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[GDC 2018]「NieR:Automata」はどのような方向性をもって作られたのか。田浦貴久氏とヨコオタロウ氏が語る
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印刷2018/03/22 17:31

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[GDC 2018]「NieR:Automata」はどのような方向性をもって作られたのか。田浦貴久氏とヨコオタロウ氏が語る

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 GDC 2018の3日目,「A FUN TIME IN WHICH SOME NO-GOOD GAME DEVELOPERS MAY OR MAY NOT DISCUSS HOW WE MADE 'NIER:AUTOMATA'」と題された講演が行われた。タイトル通り「NieR:Automata」PC/PS4)のデザインに関する知見の共有を目的としたこの講演には,ヨコオタロウ氏とプラチナゲームズの田浦貴久氏が登壇し,会場に2Bのコスプレをしたファンもつめかけていた。この模様をお伝えしていこう。
 なお,NieR:Automataのネタバレとなる内容が含まれているため,未プレイの人は注意してほしい。

ヨコオタロウ氏(左)と田浦貴久氏(右)
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「触った瞬間に楽しい」ゲームを作るために(田浦氏)


 最初にマイクを取ったのは田浦氏だ。
 田浦氏はこれまで様々なアクションゲーム制作に携わってきたが,それらすべてのゲームに共通する目標として「ボタンを押すだけで楽しいゲーム」にすることがあったという。そのことは本作でも変わらない。
 この「触った瞬間に楽しい」を実現するために,田浦氏は3つの指針を立てている。順番に見ていこう。

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 まず最初に,「理想をイメージすること」。これは「自分達の中で何が良くて,何が悪いかを決めておくこと」だという。
 というのも,あるゲームを遊んだときに感じる「ゲームの触り心地」はプレイヤーによって異なるし,ゲームの内容によっても変化する。これを田浦氏は「ダークソウルみたいなゲームを作ろうとしているときに,ベヨネッタのような操作性を持ち込んでも駄目」と語った。
 つまり今回の講演にしても,「これをやれば絶対に間違いのない法則」を話しているわけではない,ということだ。

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 続いて,「できたものに対して的確な指摘ができるかどうか」も重要になってくる。
 理想のゲームと,今画面の中にあるゲームを比較したとき,どこが良くてどこが悪いかを正しく指摘できなければ,開発中のゲームを理想のゲームに近づけることはできない。

 とはいえ,良い・悪いを感じる要因はたくさんある――むしろ「画面に出ているすべてはその要因になり得る」と田浦氏は指摘する。

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 そんな中で本作に対して特に注力したのは,入力に対するレスポンスの良さであるという。これは「ボタンを押してもすぐに反応がないと,プレイしていてイライラする。イライラすると,気持ち良くない」という,シンプルな関係性を踏まえての方針だ。

 実際のアプローチとしては,「回避・ジャンプといったゲームプレイにおいて重要になり,かつ気持ち良さを感覚的に感じられるアクションについては,ボタンを押したらいつでも発動するようにデザインする」という方向性が示された(これはベヨネッタでも同じだ)。
 とはいえ製品版においては「回避が出ないようにするタイミング」も設定されている。ゲームバランスや見た目などを踏まえると,「発動しないほうが気持ちが良い」状況もあり得るからだ。

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 また「入力に対するレスポンスを重視する」という面においては,ボタンを押したらすぐ行動するだけでなく,ボタンを押してから結果が出るまでの時間もできるだけ短く設定しているという。
 これも上と同じで,「ボタンを押しても結果が出るまでが遅いと,プレイしていてイライラする」という,シンプルな理屈による。
 この「結果が出るのも早い」という点については,基本的な攻撃を行ったとき,攻撃の当たり判定が出るまでを短くするという形で実装がなされている(本作の場合,ボタンを押してから攻撃判定が出るまでは10/60フレームとなっているそうだ)。

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 最後の大切なポイントは,「細かい調整の繰り返し」である。一例として,田浦氏は「フラグの設定」を挙げた。
 本作ではプレイヤーキャラクターから敵に至るまで,すべてのキャラクターのアニメーションに対して,様々なフラグが設定されている。その数は,実に64種類以上だという(当然ながらこのフラグは独自のツールで管理されている)。

 この「アニメーションのフラグ」だが,例えば「追尾可能」というフラグがある(これをアニメーションに対して設定する場合,そのアニメーションの何フレームめから何フレームめまでに有効になるかも設定する)。そしてこのフラグが立っている間は,そのアニメーションを行っているキャラクターは,「ターゲットを追尾する(=一定範囲内に存在する敵に対して体を向ける)」という挙動を取る。
 よって,攻撃アニメーションの冒頭にこのフラグをつけておけば,攻撃アニメーションを始めたキャラクターは,敵を正面に捉えるようにしながら攻撃してくれることになる,というわけだ。これは必然的に攻撃アクションが成功する難度を下げ,「触ってすぐに楽しい」を作り出してくれる重要な要素となる。

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 だが,ただ「追尾可能」と設定しておけばいいわけではない。
 追尾可能なフレーム数が短すぎれば,敵に攻撃が命中しにくくなる。逆に長すぎると,敵に攻撃はヒットさせやすくなる反面キャラクターの動きが不自然になって,操作の気持ち良さが損なわれてしまいかねないのである。

 ちなみに,キャラクター・アニメーションの種類は非常に多く,しかも1つ1つの長さが極めて不揃いであるため,このようなフラグ設定はすべて人力で行っているそうだ。

フラグに設定されている名前は田浦氏が「適当につけた」ものもあるということで,名前から効能を逆算するのはあまり建設的ではないとのこと
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 またアニメーションの再生速度も,ゲームデザイナーが調整しているという。
 アニメーターが素晴らしい動きを作ったとしても,実際のゲームプレイにおいては「もうちょっと速い方がいい」「もうちょっと遅い方がいい」となることがある。そこで再生速度をゲームデザイナーが変更できるようにしたというわけだ。
 このようにして速度が変更されたアニメーションのデータはアニメーターの手元に戻り,そこで再調整が行われる。非合理的に見えるかもしれないが,「ゲームデザイナーがアニメーターに指示を出して調整してもらうよりも,今回のようにゲームデザイナーが直接尺を決めてしまったほうが,調整にかかる時間は短くなった」と田浦氏は語っている。

 フラグ設定も,アニメーションの調整も,膨大な時間が必要となる反復作業である。しかし「ここはアクションの触り心地に大きな差がでるところ」であり,地道に作業を進めているそうだ。

 いずれにしても,この無限の繰り返し作業に「これで絶対に正しい」という到達点は存在しない。だからこそ「これが理想だ」というイメージを最初の段階でしっかりと持つことが重要なのだと田浦氏は指摘して,マイクをヨコオ氏に渡した。

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「自由とは過去に獲得されなかった未来の中にある」(ヨコオ氏)


 田浦氏からマイクを受け取ったヨコオ氏は,「自由とは何か」――より厳密に言えば,「ニーアというゲームにおける自由とは何か」というテーマで講演を始めた。

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 昨今のゲームにおいて「自由度が高い」というと,しばしばオープンワールドが想起される。雑に言えば「広大なマップの上で,いろいろなことができる」というイメージである。「ニーア」シリーズもまた,「オープンワールドと言えなくもない構造」(ヨコオ氏)を有している。

 実のところ,「ニーア レプリカント」と「ニーア ゲシュタルト」のマップ構造は「ゼルダの伝説:時のオカリナ」をパクッたものだという。全体の構造はそのままだし,平原の広さに至っては「時のオカリナを実際にプレイしてキャラクターが平原を横断するのに必要な時間を測定し,それをもとにして広さを決定した」そうだ。
 そして「時のオカリナ」がオープンワールドと言うにはいささかリニアな往復の多い構造になっているがゆえ,それを模倣した前作の「ニーア」もまた,今風のオープンワールドとは少し違った印象を与えるものとなっているわけだ。

 しかしながら「自由度」の問題は,もう少し別の角度から考える必要がある。
 というのも,最近ではオープンワールドを採用した超大作がいくつも作られており,その結果として「オープンワールド疲れ」が顕在化してきたからだ。

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 「グランド・セフト・オートV」や「The Elder Scrolls V: Skyrim」「ジャストコーズ3」のようなオープンワールド作品は,

  • 広大なマップ
  • たくさんのアイテム
  • たくさんのクエスト
  • クラフト要素
  • 育成要素

 などなど盛りだくさんになっており,100時間かけてもすべてのコンテンツを遊び尽くすことは難しい。
 最初の頃はプレイヤーも,これらオープンワールドの先駆者が作り上げたものに新鮮さを感じていた。だが後続作が同じように圧倒的なボリュームを押し出してきた結果,「広大なマップ」「たくさんのアイテム」「たくさんのクエスト」といった要素はむしろ「疲れ」を感じさせる要素になってしまったとヨコオ氏は分析する。
 しかしながら,この「自由度が高いことが求められたのに,自由度が高いと文句を言われる」という状況は,明らかに矛盾している。この矛盾は,なぜ発生したのだろうか?

 ヨコオ氏はこの原因を「広大なマップ」「たくさんのアイテム」「たくさんのクエスト」が当たり前になってしまい,プレイヤーにとってはもはや作業としか思えないからだ,とする。
 そして「自由度が高いことが,自由を感じることにつながらないというのは,ゲーム独特の現象」と氏は指摘する。クリエイターが大量に用意したコンテンツが,プレイヤーから見ると「全部遊ばないと損をした気分になる」という形で義務感を誘発するものとなってしまっているのだ。

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 この問題に立ち向かうにあたって,ヨコオ氏は先行作品からいくつかのヒントを得たという。

 まず最初のヒントとなったのが,「スーパーマリオブラザーズ」である。
 同作においては,キャラクターが「スコアを表示するところ」にまで侵入できてしまうことがある。そしてそこを先に進んでいくと,ワープゾーンに到達する。つまりスコアが表示されている最上段は,隠し通路だったというわけだ。
 ヨコオ氏はこのことに非常に驚いたという。マリオが得点表示エリアにまで侵入していくことによって,従来感じていた世界の枠組みが破壊され,その先に広大な世界が隠されていることを感じたからだ。

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 もう1つのヒントは,「グランド・セフト・オートIV」であったという。
 同作では,街をゆく人々に話しかけようとしても,そもそも話しかけられない。日本のRPGにおいては一般的に「町の人」と会話することが可能だが,膨大な予算を投じて作られているにも関わらず,それが不可能な構造になっているのだ。
 言うまでもなく,これは「制作予算がないから諦めよう」といったものではないはず,とヨコオ氏は考えた。つまり「意図的に会話できないようにしてある」のだ。
 そのことを踏まえ,あらためてこの構造を考えてみると,実はこの「街の人と話しができない」のは,むしろ当然であることが見えてくる。実際,我々が街を歩いているとき,無差別に道行く人に話しかけるだろうか?

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 GTA4は現実世界を模倣するようにして作られている。ここにおいて,「ほとんどのNPC(町の人)と会話できない」という仕様は,リアリティを高めているのである。
 同様にGTA4の世界では,自由に空を飛んだり,時速500kmで走ったり,壁を通り抜けたりすることを「自由」だとは思わない,というわけだ。

 この2つの事例から分かることとして,ヨコオ氏は「自由を感じるためには,不自由であることが鍵となる」と指摘した。

 そして,これらを踏まえた「世界」と「自由」の関係について,ヨコオ氏は世界をひとつの円であると仮定した。この円の内側で,あらゆるキャラクターは行動をすることになる。
 このときに重要になるのは,「円の大きさではなく,円の枠の部分にある」ということだ。

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 円の「枠」とはつまり,プレイヤーが「世界とはこんなものだろう」と考える範囲を意味する。そしてこの想像の枠が押し広げられた瞬間に,人間は「自由だ」と感じるのだ。
 これを実装レベルで考えると,例えば「乗れると思っていなかった車に乗れる」「壊せると思っていなかったオブジェクトが壊せる」といった形になる。いずれにしても,「思っていなかった」という部分が非常に重要だというわけだ。
 これを指してヨコオ氏は「自由とは過去に獲得されなかった未来の中にある」と定義した。噛み砕いて言えば,「自由は物量に依存して感じるのではなく,心の中にある認識が広がったときに感じるもの」(ヨコオ氏)というわけだ。

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世界を小さめに誤認させる「ニーア」シリーズ


 では「ニーア」シリーズにおいては,どうだったのだろうか。

 先の話を簡単にすれば,「世界には枠がある。そしてその枠の外側を作ってやることで,自由度を感じさせられる」ということになる。しかし海外のAAAタイトルのように,コストをかけて世界を広げることはできない。
 そこでヨコオ氏が採用した方法は,「世界の限界の,さらに内側に枠を作る」という手法だ。これによってプレイヤーに「世界の枠が拡張される瞬間」を体験させられるのである。
 これに基づき,「ニーア」では,世界の「内側」を強調し,この内側の枠が「世界の果て」であるようにプレイヤーに誤認させることに,まず注力したという。

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 この「世界を小さめに誤認させる」という方針は,前作の「ニーア」では以下のような手段で実装されている。

 まず大前提として,「ニーア」は同じマップを3周させることになっているという(予算の都合)。
 そこでシナリオとしては,同じマップの上でまず少年時代を経験し,それから青年時代を経験する。そしてこの段階でAエンディングに到達する(ちなみに同じマップで少年と青年をプレイするというのも時のオカリナのパクリだと話していた)。
 さて,こうしてAエンドを見たあと,同じ時間軸で青年時代をもう一度プレイできる。しかし今回はプレイ中に「敵の声」が聞こえるようになる。今まで悪者だと思っていた敵にも,襲ってくる理由があることをプレイヤーは知るのだ。この,いわば「裏ルート」をクリアすると,Bエンドを見ることができる。
 つまり構造としては,一度Aエンドを見せることで世界を「このようなものだろう」と誤認させ,それから裏ルートを提示することで世界の広がりを体感してもらう,という形になっているのだ。

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 NieR:Automataの場合は,もう少し話がややこしくなる。というのも本作を開発する段階で,多くのゲーマーは「ニーアとは裏ルートがあるゲームである」という認識を得てしまっているからだ。なので同じことをやっても「世界が広がった」という驚きは発生しない。
 そこで本作においてプレイヤーは,まず少女をプレイし,すぐにAエンドを見るという形が採用された。そして少年が主人公となる裏ルートがすぐに始まり,ここで「世界の真の姿を見る」ところまでが達成され,Bエンドを見る。そしてその後に新しい物語が始まり,Cエンドを迎える。
 これは前作のファンであれば「ニーアは裏ルートをクリアしたところで終わる」という想像をしながらプレイするはずだ,という予測に基づく。その予測を逆手にとって,Bエンドの後に新しい物語が始まることによって,新たな世界の広がりを認識してもらおうというわけだ。

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プレイヤーが選択する自由


 ヨコオ氏はもうひとつ「ゲームの自由」というものについて,自身の考え方をNieR:Automataに盛り込んでいる。

 本作では,ゲームの最終段階において,世界中のプレイヤーから応援のメッセージを受け取りながらプレイするという展開を迎える。そして,そのようにして世界の誰か(多数)に応援されたプレイヤーは,ゲームクリア後,誰かを応援する側にもなれる。

 実を言うと,このアイデアはコカ・コーラ社が2013年に行った「Small World Machine」をパクったものだという。
 Small World Machineはインドとパキスタンの両国でコカ・コーラ社が同時に行ったイベントだ。この自動販売機にはテレビカメラとディスプレイが設置されており,それぞれの自販機はインドに置かれたものと,パキスタンに置かれたもので,1セットになっている。
 Small World Machineの前に立った人には,マシンから指令(踊れとか,画面内の誰かと手を合わせろとか)が出る。そしてインド人とパキスタン人が協力してその指令を達成すると,両方の自販機からコーラが出て来る――これが「Small World Machine」の概要となる。長年にわたって軍事的な緊張関係にある両国において,「両国の人々が一緒に何かをすることはできる」ことを証明する,国際貢献プロジェクトである。

 ヨコオ氏はこのプロジェクトに深い感銘を受けた。世界は憎悪に満ちていて,一度も会ったことがない人同士が憎しみ合うという残念な状況に陥っているが,それを改善しようという試みに,大いに感動したというのである。
 なのでNieR:Automataでも,仲の悪い国のプレイヤーの応援メッセージを強制的に表示させ,「憎んでいる相手も同じようなゲーマーである」ということを伝えたい――そう,ヨコオ氏は考えた。

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 けれど最終的に,ヨコオ氏はそのアイデアを捨てる。「それは自分の主義主張の押し付けでしかない」と,ヨコオ氏は感じたのだ。
 かくして応援メッセージは国と人をランダムに選んで表示する,という仕様になった。「ビデオゲームはクリエイターの主張ではなく,プレイヤー自身が選択する自由があると思っている」「プレイヤーがどんな行動を選ぶのかは,僕には正直わかりません。それが僕が思う,今回のビデオゲームにおける自由でした」と,ヨコオ氏は語る。

 ただヨコオ氏は「個人的な思いだけで言えば,コカ・コーラの自動販売機に僕が感銘を受けたように,ほんの少しのプレイヤーさんだけでも,遠い国の人のことを少し思ってくれたなら僕はとても嬉しいし,そうなることを少しだけこっそり祈っています」とも語り,その言葉をもって講演を終えた。

 会場が万雷の拍手で包まれたのは,お伝えするまでもないだろう。

「NieR:Automata」公式サイト

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