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すべてのゲームがソーシャル化する時代に。椎葉忠志氏が語る「インターネットにつながるゲーム」の立ち位置とは
ほとんどのゲームがインターネットを活用するようになってきた昨今において,「インターネットにつながるゲーム」の立ち位置はどこにあるのか。それをテーマにした「ネットに繋がるゲーム時代のゲーム企画」というセッションが2012年3月16日に開催された「Open Game Contents 2012」で行われた。セッションに登壇したのは,Aiming 代表取締役社長 椎葉忠志氏だ。
ゲームにある程度詳しくないと,「Aimingって?」という気分になるかもしれないが,あの「ONE-UP」がほぼ水平に移行した会社と言えば,ピンとくる人も多いのではないだろうか。ブラウザゲームの「ブラウザ三国志」「戦国IXA」などを開発・運営してきた会社である。
また,椎葉氏はパッケージゲーム・オンラインゲーム・ブラウザゲームの開発をひととおり経験してきており,広い意味で「インターネットにつながるゲーム」を語るにふさわしい人物であると言えるだろう。
すべてのゲームがソーシャル化する時代
インターネット環境の急激な普及と,それに合わせたソーシャルゲームの流行に伴い,最近ではすべてのゲームにソーシャル要素が取り入れられる時代とまで言われるようになっている。これは任天堂の岩田 聡氏も認めている部分だ。しかし,ソーシャルゲームとは何か,というのは難問で,これは筆者の個人的な見解でもあるが,椎葉氏も同様に「ソーシャルゲームの定義は難しい」と語る。
そういったゲームをソーシャルではないと思う人もいるかもしれないが,椎葉氏は,「そもそも人間が2人いれば,それは社会になる」と語る。これは社会学における考え方で,経済であろうが,法律であろうが,社会学においては「社会」とみなす。インターネットに接続するなら,そこにはプレイヤーが2人以上いるわけで,「インターネットにつながるゲームはすべてソーシャルゲームである」と氏は言う。
一般的に,ゲームがヘビーかライトかは,操作の複雑性,プレイにかかる時間,ゲームのテイスト,プレイを始めるために必要になる機材や環境的前提などが判断基準となる。例えばPlayStation 3やXbox 360のゲームは,まずそれらのゲーム専用機材が(テレビなどを含めて)絶対に必要だし,そのうえでゲームを楽しむにテレビの前に座ってゲームに専念する必要がある。それらは一般的にヘビーと考えられる。
その対局にあるのがフィーチャーフォンやスマートフォンといった携帯電話などをプラットフォームにしたソーシャルゲーム。これには環境的な前提がなく,何かをしながらプレイするのにも向いており(余談だが筆者が原稿を書きながら「アイドルマスター シンデレラガールズ」をプレイしていることがあるのは秘密だ),ライトと分類されるだろう。
そんな携帯電話向けソーシャルゲームにも,拘束時間が長いゲームが増えてきている。なかでも顕著なのは,1日あたり1時間の対戦枠が4回用意されている「大連携!!オーディンバトル」のようなタイトルだ。1日最大4時間の拘束が発生するゲームとなると,MMORPGのいわゆる「廃人プレイ」の一歩手前,価値観によっては廃人プレイとなるのでライトとは言いがたい。
ほかにもプレイヤーが持つモチベーションでも,ゲームがへビーとライトに分かれてくると椎葉氏は語る。「自分から自分が楽しめるであろうゲームを探そうとする」「複雑な操作でも覚えようと思う」「高い壁を超えたという達成感を求める」といった強いモチベーションは,ゲームに対してヘビーなモチベーションであると考えられる。
椎葉氏によれば,40代くらいまでの日本人は,ひととおりゲームを楽しんだ経験を持っており,ゆえに漠然とゲームを楽しみたいと思っている。そのため,ライトなゲームを求める層が相当に多いと椎葉氏は推測する。「俺はゲームがしたいんだ!」と高いモチベーションでゲームに挑むのではなく,ごく自然にゲームが生活の周辺に存在しているグループが多いというわけだ。
また,デバイスによってゲームのジャンルを明白に変えなくてはならない時代であるとも椎葉氏は述べている。据え置き機や携帯型のゲーム専用機で遊ばれるゲームと,携帯電話やスマートフォンで遊ばれるゲームとでは,それぞれのゲームに対するプレイヤーのモチベーションが異なり,さらには使うデバイスによってもプレイヤーのモチベーションが変わってくるのだという。
従来型オンラインゲームの強みとは
続いて椎葉氏は,“繋がるゲーム”(ネットゲーム)と“パッケージゲーム”の違いがどこにあるかを提示した。氏はこの違いを,「プレイ時間」「芸人で言うと」「配信方法」「ビジネスモデル」「プライスマネジメント」といった5点で比較している。
「プレイ時間」で比べると,“繋がるゲーム”は“パッケージゲーム”より圧倒的に長くなる可能性がある。MMORPGは何百時間,場合によって何千時間という規模でプレイされる可能性が高いが,パッケージゲームは50時間くらいが一般的な上限となる。
“繋がるゲーム”と“パッケージゲーム”とを芸人に例えて言うならば,ネットゲームは「出落ち」気味である必要があると椎葉氏は言う。Free-to-Playのゲームでは,遊び始めた瞬間に面白くなければプレイヤーがすぐ別のゲームに移動してしまうからだ。それに対して“パッケージゲーム”は,「落ちの上手い芸人」として,適切なクライマックスを用意しなくてはならない。
「配信方法」で比較してみると,ネットゲームは基本的にB2C。つまりBussiness(開発)側が,Customer側と直結しているのが特徴だ。一方,“パッケージゲーム”は,B2B2C,つまり開発側は問屋やショップに卸し,ショップがユーザーに売るという形式である。
まず1点めは,ゲーム自身が会話のネタを提供するということ。「◯◯を狩りに行こう」といった話題から,欲しいアイテムや手に入れたアイテムについての談笑,戦術や攻略法の論議といった,そのゲームについての話題ができるわけだ。
「合コンだと天気の話題くらいで会話が止まってしまうが,オンラインゲームのチャットではそういうことがない」と椎葉氏は述べる。氏はいわゆる引きこもり型の人とオンラインゲームのオフ会を開いたこともあり,「彼らは非常に熱くゲームのことを語る。共通する話題の密度が高ければ,人は熱心に話をするのだ」とも指摘した。
次に2点めは,匿名性が必要十分に確保されていることが挙げられる。いわゆる実名制のネットワーク(リアルグラフ)で行われるゲームでは,どうしたって話題を選ばなければならなくなる。上司がパーティに参加しているMMORPGで仕事の愚痴を言うのは難しいし,Facebookがどんなに面白くても,自分の奥さんの悪口を書くわけにはいかない,といったようにだ。統計的には,自分と相手との間に6人の人間を挟めば世界中の人間と接続できると言われているので,5〜6回の情報共有で悪口が伝わる計算になる。
このように従来型のオンラインゲームは,チャットが弾む要件が揃っていると,椎葉氏は語る。
従来型のネットゲームは,膨大なプレイ時間を前提とするため,何をどうしたって次々にコンテンツが消化されていき,困難も克服されていく。平たく言えば,どこかで飽きられるのは避けられないのだ。
しかし,「ゲームに飽きることがあっても,友達に飽きることはない」と椎葉氏。ゲームはコミュニティを深めるツールであり,ゲームという環境があればこそ成立するコミュニケーションも存在するという。
とはいえ,ゲームそのものがすぐに飽きられてしまうのは問題であり,制作側は,うまくプレイヤーのモチベーションをコントロールしなくてはならない。
椎葉氏は,多人数でプレイするゲームであっても,まず最初は一人で遊んで楽しいものでなくてはならないと指摘する。
つまり,一人で遊んで楽しいという経験が成立したうえで,パーティを組むとより楽しい,というのが順当な展開になるわけだ。もちろん,最初から強固かつ一貫したパーティがなくてはならないわけではなく,初めは「なんとなく募集されたパーティ」(狭義におけるPuG, Pickup Group)で楽しければいい。
PuGで楽しんでいるうちに,やがて固定されたパーティがギルドなどへと発展し,そのゲームにおける永続的なコミュニティとなる。協力や競争はより複雑になり,ゲームはより高度になっていくわけだ。構築されたコミュニティは,離散や集合も激しいが,ゲーム外のツール(IRCやSkype,SNSなど)で連絡を取り合うようになると,ゲームサービスが終了しても関係は続くということだってある。
そうやって,強固かつ持続的なコミュニティの形成,いわば友達づきあいが楽しいという状況がソーシャルゲームの目標地点となると椎葉氏は言う。氏は,
「MMORPGはしばしばゲーム付きのチャットツールと揶揄されるが,チャットとして使ってもらえるなら大成功している」と述べている。
実際,MMORPGのチャットは,「おめでとう」や「ありがとう」(実際の用法としては「おめ」「あり」)で溢れている。「現実世界で最後に『おめでとう』『ありがとう』を言った・言われたのはいつだったか?」という椎葉氏の指摘は,ゲームならではのコミュニケーションをうまく表していると言えるだろう。
PDCAサイクルとして見るゲーム
つまるところ,ゲームはやはり,ゲーム的に面白くなくてはならない。椎葉氏は,まず逆説的に「面白くないゲームとは何か」を分析。つまらないゲームのほとんどは,ゲームが単調であると指摘する。「例えばドラクエで,レベルアップもアイテム獲得も何もなく,永遠にスライムを倒し続けることしかできなかったら,それは絶対につまらない」のだと椎葉氏は言う。RPGであれば,敵を倒すことと,キャラクターが強くなることが連鎖構造を形成している必要があるのだ。
そのうえでボス戦になると,攻撃をすべきか,回復をすべきか,それとも強化魔法を使うべきかといったように選択肢が増える。戦闘ターンが増えれば,その組み合わせは膨大に膨れ上がる。その結果,負ければ「こうすれば良かったのでは?(=こういう選択をすればよかったのでは?)」と考えるし,勝てば「うまく戦えた(≒うまい選択を選びきった)」という充実感がある。
ゲームにおいてこの試行錯誤は,直接的にはUI上の選択肢,間接的にはゲームルールとして提示される。この選択肢の組み合わせの試行錯誤が一定の難易度で構築されているとき,プレイヤーはうまくこなせたことに爽快感を感じる。氏は「これはある意味で仕事においても同様で,いわゆるゲーミフィケーションとはこのことを指しているのではないか」と推測している。
ただし,椎葉氏によれば,このPDCAサイクルのありかたは,ゲームへのモチベーションによって差が出るとのこと。PlayStation 3やXbox 360のゲームにおいてはより多くの選択肢やより困難な組み合わせがあって然るべきだし,携帯電話などでプレイされるゲームであれば容易なものであるべきだという。
ゲームが日常に溶け込んだ社会としての日本
椎葉氏は,「最終的にゲームが面白いかどうかは,ユーザーが決める」と語る。結局は遊び手にとって面白いかどうかが,ゲームの面白さのすべてなのだ。それゆえ,ソーシャルゲームは非常に大きなアドバンテージを持っているという。
先に述べたように,ソーシャルゲームを含むネットゲームはB2Cであり,ユーザーの声がダイレクトに作り手に伝わる形式である。昨今のソーシャルゲームがユーザー動態を徹底的に分析して設計されているのは有名な話だ。
椎葉氏は,「ゲームの面白さというのはさまざまだと思うが,面白さを理解するには実際にプレイするのが一番だ」と語る。だから,ソーシャルゲームを遊んでいない開発者はちゃんと遊ぶべきだし,ソーシャルゲームの開発者であっても,既存のMMORPGなどを積極的にプレイすべきだと指摘する。
子供の頃からゲームを普通に楽しんでいる人々がゲームを作り,ゲームを楽しむという感覚は,日本以外にはないと椎葉氏は述べる。「日本はこれから,ゲームの理解力で戦うべき」という椎葉氏の言葉は,即効性こそないかもしれないが,日本のゲーム産業の未来の一つの姿であるように思える。
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