連載
「キネマ51」:第7回上映作品は「ホーリー・モーターズ」
1967年,東京の銀座三原橋地下街に「銀座地球座」として開館。後に「銀座シネパトス」と名前を変更した映画館。3スクリーンを持ち,近年は1館を名画座(往年の名作を上映することを主とする映画館)として使用していた。耐震性の問題で地下街が取り壊されることに伴い,2013年3月31日をもって閉館した
2.ヘラルダー
支配人の造語。部長はかつて「日本ヘラルド」という会社の関連会社「ヘラルド・エース」で働いていたのだが,おそらくその「ヘラルド」から思いついたのだろう。所在地が銀座シネパトスの真横だった。なお現在は,両社とも存在しない
3.ハイランダー
1986年に公開されたアメリカ・イギリス合作映画「ハイランダー 悪魔の戦士」のことと思われる。ハイランダーとは,スコットランドのハイランド地方の住民のことで,勇猛な戦士をさまざまな戦いに送り込んだことで有名。ハイランド人で組織された軍隊を「ハイランダーズ」と呼ぶ。タータンチェックのキルトを履き,バグパイプ演奏者が随行することで有名。わざわざ説明するまでもないが,支配人の適当な語呂合わせである
4.地味なメタルヒーロー
1982年から放送されていた東映特撮シリーズの一つ「メタルヒーロー」シリーズ。初期の「宇宙刑事ギャバン」などは有名だが,おそらく部長が言う地味な〜というのは,雰囲気から推測するに1987年放映の「超人機メタルダー」のことかと
5.Vシネマ
正式名称は「東映Vシネマ」。東映ビデオが1989年から販売していた劇場公開を前提としないビデオ映画の総称。アクションもの,セクシーものなど,テレビでは放映しづらいけれど,アダルトでもないようなものが多く作られた。ちょっとだけ劇場公開してのビデオ化作品の中で,部長のオススメは,1997年の松竹配給作品「なにわ忠臣蔵」(主演:岩城滉一)
6.二番館
新作映画を全国規模で一斉に上映する封切館に対して,1,2週間遅れで新作を上映する二番館というものがある。さらに遅れて上映する映画館は,三番館とも呼ばれる。二番館,三番館では二本立てや三本立ての興行が一般的。二,三番館は全国に存在し,映画ファンの中には,こういった劇場を好む人も多い
7.山口雄大監督の「極道兵器」
支配人の盟友,山口雄大監督が共同監督を務めた2011年公開作品。原作漫画はダイナミックプロの石川 賢
8.「ボーイ・ミーツ・ガール」「汚れた血」「ポンヌフの恋人」が,初期の俗に言う“アレックス3部作”
レオス・カラックス監督が,1986年のデビューから1991年にかけて撮った3作品。カラックス監督の本名,アレックスの名を持つ主人公が,それぞれ違う設定ではあるが,悩みながらも青春を疾走していく姿を描いている。主人公アレックスは監督の投影といわれており,3作すべてドニ・ラヴァンが演じている
9.ドニ・ラヴァン
主演デビューは1983年。まさに,カラックスとともに,1980年代を駆け抜けたフランスの俳優。日本では,カラックス作以外はほとんど公開されておらず,それゆえ,カラックス俳優としての印象が強い
10.ネオ・ヌーベルバーグの3旗手
1950年代末に起ったフランス映画のムーブメント「ヌーベルバーグ(新しい波)」に対して,1980年代,フランス映画の新しい流れとして評価されていた3監督がそう呼ばれていた。ジャン=ジャック・ベネックスの代表作は「ベティ・ブルー」(1986年),リュック・ベッソンの代表作は「グラン・ブルー」(1988)や「レオン」(1994)
11.ゴジラのテーマ〜佐竹
劇中にモンスター(のような人物)が登場するシーンで流れるBGMがゴジラのテーマ。そして,格闘家,佐竹雅昭の入場曲は,そのゴジラのサウンドトラック「怪獣大戦争マーチ」である
12.「みんな〜やってるか!」
1995年公開のビートたけし監督作品。本作以前は北野武名義で監督していた。初めてのコメディ映画だが,興行的には厳しい結果に終わった。衝撃的なラストも含め,支配人が今作との親和性を感じたのも,うなずけるようなそうでもないような
13.23区
日本の大手アパレルメーカー「オンワード樫山」のオリジナルブランド。組曲も同じくオンワードのオリジナルブランドで,それをかけたものと思われる。フランス映画だけに,パリ13区とかけたのかどうかは不明
14.カイリー・ミノーグ
オーストラリア生まれの1980年代を代表するポップスシンガー。「ラッキー・ラブ」「ロコモーション」などの大ヒットを生み,一躍世界のポップシンガーの仲間入りを果たす。1990年代に低迷していた時期もあったが,2000年代に見事に復活をとげ,クラブシーンを中心に第一線で活躍中。1968年5月生まれなので,支配人とは同じ年ではあるが,学年が一つ下ということで,年下認定だったようだ
15.「桑田,清原,瀧,卓球」
プロ野球OBの桑田真澄(1968年4月1日生)と清原和博(1967年8月18日生),電気グルーヴのピエール瀧(1967年4月8日生)と石野卓球(1967年12月26日生)のこと。全員同じ学年ということで,支配人は並々ならぬライバル心を持っているようである。ピエール瀧がプロデュースした「バイトヘル2000」もだいぶやりこんだ様子。ちなみに,支配人が好きなミニゲームは,「交通量調査2」と「授業中」
16.ジャンボ鶴田
1972年のミュンヘンオリンピックにレスリング(グレコローマンスタイル 100kg以上級)に出場した実績を買われ,同年,全日本プロレスに入団。若手時代から未来のエースとして将来を嘱望されていたのだが,それ故に反発するプロレスファンも少なくなかった。しかし,1980年代後半以降の天龍同盟や超世代軍といった,日本人選手同士の激闘を通じ,「怪物」「完全無欠のエース」といった評価を不動のものにしていく。1999年に引退。2000年5月13日に49歳で死去。墓碑には「人生はチャレンジだ!!」と刻まれている
17.邪道・外道
現在は新日本プロレスに所属するタッグチーム。1988年,ビートたけしが関わっていた(ことになっている)たけしプロレス軍団のオーディションに合格し,プロレス入り。最近の邪道は,ももいろクローバーZのファンを公言し,「じゃーりん」と呼ばれることも。一方の外道は,オカダ・カズチカのマネージャー的な立ち位置で卓越したマイクパフォーマンスを見せている。この説明だと誤解を招きかねないが,実は二人ともプロレスファンはもとより関係者からも一目置かれる実力者だ
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