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ゲームと共に生きてきたジャスティン・ウォン選手が得た友人,ライバル,そして家族 ビデオゲームの語り部たち:第20部
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印刷2020/11/30 00:00

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ゲームと共に生きてきたジャスティン・ウォン選手が得た友人,ライバル,そして家族 ビデオゲームの語り部たち:第20部

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 2020年初頭から世界的に広がった新型コロナウィルス感染症(COVID-19)は,人々の国際的な往来を分断し,世界経済に大きな打撃を与えた。

 筆者の取材活動も,その影響から逃れることはできなかった。今回登場いただくプロゲーマーのジャスティン・ウォン選手への取材は,当初E3 2020の会場で行うはずだったのだが,E3は中止。オンラインミーティングで話をうかがうこととなった。

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 ラスベガス郊外の自宅からインタビューに参加してくれたウォン選手にまず近況を聞くと,こんな言葉が返ってきた。

 「自粛モードですね(笑)」

 ただ,家での生活ぶりはそれほど変わっていないという。

 「普段からあまり外には出なくて,家でゲームをプレイしたり,その様子を配信したりといった感じなので」

 もちろん,参加予定だったイベントや大会の中止により,2020年のスケジュールは大きく変わってしまった。日本にはSNK World Championship GRAND FINAL,東京オリンピック,東京ゲームショウと3回渡航予定だったが,すべてキャンセルしている。
 それぞれで日本のゲームコミュニティと交流するのを楽しみにしていたこともあり,渡航中止をとても残念に思っているとのことだ。

 「ただ,COVID-19の感染拡大が2020年だったのは,不幸中の幸いだと思っているんです。いろいろなサービスがオンラインで提供されていますからね。仮に1990年代だったら,もっと多くの人が影響を受けていたでしょう」

 確かにネット通販で密を避けながら買い物をする人は多いし,ゲームを含むエンターテイメント業界にとって,オンラインイベントという形式が取れることは救いとなった。どちらも1990年代では難しかっただろう。

 厳しい状況の中でも前を向き,物事をポジティブに捉えるこのコメントは,実にウォン選手らしいものだ。

 今回の「ビデオゲームの語り部たち」では,“格闘ゲーム冬の時代”であった2000年頃から現在に至るまで,約20年にわたりトッププレイヤーとして活動し続けている彼の人生を振り返りたい。

 ここまでは連載の慣習にならって名字で呼ばせていただいたが,それではどうもしっくりこない。今回は「ジャスティン」と,ファーストネームで呼ばせていただこう。レッツゴー,ジャスティン!

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ゲームは唯一のコミュニケーション手段


 ジャスティンは1985年,ニューヨークで生まれた。

 「はじめてゲームに触れたのは6歳の頃です。祖母が連れて行ってくれたゲームセンターで,『ストリートファイターII' TURBO』をプレイしました。
 プレイ料金は1回50セントだったんですが,当時のアメリカでは1回25セントが普通だったので,高かったですね。子供にとってはなおさらでした。
 けれど,僕がすごく楽しんでいるのを見て,祖母がNES(Nintendo Entertainment System,海外市場向けのファミリーコンピュータ)を買ってくれました。『マリオブラザーズ』『スーパーマリオブラザーズ』『ダックハント』とバンドルになってたんですよ。
 とにかくゲームが好きで,『Raul Candy Store』というキャンディー屋さんに置いてあった『MARVEL VS. CAPCOM CLASH OF SUPER HEROES』をよくプレイしに行っていました」

 ジャスティンが得意としている「MARVEL VS. CAPCOM」シリーズとの運命的な出会いというわけだ。『Raul Candy Store』は2019年に閉店してしまったそうで,ジャスティンは思い出の場所がなくなったことをとても残念がっていた。

 ジャスティンがゲームに熱中したのは,ゲームが面白かったからだけではない。

 「学校のみんなは放課後集まってゲームをしたり,ゲームセンターに行ったりしていたので,そこになじむにはゲームがうまくなって,みんなに尊敬されるような存在になればいいと思ったんです。
 今は人と自然に話せますし,会話が弾んだりもしますが,子供の頃は人と接するのが本当に苦手だったんですよ。人と会っても,どうやって話題をつなげばいいか分からない。英語がちゃんと話せず,どもってばかりで,友達や学校の人とのコミュニケーションが難しかったんです。
 でも,ゲームの話はいくらでもできました。ゲーム以外の話題,例えばスポーツとか本とか,別の趣味になると全然ダメになってしまうのに,ゲームの話だけはできたんです」

 ジャスティンにとってのゲームは,唯一のコミュニケーション手段であり,世界との接点でもあったのだ。

現在のジャスティンは,人と接するのが苦手だったとは信じられないほどフレンドリーでユーモアにあふれている。香港のYouTuber,Rose maさんと撮った“片思い”写真はネットで話題となった
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 「PlayStationやNINTENDO64は値段が高くて,買ってもらうことができませんでした。ですから自然とゲームセンターへ行くことになるんですが,そこで人だかりができるのが格闘ゲームでした。格闘ゲームで強くなれば,アドバイスを求めにきたり,友達になろうと言ってきたりする人が現れるだろうと思って,プレイを始めたんです」

 こうしてジャスティンは格闘ゲームの“修行”に入った。

 「新しい学年になったら自分が一番だと見せつけるために,ひと夏の間,チャイナタウンにあるChinatown Fairというゲームセンターへひたすら通ってプレイし続けました」

 Chinatown Fairは,ニューヨークにおける「Last great arcade」(最後の偉大なゲームセンター)と呼ばれる名店だ。
 創業は1944年で,ジャスティンが通った1990年代には“格闘ゲームの聖地”となっていた。2011年2月に一度閉鎖されたが,別の管理会社のもとで2012年5月に営業が再開されている。

ジャスティンが通ったChinatown Fair(写真は2009年撮影)
"World Famous Dancing & Tic-Tac-Toe Chickens" by Seth Tisue is licensed under CC BY-SA 2.0
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 「Chinatown Fairには一連の格闘ゲームが揃っていましたし,『パックマン』『ダンスダンスレボリューション』など,やってみたいと思うようなゲームは全部揃っていました」

 そんな場所で腕を磨いたジャスティン少年は,9月に新しい年度が始まると,目論見通りに人気者になり,学校での居場所を作っていった。そして自身の世界をゲーム以外にも広げていく。

 「学業では,ニューヨーク市のBMCC(Borough of Manhattan Community College)で経営学の学位を取得しました。そこでは友人もたくさんできて,女性ともお付き合いしていましたね。Circuit City Storesという小売店でアルバイトをしたこともあります。今でいうBest Buyのようなお店です」

 ゲームセンター通いも続けていたが,ときには危険な目にも遭うこともあった。

 「普段通り,金曜の夜にChinatown Fairへ行ったときのことです。その日はすごく調子がよくて,あるゲームで対戦相手をコテンパンにしました。
 しばらくして,その対戦相手が僕の背後に来たと思ったとたん,激しい痛み,電気ショックのようなものを感じたんです。テーザーガンで撃たれたんですよ。幸い,低出力のものだったようで大事には至りませんでしたが……」

 テーザーガンとは,ワイヤー付きの電極部分を対象に撃ち込み,電気ショックを与えるハンドガンタイプのスタンガンだ。実弾を使用する銃に比べれば殺傷能力は低いが,使い方を一歩間違えば命の危険もある。

 こういったわがままで身勝手な相手もときにはいたが,ゲームセンターに通い詰めて,ジャスティンの強さは並のプレイヤーがまったく太刀打ちできないほどになっていた。やがて彼はニューヨーク以外で開かれる大会にも参加し,賞金を得るようになる。プロゲーマーの道を歩み始めたのだ。

 「ただ,自分では『プロゲーマーだ』なんて思っていなくて,ニューヨーク地域の代表くらいに考えていたんです。お金よりも誇りの問題でした。大会で優勝しても賞金は200〜300ドル程度で,飛行機代で消えてしまいますから」

 アメリカ各地を転戦する中で,ジャスティンは生まれ育ったニューヨークを離れることを考え始め,2009年にロサンゼルスへ引っ越して,2017年に現在の場所(ラスベガス郊外)へと移った。

 「もっと真剣にゲームへ打ち込みたいと思って,カリフォルニアへ移ることを決めました。当時のニューヨークは,Chinatown Fairであってもそれほど大会が開かれていなかったんです。逆に西海岸は格闘ゲームコミュニティが盛り上がっていて,大会参加の機会が多くありました」


ナチュラル・ボーン・ゲーマー


 格闘ゲーム不遇の時代から現在に至るまで,第一線でプレイし続けているジャスティンの原動力は,どこにあるのだろうか。

 「現在の格闘ゲーム,eスポーツはとても人気があります。たくさんの人がそれを生活の糧としていて,ゲームを“仕事”と捉える人も多くいるわけですけれど,自分の場合は少し違います。ゲームをプレイしたり見るのが本当に好きだからプロゲーマーでいるのだと思うんです。あまり知られていなくて大会が開かれないようなゲームであっても,やりたいと思えばプレイしますし……。最近,『自分は本当にゲーム好きなんだな』と気づいたんですよ」

 “ゲーム好き”と言っても,ジャスティンのそれは筋金入りだ。

 「友人と旅行していると,いつもゲームをしているなって言われますよ。飛行機や電車での移動中はSwitchやスマホで遊んでいますし,プレイしていなくてもゲームに関する何かをTwitterやYouTube,Twitchで見てます。ゲームが視界に入っていたり,そばにあったりする時間は,最低でも1日12時間ですね」

 1日の半分以上を苦もなくゲームに費やせる。これこそがジャスティンの強みと言えるだろう。ナチュラル・ボーン・ゲーマーといったところか。

 「“仕事”に対する情熱は,いつか燃え尽きると思っているんです。でも,僕はプレイすることを楽しめるので,10年後や20年後もゲームへの意欲は衰えないと思います。まぁ,もしかしたら10年後には,激しく競ったり,世界中を飛び回ったりといったことはやめているかもしれませんけどね……(笑)」

 10年後,ジャスティンは45歳になっている。プロゲーマーの形はいろいろあるが,強さを競うのはそのあたりが限界と考えているのだろうか。

 「まあ,10年後というのはひとつの例えです。格闘ゲーマーとして何歳がやめどきかというデータはまだありませんし。
 僕が知っている第一線のプロゲーマーで最も年上なのは,1978年生まれのAlex Vallとsakoです。ですから,僕も41,2歳くらいまでは現役でいられるだろうと思っていますし,格闘ゲームのコミュニティにも関わっていくつもりです。
 ただ,仮に引退しても,Evolution Championship Series (以下,EVO)には行きますよ(笑)」

 引退後のビジョンも,ぼんやりとだが頭にあるようだ。

 「格闘ゲームのデザインには関わってみたいですね。どこかのゲーム会社からオファーをいただく必要がありますけど,実現できるといいですね。長年のプレイ経験から,さまざまなレベルやスタイルの人たちが,それぞれどのようにプレイするべきかが分かると思っていますし。
 今もたくさんの企業でゲームコンサルティングをしていて,発売前のゲームにアドバイスすることもあるんです。だから競技生活を終えたとしても,ゲームデザインをしたり,コンサルタントとして働きたいと思っています。
 つまりは多くの人にゲームを楽しんでもらうプロセスに関わりたい,ということなんですけど。そういうことができればいいですね」


日米選手間の“情報格差”


 ジャスティンの強さの一因がゲームと一体になった生活にあることは紹介したが,大会が近づくと,それに向けた準備が加わる。

 「大規模なトーナメントの前には,参加予定のプレイヤーと,彼らが大会で使用するはずのキャラクターを確認して,トレーニングモードで自分の目を慣らしておきます。このプレイヤーはどんな戦略で来るのか,このキャラクターはどんなことができるのか……といったことを意識するようにしています。
 これは大会前に限った話ではないのですが,僕はほかの人の試合を見るのが好きで,YouTubeのプレイリストに入れてひたすら観ているんですよ。ウメハラやときど,ネモのような有名プレイヤーの映像はいつもチェックしています」

 ゲームをプレイしながらほかのプレイヤーの映像を見ることもあるという。

 「たくさんのプレイヤーが配信していますから,自分がプレイしている横でその映像を流しています。日本語,フランス語,スペイン語と,それぞれの言葉で話しているので,言葉が理解できなくても,何をしようとしているのかはプレイから見て取れます。プレイを観られれば,言葉は必要ありません」

 また,精神的な面でも準備をしていることを明かしてくれた。リラックスしつつも気分を高めるために,音楽を聴くそうだ。

 「自信を失わなければ,勝つ可能性はさらに上がるんです。そのために気分が高揚する音楽を聴くのですが,ほとんどはアニメのサウンドトラックです。アニソンは本当に気分があがるんですよ。例えば『ハイキュー』のクライマックスシーンでかかる曲は本当に素晴らしいですね。アニソンはトレーニングするのにとてもいいんですよ。

 ジャスティンは,大会等でほかの国のプレイヤーと直々に会っての情報交換にも積極的だ。

 「日本のプレイヤーとは言葉の問題もあって細かい話は難しいのですが,東南アジアのプレイヤーは英語が堪能ですから,戦略についてもたくさん話します。
 台湾のオイルキング(Oil King)とはとても仲がいいので,『これをどう思う?』とか『こんなときにどう対処する?』といった話もしますよ。彼は『ストリートファイターV』で人気キャラのラシードを使うので,その点でも参考になります。私も彼にアドバイスをして,いろいろ協力してやっています」

 一方で,同じアメリカのプレイヤーとの間では,そういった交流があまりないという。

 「アメリカは……そうですね,ちょっと事情が違います。たくさんある派閥,グループのそれぞれが閉じているような感じなので,少し特殊なんですよ。このような状況になっている理由の1つは,アメリカがとても広大で,うまいプレイヤーたちが散り散りになっているからだと思います。一緒にトレーニングするのもなかなか難しいんですよね」

 オンライン対戦も,この問題を解決するまでには至っていない。

 「例えばラスベガスの自宅で東海岸に住む人とプレイしようとすると,ネット接続が不安定でプレイできる状態じゃないんです。だから,うまいプレイヤーと質の高い練習をしたければ,近くにいる人を探すしかない。これが派閥の生まれる理由の一つですね」

 この点で,日本はアメリカと対照的だという。

 「日本のプロゲーマーの大半が東京にいるのは素晴らしいことです。すぐに会って練習できるわけですから。ネット環境もいいですしね。日本に行ったとき,ホテルの部屋で『ストリートファイターV』のオンライン対戦が快適にプレイできて,驚いた記憶があります」

 アメリカのプレイヤー間で交流が少ない理由は,ほかにもあるようだ。

 「アメリカでは大きな賞金が絡む大会が多いので,プレイヤーが情報を公開したがらないんです。みんな勝つために必死ですから,相手に情報を渡した結果,勝てるはずの試合に負けることは避けたいでしょう。それぞれのプレイの秘密を守ろうとすることは責められません。ただ,アメリカのプレイヤーが世界規模の大会でいまひとつ実績を残せていない原因は,そこにあると思っています。
 日本のプレイヤーの間では情報共有が進んでいると感じますが,それは日本で賞金大会が一般的になったのがつい最近だからかもしれません。もちろん文化の違いも大きいのでしょうが」


ライバルたちとの名勝負


 ジャスティン自身は,ライバル関係にあるプレイヤーとも積極的に情報を共有しているという。

 「自分だけでなく,ほかの人にもうまくなってもらうことを考えています。一緒にトレーニングしたり,対戦したりする人が上達しないなら,自分も上達せず,同じレベルのままでしょうからね。だから,同じゲームをプレイしている人とこそ情報を共有します。そんないい関係にあるプレイヤーが2人います」

 そう言ってジャスティンが名前を挙げたのが,Filipino Champ選手Chris G選手だ。

 「僕たちが同じゲームをプレイすると,みんな世界トップレベルのプレイヤーになるんです。『ULTIMATE MARVEL VS. CAPCOM 3』を3人が一緒にプレイしていたときは,3,4年の間,僕たちが世界のトップ3,神プレイヤーでした」

 「僕たちが世界のトップ3」というジャスティンの言葉は大げさなものではない。EVOのULTIMATE MARVEL VS. CAPCOM 3部門では,2012年にFilipino Champ選手,2016年にChris G選手が優勝しており,2014年はジャスティンが優勝,Chris G選手が準優勝,Filipino Champ選手が3位という快挙を成し遂げている。

 「お互いを理解できていて,いい関係だと思います。いろいろな戦略を協力して考え出せるんです。
 先ほど話したようにオンライン対戦が完全ではないので,オフラインで会えるときにはノンストップでプレイします。16時間ぶっ続けのときもありましたよ。もちろん大変なんですけど,アドレナリンがものすごく出ていると時間なんて忘れてしまいますね」

 日本では,ジャスティン・ウォンの名前を聞いて梅原大吾選手(以下,ウメハラ)との一戦を思い出す人が多いだろう。EVO 2004の「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」ルーザーズファイナルで繰り広げられた“背水の逆転劇”だ。

 ジャスティンの春麗とウメハラのケンによる第1試合の最終ラウンド。ジャスティンは有利に試合を進め,ケンの体力ゲージをあとわずかのところまで追い込んだ。ウメハラは攻撃を食らったらもちろんのこと,必殺技を普通にガードしても“削りダメージ”で敗戦という厳しい状況である。

 そこでジャスティンは,高速で連続キックを繰り出す春麗の必殺技「鳳翼扇」で試合を決めに行った。ジャスティンだけでなく,会場の観客もおそらくジャスティンの勝利を確信しただろう。
 
 だがウメハラは鳳翼扇のキックをすべてブロッキング。ブロッキングは相手の攻撃に合わせてタイミングよくレバーを前または下に入力する操作が必要で,鳳翼扇のような連続攻撃をすべて受けきるのは至難の業だ。だがウメハラはそれを完璧にやってのけた。

 このプレイを目の当たりにした観客は歓声を上げ,会場は興奮のるつぼに。ウメハラはその勢いに乗って反撃し,最後は必殺技「疾風迅雷脚」をたたき込んで第1試合をものにした。ウメハラは続く第2試合も制し,グランドファイナルへと進出。最終的には準優勝となった。


 このシーンは「格闘ゲーム史上最高の瞬間」などと呼ばれることもあり,YouTubeなどに数多くの動画がアップされている。
 ジャスティンからすれば,自身の敗戦が「格闘ゲーム史上最高の瞬間」として,今なお多くの人々に観られ続けているわけだ。勝者と敗者の明暗は勝負事につきものとは言え,第三者には残酷に見える。
 ジャスティンは,あの一戦をどのように受け止めているのだろうか。

 「負けたその瞬間は,『オーマイガー!』でしたけど,すぐに次の対戦に集中しなければ……と切り替えました。
 今振り返って,あの対戦の映像をみんなが楽しんでくれたことはとても嬉しいですし,あれがきっかけとなって,新しいプレイヤーがエントリーしてくれればいいと思っています。なにしろ,いずれ僕たちは年を取って第一線を退くわけですから」

 ジャスティンにとって最も思い出深いのは,EVO 2014の「ULTIMATE MARVEL VS. CAPCOM 3」グランドファイナルでChris G選手を破った試合だという。それには単なる優勝以上の意味合いがあった。

EVO 2014で優勝を遂げたときのジャスティン(撮影:大須 晶)
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 「優勝を決めたとき,みんなめちゃくちゃ喜んでくれました。観客も大興奮で……。それまで僕を応援してくれる人はあまりいなかったので,感激したんです」

 ジャスティンへの応援が少なかった理由は,彼が無類の強さを誇っていたこと,そして防御重視のプレイスタイルにあった。

 「格闘ゲームでは殴り合いをしたいプレイヤーが多いので,僕を相手にした対戦相手は思うようにプレイできず,退屈だという感想を漏らすことが多かったんです。それが広まって,観客からブーイングが起きることもありました」

 だが,ジャスティンはEVO 2014でプレイスタイルを変えたわけではない。会場を熱狂させた理由には,彼がスランプに陥ってもプレイを諦めなかったこと,そして任意のキャラクター3人のチームで戦うという「ULTIMATE MARVEL VS. CAPCOM 3」のシステムが大きく関わっている。

 「『ULTIMATE MARVEL VS. CAPCOM 3』がリリースされると,あまり思うように勝てなくなりました。みんな私のことを,ピークを過ぎたアンダードッグ(かませ犬)くらいに見ていたんじゃないでしょうか。
 そのときの僕のチームメンバーは,いわゆる“強キャラ”ではありませんでしたが,素晴らしい力を持っていると信じていたので,『このメンバーでも勝てることを証明しよう』と頑張ったんです。
 だんだん勝てるようになると,応援や声援を送ってくれる人が増えてきました。EVO 2014では,会場全体に響くようなジャスティンコールが起こったんです。応援してもらうことがあんなに嬉しいことだと,それまでは知りませんでした。泣きそうになりましたよ」



ジャスティンが愛する日本の盟友とゲームセンター


 ジャスティンには,「盟友」と呼べる日本のプロゲーマーがいる。

 「ほかの人に試合を見ることを勧めたり,企業から『日本のプレイヤーなら誰と仕事をすべきか教えてほしい』といった依頼に推薦したりするのは,ももちチョコブランカです。
 僕がEvil Geniusesに所属していたとき,CEOがプレイヤーとして誰をスカウトすればいいか聞いてきたんです。僕は躊躇なく,ももちとチョコブランカだと答えました。Echo Foxのときもそうです。
 彼らが掲げる理念やブランドが好きなんです。忍ismでやっていることも。若いプレイヤーたちを育てたり,自分たちのスタジオを持ったりといった活動にインスパイアされますね。
 彼らは自分たちがうまくなることだけでなく,ほかの人がうまくなることも考えている。ゲーミングコミュニティに対する考え方に,すごく共感できるんです」

Evil Geniuses時代,TGS 2013のイベントで。左からももち選手,ジャスティン,チョコブランカ選手(撮影:大須 晶)
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 ジャスティンとももち・チョコブランカ両選手の間には,強い絆を感じる。今回2人から寄せてもらったジャスティンへのメッセージからも,それが感じ取れるはずだ。

ももちとチョコが一番尊敬しているプロゲーマーはジャスティンです。

私たちが初めてプロゲーマーという職業があることを知ったのもジャスティンがきっかけでした。まだ日本でeスポーツという言葉が知られていない頃から,彼はアメリカの格闘ゲームシーンを背負いながらプロフェッショナルとして誇りを持ち仕事をしていました。

そんなジャスティンとまさか同じチームで活動できるとは思ってもみなかったので,チームオーナーさんからスカウトの連絡が来たときは感激したのを今でも覚えています。今の道を進むきっかけを作ってくれたジャスティンに感謝してもしきれません。競技者としても人としても大変素晴らしい彼から、私たちはたくさんのことを学ばせてもらいました。

私たちが彼と同じチームに入った時、彼は私たちを家族のように迎え入れてくれ、別々に活動するようになった今でも家族のように接してくれます。私たちはいつだってジャスティンが大好きです。私たちが彼から学ばせてもらったものを、次の世代へと繋げていきたいと思います。

EVO 2019にて。左からジャスティン(と御息女),チョコブランカ選手,ももち選手,“リッキー姐さん”ことRicki Sophie Ortiz選手(写真提供:ももち,チョコブランカ)
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 ジャスティンは日本のゲームセンターに思い入れがあるようだ。来日時に訪れることが多いという。

 「日本のゲームセンターに初めて行ったのは2005年,今は閉店してしまった『アミューズメントフォーラム モア』です。格闘ゲームがメインの店で,日本のプレイヤーがめちゃくちゃうまいのに驚きました。だからもっと練習しなくちゃいけないなって思ったんです。
 日本のゲームセンターには,格闘ゲーム以外にもダンスゲームやシューティングゲームなど,いろいろなゲームをプレイしている人がいます。常にうまくなろうとしているように感じられて,みんな世界一のプレイヤーに見えるんです。その様子を座って見物しているだけでいいとすら思えるんですよ」

 2019年の来日時に秋葉原のゲームセンターを訪れたときにも,印象的な出来事があったようだ。

 「横スクロールのアクションゲーム『スプラッターハウス』をプレイし始めた人がいたので,その様子を見ていたら,ノーミスで最後までクリアしたんです。ただただ感嘆しました。うまい人のプレイはずっと見ていられますね。そして,ああいう人がまだゲームセンターにいることを嬉しく思いました。
 日本ではゲームセンターの数もどんどん減っているようですから,ああいう人はもういなくなってしまったか,家でプレイしているんだろうと思っていたんです。でも実際にこの目で見ることができました」


何があっても決して諦めるな


 ここまで紹介してきたエピソードからもお分かりかと思うが,ジャスティンは物事に対して常に前向きだ。

 「僕のファンには,『何があっても決して諦めるな』と伝えたいですね。これは僕の信念で,子どもの頃から常にそうしていることなんです。たとえポケットに25セントしか残っていなくて,負けそうでも,諦めません。いつ何が起こるか分からないですからね。
 格闘ゲームを始めた日に,『このゲーム最悪』『つまらない』『うまくなれない』と,プレイをやめてしまう人がいます。これは実際に格闘ゲームの難点で,ある程度の期間プレイしても,成長の実感が湧かないこともあるんです。でもそういう人たちには,すぐに成長できなくてもいい,いつかうまくなるからと伝えたいです。
 さまざまなタイプの戦略,自分が負ける理由,不利な状況に立たされる理由……そういったことは,いつか理解できるようになります。そのうえで勝利して,成長を実感すれば,全く新しい世界が開けてきます。だから落ち着いて,諦めないでと言いたいです」

 ジャスティンの「決して諦めるな」というメッセージは,ゲームに限ってのものではない。

 「諦めないことの大切さは,どんなことにも当てはまりますよ。でも,多くの人が忘れてしまったことだと思うんです。今は現実世界もネットも,ネガティブな感情が渦巻いていると感じます。
 どんな厳しい状況になっても,諦めるか,諦めないのかは自分で決められるんです。そこは完全に自分がコントロールできる。自分の運命を決められるんです」


「僕は娘の人生の一部でありたい」


画像集#012のサムネイル/ゲームと共に生きてきたジャスティン・ウォン選手が得た友人,ライバル,そして家族 ビデオゲームの語り部たち:第20部
 ジャスティンのInstagramFacebookTwitterを見ていると,数多くのゲーム画面やプレイ動画に混じって,家族への愛に満ちた投稿が目に入る。ゲーム漬けの生活の中で,家族との時間をどのように作っているのだろうか。

 「ゲームと家族のバランスを取る鍵は……ゲーム以外の趣味をあきらめることです。
 以前はアニメをたくさん見ていて,少なくとも週に10時間は費やしていましたが,今はあまり見ていません。バーに行って友人と遊ぶこともなくなりました。ゲームを仕事としつつ親でもあるために,別の何かを諦める必要があったんです」

 加えて最近は,国外への遠征も控えるようになったという。

 「例えば2019年のCapcom Pro Tourは,アメリカ以外にもアジアやヨーロッパなどで大会が開かれましたが,国内のものだけ参加しました。どうしてもという仕事があれば海外にも行くことにしていますが,その場合最低5日は家族といる時間を失うんですよ。時差ぼけもありますしね。
 僕は娘の人生の一部でありたいんです。若いときから父親になりたいと思っていて,幸いなことに2018年,32歳のときに結婚して,子宝に恵まれました」

 いつもゲームの側にいて,ゲームとともに生きてきたジャスティンが,ゲームよりも大切なものを手に入れた……ということだろうか。

 「趣味をやめたくなければ,その趣味を家族との時間にできるよう,興味を持ってもらうことですね。幸いにも妻は僕と一緒にゲームをプレイしてくれるので,娘もゲーム好きでいてくれることを願います。そうなったら最高ですね」

 娘さんはまだ2歳だが,すでにジャスティンのゲームプレイに興味を示しているという。

 「娘は僕が『どうぶつの森』をプレイするのを見るのが好きなんです。
 おそらく,僕や妻が動物の本を読み聞かせしているからだと思います。ライオンや亀を知っていますし,お気に入りは博物館長の「フータ」です。博物館に行くと,彼を指さして『フクロウ』と言うんですよ。
 娘は僕の真似がとてもうまいんです。この前,娘がこちらを見ていたのでウィンクしたら,娘もウィンクしたんです。びっくりしましたよ。僕や妻が使っているものを自分でも使おうとしますし,何かにつけて娘は学習が早いと言われますね。もしかしたら,僕のゲームスキルも受け継いでいるかも」

 かなりの子煩悩ぶりだ。もし娘さんがプロゲーマーになりたいと言ったらどう思うかを聞いてみると……。

 「もちろん全力で応援します。彼女がそうしたいのなら」

 ただ,父親として,プライベートではある制限を付けるつもりのようだ。

 「21歳(※)までは誰とも付き合わせたくないですね。この前,いいことを思いついたんです。娘と付き合いたいという人が現れたら『ストリートファイターで僕に勝ってからにしろ』って言おうと。勝てるわけないでしょ(笑)」

※飲酒が許されるなど,アメリカで完全に成人と見なされる年齢

 ゲームを介して人々と交流してきたジャスティンからすれば,この“挨拶”は当然といったところだろう。まだ見ぬ相手との大一番に向けて気合い十分の様子を見ると,プロゲーマーからの引退もまだまだ先のように思える。これからも,素晴らしい戦いを見せてくれるに違いない。

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著者紹介:黒川文雄
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 1960年東京都生まれ。音楽や映画・映像ビジネスのほか,セガ,コナミデジタルエンタテインメント,ブシロードといった企業でゲームビジネスに携わる。
 現在はジェミニエンタテインメント代表取締役と黒川メディアコンテンツ研究所・所長を務め,メディアアコンテンツ研究家としても活動し,エンタテインメント系勉強会の黒川塾を主宰。
 プロデュース作品に「ANA747 FOREVER」「ATARI GAME OVER」(映像)「アルテイル」(オンラインゲーム),大手パブリッシャーとの協業コンテンツ等多数。オンラインサロン黒川塾も開設


取材協力:Emperia Sound and Music YOKO-san
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