連載
【Jerry Chu】ゲームは「暗喩」になる
Jerry Chu / 香港出身,現在は日本の大学院で勉強中
Jerry Chu「ゲームを知る掘る語る」Twitter:@akemi_cyan |
ゲームは「暗喩」になる
日本でも「ハウス・オブ・カード 野望の階段」というタイトルで,DVDやBlu-rayがリリースされており,3月4日には全4シーズンの一挙配信がNetflixで始まったばかりだ。まだ大ヒットといえるほどの知名度は獲得していないようだが,アメリカでは優れた番組に贈られるエミー賞を受賞しており,高い人気を誇っている。
本作は,アメリカの政治をテーマとしているため,一見しただけではゲームとは無縁に思える。しかし,実際にはゲームが登場するシーンが効果的に使われた,ゲームファンの視点から見ても面白い番組だ。
「House of Cards」の主人公は,アメリカ民主党の下院院内幹事であるフランクである。フランクは大統領選挙において,国務長官のポストを約束してくれた党友を応援していたものの,当選した党友に約束を反故にされ,ホワイトハウスに入り損なう。煮え湯を飲まされたフランクは復讐に燃え,陰謀を企てて“野望の階段”を這い上がっていく,というのがドラマのあらすじだ。
このドラマを見て,まず気が付くのは「PlayStation」のプロダクトプレイスメント(以下,PP)だろう。これは,映画やドラマの劇中に実在の商品を登場させて,視聴者への宣伝効果を狙う手法のことである。
「House of Cards」では,フランクがPlayStation 3のゲームをプレイしているシーンがよく見られる。また,シーズン1には下院議員ピーターの家を訪れたフランクが携帯ゲーム機を手に取り,「これがPlayStation Vitaか……。車でプレイするにはちょうどいい(Is that a PS Vita... I really want one of these for my car.)」と話すシーンが登場する。PPにしても,かなり露骨だ。
ゲームが登場するシーンはPPばかりではなく,ときにはキャラクターを理解するための手がかりにもなる。たとえばシーズン1の第1話で,フランクは夜遅くまでFPSをプレイしているが,これは特筆すべき描写だろう。
「Call of Duty」シリーズや「Battlefield」シリーズなど,アメリカで人気を獲得しているFPSは米軍をテーマとするものが多く,その暴力的・主戦論的な内容は,しばしばジャーナリストの眉をひそめさせる。そのうちの1人,アメリカのTom Bissell氏はこう論じている。
「ミリタリーシューターは,我々が心に潜めている生殺与奪権を握りたいという強欲を表しているのかもしれない。実際,『ストレスを解消できる』として大勢のファンに支持されている」
「結局のところ,シューターに求められているのは『ストレスを解消する』という体験だけなのかもしれない。ただの排気口だ。なるほど,一理ある。だが,気づいているだろうか。エアコンの排気口の中は汚いぞ」
つまり,シューターを好む者は心の奥底に暗い欲望を抱え,ゲームによって溜まったストレスを発散している,と主張しているわけだ。
これを踏まえて,フランクがFPSをプレイしているシーンを見直してみると,彼の心境が深く理解できる。党友に裏切られ,陰湿な権力闘争にさらされたフランクは,想像を絶するような心労を負っているのだろう。そこで,内に溜まったストレスと権力欲をゲームにぶつけているのだ。「フランクがFPSをプレイする」のはPPではなく(具体的なタイトルが明かされていない),キャラクターの心情を垣間見させるための描写である。
.@chunza_mufc That's right. pic.twitter.com/HOt4JRuCDq
— House of Cards (@HouseofCards) 2015年7月22日
ゲームに関する描写はシーズン3にも登場する。大統領の座に登りつめたフランクは,新聞に掲載された「Monument Valley」(iOS / Android)のレビューに魅せられ,執筆者のトーマスを雇って自伝を書かせる(ちなみに,これはデベロッパによるPPではないらしい)。トーマスは,ゲームレビュー1本でホワイトハウスに迎え入れられたというわけだ。
その後,トーマスはフランクに「The Stanley Parable」を勧める。本作は「ゲームとは何か?(Game About Games)」を考えさせるインディーズゲームで,プレイヤーはナレーターの指示に従って無人のオフィスを探索していく。
だが,ナレーターに逆らうこともできる。「左のドアに入れ」という指示を無視して右のドアに入ったり,「直進しろ」という指示を聞かずに寄り道をしたりといったように。
しかし,プレイヤーはどう足掻いても最終的にはナレーターの筋書きからは逃れられない。ゲームにおいて,「プレイヤーに与えられた自由なんて紛い物だ」と皮肉った怪作だ。
トーマスが「The Stanley Parable」に込められたメッセージを明かすと,フランクは直ちにPCを閉じて「もういい。日常と変わらないじゃないか(Another time, it’s too much like my real life.)」と口走る。フランクは大統領になり,無上の権力を手に入れたものの,国内では政敵と議会に頭を悩まされ,国外ではロシアの強硬な姿勢に手を焼いていた。思いどおりにならない現実に直面したフランクは,「大統領が下す選択など,所詮,偽りの選択だ(Sometimes I think the presidency is the illusion of choice.)」と漏らしている。
「偽りの選択(the illusion of choice)」というフレーズは,「The Stanley Parable」のテーマと通底する。プレイヤーはゲーム内で好き勝手にできると,大統領は世界を思うがままに動かせると思うが,結局のところ,どちらも無形の束縛からは逃れられない。苦境に立たされたフランクの心情を,「The Stanley Parable」に喩えているのだ。
だが,「House of Cards」はゲームを登場させるだけでなく,ゲームを引き合いにして登場人物の個性や心情を描いている。これだけでも十分に画期的だと思うのだが,「Monument Valley」や「The Stanley Parable」といったインディーズゲームをピックアップする嗅覚からは,制作陣のゲームに対する造詣の深さがうかがえる。
ゲーム研究者のIan Bogost氏は「ゲームという媒体を真に成熟させるのは,プレイヤーの数でも販売収益でもなく,ゲームがさまざまな分野で使われることだ。写真や書物,映画のように,ゲームが日常に浸透したときこそ,媒体として成熟したと言える」と自説を主張している。「House of Cards」はゲームを効果的に活用しており,娯楽だけには留まらない機能を証明した。ドラマの暗喩になれるほど,ゲームが豊かな文化に成長していることを我々は喜ぶべきだろう。
※この記事は「熱血時報 Passion Times」に寄稿されたものを原著者によって翻訳・加筆したものです。
■■Jerry Chu■■ 香港の引きこもりゲーマー。中学の頃は「真・三國無双」や「デビルメイクライ」などをやり込み,最近は主に洋ゲーをプレイしている。なるべく商業論を避け,文化的な視点からゲームを論じていきたい。現在はゲームプログラマーを目指して勉強中。 |
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