インタビュー
コンパイルという十字架,蟄居の気持ちから再起して「にょきにょき」へ。コンパイル○社長・仁井谷正充氏インタビュー
その創業者であり,社長を務めた仁井谷正充氏は,2016年4月に長い沈黙を経て新会社コンパイル○を設立。2016年内にニンテンドー3DS用の新作落ちものパズル「にょきにょき たびだち編」(以下,「にょきにょき」)でゲーム業界に復帰する。
「にょきにょき」は不思議な「にょき」をフィールドに落とし,同じ色をつなげたあと,「針」に変化させた「にょき」を接触させて消すというルールの落ちものパズル。詳しくは「こちら」の記事を参照していただきたい。
コンパイルの経営破綻後,仁井谷氏は何をしていたのか。そして「にょきにょき」にかける思いとは? 氏の自宅兼コンパイル○のオフィスにて話を聞かせてもらった。
「コンパイル○」公式サイト
「にょきにょき」のために生まれた新会社コンパイル○
4Gamer:
本日はよろしくお願いします。まずはコンパイル○設立の経緯から聞かせてください。
仁井谷正充氏(以下,仁井谷氏):
コンパイル○を設立したのは今年(2016年)の4月で,「にょきにょき」を発売するために設立した法人なんです。2月に元コンパイルファンの集まりで「にょきにょき」のプロトタイプを遊んでいただいたら評判が良くて,それなら商品化してみようということになった。そのためには法人が必要だということになり,コンパイル○を立ち上げたんです。それまで,会社を作ることは考えてませんでしたね。
4Gamer:
まさに「にょきにょき」ありきの会社なんですね。では,「にょきにょき」の構想はいつ頃からあったんですか?
仁井谷氏:
6年ほど前からです。コンパイルが無くなったあとに業務を引き継ぐ形でアイキという会社ができたんですが,そのアイキも無くなってしまい,専門学校の講師をしているときに考えたアイデアですね。
4Gamer:
その後,専門学校の講師も辞されていますが,それ以降は開発に専念されていたんでしょうか。
仁井谷氏:
いいえ。何しろ飯を食わないといけないので,別の専門学校の講師や,警備員のアルバイトなんかをしつつ開発していました。ほかの会社に行くというお話もありましたけど,自分自身がコンパイル的なものから抜け出せていないのでお断りしました。僕も積極的に売り込むということはしませんでしたし。
4Gamer:
「にょきにょき」がゲームとして動く形になったのは,どれくらいの時期なんですか。
仁井谷氏:
2年ほど前にはPC上で動作するプロトタイプが完成していました。
4Gamer:
商品化を決意したのが今年の2月で,4月にコンパイル○を立ち上げ,7月の「BitSummit 4th」ではプレイアブル出展ですから,かなりの急ピッチですね(関連記事)。
仁井谷氏:
実はもっとじっくりとやろうと思っていたんですが,任天堂さんから「BitSummitにプレイアブル出展しましょう」というお話をいただいたので,スケジュールが一気に前倒しになったんです。
「にょきにょき」は「ぷよぷよ」を越えるライフワーク
その「にょきにょき」ですが,落ちものパズルにするというのはどの時点で決まったのでしょうか。
仁井谷氏:
「ぷよぷよ」を越えるものということを考えていたので,ジャンルは最初から決まっていましたね。「ぷよぷよ」以上のものを生み出すことが,ある意味,今のライフワークなんです。
4Gamer:
「ぷよぷよ」という大きな壁があったからこそ「にょきにょき」が生まれたと。
仁井谷氏:
「ぷよぷよ」というゲームは2作めの「ぷよぷよ通」で完成しているんです。このとき,疑問に思っていたのが,1作めの「ぷよぷよ」は渋谷の女子高生達も遊んでくれたのに,「ぷよぷよ通」ではそうならなかったこと。落ちものパズルは対戦者同士に力量の差がありすぎると試合にならないので,それを何とかしようと3作めの「ぷよぷよSUN」では「太陽ぷよ」という要素を入れたけれど,やはり1作めほど広い層が遊んでくれるには至らなかった。
4Gamer:
その原因は何だったんでしょうか。
仁井谷氏:
考え続けて分かったのが「ぷよぷよの連鎖は難しい」ということです。ならば「落ちてくるモノは一色でも,連鎖のようなことができたらいいんじゃないか」と。そこで,アイキで「ポチッとにゃ〜」を作ったんですが,これもダメだった。その後もずっと考え続け,今回の「にょきにょき」に至ったんです。
4Gamer:
「ポチッとにゃ〜」は,積み上げたブロックを任意操作で消していくシステムが「にょきにょき」と似ていますが,今回はどういった部分で差別化を図っているんですか。
仁井谷氏:
「点数計算を分かりやすくした」ということが第一です。「ポチッとにゃ〜」は,「T字やL字,十字にブロックを組んでいくと,枝分かれ(分岐)するごとに攻撃力がアップしていく」という仕組みでした。僕は数学が得意なのですぐに計算できるんですが,そうでない人にこれは分かりづらい。作り手は,どうもルールを複雑にしたがるところがありますから。
4Gamer:
ルールが複雑なほど,上達のしがいがあるだろうということですか?
仁井谷氏:
そうです。また当時は,開発スタッフが単純なシステムや発想を受け付けないという時代の限界もあった。これを改良したのが「にょきにょき」です。
4Gamer:
具体的にどういった部分が改良されているんでしょうか。
仁井谷氏:
「積み上がったにょきの高さ×幅でかけ算する」という形で,ルールをシンプルにしたことです。つまり,「高く積み上げ,長く横へ伸ばした状態」=「大きなL字を作った形」で発火すると攻撃力が上がるというわけですね。
4Gamer:
なるほど,確かにルールとしては「ポチッとにゃ〜」より分かりやすくなっていますね。ただ,「ぷよぷよ」では偶然に連鎖が成立することもあり,その爽快感が魅力の一つでもありましたが,「にょきにょき」だとそうした偶然があまりないように見えます。
仁井谷氏:
戦略ゲームというのは本来そういうものですから。「にょきにょき」は戦略ゲームなんです。ゲームを触った初日にルールが理解でき,10人いれば10通りの戦略が生まれて,みんながワイワイ楽しめる。それでいて,発火のタイミングなどで勝負に振れ幅がある。こんなパズルゲームは見たことがないですね。
4Gamer:
楽しみ方自体が「ぷよぷよ」とは違うんですね。
仁井谷氏:
全然違いますね。まったく別のゲームですから。e-Sportsにしていきたいくらいですよ。こうした展開は,元々「ぷよぷよ」のときに考えていたんですけどね。
4Gamer:
e-Sportsという言葉がない時代から,そうした展開も視野に入れていたと。
仁井谷氏:
そうですね。「にょきにょき」では,すでにレベルの違う人が対等に戦えるような仕組みも考えています。「ぷよぷよ」のあと,このテーマで20年間悩んできたからこそ作れるものです。
4Gamer:
なるほど。発売後の動きに要注目ですね。
互いにアイデアを揉んで鍛えていく。部署の境目がない,コンパイルというメーカー
4Gamer:
ここからはコンパイルについて聞かせてください。コンパイルを設立する前もいろいろなお仕事をされてきた仁井谷さんですが,ゲーム会社を立ち上げようと考えたきっかけは何だったのでしょうか?
仁井谷氏:
当時はマイコンを売る会社にいたんですが,商品を仕入れて売るだけという仕事が肌に合わなかったんです。何か自分でモノを作りたいという志向が強くなって。それなら,もう自分で会社をやるしかないという状態だったんです。
4Gamer:
当時からクリエイター志向だったと。
仁井谷氏:
そこでソフトを作る会社を立ち上げたんですが,実はゲームを作ろうとは思っていませんでした。当時,ちょうどファミコンやセガのSG-1000が発売された時期で,ゲーム作りの仕事が回り回ってやってきた。時代の流れに沿う形でゲーム会社になったんですよ。
4Gamer:
では,あまりゲームには興味がなかったんですか。
仁井谷氏:
いえ,もともとゲームには興味がありました。僕は数学が好きなので,中学時代からコンピュータに憧れていたんですが,当時のコンピュータは大学などに置かれていて交代で使うものだった。そこで,個人で使えるマイコンが出たときに飛びついたんです。
4Gamer:
いわゆるマイコン少年になったわけですね。
仁井谷氏:
大型量販店へ通って,置いてあるマイコンに勝手にプログラムを打ち込んだりしていました。その後は,マイコンの販売会社に勤めることになり,そこで当時の仲間とグループを組んでゲームを作っていたんです。
4Gamer:
なるほど。マイコンへの興味が仕事になり,それがコンパイル設立につながったと。コンパイルと言えば印象的なのがユーザーフレンドリーな社風です。ファン向けに月刊誌「コンパイルクラブ」を出版したり,さらに会員には特別な「コンパイルクラブ 地下版」を配付したり,ユーザーとのコミュニティ作りに力を入れていました。
仁井谷氏:
会社広報誌というと普通はお堅いイメージですが,コンパイルではいろんな部署から人が集まってきて同人誌的なものを出していましたね。
4Gamer:
普通なら広報部のようなところが一手に引き受ける仕事にも思えますが。
仁井谷氏:
コンパイルには部署の境目がなかったんです。プロジェクトメンバーだけで固まることなく,皆がお互いのプロジェクトに参加できる,アメーバのような組織作りをしていました。例えば,経理のように開発でない人も企画を出していいんです。スタッフ達もコミックマーケットに行きたがるような人達だったので,ユーザーとの境目がない社内文化だったと思います。
4Gamer:
オープンな社風だったんですね。
仁井谷氏:
部署やプロジェクトの境目なく意見が出せるということは,作ったものが皆に揉まれるということです。多くの人の目に触れるわけですから,へたなものを提出できない。ダメなものを出すと厳しい評価が下される。こうした過程を経ているので,世に出るときには必ず面白いゲームになっているんですよ。
4Gamer:
いろいろな視点からダメ出しすることで作品が鍛えられると。
仁井谷氏:
ええ。とくに初期の頃なんかは,ゲームが企画書どおりに仕上がりませんでしたからね。例えばMSXで発売した「アレスタ」をメガドライブに移植するというプロジェクトでは,完成品がまったく別物の「武者アレスタ」になっているといった具合でしたから。
4Gamer:
あそこまで別物になるというのは,現在ではちょっと考えられないですね。
仁井谷氏:
僕は仕事のうえで,必ずグリコのおまけ的な「プラスアルファ」を求めるんです。皆に揉まれたうえで合格した「プラスアルファ」を持って来いと。ちょっとツラくもあるんですが,こうした姿勢がないとコンパイルの社員としてはやっていけなかった。
4Gamer:
非常に高い水準が要求されているように思います。
仁井谷氏:
例えばゲームのタイトルやロゴ作りなんかも,10種類くらいアイデアを出して多数決で採用するということをやっていました。社内全員に回覧を回し,即日投票する。つまり,皆に揉まれることが,そのまま社内マーケティングになっているんです。
4Gamer:
そのうえで,最終的な決定権は社長である仁井谷さんが持っていたのですか。
仁井谷氏:
僕には最終的な決定権があるわけじゃなく,拒否権があるだけ。最終的には10人くらいの取締役会議での多数決で判断していました。
僕は独裁者と言われることもあるんですが,逆ですね。クリエイターとして,イエスマンの人こそ周囲に置きたくない。自分と違うアイデアが出てくるからこそ面白いんです。自分のやっていることが不安だからこそ,人に見せたい。受けたら良いものだと分かるし,ダメでも引っ込めればいいだけですからね。
4Gamer:
コンパイルでは,シューティングから落ちものまで,ジャンルにこだわらずいろいろなゲームを出していましたね。
仁井谷氏:
それはいろいろなジャンルを試してみて,当たったものを作っていったということが一つ。もう一つは「ディスクステーション」という,新入社員が自由にもの作りをするディスクマガジンを作り,ここで受けたものを製品化していったらバラエティ溢れる作風になったという面もあります。
4Gamer:
「ディスクステーション」は当初から新入社員の登竜門的なコンセプトで作っていたのでしょうか。
仁井谷氏:
最初はMSXでフロッピーディスクのソフトを出すことになり,ゲームだけでは容量が余っていたのがきっかけでした。そこで,ウチやほかのソフトハウスさんの体験版を入れればいいんじゃないかと思いついた。
4Gamer:
余りスペースの有効活用からスタートしたと。
仁井谷氏:
ええ。その後,徐々にオリジナル作品のパーセンテージが増えていったんです。
4Gamer:
のちに月刊化もされましたよね。オリジナル作品を詰め込んだディスクマガジンが毎月出ていたというのは,すごいことだと思います。
「魔導物語」なんかは「ディスクステーション」から生まれたゲームですし。こうした作品をどんどん生み出したかったけど,社内体制が整う前にコンパイルが消えてしまった。
4Gamer:
「ディスクステーション」は単体で採算が取れていたんでしょうか。
仁井谷氏:
MSX版は採算が取れていたけど,PC-9801版は新入社員140人で作っているようなものだったので赤字でしたね。人が多いからこそ,毎月あれだけのゲームが作れたという側面もありますが。
4Gamer:
いろいろとユニークな企画のゲームが多かったのも印象に残っています。
仁井谷氏:
さっきもお話したように,コンパイルでは誰が企画を出しても良かったんです。また,新入社員は3か月で新作ゲームを作らなければならなかった。締め切りが決まっているわけだから,必死で作る。そうすると自分の常識が崩れて,いろいろなアイデアが出て,弾けていくわけです。
4Gamer:
限界を越えたところから出たアイデアが,皆から揉まれることでクオリティが高まると。
仁井谷氏:
そうです。それと,僕はギャンブラーだと思われているかもしれませんが,本人としては絶対に勝てる勝負をやっているつもりなんです。コンパイル時代にはゲームを5〜10分遊ぶだけで,どれくらい売れるかが分かりましたね。
4Gamer:
そうした眼力を養う秘訣のようなものはありますか?
仁井谷氏:
その人が本来持っている力と努力と感性でしょうね。こうしたものが揃っていると,答えをひらめくという現象が起きます。僕は因数分解でも数字を見ただけで答えが分かるんです。「数字が踊る」というか,3という数字を見たら,自動的に「1×3」「1+2」という組み合わせが頭に出てくる。
「ぷよぷよ」の2作めが「ぷよぷよ通」というタイトルなのは,なぜだと思いますか?
4Gamer:
ちょっと分かりませんね。
仁井谷氏:
これは「ファミ通」の“通”なんです。
4Gamer:
そうだったんですか!?
仁井谷氏:
ほかにも,“通”には「マニア的に物事に通じている」といったニュアンスもあるから,ここに英語の“two”をかけて「通」とした。こうしたセンスはアイデアを生み出す努力の積み重ねです。例えば,「ぷよまん」も先に答えがひらめいたんです。答えが先に出て,あとから理屈を組み立てる。
4Gamer:
当時としてはキャラもののお菓子というのは斬新な発想でしたね。話題にもなりましたし。
仁井谷氏:
今でこそキャラもののお菓子は当たり前になっていますが,当時は「ぷよまん」作りをもみじ饅頭メーカーの人に提案しても,アイデアがうまく伝わらないようなことがありました。「ぷよまん」をフランチャイズでなく直営にしたのはそのためですね。
4Gamer:
コンパイルでは「POWER ACTY」というビジネスソフトの開発も行っていましたね。残念ながら,こちらは思うような成果を得られませんでしたが。
仁井谷氏:
あれは社内連絡に使っていたグループウェアをビジネスソフト化したものです。ビジネス系の開発メンバーが作り,僕がやりたいと思っていた機能は,ほぼ実現できた。敗因はビジネスソフトを売るためのルートを作っていなかったことと,インターネット対応ではなかったことですね。ビジネスソフトを買うのは会社の総務ですから,総務系の人達が信用を置く会社と組めば良かったかもしれません。
4Gamer:
そしてコンパイルは最終的に資金ショートを起こし,倒産していますが,最大の要因は何でしょうか。
仁井谷氏:
「ぷよぷよ」をテーマにした遊園地,「ぷよぷよランド」を作ろうと考えたんです。そのためにはたくさんのスタッフが必要になるからと,大量に新規採用したことで資金ショートを起こしてしまったことですね。
4Gamer:
では,コンパイル時代の反省点は?
仁井谷氏:
昆虫と同じで,コンパイルもどこかでサナギになって変態しないといけなかったかもしれない。会社というのは目指す売上によって組織が全然違いますし,そのために必要とされる力量も違います。ゲームは売れていたので,その範疇で経営していれば問題なかったでしょう。具体的には社員数を絞り込んで,「ぷよぷよ」プラス何かという経営にしていれば。
4Gamer:
会社の体制を生まれ変わらせる過程での性急な拡大路線に,経営判断の失敗があったと考えていますか?
仁井谷氏:
そうでなく,単なる資金ショートです。ITバブルも崩壊していた時期ですし。
コンパイルという十字架,蟄居の気持ちから解き放たれて「にょきにょき」へ
4Gamer:
これまでいろいろなお仕事をされてきた中で,やはりゲーム作りが一番性に合っていると思われますか?
仁井谷氏:
いや,ゲーム作りしかできないですね。僕が世界で一番になれる可能性があるのはゲーム作りです。
4Gamer:
そうした心境に至ったのはいつのことですか?
仁井谷氏:
コンパイルが無くなったあと,「にょきにょき」を作っている最中にこの心境になりました。生活費を稼ぐためにアルバイトをしているときも「僕はゲームしか作れない」と思っていた。どこかでコンパイルという会社の十字架を背負ってるんでしょうね。
4Gamer:
アイキが無くなったあと,すぐにゲーム業界へ本格復帰されようとしましたか。
仁井谷氏:
いいえ。江戸時代で言うところの蟄居(ちっきょ)の気持ちでしたね。罪の償いというか,世間に出てはいけないというか,自分で自分を幽閉する感じで,ゲーム関係者の集まりにも出席しなかった。
4Gamer:
常にコンパイルの失敗というものが心にあったと。
仁井谷氏:
世間の冷たい目もありましたね。「失敗したお前が何をしてるんだ」という。ただ,蟄居から解き放たれた今は,自分の気分が変わりましたね。
4Gamer:
その頃はどんな生活をしていたんですか?
仁井谷氏:
警備員や専門学校の講師をしていましたが,それ以外はいつもと変わらなかったですね。コンパイル時代と同じような大きさの部屋に住み,同じような持ち物を持ち。コンパイルのファンの方々と離れたくないから,ほかのゲーム会社には行けなかった。また,僕が仕事をすると周囲がコンパイル色に染まってしまうので,怖がられてしまうんじゃないかなと。
4Gamer:
一時期,コンパイルハートでゲーム開発を監修されていましたね。
仁井谷氏:
「のーみそコネコネパズル たころん」(のちに「のーコネパズル たころん」に改題)では開発スタッフに提案はしました。ただ,僕はやるからにはしっかりと現場に参加したかったので,そうした点で考え方の違いがありましたね。
4Gamer:
そんな日々の中,再び世に出ようと思ったきっかけを教えてください。
仁井谷氏:
昨年(2015年)のTV取材を受けたことです。今は気持ちが解き放たれた感じですね。よく「ワラをも掴む心境」と言いますが,あのTV出演が僕にとってのワラだった。
4Gamer:
これまでゲームを作っていて,一番心に残っている出来事は何ですか?
仁井谷氏:
「ぷよぷよ」の大会で,1000人の観客の皆さんとコールをしたことが嬉しかったです。選手が連鎖を決めるのに合わせて,連鎖したときに流れる“連鎖ボイス”を唱和する。「えい! ファイヤー! アイスストーム! ダイヤキュート! ばよえーん! ばよえーん!」って。みんなが声を合わせているときは,一体感が嬉しくて涙を流してましたね。
4Gamer:
幕張メッセでは「全日本ぷよマスターズ」も開催しましたね。
仁井谷氏:
今も「ぷよぷよ」を遊んでくれている人の中には,このときの楽しさが思い出として残っている人もいるんじゃないかなと。当時のゲームでは,大きな会場にみんなで集まって唱和するなんてことは,なかなか無かったわけですからね。
4Gamer:
ゲームを作るうえで,一番大切に思っていることは何ですか。
仁井谷氏:
操作感にストレスがないこと。説明書を読まずに直感的にプレイできること。そして“遊べる”ことですね。複雑な操作を求められるビジネスソフトと違って,ゲームはボタンを押す回数が少なければ少ないほどいい。
4Gamer:
では,これからゲームクリエイターを目指す人はどんな心構えが必要でしょうか。
仁井谷氏:
ある程度,常識が分かっていて,その隙間を突いたアイデアを提案できるということですね。ほかの人がこれまでにやっていないことで,提案された人も「これはアリかな」と思えるようなアイデアを見つける力。そして,これを言葉にする力です。
4Gamer:
現在,66歳になられた仁井谷さんですが,引退して余生を過ごすことを考えたりはしませんでしたか。
仁井谷氏:
クリエイターに引退はないです。例えば,絵を描く人がいきなり描くことを止めたりはしないでしょう?
4Gamer:
確かにそうですね。今後はどういった活動をしていきたいですか?
仁井谷氏:
「にょきにょき」を社会的に定着させるような活動をしていきたいですね。e-Sportsとして展開するような仕組みも作りたい。初めて遊ぶ人を対象にした「にょきにょき」イベントも開きたいし,老人ホームへ「にょきにょき」を持っていったりもしたいですね。
4Gamer:
まだまだ夢はたくさんありますね。今はハッピーですか?
仁井谷氏:
僕はいつもハッピーですよ。マイナス思考ではないので。判断材料として過去を振り返ることもありますけど,今を楽しく生きるためには何をしたらいいかを考えますね。
4Gamer:
失敗を恐れずチャレンジすることが重要であると。
仁井谷氏:
「成功するまで繰り返すので,失敗という言葉がない」ということです。失敗だと思った人間はそこでやめてしまいますが,失敗やクレームを裏返すと成功になるんですから。なぜしくじったかを反省し,うまくいくまで繰り返せばいいんです。
4Gamer:
では,最後に「にょきにょき」を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします。
仁井谷氏:
「にょきにょき」の発売日が11月24日木曜日に決定しました。「いいにょき(1124木)の日」と覚えてください。初心者から上級者まで楽しめる戦略ゲームなので,ぜひ遊んでみてください。
4Gamer:
ありがとうございました。
倒産を乗り越え,アルバイト生活を経て,仁井谷氏をゲーム業界へ帰還させたもの。それは,ほかならぬゲーム作りへの情熱であった。逆境の中で考え抜かれた「にょきにょき」は,自らが関わった「ぷよぷよ」という偉大な壁を乗り越えることができるのか。今は期待を込めつつ,11月24日木曜日,「いいにょき」の日を待ちたい。
「コンパイル○」公式サイト
- 関連タイトル:
にょきにょき たびだち編
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