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「ファミコン互換機」は,なぜそこにある? 世界初の本格的な非公認ゲーム互換機データベース「アノウソライズン」が伝えるもの
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印刷2023/07/15 11:00

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「ファミコン互換機」は,なぜそこにある? 世界初の本格的な非公認ゲーム互換機データベース「アノウソライズン」が伝えるもの

 巷にあふれるファミコン互換機。「手軽で助かる」という人もいれば,「再現性がいまいち」とお嘆きの人もいることと思うが,何にしても互換機のある風景は今やすっかり珍しくなくなった。かつては知る人ぞ知るマニアックな商品であり,もっと遡ればそもそも公に言及することすらはばかられる“海賊版”だったりもしたわけだから,隔世の感がある。

 では,これらの互換機を作っているのは,そもそも何者なのだろうか。一体いつ頃,どこで,どのようにして互換機が生み出され,どういう経緯で広く流通するようになったのだろうか。私達はいまだ多くを知らずにいる。

 ゲーム史の裏側で,決して讃えられることなく成長してきた鬼子たち。偉大なゲーム機が発売40周年を迎えた本日,改めて彼らの歴史についてもお伝えしておきたい。

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 家庭用ゲーム機の互換機をカタログ化したWebサイト「Unauthorizon」が公開された。ここには,1200以上のサプライヤーおよびメーカーによる,9000種類以上のマシンが掲載されている。

[2023/05/19 22:07]


世界初の非公認互換機データベース「アノウソライズン」


 筆者が互換機の背景事情に興味を持ち,実態調査を始めたのは,今をさかのぼること7,8年前のことだ。

 いざ足を突っ込んでみると,そこはまさに底なし沼。とんでもなく種類豊富な互換機の数々が,世界の至るところに広く分布しており,その歴史たるやすでに30年以上に及んでいたのである。

 何年もかけて少しずつ情報を拾い集め,古今東西のファミコン互換機やメガドライブ互換機などを渉猟するうち,見聞した互換機の数は気づけば1万を超えていた。筆者はそのうち約8割の出所を特定し,去る2023年5月19日,その成果を非公認ゲーム互換機データベース「アノウソライズン」(Unauthorizon)として公開している。この種の製品を対象としたものとしては世界初の本格的なゲーム機カタログであり,軽く眺めてみるだけでも,見たことも聞いたこともない珍品がずらずら出てくる,前代未聞の内容となっているはずである。

「アノウソライズン」(日本語版)公式サイト



アノウソライズンの楽しみかた


 アノウソライズンに登録されているゲーム機の多くは,他ではなかなかお目にかかれない貴重なものとなっているが,互換機に詳しくない方は,まず国内流通品からご覧いただくのがいいだろう。ざっと400機種以上が登録されている。

国内流通品を見るには,「製品検索」メニューから「ギャラリー表示(簡易)」に入り,「Region」で「Japan」を選択する。
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 互換機ならではのB級感あふれるパッケージや奇抜なデザインを見て笑うもよし,感心するもよし,呆れるもよし。だがある程度見慣れてくると,珍妙さだけでなく得体の知れない執念みたいなものが感じられるに違いない。製品内容と全く関係ないところに着地しているパッケージデザインの数々や,似たような製品が何度も何度も執拗に繰り返し作られていたりする様子を見て,「いったい何故,こんなものがかくも大量に作られるようになったのか」という根本的なところが気になってきたら,今度は「Supplier」「Form Factor」といった各要素に注目して検索してみてほしい。

 筆者がアノウソライズンを通して皆さんにお見せしたいのは,そこから垣間見える市場ネットワークの姿でもあるのだ。


非公認互換機研究の意義


 ここ10年ほどの間に,日欧米以外の国々(つまりビデオゲーム産業的には周縁扱いされてきた国々)におけるビデオゲーム史の研究が着々と進展しつつある。そのなかで明らかになってきたのは,こうした国々ではファミコンやメガドライブの互換機が商業的にも文化的にも,意外なほど大きな役割を果たしてきたという事実である。

海賊版ファミコンの市場浸透度(筆者作成)
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 そのため,伊達や酔狂ではなく真面目に互換機を研究しようという機運が,少しずつではあるが確かに生じつつある。市場はどのように形成され,需供関係はどのようなものであったのか。それを調べるためには「いつ」「どこで」「だれが」互換機を送り出してきたのかという基礎的な情報を,検証可能な形で網羅していくことが肝要だが,長年誰もそれに着手しようとしなかった。それもアノウソライズンを構築した動機のひとつである。

 機種間にまたがる共通項をグループ化することで,各機種の発祥を特定しやすくしているので,ルーツが気になるあなたは,ぜひそのあたりまでご活用いただきたい。


ファミコン互換機誕生秘話


 ファミコン互換機の出所来歴は長年謎に包まれていたが,筆者はアノウソライズン構築の過程で未発掘の史料を大量に発掘し,その誕生から世界的な浸透に至る歴史的な経緯をおおよそ紐解くことに成功した(詳しくは拙著「臺灣電視遊樂器專利圖鑑 Vol.1」をお読みいただきたい)。互換機がどのようにして市場を形成し,今日に至る道を築いてきたのか,その歴史をここでざっと紹介しておこう。

BEEPの「臺灣電視遊樂器專利圖鑑 Vol.1」販売ページ

ゲーム探偵団の「臺灣電視遊樂器專利圖鑑 Vol.1」販売ページ


 ファミコン互換機の生まれ故郷は台湾である。それは海賊版からのスタートだった。いまでこそ著作権意識の高い台湾だが,1980年代当時はまだ国際的な著作権協定に加盟しておらず,模倣も盗作もやりたい放題。市場に出回っていた製品から鑑みるに,この頃は香港と台湾がアジアにおける海賊版製造の二大拠点だったと言えるが,ビデオゲームの互換機開発へと乗り出す技術的な素地は,とりわけ台湾のほうが整っていた。

 台湾の強みとなったのは半導体技術である。台湾政府は1970年代半ばから半導体産業の育成に力を入れており,ファミコンブーム到来時には複数の半導体メーカーがカスタムチップを解析したり互換品の製造に乗り出したりできる技術水準に到達していた。


ビデオゲーム禁令


 加えて台湾は,かつてアーケードゲーム海賊基板の一大産地でもあった。「スペースインベーダー」(1978年)〜「ドンキーコング」(1981年)あたりの時代が全盛期であり,この時期にビデオゲーム基板のコピーについてかなりのノウハウを蓄積していたのである。

 もっとも,その頃の海賊版業者たちのほとんどは,ファミコン互換機の時代にはすでに活動していない。台湾政府は1982年にビデオゲームを全面禁止する,いわゆる「電玩禁令」を施行し,アーケードの海賊基板ビジネスは突如終焉を迎えたのである。コピー業者の大半は途方に暮れつつもApple II互換機の製造に移行し,これが今日まで続く台湾コンピューター産業の原点となったことは有名だ。

 一方,しぶとくビデオゲームに居残った業者もわずかに残存し,彼らの一部は海外向けのAtari VCS/2600互換機開発に商機を見出した。海外向けのビデオゲーム製造は禁令の対象外だったからだ。これはある程度の成功を収め,そこでの経験がファミコン互換機の開発に活かされることとなる。

最初期のAtari VCS/2600互換機のひとつ「冒險家 銀河號」。海外では「Funvision」の商品名で出回った。
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最初期のファミコン互換機


 電玩禁令には「教育用なら可」という例外規定があり,これが抜け道となって1984年頃から台湾内でもなし崩し的に家庭用ビデオゲーム機が販売されるようになった。そうした中でシャープ「ファミコンテレビC1」の委託製造が行われたり,ファミコンの並行輸入品が出回ったりするようになるのだが,当初はさほど需要がなかったと言われている。

 しかし1985年,日本における「スーパーマリオブラザーズ」の大ヒットが飛び火する形で,台湾でもファミコン需要が急激に拡大する。とはいえファミコンは庶民にとって高価すぎる代物でもあり,ここにおいてファミコン互換機に確かな需要が見込まれるようになった。

 最初期のファミコン互換機は1987年前半に登場している。すでにいくつかの機種はあったなかで,普澤公司「創造者」シリーズと,大仁電子/台湾晶技「小天才」シリーズが特に有名だった。これらは当初から台湾市場だけでなく世界市場まで視野に入れて製造されていた。台湾から香港まで巻き込んだ華僑ネットワークが,任天堂製品がまだ流通していないエリア(東南アジア,中東,南米など)を広範にカバーしていたこともあって,世界展開は1989年頃から急速に拡大。ファミコン互換機は多くの国々で大人気商品となった。

ツインファミコンにインスパイアされたデザインのIQ-201は,「小天才」シリーズ初期を代表する機種。マイナーチェンジ版のIQ-501とともに世界各地に普及し,中国本土では孫クローン品も大量に生み出されるほどのベストセラー機となった
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中国本土がファミコン互換機の本場に


 台湾の互換機メーカーは,中国本土にも同時期に進出している。彼らは中国本土の巨大市場をとりわけ有望視しており,実際,中国での消費量は他地域を大きく上回っていたと見られる。

 中国本土はまた,人件費の面でも魅力的だった。互換機メーカー各社はこぞって現地企業と提携したり現地工場を設立したりしており,その蜜月は1992年頃まで続いている。だがその後は,力関係が変化していく。提携や下請けで十分にノウハウを蓄積し力を付けた中国企業は,自ら互換機を設計・製造するようになり,台湾企業の強力なライバルとなった。その筆頭格ともいえるのが,あの小霸王である。

 中国本土の製品が勢いを付けていくのと対照的に,台湾企業は海賊版ビデオゲームから次第に撤退しはじめる。なぜなら,1990年代に入って台湾政府が国際著作権保護に取り組みはじめたからだ。ことビデオゲーム機に関しては「任天堂製品の海賊版をなんとかしろ」という米国政府からの政治的な圧力があったことも大きい。

台湾政府への働きかけと並行し,任天堂は米国内で台湾製海賊版の取り締りに動いてもいる。1991年には台湾の海賊版最大手・任天堂電子公司(NTDEC)関係者の逮捕に漕ぎ着け,野放しの状況に自ら終止符を打った(「ゲームマシン」1993年7月15日号より)
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ファミコン互換機の新しいトレンド


 そんなわけで1990年代後半になると,ファミコン互換機産業における台湾の存在感は大きく後退し,代わって中国本土が完全にリードする形になった。中国の互換機メーカーは香港を玄関口として世界市場にも進出を果たすが,それだけでなく,これまでにない新しいトレンドをファミコン互換機の世界にいくつも創り上げていく。

 それは一言でいうなら「高付加価値化」――いや,むしろ「付加価値を中心価値にまで高めていくスタイル」と言ったほうが適切だろうか。たとえばファミコンにパソコン用キーボードと学習ソフトを加え,ゲーム機ではなく「教育用パソコン」として販売するというやり方が,そのひとつである。これは中国本土で大ブームになり,なかでも小霸王の製品が国民的人気を博した。

小霸王の知名度を飛躍的に高めたSB-486D(1994年)。機能的には突出したところのない,当時のごく平均的な教育パソコン型ファミコンだが,小霸王はテレビCMにジャッキー・チェン氏を起用するなどマーケティング戦略を徹底したことで,競合他社を大きく引き離すことに成功した
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プラグ&プレイという「発明」


 香港から世界各地に広まった「プラグ&プレイ型ゲーム機」もまた,そうした高付加価値化路線の産物といえるだろう。ゲームコントローラにゲーム機本体とゲームソフトを内蔵し,テレビに接続するだけですぐに遊べるという新しいスタイルを提示したもので,とくに欧米で大人気となった。

 モーションセンサーを搭載したスポーツ体験型のビデオゲーム機はこのプラグ&プレイ機が発祥で,のちのWiiにも間接的な影響を与えている。また近年人気を集めた「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」や「メガドライブミニ」といったミニチュア型復刻品も,遡ればやはりプラグ&プレイ機に発想の原点があり,その意味でもこの密かな「発明」は無視できないものである。

日本初の公式プラグ&プレイ復刻機「メガドライブ21」(2001年)。中国・深圳星辰電子電器の製品を国内向けにローカライズしたものだ。公式にしてはゲームソフトの扱いが雑すぎるし,中身のチップも純正品ではなかったりするのだが,この時期のセガはアジア向けのライセンス製品に関して監修が緩かったようなので,そのせいではないかと見られる
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 プラグ&プレイ機が欧米に普及しはじめたのは,ちょうど非公認ファミコン互換機がアンダーグラウンドな「海賊版」から,大手を振って市販される「まっとうな互換機」に変貌を遂げたタイミングでもあった。ファミコンの発売から20年が経過し,関連特許が期限切れを迎えたため,ファミコン互換機の製造販売が基本的に合法となったのである。

 日本でファミコン互換機の姿を当たり前のように見かけるようになったのもこの頃からだ。


21世紀のファミコン互換機


 21世紀初頭,すでに東欧や東南アジアなどの新興国でもファミコンの需要は一巡しており,互換機市場は衰退に向かうかに思われた。しかし入れ替わるようにして先進国の「レトロな大人達」が互換機の主要な消費者層となり,需要を再拡大させる形となっていく。中華互換機の高付加価値路線はそれにも対応しながら,今日に至るまでずっと続いている。

 例えば携帯型ファミコン,携帯型メガドライブ,複数機種の合体機などはその典型であるといえるし,昨今はUSB電源化やHDMIへの対応も欠かせない。最新の流行は,スマホケースからモバイルバッテリーまであらゆるものにファミコンを組み込むことと,有名ブランドとのコラボによるノベルティ化だ。中国のファミコン互換機は現在もなお世界各地の市場に根を張っており,今後も手を変え品を変え,新たな付加価値を提供し続けていくことだろう。その潮流はまだまだ終わりそうにない。

汉堡游戏机(2022年)。小霸王とマクドナルドの現地法人がまさかの公式コラボ。互換機の方が大手ブランドと組むというのは,日本ではちょっと考えにくい光景だが,中国本土ではこういうケースが増加しつつあり,この他に广汽丰田汽车(トヨタ自動車の合弁会社)がファミコン互換機を出していたりもする。こうしたものは主に限定販売用ないし記念品として作られている
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オススメ互換機 トップ5


 ここからはファミコン互換機の歴史に残る名品・迷品・珍品たちを紹介していこう。

M408 ARCADE BRICKS(2022年)


 レゴ互換ブロックと化した携帯ファミコン互換機。好きなブロックと組み合わせて,自分のオリジナルなゲーム機を作ろう。内蔵ゲーム25本は,いちおうオリジナル作品。香港・日順科企有限公司が開発し,ドイツ・Millennium 2000社が販売中。

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頂尖小子 TOPGUY(1993年)


 商品化を確認できる最古の液晶搭載型携帯ファミコン互換機。あの「GAME AXE」よりも2年早かったが,そのぶん高価だったのだろう。しかも1000台しか生産されなかったという。販売元の慶威電子は,台湾のファミコン互換機メーカーとしてはかなり後発なのだが,本機と同時期にメガドライブ互換機をいち早く世に送り出したりもしている。

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BT-686 星霸(1995年)


 教育パソコンブームの渦中に生まれた,その究極形態のひとつ。本体にテレビ(ブラウン管),カセットデッキ,ディスクドライブを一体化した,唯一無二の一品である。ちなみに当時の中国ではまだ白黒テレビが普通に用いられていたので,本機の画面もそのようになっている。

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S-500 ENDING-MAN(1990年頃)


 ファミコン互換機界の知られざる圧倒的ベストセラー機。台湾・新天堂企業が送り出したメガドライブ・インスパイア型の互換機で,そのメガドライブのようなそうでもないようなフォームがウケたのか,膨大な数の孫クローンが生み出された(その数なんと170機種超)。新天堂のオリジナル版よりも,「Terminator 2」の名前で出た孫クローン品のほうがはるかに多く出回っていて,特にポーランドを除く東欧各国ではファミコン互換機の実質的なスタンダードとなったほどだった。

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XA-76-1E POWER PLAYER / SUPER JOY III(1998年)


 プラグ&プレイ機が台頭しはじめた頃,特に人気が高かったのはニンテンドウ64のコントローラを模した,この手の製品だった。無許諾ソフトが山盛りで内蔵されており,海賊版以外の何者でもないが,これがうっかり2000年代初頭の欧米に上陸。結構な人気を博してしまった。米国任天堂はそのことを知るや厳しく対応を行い,警告と共に著作権違反の被告人を雑誌広告で晒すという,異例ともいえる措置を取ったりもしている。ファミコンの特許が期限切れになろうとも,ゲームソフトの権利まで消失したわけではないということを,任天堂自らが周知徹底してみせたわけである。

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今後の運営について


 先にも述べたように,アノウソライズンは「真面目な互換機研究」を可能にするための第一歩であり,研究そのものを本格的に開花させていくことが,今後の課題となる。

 さしあたってはPatreon(英語)およびBookersにて月一回程度,データベースから得られる各種の統計データやそれについての分析などの有料記事を公開していく予定だ。このようやく端緒についたばかりの研究を支援してやろうという人がもしいらっしゃるなら,ぜひともPatreon / Bookersへの登録を,この場を借りてお願いしたい。

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