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「キン肉マン マッスルショット」のリアルイベントが開催。ゆでたまご先生が40年に及ぶ“友情パワー”を語る
「祝!キン肉マン連載40周年 炎のMUSCLE SPRING FESTIVAL 2019」と題された今回のイベントでは,長年にわたり漫画を手がけているユニットのゆでたまご(嶋田隆司さん,中井義則さん)や,TV版のテーマソングなどを歌う串田アキラさんらが登場。トークイベントやライブなどが行われ,また,キン肉マン マッスルショットのアップデート情報も明らかになった。当日のイベント模様をレポートしよう。
ゆでたまごの両先生がマッスルドッキング
言葉の意味はわからんがとにかくすごい自信だ!
今回のイベントには,ゆでたまごの原作担当 嶋田隆司さんと,作画担当 中井義則さんが揃って登場することが予告。また,キン肉マン40周年という節目の年ということもあり,会場には歴戦の正義超人(ファン)たちが詰めかけた。
ちなみに,イベント中に来場客にアンケートを取ったところ,もっとも多かった世代は40代で,リアルタイムで読んでいたファンが多そうである。その一方で,子供連れの来場客もそこかしこで見受けられ,キン肉マンが世代を超えて語り継がれていることも伺える。
そういったなかで行われたトークイベントでは,キン肉マンの大ファンを自認するお笑いコンビのナイツの2人(塙 宣之さん,土屋伸之さん)と,嶋田さんのモノマネが得意(自称)というホリさんの司会・進行により,ゆでたまごの2人が当時の昔話などを語っていった。
連載開始からの40年を「あっという間だった」と振り返る嶋田さんは,子供の頃から漫画が大好きだったそうだ。そういったなか,小学校4年生の頃にテストの答案用紙の裏に描いていた漫画が,キン肉マンの原型になったという。
「子供って“筋肉”が好きじゃないですか。それと,当時は変身ヒーローものも流行っていたので,これらを合わせたキャラを主人公にした漫画を描いていたんです。子供だったので難しい漢字が分からず,題名を「キン肉マン」と一部をカタカナにしましたが,これも子供にとって親しみやすかったのではと思います」(嶋田さん)
中井さんは,今まで漫画というものを読んだことがなかったそうだが,嶋田さんが描いたキン肉マンは大変面白かったそうだ。中井さんは嶋田さんと意気投合し,ともにキン肉マンを練り上げていったという。
2人は完成させた漫画を,週刊少年ジャンプのコンテストに送ることにし,主人公の顔のデザインを見直したそうだ。たとえば最初期のキン肉マンは,ニンニクを食べてパワーアップするという設定から額に“ニンニクの絵”を入れていたが,これだとタマネギと区別がつかない。そこで漢字の“肉”に変更したほか,タラコクチビルなどの,あの特徴的な顔が完成することに。
晴れて週刊少年ジャンプでの連載が決まってから,しばらくのあいだは,嶋田さんと中井さんはアパートでの共同生活を送っていた。その頃に住んでいたアパートは,板橋区にある1万4000円の風呂無し共同トイレという,キン肉ハウス並の物件だったそうだ。2人はこの部屋で,キン肉バスターをはじめ数々の必殺技を,お互いに技を掛け合いながら編み出していったという。
当時の週刊少年ジャンプは,読者から送られてきた葉書などが,編集部を通じて作者の元へそのまま届けられるシステムだったという。誌上で超人募集のコンテストを行ったときは,アパートの底が抜けるほどの数の葉書が届けられたそうだ。
その後,嶋田さんは大阪に,中井さんは東京と住まいを分けて漫画家活動を続けることになる。当時はインターネットなども浸透しておらず,描いた原作などを航空便で送っていたそうだ。
そして名実ともに週刊少年ジャンプを代表する漫画となったキン肉マンは,1987年に「王位争奪編」のエピソードを最後に,いったんは連載終了となる。嶋田さんによると,キン肉マンらが未来を舞台に戦う「未来超人編」の構想も練っていたそうだが,いろいろ考えたすえに幕を降ろすことを決断したそうだ。
嶋田さん・中井さんによる昔話のあとは,トークイベントの司会進行を務めるキン肉マン好きの3人が,さまざまなテーマに沿った超人やシーンなどをピックアップ。それらに対し,嶋田さん・中井さんの当時のエピソードなどを聞き出すという形式で進行していった。
中井さんによるライブペインティング
串田アキラさんも往年の名曲の数々を熱唱
「キン肉マン マッスルショット」のアップデート情報も
今後の大きなアップデートとしては,新コンテンツの“ストーリーバトル”が,4月上旬の実装を予定している。
これはステージでのバトルを順番にこなしながら,原作漫画のダイジェストを楽しめるというもの。このダイジェストは漫画のページを模したものとなっており,最初は所々のコマが空欄になっている。ステージ内に用意されたミッションをクリアすることで,漫画のコマを一個ずつ獲得するという仕組みだ。
今回紹介されたステージは,キン肉マンの最初期のエピソード「怪獣退治編」がピックアップされていた。今後のアップデートで,さまざまなエピソードが順次実装されることにも期待できそうだ。
そのほか,漫画の40周年にちなんだ特別バージョンのキン肉マンが,本日(4月1日)配布される予定だ。また,「マッスルしよっと!キン肉マン連載40周年記念&マッスルショットリリース4周年記念」などのキャンペーンも開催中なので,プレイヤーはゲーム内で確かめておこう。
イベント終了後に合同インタビューを実施
「友情パワーがあったからこそ40年続けられた」
―――来場客を見ると,自分の子供を連れてきている人もいます。こういった様子を見て,お二人はどのように感じていますか。
中井氏:
二世代でキン肉マンを楽しんでいただいている人の話もよく聞くのですが,正直言ってたいへん嬉しいです。お父さんが子供にキン肉マンを紹介してくれたり,世代を超えて語り継がれていて,これ以上の喜びはありませんね。
嶋田氏:
僕にとってはあっというまの40年だったのですが,こうやってお客さんがいっぱいきていただいて,お子さんも来ていただいて,(隣のナイツさんを差して)キン肉マンに影響を受けてお笑いの道に入られた方もいる。「ああ,40年ってすごい歳月なんだな」とあらためて感じました。この想いを糧に,これからもマンガを描いていきたいと思いました。
―――40周年を振り返り,一番楽しかったことと,辛かったことを教えてください。
嶋田氏:
どちらかというと楽しいことが多かったんですけど。
ずーっと集英社で描いていた後,フリーになったときが辛かったです。10年くらい色々な媒体で描かせてもらったものの,なかなか思うようにいかなくて……。
その後,集英社に戻ることになり「キン肉マンII世」を連載できましたが,僕らには集英社が合っていたんだなと実感しました。
そして,当時の苦しい時代を振り返りもっとも強く感じたのが,「相棒がいて良かった」ということです。
相棒には家族もいましたし,なんとかしなければと思っていました。辛いときも,毎週2人で一緒に飯を食べに行っていましたし,だからこそ気持ちが折れなかった。もし相棒がいなければ,もしかしたら(漫画家としての活動を)辞めていたかもしれません。まさに,“友情パワー”だと思います。
中井氏:
最初の3年間くらいが,一番楽しかったです。
そのあたりで週刊少年ジャンプの読者アンケートで1位を取れたのですが,そこで“大きな荷物”を背負った感じで。そこから先はずっと,プレッシャーとの戦いでした。
いったん連載が終了したあと,ペンを持てない時期が数年間ありまして,そのころが一番辛かったですね。
そのあいだも2人で食事をしたり話したりすることで,「早くペンを持てるようになりたい。もう一度,キン肉マンを描きたい」と思う気持ちが芽生えてきました。いま振り返ると,嶋田と一緒だったら,どんな困難でも乗り越えられるという安心感があると思います。今は,そういった重荷を感じずに仕事ができていますね。
―――ナイツの2人に質問です。漫画とお笑いとでジャンルは違うものの,これほどの長きにわたってコンビを続けられている2人を見て,どう思いましたか。
ナイツ 塙 宣之さん:
自分はキン肉マンがめちゃくちゃ好きで,今回のイベントに参加するにあたり,あらためて読み返しました。仕事で携われるのが本当に嬉しいです。
しかも,うちの奥さんも,俺が楽しそうをしているのを見て喜んじゃって。そしたら子供も読み始めているんです。こんなにも長きにわたって人気のキン肉マンって,本当にすごいなとあらためて思いました。
ナイツ 土屋伸之さん:
自分たちもお笑いコンビを組んでいる身として,ゆでたまごの両先生がお互いを尊重し,友情パワーを発揮している話を聞けるのが,本当にありがたいと思いましたね。
「キン肉マン マッスルショット」公式サイト
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