニックのダンスアニメーションを数多く考えたが「4MBの容量に収まらなかったので多くがカットされた」そうである
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 こうして開発されたソニックの第1作は,1991年末のクリスマスシーズンに北米で発売された。ライバルだった同じく16ビットのスーパーファミコンと差別化を図るため,ソニックの第1作をバンドルして,スーパーファミコンよりも50ドルも安いというキャンペーンを打ったという。
 結果は大成功。スーパーファミコンを遥かに上回る販売台数を達成することができたと,当時を嬉しそうに振り返っていた。

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 最後に安原氏と大島氏は,ソニックから得た3つの事柄を挙げて講演を締めくくった。ひとつめは「どんなに強いライバルであっても倒す方法はある」ということ。これは言うまでもなく,ソニックで見事にライバルを凌駕した経験から得たものだ。
 ふたつめは「テクノロジーを味方につけよう」で,16ビット機という当時の最先端のゲーム機を活かしたタイトルを作り上げた経験から得たものとなる。
 そして最後が「良い仲間を集めよう」だ。登壇した安原氏や大島氏,そして伝説のプログラマー中氏といった素晴らしい仲間が集まったからこそソニックが誕生したのである。それを忘れないようにしたいと二人は語っていた。
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