インタビュー
ドコモがアップルになれなかった理由とは――iモード開発の舞台裏が語られる「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第14回は,絵文字の生みの親・バンダイナムコゲームスの栗田穣崇氏がゲスト
連載第14回めとなる,ドワンゴ・川上量生氏との対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」は,あの「絵文字」の生みの親として知られる栗田穣崇氏がゲスト。栗田氏は,iモードの立ち上げメンバーの一人として,数々のサービスに携わっていた人物。iモード開発の舞台裏についてお聞きしながら,当時のネット業界,そして今のネット業界について,いろいろなことを語ってもらいました。
元々は,NTTドコモの千葉支店で,携帯電話とポケベルの販売員をしていたという栗田氏。そんな栗田氏が,あれよあれよという間にiモードのプロジェクトへ配属となり,またそこで,端末の仕様策定,そして絵文字の開発など,プロジェクトの中枢に関わっていく過程は,いったいどんなものだったのでしょうか? そして,その話の中から,iモードが成功した理由,あるいはiモードがiPhoneに勝てなかった理由などが見えてくる……かも。
今回もまた,いつものように堅苦しくない内容になっておりますので,ゲーム業界のみならず,IT業界やコンテンツ業界全般など,広く読んで頂ければ幸いです。ぜひご一読ください。
ちなみに,本連載をベースにした川上氏の初の単著「ルールを変える思考法」もいつの間にか絶賛発売中です。興味がある人はこちらもチェックしてみてください。
関連記事:
津田大介の“本性”を見た!――ジャーナリスト津田大介氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第13回
ゲームの周りに凄い才能が集まっていた――日本のコンテンツ業界を振り返る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第12回は,KADOKAWA代表取締役社長・佐藤辰男氏がゲスト
ファミコンを買ってもらえなかったばっかりに
4Gamer:
お久しぶりです。ずいぶんと間が空いてしまいましたが,今回のゲストは……。
川上氏:
今日は,バンダイナムコゲームスの栗田さんに来てもらいました。
栗田氏:
よろしくお願いします。
川上氏:
栗田さんは,以前,NTTドコモで夏野(※)さんと一緒にiモードの事業を立ち上げたメンバーの一人で,あの“絵文字”を開発した方です。今回は,iモード時代のネット界隈のお話をしたいなと思って。
※夏野 剛(なつのたけし):ドワンゴ取締役。元NTTドコモの執行役員で,iモードを立ち上げたメンバーの一人として知られる。
ちゃんとお話できるかどうか自信ないですが,頑張ります。
川上氏:
まぁもう,そろそろ時効かなって頃合いだと思うので,いろいろとぶっちゃけ話をしちゃいましょう。
栗田氏:
えっ(苦笑)。大丈夫かなぁ,僕はいいんですけど。
川上氏:
でも,その前に。4Gamerのこの連載的には,まずは栗田さんのゲーマー人生から聞いていきましょう。
4Gamer:
そうですね。というか,その建前はまだ生きているんですね……。
栗田氏:
ゲーマー人生についてですか。その意味でいうとですね,僕はあの,ファミコンを買ってもらえなかったクチなんですよ。
川上氏:
あ,もしかして,それで余計に“深みにハマった”パターンですか?
栗田氏:
ですです(笑)。ファミコンを買ってもらえなかったけど,家にパソコンはあって。そっちでなんとかゲームを遊ぼうとしていたら,より濃いゲームに傾倒してしまったという。
4Gamer:
ファミコンで遊んでいれば,まだ“ライトなゲーマー”で済んでいたかもしれないのに,ファミコンを買ってもらえなかったばっかりに……ってことですよね。
川上氏:
なんか,パソコンのコアなゲームにハマる人って,そのパターンが多いですよね。ファミコンを買ってもらえないんだけど,ゲームがどうしてもやりたくて,パソコンに走るという。パソコンは「なんか勉強になりそう」みたいな理由で,親が触らせてくれるんですよねぇ。
栗田氏:
抑圧されてると,やっぱりやりたくなっちゃうんですよ。
川上氏:
逆効果。なんでもそうですけど,無闇に“やらせない”っていうのはたいてい良くないんですよ。ファミコンを買わなかったがために……親の失敗だよね(笑)。
栗田氏:
あと,僕は元々歴史が大好きだったものですから,その意味でも,パソコンゲームは「信長の野望」とか「大戦略」とか,ウォーゲームがたくさんあって相性が良かったんです。僕の地元は,岐阜県の大垣市ってところなんですけど,あのあたりは「関ヶ原の戦い」ゆかりの地で,すぐ側に古戦場跡があるんです。だから,9月15日(関ヶ原の戦いの開戦日)になると,商店街では「家紋のスタンプラリー」とかをやっていて。
4Gamer:
家紋のスタンプラリーとは渋いですね。
栗田氏:
ふふふ。お店に「福島正則」の家紋とかが置いてあって,それを押して回るわけです。当時,僕はまだ小学生だったんですけど,そういうところから歴史に興味をもったんですね。で,その下地があったうえで,次に「宇宙戦艦ヤマト」に出会うんです。そして「戦艦大和」つながりで,海軍や太平洋戦争に興味を抱いて,戦史とかを読んだりして調べまくる……みたいな。そういう子供でした(笑)。
川上氏:
小学生なのにすでに“濃い”ですね。じゃあもしかしして,今はやってる「艦隊これくしょん」とかもやっていたりするんですか?
栗田氏:
「艦これ」は僕の中ではかなり熱いですね。「ついに軍艦が日の目を見る時代が来たか!」みたいな驚きも含めて(笑)。
川上氏:
ウォーゲームというと,ボードゲーム系はどうだったんですか?
栗田氏:
いろいろやりました。なかでも,僕が小学生の頃にエポック社が出していた「エポック・ウォーゲームエレクトロニクス(※)」って奴が結構好きで。磁石の付いたコマを盤面で動かして,攻撃の判定とかをLEDでピコピコピコって処理する――どちらかというと,初心者向きのゲームだったんですけど。……知ってます?
※エポック社が低年齢層向けに開発した電子仕掛けのウォー・ボードゲーム。「日本海大海戦」「決戦関ヶ原」「ロンメル戦車軍団」など,多岐にわたる作品が1983年〜1984年にかけて発売された。全12作。
川上氏:
なんかあった気もするけど,あまり覚えてないなぁ……。僕はその頃,バンダイの「連合艦隊」ってボードゲームを買ったりしていたんですけど,あれは子供心にも,凄いクソゲーだったって記憶があります(笑)。全然“太平洋戦争っぽくない”し,ゲームとしても駄目なバランスで。
4Gamer:
昔はとくに,「史実の再現度」で良し悪しを判断する風潮がありましたよねぇ。
川上氏:
しかし,やっぱりそうなんだよなぁ……。
4Gamer:
やっぱり?
いや,さっきも話にも出たけど,ファミコンを買ってもらえなかったばっかりに,余計に足を踏み外しているというか(笑)。だいたい,僕らの世代でファミコンからゲームを遊び始めた人達って,みんな大人になったらゲームを卒業しているんですよね。
栗田氏:
一方,僕らはまだ卒業してないですからねぇ。
川上氏:
そう,僕らは卒業“できなかった”んですよ。当時,ファミコンじゃなくてパソコンゲームとかボードゲームとかにハマってた奴らって,ゲームを卒業できてない比率がもの凄く高い気がするんです。
4Gamer:
大人になれない人種……なんでしょうか。
川上氏:
でも,ウォーゲームってさ。当時のファミコンで出ていたゲームなんかよりも対象年齢はずっと上だったし,言ってしまえば,「知的水準の非常に高い遊び」だったはずじゃないですか。
4Gamer:
まぁ,そうかもしれません。
川上氏:
でしょ? 我々は非常に高い精神的な成長を早期に得ていたのに,なぜこんなことになっているのか。
4Gamer:
うーん。でも自分の周りを見渡すと,そういう人(パソコンゲームやウォーゲームにハマった人)ほど社会人的にというか,精神年齢的には,むしろ「低い」って感じがしますけど……(苦笑)。
栗田氏:
あはは。僕らは,世の中の“大人達”からは置いてかれちゃった立場ですよね。いつまでもゲームなんかしてるんじゃないみたいな(笑)。
川上氏:
コミュニケーションも下手くそだし,社会的には明らかに駄目な感じに育っちゃったよね。それもこれも,ファミコンを買ってもらえなかったから!
一同:
(爆笑)。
ただのゲーマーがiモードの仕様を決めるいきさつ
川上氏:
というわけで,そろそろiモードの暴露話をしましょうか。
栗田氏:
どこから入るのがいいんですかねぇ。
川上氏:
そうですねぇ。そもそもiモード関連のサービスって,僕は世間で思われてるよりもずっと健全だったと思っているんですけど,その辺り,ドコモ側で各社のサービスを統括して見ていた栗田さん的にはどうだったんですか?
栗田氏:
いや,真面目だったと思いますよ。あの当時は,技術的にもまだまだ拙くて,あまり複雑なこともできませんでしたし。着メロとか待ち受け画面の画像とか,後は占いサービスみたいな,割とシンプルなものでお金を取っていたんですよね。それも,月額300円までしか取れないから,そんなにえげつないこともできない。ドコモのコンテンツ審査もかなり厳しかったですからね。ちょっと危ういサービスが目に見えて増え出すのは,いわゆる「勝手サイト」が隆盛してきたあたりからだったんじゃないかな。
そうですよね。だから僕の感覚で言うと,iモード関連のベンチャーっていうのは,普通(PC系)のネット企業よりもずっと健全だったって思えるんですよ。だってPC系のベンチャー企業って,サービスの売り上げで儲けるんじゃなくて,株式公開をして,投資市場からお金を引っ張るってやり方が多かったじゃないですか。その一点をもってしても,僕は「iモードの方が健全なビジネスだよな」って思っていました。
栗田氏:
それに立ち上がった当初は,iモードは完全に“邪道”な扱いでしたしね。
4Gamer:
邪道とは?
栗田氏:
当時,通信業界というか,携帯電話用インターネットの技術仕様は,WAP(※1)という方式に則ったHDML(※2)のような,特殊な言語で統一しようという動きがあったんです。Ericsson,Motorola,Nokia,日本ではKDDI(当時は,IDO/DDIセルラーフォングループ)とかが,そちらの方向に舵を切っていて。
※1:Wireless Application Protocolの略。それまで業界標準規格がなかった携帯電話用インターネット技術仕様として誕生した規格。インターネット標準のHTML言語とは互換性がなかった。
※2:Handheld Device Markup Languageの略。PDAや携帯電話など,画面や入力インタフェースが小さな端末で使われることを前提に設計されたコンテンツ記述言語。携帯端末での表示に合わせ,HTML言語よりもタグの種類が少なくなっていた。
4Gamer:
ああ,そんな動きがありましたね。
栗田氏:
でも,夏野さんは「そんなんじゃ誰もコンテンツを作らねーよ!」って言って,iモードではWAP方式を採用せずに,あくまでHTML準拠って方針を貫いたんですね。ただPCと比べると,当時のモバイル端末は本当に非力で,通信速度も遅かった。当然ながら,HTMLの全部のタグは使えない――というか,使えないものだらけでした。
川上氏:
そうですね。
栗田氏:
だから,「iモードでは,HTMLのサブセットを使おう!」みたいな話になって,それが全部,僕に振られたんですよ(笑)。それが後のCompact HTML(※)になるんですけど。
※基本的にはHTML3.2のサブセットであり,そのため,フルブラウザとは下位互換性があった。
川上氏:
ええっ。そこも栗田さんが担当されていたんですか? 絵文字を作られたのは知っていましたけど,そんなサービス全体の仕様策定からして栗田さんだったの?
栗田氏:
そうなんですよ……。夏野さんはともかく――当時のiモードチームには,HTMLが分かる人間がほとんどいませんでしたから,そこの仕様策定が,まだ25〜26歳のペーペーだった僕にいきなり振られたわけです。でも,その僕にしても,別にプログラムをやっていたわけでもなく,単に「パソコンに詳しい奴」程度のもので。そもそも「パソコンに詳しい」っていうのだって,実際はただゲームを遊んでいただけで,それ以上でもそれ以下でもないわけですよ。
川上氏:
日本の携帯コンテンツの歴史の裏舞台として,それはかなり衝撃的な事実なのでは(笑)。そんな始まり方だったの!?という。
4Gamer:
25〜26歳でというのも凄いですよね。
まぁ,今から考えるとあり得ませんよね(苦笑)。そんな大事なことを,まだ右も左も分からない若造にやらせるなんて。もっと言えば,そのときの僕はHTMLも分からないから,そこから勉強だったんですよ。「これはなんのタグだ?」「あ,じゃあこれはiモードではいらないな!」みたいな。めちゃくちゃでしょ。
4Gamer:
でも,そのプラットフォームが後に何百億円って規模の市場になっていくわけですよね。
栗田氏:
そうですね,はい。だから,当時のiモードの部署というのは,NTTドコモというお役所みたいな会社にありながらも,やってることは完全にベンチャーだったんですね。でもそれが,結果として良かったんだと思いますけど。
4Gamer:
えっと,ちょっと話が前後してしまうんですけれど,そもそも栗田さんがiモードの開発チームに配属された経緯はどういうものだったんですか?
栗田氏:
それはですね。僕がNTTドコモに入社した当初は,ドコモショップの千葉支店に配属されて,窓口でポケベルとか携帯電話を売っていたんですよ。
4Gamer:
へえー。
栗田氏:
女子高生にはポケベルを売って,おじさんに携帯電話を売るみたいな,そういう生活で。
川上氏:
まずは地方のドサ回りからってことですよね。凄く日本的(笑)。
栗田氏:
はい。「まずはそういうところから修行を積め」みたいな感じで,最初の1年は一般のお客さん相手の営業,2年めから法人営業になって,今度は「衛星電話」とかを,官公庁に売り込みに行くみたいな仕事をしていたんです。
川上氏:
衛星電話? まだ携帯電話でもないってことですか?
栗田氏:
まだ大きくて,携帯出来ない奴ですね。それを災害・非常用の電話として売り込んだり,他にはモバイル用のFAX機器なんかも売り込んでいました。
4Gamer:
なんかそこだけ聞くと,とても「堅い」感じのお仕事をされてますよね。
栗田氏:
そうですねぇ。で,そんな仕事をしているウチに,“モバイルコンピューティング”みたいな言葉が社内で出てきて。支店からも誰かそういうのに詳しい人をアサインしろ!みたいな話になるんです。そして「なんか栗田がパソコン分かるらしいぞ!」という流れになり……。
川上氏:
ゲームしか遊んでないのに。
栗田氏:
はい(笑)。会社のPCとかでゲームを遊んでいたせいで,本当にそんな話になるんですよ(笑)。で,あれよあれよという間に僕専用のPCが用意され,さらにその“モバイルコンピューティング”に関するものだったら,経費も使って良いということになって。だから,川上さんのソフトウェアジャパン時代の話じゃないですけど,「じゃあ,僕もちょっとパソコン通信とかやってみるか」みたいな感じで,パソコン通信を始めたりして。
川上氏:
とりあえず,自分のやりたいことやろうと。
栗田氏:
ですです。でもあの頃は,検索なんて便利なものもなくて,分からない単語があると本当に分からないんですね。「プロトコルってなんだ?」と思っても,どこをどう調べていいかすら分からない。でも,社内では「パソコン担当」みたいになっていたので,社内LANを構築しろ!みたいな仕事も振られてしまうわけです。それで,いろいろな業者と話をしていくうちにだんだんと理解してくんですけど。
川上氏:
20年くらい前だと,ホントそんな感じでしたよねぇ。
栗田氏:
そんな状態が1年ほど続いた頃に,iモードのプロジェクトを立ち上げるってことで,社内公募があったんです。僕は,ゲーム以外のことで初めてパソコンやネットにちゃんと触れて,「これは面白いな」と感じていたので,まぁ手を挙げて応募したわけです。それで論文を書いて出したら通って,iモード部隊へという流れですね。
川上氏:
なるほど。
栗田氏:
まぁでも,今ふり返ってみると,おそらく,支店で仕事を頑張ってエースみたいになっていたら,逆にiモード部隊には行けなかったかもって思うんですよね。
川上氏:
ああ,上司からしたら,そういう人は持って行かれたくないもんね。
栗田氏:
そうなんです。でも当時の僕は,全然エースって感じじゃなくて。むしろ,なんかパソコンばっかりやってるし,ここに居てもそんな伸びないよね――みたいな雰囲気だった。だから「じゃあ,行ったら?」みたいな感じでスルっと異動できたんですね。ここも,僕の人生の大きな転機だったのかなぁって思います。
川上氏:
いやでも,凄い話ですよね。ただのゲーマーが,今や世界にも普及していっている“ケータイ絵文字”の,さらにはiモード全体の仕様を決める第一歩を踏み出したわけですから。それもこれも,ファミコンを買ってもらえなかったから!
栗田氏:
そうそう。ファミコンを買ってもらえなかったばっかりに,こんなことになってしまうんですよ(苦笑)。
- この記事のURL: