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「だから,日本の深夜アニメはつまらない」ガンダムの父・富野由悠季氏の講演をムービー込みで掲載
Taipei Game Show 2008に併設されたイベントの一つに,「亜洲青年動漫大賽」(アジア青年アニメコンテスト)があった。台湾ではそのノミネート作品がテレビ放映され,会場では「国際動漫作品館」ブース(撮影禁止)のスクリーンで順次上映されていた。このイベントに作品の講評と講演のために招聘されたのが,アニメ「機動戦士ガンダム」の父として名高い富野由悠季氏である。
そして,Taipei Game Show 2008の二日目となる1月25日の10:00AM(現地時間)から2時間にわたって,「捕捉大師光芒」(大先生の偉業を受け止めよう)という副題のもと,未来のクリエイター達に向けた氏の講演が開講された。
その内容は,事前に告知されていたものとかなり異なり,富野氏の長いクリエイター経験に基づき,ある種,はらわたから搾り出したような言葉の数々が並ぶ,難解ながら重みのあるものだった。講演内容をなるべく忠実にお伝えしよう。
講演の冒頭には富野氏の歴代作品の主題歌映像が次々と流され,詰め掛けた600人ほどの聴衆の視線は,この時点ですでに画面に釘付けだった。まあ会場は,コンテスト参加者/関係者および,わざわざ聴講を希望してきた人でいっぱいなのだから当然ではある。
富野氏は「肩肘を張って話すのがとっても苦手なキャラクターなんです」と述べ,マイクを手に舞台中央に進み出,そこに立っておもむろに話し始めた。
アニメの雑種性と自然なカルチャーミックス
今日のテーマは,事前に告知があったとおり「カルチャーミックスが次の時代を創る」というものです。このテーマでお話ししようとして,一昨日,昨日と応募作品を見させていただいたのですが,とくにノミネート作品2,3本を見て,予定を変更せざるを得ませんでした。
テーマにしようとしていたカルチャーミックスとは,こういうことです。「異文化を重ね合わせていくことが,今後100年のアーティスティックワーキングにとって,とても大切なことである」と。
このことはゲームにもいえますし,PCで作り上げられたネットワーク社会についてもそうです。
そうした,データですべてが成り立つ技術を手に入れられたのは,まずもって西洋文明の成果だったと思います。我々は,このように開発された技術を使って,今後の芸術活動,情報活動,そしてビジネスをも展開していかなくてはいけないわけです。
その中では,欧米の一神教の文化に,我々アジアの文化を重ね合わせていくのがとても大事なことだと思います。つまり,文化を重ね合わせる「カルチャーミックス」という考え方をより鮮明に持つことによって,Microsoftと,その端末であるWindows PCに勝てるのではないかという発想です(笑)。Apple Computerの名前を挙げなかったのは,まだ穏やかに,我々が使わせてもらう技術として,大切にしていきましょう(笑)。
(聴衆,どっと笑う)
ただ,現在はまだ一神教に発する資本主義文化の中で,競争が続いているわけですから,Apple Computerがどうなるかということも,当然視野に入れておかねばなりません。
そして僕自身が実際,アニメを作る立場の人間ですので,どのような「お話」を創るかという点においても,カルチャーミックスを意識していかねばならないと思いました。
40年,50年前の時代でいえば,漫画とか漫画絵などというものは,とても低俗な文化だと思われていましたし,そういうものを創りたいと思っている作家達も,基本的に低俗な人々の集まりでした。
(ここで富野氏,「直訳してください」と二度強調)
(聴衆,笑う)
富野由悠季氏:
低俗な人達であったがために,西洋だ,東洋だ,自分達の文化だ,他人の文化だなどということはいっさい考えないで,自分の好きなものを取り込んで作品を作ってきたわけです。
それはまさに,漫画が程度の低い文化だと思われていたがゆえに,そういう作業が行われていたのです。このことは実際,とても大事なことです。
(富野氏,キッとシリアスな表情を作る)
(聴衆,忍び笑いを洩らす)
低俗な文化,低俗な産業でしたから,僕自身がテレビ漫画映画のスタジオに就職するに当たって,親戚中から不安がられて「お前は食っていけるのか」という風に,本当に言われましたし,「お前はだからバカな子なんだね」と言われたものです。
この数年の経験から言うのですが,まさか僕がお国の税金を使って,地球の反対側まで旅行できるなんてことは,思ってもみませんでした。いや,実際やらされています(笑)。
(聴衆,どっと笑う)
富野由悠季氏:
そして,これらの事実の意味を理解すれば,カルチャーミックスの意味を特別に理解する必要はないと思います。ところが,ものを創る,組織が大きくなる,政府機関に公認されるという事態は,ひょっとしたら人間の最も基本的なアーティスティックな感覚を,摘み取られたり,低下させられたりすることなのかもしれません。……この部分の説明はこれ以上しませんが,もう一つ別の説明があります。つまり,社会的に認められる産業になったときに,何が起こるかということです。
いまみなさんが直面しているとおり,圧倒的に競争者が多くなり,かなりすごい才能が流入し始めて,40年前のようなバカの集団ではなくなってしまったということです。
(聴衆,笑う)
肥大化するアニメ産業とオリジナリティ
ですから,天才は別にして,普通の能力を持つ人がこの世界で生きていくための方法は,カルチャーミックス論を含めて一番本質的なことをきちっと認識し,実践できる自分という,キャラクターを作るしかない,ということです。
カルチャーミックス論について具体的に言えば,昨日も見せていただいたノミネート作品に関し,とても良い部分と悪い部分,両方を一瞬にして見つけることができました。
どういうことかといいますと,自分達の文化の身に備わっているもの,文化的基準を以って,ほかの文化の良いところを取り入れろと言いたいのですが,自分が育った文化を正確に認識することは,とても難しいのだと分かりました。
そしてもう一つのポイントは,自分の持っている文化を,現代の観客に提供していく自分,アーティストとしてそれを新しいものにしていく行動/表現は,それに輪をかけて難しいと分かりました。
富野由悠季氏:
その実感は,昨日見た短編の中で,台湾,朝鮮の作品における身体性の表現が,2年前に見た別の作品とものすごく似ていたりして,必ずしもオリジナルな表現とは見えないという事実から,あらためて持ったものです。
僕自身日本人ですので,浮世絵などは見慣れているつもりでしたが,歌麿の美人画がどのように優れているのかを,つい最近まで知りませんでした。
それについては最近NHKの番組で,歌麿と,その前の代の(鳥居)清永の美人画との違いというもの,現代の役者を使って同じようなポーズをとらせ,それを写真に撮り,それぞれのポージングが持つ意味の違いを解説してもらうことによって,初めて歌麿のすごさが分かりました。
そしてそのとき,清永の描き方は清永なりのオリジナルだと思っていたのです。ところが二日前,故宮美術館に収蔵されている水墨画や風俗画における人々,女性や男性の姿を見て,清永のシルエットの取り方が,清永以前からあった手法だと分かりました。
清永と人物画については,こういうふうに理解してください。我々の身体のシルエットは決して8頭身や9頭身ではないのですが,水墨画ではとうの昔に,とても背が高くスタイルの良い10頭身のシルエットを描いていたのです。
この話をどのように理解すべきかというと――とくに若い人はそうなのですが――こういうふうにカッコいいキャラクター,こういう描き方は俺のものだと思い込むのは,やめてほしいということです。
(聴衆,静かに笑う)
富野由悠季氏:
我々作り手の使命というのは間違いなく,「今日までの結果を刈り取る」ことではないのです。なぜならば,我々の行動/行為/アクションをいま始めるということは,そのまた次に向かって表現することだからです。その,次というのはビジネス論でいえば,来年,再来年,10年後,20年後に向かっての表現であるはずなんです。
作り手のエゴとプロ意識
これから話すことは,「カルチャーミックスが次の時代を創る」という趣旨を外れます。確認しますが,今回の会場で見られる「ビジュアルコンテンツフォーラム」に参加している企業の商品,作品ゲーム,それから,お客様に対してサービスしてくださっている,へそ出しのきれいなお姉様方を含めて諸々を見ていると,もう古い視点での話をする必要はないと思ったからです。カルチャーミックスは,台湾では確実に滲透していますので。
作品を創るという視点に立ったとき,「私」は何をすべきなのか,という話に進みます。何か物を創りたい,創れると思っている「私」,これこれこういうものを世間に分かってほしいと思っている主体の問題です。
自分自身にも若い頃がありましたから想像がつくのですが,「私」が持っている不満,苦しみ,つらい気持ち,世間に対して分かってくれと思っている思いは,ほかならぬ「私」が苦しいだけに,「私」固有のものだと思っているアーティストが多すぎると思うのです。
そのために何が起こるかというと,日記のような――自分の思いのたけのみを書き付けた――作品をまき散らしても平気だという制作スタッフや企業まで現れます。だから,いまの日本の深夜アニメというのはつまらないのです。
(聴衆,大爆笑)
富野由悠季氏:
笑いごとじゃないんですよ? みなさん方(編注:台湾の聴衆)の作品のなかで,それはもう始まっています。つまり表現のスタイルとして,結局どこかのコピーをやっているんだけれども,自分のオリジナルだと思っている作品が,ノミネートのなかにもありました。
(富野氏,やや険しい表情に)
(会場,一転静まり返る)
富野由悠季氏:
YouTubeを使って気が済むようなやつは,作家でないという言い方をしたい。
(聴衆,忍び笑い)
ところがねえ,昨日の会合で,それに対する反論がすでにありました。「YouTubeから入って商売になったんだから,それでいいじゃないか」と。事実日本でも,携帯電話で読める小説を書籍にしたら,10万部単位で売れるという現実が,この1年で確実に出てきています。
それについては「当たり前でしょ」と言います。100万人が使っているツールがあったとすれば,そのうち1人や2人は――いや,もっとですね――天才がいるわけですから,それを使って金儲けをしようというやつは当然出てきます。ですから,いくつかの成功例があるのは当然のことです。
ゲームでも,ネットワークゲームがあるということは,数十人,数百人,場合によってはもっと多くの人が,ワールドのなかで1か月がかりで点数を争うようなゲームもあるのでしょう。私はゲームのことはまったく知りませんので,あるのでしょうとしか言えませんが。
そういう世界で,何人かの人々のコミュニティが成立して,そのインターネットコミュニティに創造的な可能性があることは想像がつきますし,その部分がビジネスになるということも想像がつきます。
しかし,我々が今日現在までものを創る――アートをする,すなわち技能を行使するということですが――のを,どういうつもりでやっているかというと,自分自身の存在を,創ったものに表現して,第三者に分かってほしいと思うことではないでしょうか?
つまり作品を発表する,表現するということの根本的な意味は,100万人に伝わる言葉遣い,100万人に伝わる表現方法を,スキルでもってアピールしないかぎり,絶対に伝わらないということです。
嫌いなロボットものを“ツール”として利用
富野由悠季氏:
僕の場合,現在のYouTubeに当たるのが,ロボットものというジャンルでした。そして,ロボットものの漫画の上に,少しはこういう風な物語性,人間性があってよいのではないかと思うものを付け加えたのです。僕自身が持っている程度の作家性――映画というのはこういう風に構成/演出したらよいのではないか――という,僕自身の好みだけで創っていたら,現在の台湾に富野由悠季という名前が聞こえてくるようになることは,絶対になかったのです。
(聴衆,笑う)
ですから,YouTubeから入ってもいいんです。問題なのはYouTubeから入って,20年,50年生き残る,それからまた,YouTubeのシステムが別のものに取って代わられても載せられるようなメッセージやコンセプト……もっとはっきり言えば,デジタルでなくもっとしっかりしたハードコンテンツを持っていれば,100年先まで生き残れます。
いまの理屈がお分かりになったら,「YouTube」のところに「ゲーム的な」という言葉を付け加えておいてもよいと思います。この話の一番根本的なところがどういうことかといいますと,どのようなツールを使おうが,ジャンルを使おうが,100万人の人々が何に興味を持っているかが問題だということです。世界中の人々があまねく関心を持つことにポイントを定められれば,みなさん方が創ったものは100年でも1000年でも残りますよ,という話です。
僕の場合,ロボットものというアニメの作品ジャンルを利用させてもらいました。みなさん方はデジタルコンテンツという,たいへん妙な言葉遣いから始まる世界に暮らしているわけですから,このツールを利用してください。ゲーム的なもの,YouTube的なもの,インターネット的なもの,デジタル的なものを利用してください。 ロボットものというアニメのジャンルが,僕のツールだったのです。アニメ関連の雑誌における僕の発言をご存じの方はお分かりだと思いますが,僕は基本的に,ロボットものというジャンルがあまり好きではありません。このように,自分の作品のオープニング映像を見せられて,あらためて感心しているくらいです。「この監督は,本当に好きだよねえ」と。……だけど,基本的には嫌いです(笑)。
(聴衆,大爆笑)
共生の時代とアジア,欧米文化とのミックス
そのことを,みなさん方も忘れないでほしいのです。我々は動物なんです。デジタルなものに,感覚から映像からすべてのもので屈服するのが,我々人間なのかと問うたときに,それは絶対に嘘なんで,デジタル的なものはいっさい拒否していただきたい。そういう根本的な思いがあります。
コンピュータ技術が基本的に一神教の文化から発したものだとすれば,そこには善悪しかないのです。異教徒を排撃してきたのがあいつらです。いや,その宗派に属している人には本当にすみませんが(笑)。
なぜ一神教が生まれたかという文化的背景――というよりも,気候風土的な背景ですが――を理解すれば,それもやむなしと思います。そうした意味で中東もヨーロッパ大陸もそうですが,近代以降我々が教えられているほど,住みやすい土地ではありませんでした。ですから一神教の人々に対して,アジア的な宗教論を持っている人々は寛容でなければいけません。そう思います。
いまの話も実は,カルチャーミックスの話です。アジア人――アジアの気候風土が持っているかなりの豊かさが,中世まで残っていたかもしれないところで育まれた我々――の感覚論,感性論というのは,今後21世紀,22世紀,つまり急激な温暖化を招き,エネルギーが枯渇するかもしれないという時代に入った地球で,みんなが分かり合わねばならず,どういう風に生きていくかというとき,一番コアなものを体験的に持っていると思います。それから,政治的にも極めて特異な土地であった台湾で,すでに50年間,みなさん方は特異な生き方を体験なさっているのです。
富野由悠季氏:
ですから,一神教の人々が急かされて作り上げてしまった現在までのツールは,これは利用しましょう。作り直していくのは,時間の無駄だからです。利用しながら,みなさん方が文化論として生み出さねばならないのは,先人の光を求める思想じゃないのです。みなさん方が創るしかないのです。
現在の日本というのは,文化的,政治的に爛熟してしまって,グチャグチャになっているような土地柄です。そのようなところから,爛熟/成熟文化というものは生まれるかもしれませんが,それが100年,200年続く文化論として発祥するというふうには,少なくともいまは思えません。爛熟期に生まれた文化というのは,また次の爛熟期に評価されるまで,待たざるを得ないからです。
ところが,これからの100年は爛熟の時代ではなくて,地球上で人類がいかに生き延びねばならないかというコンセプトを,一番大事にしなければいけない時期なので,極めてリアリスティックな物語というものが要求されていると思います。そうしたものを生み出す風土として,台湾というのはとても特異な経験をした土地であるために,そこから発信されるものが,一つの指針になっていくのではないかと思います。……といったところで,基調講演を終わらせていただきます。
聞き手をいささかぎょっとさせる質疑応答の数々
富野由悠季氏:
(現在のアニメ制作手法への批判について問われて)今回述べたのは,特殊なことではありません。「Zガンダム」を作ったときに思ったのですが,あのとき,「いつまでもアニメを見ているんじゃない」というのをテーマにして作品を作ったわけです。今回の講演でも,実はその話をしています。「PCを使うのがカッコいい,CGを使うのがカッコいい,だからカッコいいままにしておけばいいだろう」と考えているオペレータが多いからこそ,つまらない作品が出来るんだと。
CGを多用すればするほど,つまらない作品になっていったという経緯は,この5年の間にみなさん方もいっぱい見ているはずです。だから僕は,「騙されてはいけない。その次に何を付け加えなければいけないか」という意味で,映画の特性というものを挙げます。その映画の特性をあまりに知らなすぎるスタッフが現場に入ってきているから,作品がつまらなくなるんですよ,と言ってるわけです。
では,映画の特性とはどういうことかという話は,別の機会を設けるか,別の時間をとらないと話せませんので,ここまでにしておきますが。
(誰に向けた話かという質問に対して)先ほど,僕は観客を100万人と言いました。人は選べません。人種も選べません。一人でも多くの人に伝わる物語を作りたいし,せっかくお金をかけて作るならば,3人にしか伝わらないお話を作っても,つまらないじゃないですか。
いまのような質問が出てくる理由は,ものすごくよく分かっています。質問者自身も自覚していないことです。ところが,雑誌の編集,それからテレビ,あらゆる媒体で視聴対象とか購読対象とか,セールスの重点をかけるのはどこの年代のやつなんだといった話をいっぱい聞いているために,観客を決めないといけないんじゃないかと思っているんです。
ですが,映画にはそれを乗り越えられる特性があるのだということを,とにかく,関係者も普通の人も分かっていない。ですから,自分が生活の中で身につけてしまった常識とか,既成概念というものは,我々自身が思っているより根深いものなんです。そこから脱出して新しいものを創っていくという作業は,本当に大変なことです。固有の才能を持った人や,あるヒット作品がすごいというのは,それを脱しているからです。
だから,僕にとっては「クレヨンしんちゃん」もポケモンも「ドンキーコング」も,それからマリオおじさんも,やっぱりすごいものだなと思います。それは,既成の文化論からちょっと頭を出したところにいるからです。そのことを分からないで,似たようなものを作って商売になると思っているならば,それはアホです。
(聴衆,笑う)
(今後,西洋文明に由来するものは衰退していくと考えているのかという質問に対して)どのような意味で衰退という言葉を使っているかは分かりませんが,少なくともその言葉を使ったということは,現在までの我々が知っている認識論にとらわれすぎていると思います。
どういうことかといいますと,文化論や宗教論を取り上げた瞬間に,勝ち負けであったり,どちらが強い,強くないといったりといったふうに考えるクセがついているということです。ですから,衰退という言葉が出てくるんだと思います。そして,そのような価値観にとらわれているからこそ我々は,ファンタジーと呼ばれている世界の物語でも,勝ち負けを描いてしまうんです。
カンだけでお話しますと,100年後の観客が勝ち負けにまったく興味を持たない,そういう観客になっているかもしれない。そういう可能性まで考えれば,衰退論というのは聞ける単語ではないということです。衰退しているならば再構築をすればいいだけのことですし,勝ちに乗っているならば,勝手にはしゃいでいればいいんです。勝ちというのは100年続きません。中国の文化でも,一つの王朝が続いた最長例が350年ですから。
富野由悠季氏:
(制作サイドとスポンサーサイドの対立について問われて)とてもよく分かる悩みで,この悩みは少なくともこの業界に隣接している人には一般的なものだと思いますので,3人だけにしか伝わらない話ではありません(笑)。僕自身も似たような,つまりスポンサーと自分の関係を考えたときに,同じようなことを感じました。ですから,自分でプロダクションを立ち上げてでも,と思った時期もありますが,基本的な能力論と,僕自身が決して働き者ではなかったがゆえに,それを断念したという時期もあります。
この解決については,基本的にあり得ないと思います。あり得ないことがまさに人の世なのです。これはかなり一般的に敷延できる問題なので,その悩みは――申し訳ありません――抱えてください。抱えて,それを作品にすることで吐き出して,なんとか自分がうつ病にならないよう努力してください。
(聴衆,爆笑)
ただ,美術史を見ても分かるとおり,やはりパトロンがいて,絵描きであり彫刻家であるといった人々がいる。それから王権という国家体制があったからこそ,宮廷のお抱え楽師が食えたということもあるわけです。我々が知っている著名なアーティストというのは,すべてそうしたパトロンがいたうえで,暮らしてきたわけです。かのモーツァルトでさえ,です。何月何日までに楽曲を書かねばならないという宿命にいたし,そうしていられなければ遍歴しなければならなかった。
逆に言えば,ヨーロッパ中旅行ができてお金も儲かるという立場も,素敵なものかもしれませんが,一つの場所で暮らせないという,絶対的に不利な立場にいたことも,アーティストの真実です。それでこれは,演劇やオペラ,あらゆる芸能者の宿命でもありました。日銭稼ぎもしなければいけない。これは出資者とは根本的に違う人種です。……すみません,長くなっちゃいました(笑)。(通訳さんに向かって)簡単に要約してください。
このテーマの話はえんえんとできますので,ここで打ち止めとさせていただきます。質問者の方には本当に申し訳ありません,病気にならないように頑張りましょう。
功成り名遂げたのち,なおもアーティストらしい挑発的な意見表明を辞さない氏の語り口に,まずは拍手を送りたい。アーティストによる講演なのであるから,例えば一神教文明の拡大解釈といった,話の端々をいちいち批判しても意味はないし,さりとて「11世紀の小麦収量倍率が世界の発展方向を決めたと,大師は述べておられる」などと,きまじめに受け取っても仕方あるまい。
内輪受けや小手先の技術論,はたまた作り手が陥りやすい甘えを排して,普遍的な表現を目指すべきだというのが話の骨子であり,欧米由来のツールを使いつつも,そこに盛るべきアジア的感性から未来の普遍性に到達せよというのが,氏の伝えたかったことだろう。もちろん,背景にちりばめられたグローバリズムと消費文化への批判や,台湾という土地柄への配慮など,氏なりに敷延した題材も,ユニークな読みどころではあるのだが。
「鋼弾之父」(ガンダムの父。ちなみに大陸中国でガンダムは「鋼弾」でなく「高達」と表記される)に期待された穏やかな回想やノウハウの伝授とは,ずいぶん違った講演になったものだと思うが,富野氏の来歴と,今日的な問題意識を踏まえて聞くぶんには,実に刺激的な講演であった。
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