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「マジック:ザ・ギャザリング」,サンフランシスコで開かれた世界選手権の模様をレポート。日本人が団体戦と個人戦で2冠の快挙を達成
大会の個人戦では,前評判の高かったアメリカの強豪チーム「チャネル・ファイアーボール」(以下,CFB)勢が,ベスト8に4人も名を連ねて圧倒的な力を見せたが,見事優勝を果たしたのは,そこに単身切り込んだ日本人プレイヤーだった。
国別団体戦でも,一致団結した日本勢が強さを見せつけ,個人戦に加えて優勝の栄冠をもぎ取る。去年の世界選手権では涙を飲んだ日本勢だったが,今年はマジックの本場アメリカでその雪辱を晴らす結果となった。
また,大会とは別の見どころとして,プロプレイヤーの中村修平選手が過去の戦績とマジック界への貢献を認められて「マジック殿堂」に加わったことが挙げられる。大会の結果だけでなく,マジック界への影響においても日本が認められる形となった今回の世界選手権大会の様子を,以下で詳しくレポートしていこう。
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世界選手権大会“個人戦”
世界選手権の個人戦は,1日目:スタンダード,2日目:ブースタードラフト,3日目:モダン,というフォーマットでそれぞれ6回戦を行なう。そして,3日にわたる計18回戦の戦績上位8名が,4日目の決勝ラウンドに進出することになる。
とくに目覚ましい活躍を見せたのはCFBのメンバーであるConley Woods(コンリー・ウッズ)選手だ。彼は2日目終了時にただ1人の12戦全勝者となり,3日目が始まると早々にベスト8進出を確定させた。日本勢の中では,後述する「マジック・オンライン(以下MO)」によって世界選手権の参加権を獲得した2人,吉岡祐樹氏と彌永淳也氏が好調であった。
吉岡祐樹選手 趣味として楽しむMOでチャンピオンシップ予選を通過し,「旅費がペイできればいいかな」という気持ちでやってきたという |
彌永淳也選手 2005年日本選手権準優勝など,実力は高い。現在は学業などが忙しいためマジックをあまりやっておらず,「今回が最後」のつもりで来場 |
リアルでのマジックは引退し,今はMOしかやっていない吉岡氏だが,「リアルマジックは意外とラクでなかなかいいですね」と気楽な面持ちで勝ち進む。参加者へのアンケートで「今大会の目標」を聞かれ,「楽しむこと」と答えていることから分かるとおり,気負わないのが功を奏していたようだ。
一方,彌永選手は最終戦で対戦相手とID(合意のうえでの引き分け)にできればトップ8が決まるというところまで来たが,ここで対戦を組まれたのはCFBのリーダー,Luis Scott-Vargas(ルイス・スコット・ヴァーガス)選手。彌永選手はIDを申し込むが,「ほかのチームメンバーにトップ8の可能性を増やすため」とのことで拒まれる。「ええ,それは理解できます」と笑顔で答えた彌永氏は,“CFBの総帥”を向こうに回しても臆することなくプレイし,見事に決勝ラウンド進出を決めた。
世界選手権大会“個人戦”決勝ラウンド
・決勝ラウンド対戦表(敬称略)
Conley Woods(CFB)対 Craig Wescoe
Josh Utter-Leyton(CFB)対 彌永淳也
Paulo Vitor da Rosa(CFB)対 David Caplan
Luis Scott-Vargas(CFB)対 Richard Bland
実はCFB勢は4人とも,サイドボードまで1枚違わず同じ「鍛えられた鋼」デッキを使用していた。3日目にルイス選手が彌永選手とのIDを拒否したことには,決勝ラウンドに彌永選手のデッキを残したくないという思惑もあったのだ。
彌永選手は準々決勝の初戦のみ,相手の「ブン回り」で1ゲームを落としたものの,サイドボード後は有利を広げて圧勝。準決勝では,ここまで無敗を守り抜いたウッズ選手を相手に,ギリギリまで押し込まれるものの,最終的には《業火のタイタン》が炸裂して彌永選手がストレートに勝利した。……この1戦は,週末のあいだに彌永選手についた「チャネルキラー」の二つ名を確たるものにした試合でもある。
決勝戦の相手となったRichard Bland(リチャード・ブランド)選手の「緑白トークン」デッキに対しても,やはり彌永氏のデッキは相性がよかった。それに加えて相手の引き自体も悪く,彌永氏は途中“流れが自分に来ていることをアピールするために”あえて《感電破》を4枚まとめて撃ち込み一気に16点ダメージを叩き出すなど,終止危なげなく勝利して,見事優勝を決めた。
最終的に彌永氏のスタンダードとモダンのデッキは合計14勝1敗という成績であり,メタゲーム※を読み切ったデッキ構築力の賜物と言えよう。
※デッキの分布や相性をめぐるゲーム外のかけひき
個人戦の合間に見えた,チームと個の戦い
大会の経過からは少し脱線してしまうが,個人戦の合間に興味深いできごとがあったのでお伝えしておきたい。
実を言うとここ最近,日本人はマジックの大会で不振が続いていた。約1年前に,マジック日本語版公式サイトに「日本勢は,なぜ勝てなかったのか」という記事が掲載されたほどで,根は深いように思われる。同記事でも触れられているが,不振の理由には,個性的なデッキビルダーが不在であること,そして何よりも,マジックの“チーム”が日本に存在しないことが明確な要因として挙げられるだろう。
以前から,日本ではショップや草の根トーナメントをとおして交流する友人という,非常にローカルなコミュニティでデッキを調整し合うのが主流となっている。一方,本場アメリカでは複数のチームが日常的に凌ぎを削っているのだから,デッキ構築術に差が生まれるのは当然だ。これは,もはやプレイヤー人口,ひいては国の総人口にまで広がってしまう問題でもある。
そういう事情は,このところ目覚ましい活躍を見せていたアメリカのチームCFBが,注目度の低かった「鍛えられた鋼」デッキを携えて今大会に臨んだことにもよく表れているように思えた。彼らが決して評判の高くないこのデッキを選択した理由には,ホームである西海岸での十分なデッキ調整と練習から生まれた,確固たる自信があったのだろう。
そんな流れがある中で,個人戦3日目のモダンにて,独特のデッキ構築センスで知られる八十岡翔太氏のデッキレシピが計5人にシェアされ,“チームに属さない”デッキビルダーが世界へ挑戦する形となった。そしてこのデッキは,中村選手のモダン6戦全勝という猛追撃を演出し,ほかのデッキ使用者にも好成績をもたらしたのだ。
興味深いのは,CFBのメンバーBen Stark(ベン・スターク)選手があえて八十岡氏のデッキを使わせてほしいと依頼してきたというエピソードだ。CFBのメンバーが,3日目ではこぞって「ZOO」デッキを選択していたにも関わらず,ベン選手のみが八十岡氏のデッキに目を付けたのである。
最終的に,必要不可欠なカードが手に入らなかったために実現はしなかったものの,“個”として戦ってきた八十岡氏のデッキがチームで戦ってきたCFBのメンバーに認められたというのは,個人的に特筆しておきたいできごとだった。
世界選手権“国別対抗団体戦”
少し話が逸れてしまったが,団体戦の経過の話に移ろう。
夏に行なわれた日本選手権を勝ち抜き,今年の代表チームとなったのは下記の3名だ。
石田龍一郎選手 欲しい時に欲しいカードを引き当てる「豪腕」の異名を持つが,努力もまた人一倍 |
藤本知也選手 長いマジック歴を持つ大阪のプレイヤー。日本初の殿堂プレイヤーである藤田剛史氏のもとで学ぶ |
三原槙仁選手 2006年の世界チャンピオンに輝いた際は,プレイミスからの奇跡的な逆転で伝説を作った |
団体戦では,この3名がスタンダード,モダン,レガシーのデッキを分担し,チームとして4回戦を行なう。この試合の結果に個人戦の戦績を加えた合計ポイントでのプレーオフに進出できる2チームが決定される。
石田選手は,もっとも得意なスタンダードを選択。オールマイティ型の三原選手は3人の中央に座るためにモダンを選んだ。残る藤本選手はあまり得意でないレガシーとなったが,チーム戦はアドバイスが可能なので,三原選手が要所要所で藤本選手にアドバイスを出してフォローする形をとることになった。
三原選手自身は2勝2敗だったが,司令塔として左右の2人に助言を落としていく。これを信頼した2人が,ぶれないプレイをしたことで,石田選手は3勝1引き分け,藤本選手は4勝無敗と安定した戦いを見せ,結果的にチームとしては対戦相手のフィンランド・スイス・ドイツ・オランダのすべてに勝利。最終戦の直前に,3位の台湾に4点差まで追い上げられたものの,逃げ切って1位でプレーオフ進出を果たした。
決勝は,どのフォーマットともデッキの相性としては日本側が有利なノルウェーとの対戦となった。まずスタンダードで順調に勝ち星を奪い,残るモダンかレガシーで勝ちさえすれば,優勝が決まるという状況を迎えた。
ライフレースで不利だった三原選手が粘って耐えた末,盤面は《罰する火》と《燃え柳の木立ち》による複雑で細かい勝負に持ち込まれる。理系プレイヤーとして知られる三原選手は,難しい局面を緻密な計算といくつかのゆさぶりで盤面を少しずつ自らのほうへと傾かせ,ライフ3から勝利をもぎとって,日本チームの優勝を確定させた。
日本人が並ぶ表彰式の光景は,2005年にチーム戦,個人戦,プレイヤー・オブ・ザ・イヤーの三連覇を達成した時のことを彷彿とさせ,「強い日本の復活」を世界に印象付けた。
マジック・オンライン・チャンピオンシップ
個人戦参加プレイヤーは1日6回戦ずつだが,そのあとさらに4回戦ずつを追加で戦うプレイヤーが,会場内に12人だけ存在した。それが「マジック・オンライン・チャンピオンシップ(以下MOCS)」に参加したプレイヤー達だ。
これは,マジック・オンラインで行なわれる予選を勝ち抜いたプレイヤーだけが参加できる賞金総額10万ドルの大会で,世界選手権会場内で実際に顔を合わせながらも,あくまで“PC上で対戦する”のが特徴となっている。
ルールは個人戦と同じで,3日間,スタンダード,ドラフト,モダンというフォーマットで,それぞれ4戦ずつ行なわれる。プレーオフに進出できるのは,このうち上位2名だ。
日本からは前述の通り,吉岡選手と彌永選手の2名が参加。本戦で消耗したあと,さらに長時間PCに向かうという長丁場だったが,2人ともいつも通り冷静にプレイしていた。
会場内に設けられたMOブースで対戦する選手達 |
キーボードのかたわらに夕食を置いてプレイ中の彌永選手 |
MOCSの2日目終了時,彌永氏はあと4連勝すればプレーオフ進出という位置につけており,MOとリアルの両方で決勝ラウンドに進む快挙が期待されたが,3日目に負けられない戦いが6ラウンドも続いたせいでさすがに集中力がもたなかったのか,細かいミスが響いて7位に終わった。とはいえ,賞金6000ドルに加え,賞品としてMOで使える好きなデッキのコンプリートセットを獲得しているのだから羨ましい。
中村修平選手のマジック殿堂入りと大会制度の変更
大会とは別の意味で見どころだったのは,日本人の中村修平選手を含む3名の名プレイヤーが新たにマジック殿堂(Hall of Fame)入りを果たしたことだろう。マジック殿堂は,過去の戦績が優秀なプレイヤーの中から,コミュニティへの貢献度などの総合的判断によって選ばれ,最終的な投票をとおして決定されるというマジック界の栄誉だ。
投票者1人につき5票を投じ,全体の40%以上の得票数を得られれば選出されるルールだが,中村選手は82%強というダントツの人気で選ばれた。ちなみにこれまでに殿堂入りしたプレイヤーは世界で26人しかおらず,日本人としてはマジック黎明期から活躍してきた藤田剛史氏に続く2人目となる。
殿堂入りの栄誉に浴したプレイヤーは,本来なら予選を抜けなければ参加できない大会への出場権を一生涯にわたって獲得できるなど,さまざまな特典を得られるのだ。
中村修平選手 |
藤田剛史氏 |
中村修平選手の過去の戦歴をダイジェストで伝えるビデオ。「大会ついでにワニ園へ観光に行き,動かないワニを作り物と勘違いして触ろうとした」というおまけエピソードには会場から爆笑が |
CFBの一員でもある中村修平選手。会場ではプレイマットにサインをせがまれる場面も |
○中村修平選手プロフィール
年齢:30
住所:東京都
経歴:中学生からマジックを始め,地元大阪の仲間と経験を積み,2002年の大会で優勝したのを皮切りに,2008年のプレイヤー・オブ・ザ・イヤー獲得など国内外で数々の戦績を誇る。ここ4年ほどは世界中の大会を連戦し続け,年間成績によってさまざまな特典が受けられる「プロプレイヤークラブ」の最高レベルを6年間維持。海外でもっとも名を知られる日本人プレイヤーである。
ちなみにCFBに所属して記事を書き,日本のマジック公式サイトでも連載を持っていることでも知られる。そこには「Play the game, See the world」というマジックの基本理念にのっとり,ゲームを通じて世界各地に友人を作り,試合の合間に観光をして見聞を広めている様子が書かれている。
MTG日本語版公式WEBサイトでの連載記事:
http://mtg-jp.com/reading/variety/002209/
中村修平選手の殿堂入り決定を知らせる記事:
http://mtg-jp.com/reading/translated/001967/
夏の殿堂投票時期には,すでに当選が濃厚だと言われていた中村選手。実際に結果が出たときの気持ちを聞いてみると,「Twitterでいろいろな人の意見や投票の動向を見ていて,これはさすがに受かっただろうと思っていたけど,結果が出てみると予想以上に得票数が多くてびっくりしました」とのこと。
実家生活のころは,「月の半分しか家にいない」ほどだったというが,温かく応援してくれたご家族と一緒に |
家族から,殿堂入りに関して何かコメントはあったか?という質問への答えは,「『おめでとう』とは言われましたが,『殿堂入りが1つの区切りになる』と前々から言っていたので,どういう意味での『おめでとう』なのかはわかりません(笑)」
中村選手は,プロプレイヤーをサポートする制度「プロプレイヤークラブ」の最高レベルの8をずっと維持してきた。その結果として,彼は世界を巡ることができるのだが,逆にそのレベルを維持するために世界を巡り続けてきたともいえる。
今年もレベル8を維持できれば来年も世界を回り続けられるが,そのためには今大会の最終成績が64位以上にならなければならなかった。最終的には64位を大幅に上回る16位で大会を終えており,「来年の世界選手権が16人だけのものになる※ので,それにはぜひ出てみたい」という次の目標には近づいた。
しかし,仮にレベルを維持できていなかったら,中村選手がこれまでと同じようにマジックをプレイしていたかは,本人も分からなかったという。
※来年以降,世界選手権の開催形式が変更されることによる。詳しくは文末の囲みを参照してほしい
ただ,中村選手は殿堂の記念品として贈呈された指輪を,「普段指輪なんかはめないせいで」と,とっさに左手の薬指にはめてしまい,ステージ上で慌てる姿も見せた。今大会の結果を鑑みても,マジックと“結婚”するかどうかはともかく,マジックと離れる日はまだまだ遠そうな気配だ。
そんな中村選手の今後に関係することでもあるのだが,現在,いわゆるプロプレイヤーを取り巻く環境は転換期を迎えている。今までは,試合に勝てばレベルが上がり,負ければ下がる「レーティング」というシステムに基づき,レーティングの高いプレイヤーから順に世界選手権やプロツアーといった招待制イベントへの参加権が得られていた。
しかし,いったん高いレーティングを獲得したプレイヤーが,下がることを恐れて大会に出なくなるといった弊害もあり,ウィザーズ社は今後レーティングを「プレインズウォーカー・ポイント(以下PWP)」システムに変更すると発表したのだ。
このPWPは,生涯をとおして集計され,勝てば上がるが負けても下がることがなく,イベントに参加するだけで増える。大きなイベントであるほど,1つの勝利に対して得られるポイントも増えるようになるという。
今まで同様に大きな大会で勝つことがイベント招待への一番の近道であることに変わりはないが,この制度のおかげで地元ショップの小規模なイベントにコツコツと出続けることなどによっても,招待の可能性が出てくることになった。
ただ中村選手は,先述の「プロプレイヤークラブ」による特典ありきで,プロプレイヤーとしての生活を続けてきた。しかし,今後は「プロプレイヤークラブ」がなくなり,同時に現在のサポート体制も変更される予定なのだが,どのような体制になるかは現時点で公表されていない。結果として,中村選手のようなプロプレイヤー達が,マジックへの取り組み方を再考する必要に迫られているのだ。
“最後”の世界選手権
実は今回の世界選手権が開催される少し前,マジックの発売元ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社から,来年以降の世界選手権の形式変更が発表されていた。
それによると2012年からは,今までのように世界各国の代表を集め4日間かけて行なう形ではなく,特別に選ばれた16人のプレイヤーをGen Con(毎年夏に米・インディアナポリスで開催されるアナログゲームの一大イベント)の会場に招いて開催することになるという。
このため,カリブ海の小島をはじめバルト三国,イスラエルに至るまでの国際色豊かな顔ぶれがカードを通じて交流を深める世界選手権は,今回が最後ということになる。会場のそこかしこで,名残を惜しむプレイヤーの姿が見られたのは非常に印象深かった。
世界の国旗が飾られた中,プレイヤーたちがひしめく会場全景 過去の大会優勝者たちの名前を刻んだパネルが,マジックの長い歴史を感じさせる
「マジック:ザ・ギャザリング」公式サイト
マジック:ザ・ギャザリングとは?
1993年にアメリカで誕生するやいなや大ブームとなった元祖トレーディング・カードゲーム(以下TCG)。現在も世界60か国で年4つの拡張セットが発売され続けており,多額の賞金を懸けた世界規模のトーナメントが行なわれていることも人気の理由である。
ゲームの遊び方(フォーマット)には,大きく分けて「構築」と「リミテッド」の2つ。
前者はあらかじめ構築したデッキを使ってプレイする形式。構築のために使えるカードの制限によって「スタンダード」「モダン」「レガシー」といったレギュレーションに分類される。
一方のリミテッドは,新しいパックを開けてその場でデッキを作ってプレイする。最も一般的なのは,8人でパックを受け渡しながら1枚ずつカードを取っていく「ブースタードラフト」だ。
最新の拡張セット「イニストラード」では,裏面にもクリーチャーが印刷してある「両面カード」が新ギミックとして登場。ブースタードラフトはカード内容を公開せずに行なうが,両面カードだけはこの写真のように全員に提示するルールとなっている。
両面カードの例。左が表で右が裏
- 関連タイトル:
マジック:ザ・ギャザリング
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