連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ / 第16回:「人間万事ゲイ翁が馬」
著者近影
人間万事ゲイ翁が馬というわ。これは,とある国の故事成語で,以下の話が伝えられているの。
昔,ゲイの老人が持っていた馬のような部位が機能不全に陥ってしまったので,周囲の人々がお悔やみに行ったところ,老人は「このことが幸福にならないとも限らないよ」と語ったそうな。事実,なんとしてもこの機能を回復させようと躍起になった国中の男達から,老人は激しく求愛され,以前よりモテるようになったという。しかし老人は「このことが禍(わざわい)にならないとも限らないよ」とも語っていた。果たして老人は,多くの愛人を抱えていることがバレ,男達からボコボコにされる羽目に。ところが老人はまたしても,「このことが幸福にならないとも限らないよ」と語った。実はその老人はドMで,ボコボコにされながら不全に陥っていた機能を回復したのである。
このことから,「ゲイ翁が持った馬っぽい部位は,福から禍へ,また禍から福へと人生に変化をもたらした。最終的な禍福というのはその場の幸不幸からは予測できないものである」という意味で,使われるようになったわけ。男色ディーノですこんにちは。
……え? 別にゲイ翁の話はゲイムとはなんら関係ないわよ? ただこの話をしたかっただけ。強いて無理矢理関連づけるなら,世の中はどんな不幸が幸せに転じ,また幸せが不幸に転じるか分からない→人生何が起きるか分からない→人生計画どおりになんていかない→先週予告したゲイムを取り扱うとは限らない。ってところかしら。
言っておくけど,私は予告どおりのことをしなかったからとってなんら悪いことをしたとは思わないわよ。もはや「金色のコルダ2 アンコール」をプレイする気なんてさらさらないわ! 今プレイしたら,逆にコルダに失礼なのでは? とすら思っているくらいよ。大丈夫。ほかのコーエーゲイムで埋め合わせするから!
というわけで,コーエーの仇はコーエーで返すべく,今週はニンテンドーDSの「モンスター☆レーサー」。これがまた良くも悪くもコーエーっぽくないもんだから,売ってないのよどこにも。
この作品の前身っぽい「もんすたあ★レース」は,昔(10年くらい前?)私が大阪のゲイムショップ「おじゃま館」でアルバイトをしていた頃に「まあポケモンブームだしな」と思ってスルーした記憶があるんだけども,今作は「最近コーエーゲイムプレイしてないなぁ『Winning Post World』までまだ時間あるしそういえばコルダプレイしてない件もあるしイヤそれは気にしてないけどまあ久しぶりにコーエーゲイムに触れてみようそうしよう」という理由でプレイすることにしたの。
一応,「Zill O'll 〜infinite plus〜」という選択肢もあったんだけれども,かつてPSで発売されたシリーズ第一作の「Zill O'll」は,ほんの少しロード時間の長さが気になったもんでこちらは断念。今回は改善されているとは思うし,ロード時間っていってもべらぼうに重いわけではなかったんだけれども,ホラ,当時の私はとがってたから。触れるものすべてを傷つけるような。あだ名がバタフライナイフだったくらい。だから,ほんの少しの気に入らないことすら許せなかったのよ。「時は金なり」をはき違えてたのね。その頃一日12時間くらい寝てたくせに。
まあ,要するにモンスター☆レーサーをプレイしてみたわけなんだけど,これ全然ポケモンっぽくないわ。ポケモンをプレイしてないから分かんないけど,そもそも,たぶんポケモンはレースしないわよね? その点だけでも,コルダには謝らない私ですら,モンスター☆レーサーには謝らなきゃいけない気がしてきたわ。
世界観が似てるんじゃないか? っていわれたら,自分はポケモンを知らない子供達なんで,その点ではあんまり論じられないんだけど,モンスターがタイトルにつくゲイムなんてほかにもあるし、子供達はモンスター好きだし,それが可愛いらしいに越したことはないってのは,ごく当たり前のことなんだと思うわ。
あと話はそれるけど,私個人的な意見として,世の中のパクり論争に対して思うところがあるの。一言で言うとパクって何が悪いのか? と。パクり論争を聞いていると,“パクり=悪”みたいな世の中の風潮があるのに私は首をかしげちゃう。そりゃ,商業的な意味ではパクりはいかんと思うよ。生み出した者が持つ権利を盗むような形のパクりは,批判されてしかるべきだと思う。
ただ,作品的な意味ではいいモノをパクっとイッちゃうのは作り手としては至極当然のことで,ガンガンやるべきだとすら思ってるの。パクりだなんだ言い始めたらRPGなんてドラクエ,もっとさかのぼるとウルティマやウィザードリィ以外ダメだっつー話になっちゃう。もちろんそれは極論だけど。
ただ,作り手が「これは美味しいからパクっちゃえ」ぐらいの意識でパクるとたいてい上手くいかないのよねぇ。見せたいものを表現するためにパクることが必要,もしくは効果的だからパクる,くらいがちょうどいいのよ。
例えばプロレスでいうと,自分が延髄斬りを使いたいんだけども,それを少しでも威力のあるもののように見せるためにアントニオ猪木の動きをパクる。するとただ単に延髄斬りを出すよりも猪木のイメージが植えつけられている分,延髄斬りが必殺技のように見える。そこまでの意味があるなら,私はパクっていいと思う。
えっとなんでモンスター☆レーサーの話が延髄斬りの話になったのか,はなはだ不思議だけども,とにかくモンスター☆レーサーが思いのほか面白かったって話でどう? モンスターを集めるのも楽しいし,モンスターを育てる作業的なものも地味で楽しい。モンスターを合体させて,より良いスキルを持ったモンスターを生み出す作業も奥深い感じがいいわ。
そしてこれらは,モンスターとの“戦闘=レース”が爽快でないと成り立たない楽しさなのね。で,実際にレース部分がオリジナルで楽しいわけだから,もうこれはモンスター☆レーサー独自の楽しさであると言えるわけなのです。そこからさらに,いろんな楽しさが広がってるのです。だから,もんすたあ★レースおよびモンスター☆レーサーに謝ってください10年前の私。すんませんでした。また来週。
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