連載
幼少期から大人の世界で過ごし,「サクラ大戦」などの名作を生んだ広井王子氏の“暇つぶし” ビデオゲームの語り部たち:第36部
惚れ込んだ人たちと作った「サクラ大戦」
そうやってハドソンと密接な関係を築いた広井氏だったが,あるとき,当時セガの副社長だった入交昭一郎氏から連絡を受けた。
本田技研工業(ホンダ)で副社長まで務めた男がサイパンまで自分に会いに来て,少々度が過ぎるようないたずらをしても笑って済ませてくれるのだから,広井氏も意気に感じるところがあったのだろう。
ただ,その入交氏から改めて「セガでゲームを作ってくれないか」と打診されると,躊躇したという。
「ハドソンとの関係がありましたからね。子会社じゃないんで別に構わないんですけど,ほかの会社とやると,ハドソンから全部切られてレッドが立ち行かなくなる恐れがあった」
その一方で,「ハドソンとは終わりかな」という思いも抱えていた。
「大里さんが偉くなって会う機会もなくなって,そうなると担当者が子会社扱いして,対応が変わってきたんですよね」
広井氏が口論中に机を蹴ったというエピソードを聞いたことがある読者もいるかもしれないが,それもハドソン絡みだったそうだ。
「ハドソンが,レッドのスタッフを引き抜いたんですよ。それで専務のところに抗議しに行ったとき,机を蹴ったんです。『ここまで一緒にやって来たんだから,一言あっていいんじゃないですか』って。急にカッとなったんですよね。
そのとき1回だけなのに,業界内では『広井は机を蹴る』って伝説みたいになって(笑)」
結局,入交氏の人柄に惚れたこともあり,広井氏はセガと組んでゲームを開発すると決めた。
「『やっと正しい大人に出会えたな』と思って。ホンダの副社長をやった人なんだから,『何とかしてくれるだろう』と,イリさんに『お願いします』と頭を下げて,レッドの資金繰りまで含めて,全部やってもらいました」
そうやって始まったプロジェクトが「サクラ大戦」だ。しかし,開発は難航したという。
「1回外注で作ったんですけど,『これじゃないな』って。僕の作り方では時間がかかるということもありました。
最初に僕1人だけで考えるんですよ。世界が作られていって,キャラクターが生まれてくる。そうしたら,そこに自分で顔を突っ込んで,中をのぞき込むようにして原稿を書いていくんですよ。自分の世界にガボッと入っていって,見て書いてるだけなんですよ」
自分が作った世界を,その中にいる第三者的な視点でも見て,原稿に起こすというイメージだろうか。この作業は,広井氏だからできることかもしれない。
「原稿には,キャラクターの出生の秘密を父親の代までさかのぼって書いたりするんですよ。街の中のディテールも全部書いてあるし,なぜこういうものがここにあるか,文明が誕生したかが書いてある。その原稿を見せるのは,10から15人くらいのスタッフだけです。 そのスタッフが,どれだけ僕の原稿を読み込めるかどうかなんですよ。彼らの脳細胞にズブズブ入っていく感覚が得られるまで,僕は延々と原稿を書くんです。
その工程に1年くらいかかる。たとえばキャラクターデザインのチーフが『こうですか? こうですか?』とラフを持ってくるんだけど,『違うんだよ,そうじゃないんだ』というのを延々と繰り返すんです」
音楽のレコーディングに例えるなら,ミュージシャン全員がスタジオに入ってから作曲を始めるようなものかもしれない。端から聞いていても気の遠くなるような進行である。
「でも,そこをやらせてもらえないと,僕の作品にならないんです。逆にそこが終われば,僕はほぼノータッチなんで。繰り返すうちに『これをやれば広井が喜ぶ』というのが分かってくるんですよ。『これじゃないですか?』と持ってきたものに対して,僕が『これ! これ!』って。あかほりさん(脚本担当のあかほりさとる氏)も,僕が『いいいセリフだね』って言うと,『でしょ?』とかね」
前述のように,人見知りが激しいことを自認する広井氏だが,そうやって作品作りのためにスタッフと関わるのは苦にならないそうだ。
もちろん,信頼関係はそう簡単に築けるものではない。難航していた「サクラ大戦」の開発を立て直したエグゼクティブプロデューサー・大場規勝氏との出会いは最悪だったという。
「最初は大喧嘩だった。でも大場さんが,『面白い』って僕の世界に入ってきてくれたんです。だから彼は救世主。
『サクラ大戦』でのイリさんからの指示は『キャラクターゲームを作れ』だったから,大場さんを納得させようと,キャラクターを立たせることを一生懸命やりました。あれが『盆栽ゲームを作れ』だったら,盆栽を一生懸命作っていた」
そんなスタッフと一心同体の物作りを行う広井氏だが,固定のチームは持たないという。
「慣れちゃうって言うか,あまり長く続いてダラダラした関係になるのが嫌なので。
だからレッド時代は,自社のプロジェクトに関わったことがないんですよ。レッドと仕事をしたことのない僕が,レッドの社長をやってたんです。ハドソンとセガの仕事も,考えるのはほぼ1人でやってました。『サクラ大戦』のときはレッドからプロデューサーや進行やデザイナーを出してもらってましたけど,『天外魔境』はマネージャーだけ付けて1人でやった。それは今でも変わっていません」
広井氏にとって,レッドカンパニーやレッド・エンタテインメントは,会社でありながら仕事とは離れた,大切な場所だったそうだ。
「レッドは僕の逃げ場所だった。レッドに行けば,広いお家があって,仲のいい愉快な仲間がいる。疲れた時はレッドにいれば楽しい。だから遊び友達を雇ってたようなもので,会社としてはあまり生産性はなかったですね」
レッドカンパニーが法人化されたばかりの頃は,広井氏が社外で稼いだ資金で会社を支えているような状況だったとのこと。
「レッドのスタッフも自分たちでいろんなことをやるんだけど,失敗していって。もともとは無借金経営だったんだけど,やがて借金を背負うようになって『サクラ大戦』から何から全部の権利を売るしかないところまで行ったんです。
でも会社を清算したら社員が路頭に迷うので,ぼくの持ち株を全部売ってファンド資金を入れました。
会社を清算すれば権利はぼくの手に残ります。でも『カッコ良さ』にこだわりました。『サクラ大戦』だって,僕1人が関わったんじゃないんだから。皆が路頭に迷うのを見てるなんてことできないですよ。それをやったらカッコ悪いじゃないですか。寝覚め悪いよ,本当に。それやるんだったら,舌噛んで死んだほうがいい」
若いときから何も変わらない
そうして広井氏は,レッド・エンタテインメントを離れた。当初は仕事の依頼が続々と来るだろうと思っていたという。
「傲慢だけど,あの頃は腕に自信があった。辞めたらどんどん依頼が来ると思ってた。でも実際は,レッドっていうブランドがあったらこそなんだよね。広井王子個人だと,社会的な信用がない。それで個人会社を作ったんです。事務所にスタッフを1人雇って,税理士と自己破産の相談をしておいてと」
そんなタイミングで,広井氏に台湾から仕事が舞い込んだ。
台湾から日本に帰ってから,広井氏は週3日しか働かないことにしたという。
「火水木しか働かない。考え方を変えればいいだけなんですよ。僕はビジネスで成功も失敗も経験しました。いまの気持ちは,4畳半に住んでいようと,ちょっと働けば日々の金にはそんなに困りゃしないってことなんです。ちょっと働けばコーヒーくらい飲めるし,タバコも吸えるし,あとは親戚のところをグルグル回ってりゃ,何か美味しいもん食べさせてくれるし。どうにかなる」
「宵越しの銭は持たない」ではないが,広井氏の生き方は,やはり江戸っ子だ。
好きな食べ物も,あまりお金を持っていなかった20代の頃から変わらないそうだ。
「たまたま仕事がうまくいって,お金がいっぱい入ってきちゃったけど,僕は何も変わらないんですよ。いまだに吉野家が好きだし,フレンチ行った口直しにカップ麺食ってますからね。立ち食いそばが一番好きで,引っ越すときは徒歩5分以内に店があるところをいつも探してます。どんなにいい物件でも,近くに立ち食いそば屋がないとダメ」
広井氏が若い頃に会った森本レオさんや映画監督の山田洋次氏も,食にこだわらない人だったという。
「そばとか,巻き寿司とか,おにぎりとかをパパッと食べて終わりっていう。仕事のあるうちは,そうやって時間を惜しむべきなんですよ。お腹が空いてりゃ,そこの吉野家でいいんです。十分美味しいんだから。
富士そばなら,『今日はちょっと奢っちゃおうかな』って,10人くらいに奢れるじゃない。それが楽しいし嬉しい。幸せってそういうこと。高級なところをグルグル回るのは,理解は出来ますが,性に合わないですね」
何もしないと,つまらない
「次のものを作りたい。シリーズものって,3本が限界なんですよ。それ以上になるとルーティンになってしまうし,原理主義者が出てくるから。『サクラはこうです』って。いや,僕が考えたんだよって言いたくなってくる(笑)」
そんな広井氏が手がける最新作が,「takt op. 運命は真紅き旋律の街を」である。広井氏はDeNAとともに原作を担当している。
「台湾から帰ってきて,2年間何もしなかったんです。人生で初めて貯金をしたので,『こんだけあれば大丈夫じゃないの』と思っていたんだけど,すぐなくなっちゃって。
それで仕事しなきゃと思って,最初はフォワードワークスと一緒にスマートフォンのゲームを作ったんだけど,うまく行かなくて。今まで僕が手がけてきたゲームとは作り方が全然違うから,やり方を全部変えないとダメだなと思っていたところに,DeNAさんからオファーが来たんです。それが2017年だから,もう5年以上かかってます」
広井氏が話した通り,「takt op.」では,これまでと違う,新たな作り方にチャレンジしようと考えたそうだ。
僕には,万能に書ける自信も腕もある。言ってくれれば,何でも書く。もう膨大な量を書きましたよ。毎週水曜日に会議をやって,『これ書いてほしい』『ここ足してほしい』って,毎週宿題が出るんです」
スタッフに対して,広井氏の世界に入ってくるよう要求した「サクラ大戦」などの開発とは正反対の手法かもしれない。だが,広井氏はとても楽しそうだ。
なお,開発に5年かかったのは,そうした広井氏とDeNAのやり取りに時間がかかったからではないそうだ。
「途中からプロジェクトが大きくなっていったんです。『ここ,CGにするんですよ』『え,そうなの!?』みたいなこともあって。当初の構想よりも,ゲーム全体のスケールがかなり大きくなりました」
ゲーム以外の分野でも,新たな挑戦を続けている。2019年から担当している「少女歌劇団ミモザーヌ」の総合演出だ。
「言わば,サクラのリアルバージョンですよね。少女歌劇団なので,メンバーは10代しかあり得ない。お酒が飲める20歳になったら卒業してもらうという,数少ない本物の少女歌劇団なんです。5年めに入って,ようやく育ってきました。1期生には,ソロで出しても通用する子が何人かいます」
ミモザーヌでは,卒業後にも舞台などで活躍できる人材の育成を目指しているという。
「ミモザーヌは,卒業してからの活動を踏まえた培養器なんです。アスリート的に育てていて,1年間は体幹だけを鍛えさせています。そうしないと,全部をこなせない。今回の夏公演もフラメンコから何から20曲あって,早替えもあるし,セリフもあるし。
『少なくともシェイクスピアは読めるようになってね。そのためには大学行って』とも言っています。『それがあなた達の未来だから』と。実際,1期生の数名は大学に行っていて,音楽大学の特待生に合格した子もいます。培養器の中ですごい人材が育つことを願っています」
そうやって,若い才能を育てるのが大人の役目だと広井氏は語る。
「20歳で卒業しても30,40,50とずっと舞台の上に立ち続けてほしいと思ってるんです。スキルを渡してあげるのが大人の役目だから,若いうちは商売をさせない。若いうちは少し苦労したほうがいいです。それでしっかり芸能のスキルを磨いてほしい」
広井氏の仕事に対する意欲は衰えを知らない。約40年もの間,さまざまな作品を世に送り出してきたわけだが,氏は自身の半生を,暇つぶしのようなものだったと表現する。
「何もしないと,つまんないんですよ。何かしなきゃね。何かしなきゃの中に仕事も入ってる。僕にとって,芝居見物と仕事は一緒,同義語だから。どちらも暇つぶし。芝居は1人で観るけど,仕事ではチームのいろんな人としゃべって,一緒に考えて,物を作っていくのがすごく楽しい。
すごく行き詰まって,掴み合いしながら『表出ろ,コラ!』って言い合うのも楽しい。みんなクリエイターで,ちょっとカッとなって言うだけだから,実際に殴り合うわけじゃない。表に出たところで『まあまあ』ってなるだけだから(笑)。そこにストレスは感じない。
物作りって,そういうのを2〜3年繰り返すわけですよ。それはもう楽しい。祭りだよ。物を作っている間,祭りが続くんです」
「坊ちゃん」として,幼い頃から遊びを嗜んできた広井氏は,その頃と変わらず,今も楽しいことを探し求めている。
最後にひとつ,個人的に気になっていたことを聞いてみた。広井氏が「王子」を名乗ったのは何故だろうか。
「あれはドラクエ。『ワタル』のときに,ちょうどドラクエをプレイしていて,『あ,広井王子いいじゃん』と思って。本名の廣井照久だと,クレジットの文字が潰れるし,王子なら分かりやすいから。
もう1つ「広井書店」ってのも考えたんですよ。作者名が広井書店,出版社名が角川書店というのもシャレが効いてて面白いかなと思ったんですけど,やっぱり王子のほうが字面がよかった。誰でも簡単に書けるし。
そんなことを考えて,30ぐらいの時に王子を名乗ったんだけど,69になった今は『いまだに王子か,王様にはなれないのか』と思いますね」
著者紹介:黒川文雄
1960年東京都生まれ。音楽や映画・映像ビジネスのほか,セガ,コナミデジタルエンタテインメント,ブシロードといった企業でゲームビジネスに携わる。
現在はジェミニエンタテインメント代表取締役と黒川メディアコンテンツ研究所・所長を務め,メディアアコンテンツ研究家としても活動し,エンタテインメント系勉強会の黒川塾を主宰。
プロデュース作品に「ANA747 FOREVER」「ATARI GAME OVER」(映像)「アルテイル」(オンラインゲーム),大手パブリッシャーとの協業コンテンツ等多数。オンラインサロン黒川塾も開設
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