連載
少女小説の名作が待望の復刻。「放課後ライトノベル」第76回は『帝国の娘』で陰謀渦巻く皇位継承争いに!
先日各地で成人式が行われたが,今年は「ハニカミ王子」ことゴルフの石川遼選手が参加したそうな。一時期は若手の男性スポーツ選手に誰でも彼でも「王子」と付けるのが流行ったものだが,一体誰が最初に言い始めたんでしょうね。
そもそも王子とか皇子という言葉は,王や皇帝の息子,つまりは高貴な人々を指す言葉だったわけだが,バーゲンセールのように乱発されると,そのありがたみも薄れてこようというもの。いっそのこと,ドキドキで壊れそうな1000%LOVEな王子とかだったら,ただの王子よりよほど愉快だと思うのは筆者だけだろうか。キスよりすごい音楽って本当にあるんだよ?
だが,ハニカミ王子とかうたの☆プリンスさまっ♪とか言われているうちはまだいい。そうではなく,ある日突然にリアル王子にさせられてしまったら? しかもその当人が,男ですらなかったら? 今回の「放課後ライトノベル」ではそんな,唐突に皇子の身代わりにされた少女の,波乱に満ちた生き様を描いた,須賀しのぶの『帝国の娘』を紹介する。
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●平凡な村娘から皇子の影武者へ。運命は怒涛のように
中央の皇帝直轄領と4つの公国からなるルトヴィア帝国。その北部を占めるゼカロ北公国の東,隣国ユリ・スカナとの国境近い山中の村で両親と共に暮らしていたカリエは,ある日突然やってきた貴族の男に誘拐される。ゼカロ公の使者であるその男――エディアルドの目的は,カリエをゼカロ公の息子にして皇子,アルゼウスの身代わりに仕立て上げることだった。
ルトヴィアでは,次期皇帝を目指す皇子は14歳までに皇子の教育施設であるカデーレ宮に移り住んでいなければならないという決まりがあった。だが,肝心のアルゼウスは病のため,皇位などとても望めない。それでも息子を皇帝にと望むゼカロ公は,少女でありながら外見はアルゼウスと瓜二つのカリエを影武者にすることにしたのだった。
いきなり両親と引き離された悲しみ,決して逆らうことのできない貴族への恐怖,縁もゆかりもない皇子の身代わりにならなければならないという理不尽さ。自らに降ってきたあまりの困難に,カリエは怒り,嘆き,絶望する。だが最後には,そうした境遇を受け入れようと決意する。自分を利用しようとした人々を見返すために。死の床にいる優しき皇子アルゼウスのために。なによりも,自身が生き続けるために。
エディアルドによる厳しい教育に耐え,誰もがアルゼウスだと疑わないほどの立ち居振る舞いを身につけたカリエは,ついにほかの皇子たちの待つカデーレ宮に足を踏み入れる。そこでさらなる苦難が自身を待ち受けているとも知らずに――。
●どんな困難にも屈しない。カリエは気高く,強く生きる
本作の魅力の半分は,主人公であるカリエの強さにある,と言って過言ではないだろう。
前段で述べたように,カリエが置かれた状況は,14歳の少女が1人で受け止めるにはあまりに過酷すぎるものだ。普通なら,その重圧に押しつぶされてもおかしくない。カリエもその例外ではないが,彼女がすごいのは最後にはそれを受け入れ,その中でなんとか生き抜こうとするところだ。大本には「死にたくない」という強い思いがあるとはいえ,それを貫くだけの意志は誰もが持てるようなものではない。
そしてその強さは,時として自身が生きること以外にも向けられる。たとえばカデーレ宮を抜け出し,こっそり街を訪れたカリエは,人々が口にする現体制への不満に,影武者の身でありながら心を痛める。カリエの強さは決して独りよがりな(たとえば,他人を傷つけてでも生き延びようとするような)ものではなく,周囲への優しい視線を含んだ強さなのである。
そんな彼女の魅力は,自然と周囲の人々を惹きつける。初めは「病から奇跡の復活を遂げた皇子」という表向きから近づいてきた人々も,実際にカリエを前にしてからは,その奥底にある人柄により強く魅せられるのだ。
もっともカリエとて,ターミネーターのような強さの権化というわけではなく,年相応の一面も併せ持っている。自分が皇子の身代わりであることを忘れて美貌の僧・サルベーンに一目惚れしたり,年下の生意気な皇子・ミューカレウスと取っ組み合いの喧嘩をしたり。それがまた,誰もが彼女を気にかけずにはいられない理由の1つとなっている。
●大陸を股にかけた壮大な冒険譚が,ここから幕を開ける
ところで,さまざまなライトノベルを紹介するこの「放課後ライトノベル」で,一般にはライトノベルレーベルとは思われない角川文庫の作品を紹介していることに疑問を覚えた人もいるかもしれない。実はこの作品,かつて少女小説の老舗・コバルト文庫で刊行されていた『流血女神伝』の冒頭なのである。
物語はこの先,『砂の覇王』『暗き神の鎖』『喪の女王』(ほかに外伝『女神の花嫁』,番外編『天気晴朗なれど波高し。』が刊行)と続いていくのだが,そこではさらなる過酷な運命がカリエを翻弄する。そのとき読者は,この『帝国の娘』が名実共に物語のほんの序章にしか過ぎなかったことを知るだろう。
カリエだけではない。すでに名を挙げたエディアルドやサルベーン,ミューカレウスのほか,聡明な兄皇子ドミトリアス,ユリ・スカナの勇ましき皇女グラーシカ,『帝国の娘』でも名前だけが登場する砂漠の国・エティカヤの王子バルアン……。さまざまな人々がカリエと出会い,彼女と同じように流転する運命の渦に巻き込まれていく。表ではルトヴィア,ユリ・スカナ,エティカヤ三国による争いが,裏では元のタイトルにもなっている,ザカリア流血女神の伝説をめぐる陰謀が,歴史と神話が交錯し,生々しくも幻想的な物語を作り上げていく。
そんな吹き荒れる時代の風の中を,カリエは立場を変え,名前すらも変えられながら,揺るぎない強さを胸に,前へと進んでいく。やがて大人になっていく少女が見せた,まばゆい太陽のような生き様。それはライトノベル史,少女小説史に燦然と刻まれる,名作という名の輝きだ。
■王子じゃなくても分かる,須賀しのぶ作品
著者の須賀しのぶは1972年生まれ,埼玉県出身。『惑星童話』で1994年上期コバルト・ノベル大賞の読者大賞を受賞し,デビュー。歴史や軍事に造詣が深く,近未来の地球を舞台にした軍事ものである「キル・ゾーン」シリーズを始め,少女小説の枠に収まらない作品を多数手掛けている。なお,この「キル・ゾーン」で陸戦,本文にも記した『流血女神伝』番外編『天気晴朗なれど波高し。』で海戦,『天翔けるバカ』で空戦と,陸・海・空すべての軍事ものを著している。
『芙蓉千里』(著者:須賀しのぶ/角川書店)
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長らくライトノベルレーベルで活躍していたが,2007年の『スイート・ダイアリーズ』で一般文芸へと進出。以後,女郎になって一旗揚げようとする少女・フミの波乱万丈の生き様を描く『芙蓉千里』,第二次世界大戦前後のドイツを舞台に,陰謀と戦争と人間ドラマが交錯する『神の棘』など,骨太なエンターテイメント作品を次々に送り出している。
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