連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ:第385回「ブレないことの大切さ」
たとえ同じ商品を購入して使ったとしても,人によって評価は違うわ。十人十色って言葉が示すとおり,人は一人一人,感じ方が違うから,それはもう仕方がない。
ただ,商品を発売する側としては,買い手すべての要望に応えることはできないから,ある程度,客層を絞ってその層に向けた商品展開をする必要があるわけね。それでも,評価が一定であることは少ないわ。モノならともかく,エンターテイメントという無形の商品ならなおさら。そのエンターテイメントを体験する人の立場によって,評価も変わるわけ。
あ,申し遅れました私ゲイのプロレスラー男色ディーノです。評価といえば,私もそうでね。私はゲイであることを前面に押し出したプロレスをしてるんだけど,私に対する評価も客観的に見てまちまちよね。従来のプロレスの方法論でプロレスをしているわけではないから,眉をひそめる人もいる。一方で,今までのプロレスにない方法論だからこそ,面白いと思ってくれる人もいる。
ここまではまあ分かるわよね。今までにない方法で臨めば,当然評価は分かれる。だって,今までにないんだから,判断基準もないの。何ともまあ分かりやすい! でも,実は問題はさらに深いところにあってね。今日はそれについて語ろうかと思うのよ。
では,何が問題かというと。エンターテイメントである以上,面白いと思ってくれている層の中でも,評価が分かれることがあるってこと。
こういうことを自分で言うのは小っ恥ずかしいんだけど,私って分かりやすいコンテンツだと思うの。言ってしまえば,プロレスという場においての「もし対戦相手が自分に性的興味を抱いていたら?」っていうシチュエーションコントのようなもんだから。好き嫌いはともかく,見ている人も把握しやすいわよね。
そこが私の強みなの。初めてプロレスを見る人にも伝えやすい。そして,私は「初めてプロレスを見る人にも伝えやすい」という,自分の商品としてのコンセプトを崩すことは好ましくないと思っているの。
でも,そこにジレンマが生まれるわけ。ずっと好きで見ている人は,いずれ見慣れてしまうという。細かいことを言うと,プロレスは対戦ありきのエンターテイメントである以上,何もかも同じ展開には絶対にならないの。だから,演劇だったり映画だったりの,内容がある程度一定のエンターテイメントと単純に比較することはできないわ。そういうこともあって,「初めて見る人にも伝わりやすいかどうか」を意識しているつもり。いや,もちろんそれがうまくいかない場合もあるにはあるんだけど。
ただ私の考えでは,プロレスって団体競技でもあると思っているの。私のように初心者にも分かりやすい人もいて,一方でずっと見続けている人に対しては今までの歴史だったり思い入れを反映できるような選手もいる。そうやって,一つのパッケージの商品として売る。
分かりやすすぎてリピーターが増えないのも良くないし,かと言ってリピーターに向けすぎて初心者に理解できなくなってしまうのも問題。もちろん,選手だけじゃないんだけどね。初心者へのナビゲートや,リピーターに対する特典といった総合的なユーザビリティは,直接の商品だけではなくいろいろなアプローチで向上させることはできるわよ。
ただ,姿勢の問題よね。自分は商品としてどうあるべきかっていう。私の場合,お客さんに対する商品(プロレスにおけるチケット代)は初心者とリピーターのバランスを取るべし,そして商品の一部である自分のあり方(自分の試合やキャラクター)は,誰よりも初心者に分かりやすくあるべし,をモットーとしております。
……まあ,それが理想ですよね。上記が理想で,ここからはただの愚痴なんだけど,人間がヤることだから,やっぱり現実は不安定なのよ。なるべくブレないようにしようとは思いつつも,ついつい誰にも見えていないのに相手のタイツの中に手を入れてまさぐってしまう。前回の試合で対戦相手の唇を奪えたとしたら,今回は前の続きとして相手の体を楽しもうとしてしまう。要は,初めて見る人に分かりにくいことをヤってしまうのよね。ブレないことの難しさよ。
で,こういうエンターテイメントの評価ってリピーターの声がメインとして取り扱われがちなんだけどね。クレームはさておき,作品の評価に関しては,ちゃんと評価の取捨選択をしなきゃいけない。すなわち,これまた“自分のあり方”に沿って判断しなきゃいけない。ここがまた難しい。
なぜなら,リピーターは声を出してくれるけど,初心者は声をなかなか出さないから。だから,リピーターの声に引っ張られ過ぎず,無視もし過ぎず……っていうのが大事。つくづく,エンターテイメントにおいてバランス感覚は必要だと思うわ。つまり,繰り返しになるけども“ブレない”ことが大切なのね。長く続けるのであればなおさら。
でも,それでいいんだと思う。だって,逆転裁判だもん。スピンオフ作品があるんだから,新しいものはそちらで見せればいい。逆転裁判は逆転裁判のまま。そこのブレなさ。
変わらないことがプレイヤーの間でどう評価されているのか,私は知らない。でも,私は逆転裁判はストーリーというか,裁判の喜怒哀楽,山あり谷ありを楽しむものだと思っているの。
そういう観点で言うと,逆転裁判6はちゃんと面白いわよ。ストーリーに関わるので詳しくは言えないけど,ピンチの連続で最後に逆転するという,逆転裁判ならではの醍醐味がきちんと詰まっていると思う。勝負すべきポイントに力を入れている,そんな印象。
シリーズが好きな人で,変わらぬ逆転裁判が好きって人は楽しめるんじゃないかなーと。それでいて新規のプレイヤーも,逆転裁判というものを楽しめる作品なのかなーと。この作品をプレイして登場人物に興味を持った人が,過去の作品もプレイしたくなればいいのになーと。そう思うわけです。逆転裁判に興味がある方はぜひ。ブレない面白さがそこにはありますので。
あと,前作の「逆転裁判5」でも思ったんだけど,キャラクターのモーションがいい感じ。これがあることで,キャラクターの存在感というか,どういう人なのかが伝わってくるわね。“どういう人なのか”を伝える手段の一つとして,モーションがいかに重要なのか,プロレスラーである私としても非常に勉強になったわ。
動きって,必ず目的があるのよね。それが仮に無駄な動きだったとしても,“無駄な動きをする人”ということを伝えるために,それが必要な場合もある。感情を伝えるために,動くはずのものを動かさない,という選択もできる。ちょっと禅問答っぽいけど,そんな用途でけっこう細かくモーションを利用してるのね,このゲイム。あくまで私の視点ではあるけど。
そういう意味でも興味深いシーンが多かったわね。ストーリーで勝負するには,キャラクターの人物像を浮かび上がらせなければならない。キャラクターを浮かび上がらせるために,モーションを駆使する。逆転裁判がブレないために必要なことだったんでしょうね。ま,要するにちゃんとキャラクター込みでストーリーが面白いよって話なんだけど。
というわけで,今回は“ブレないこと”の大切さを中心に語ってまいりました。とはいえ,ブレないことに固執して面白くなくなるのはもってのほかなんで,ブレないうえで面白いってのが理想なんでしょうな。ゲイムの場合,新作を出す以上はそこが求められるだろうし。こりゃ大変だ。
ひとまず自分のことは見て見ぬふりをしつつ,今後ともブレずに逆転裁判でいてほしいですね! いや,方向転換するなら理由があるんだろうから,それはそれで歓ゲイではあるけど。まあ,これからも逆転裁判シリーズを楽しみたいって話です。そんな感じでまた来週。
今週のハマりゲイム
(文字通りゲイムスロットにハマっているゲイム)
PlayStation 4:「グランドエイジ メディーバル」「ウイニングイレブン 2016」
PlayStation 3:特殊なDVD ※死亡確認→復活予定
PlayStation Vita:「実況パワフルプロ野球2016」
PSP:「サモンナイト5」
Wii U:「Splatoon(スプラトゥーン)」
Wii:「ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン」
ニンテンドー3DS:「逆転裁判6」
Xbox 360:「剣の街の異邦人 〜白の王宮〜」
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