インタビュー
ゲームの周りに凄い才能が集まっていた――日本のコンテンツ業界を振り返る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第12回は,KADOKAWA代表取締役社長・佐藤辰男氏がゲスト
多くの才能が集まった1980年代という時代
4Gamer:
「ロードス島戦記」つながりの話になりますけれど,佐藤さんが,いわゆる“ライトノベル市場”みたいなものを明確に意識したのって,どのあたりの時期になるんですか?
大きな契機になったのは,やっぱりコンプティークで連載されていた「ロードス島戦記」ですよね。会社の方針って意味でいうと,のちに「スニーカー文庫」というレーベルが発刊されて,ライトノベル雑誌の「ザ・スニーカー」なんてものも生まれてくるんだけど,その流れを作ったのは間違いなく「ロードス島戦記」というか,水野 良(※)くんだと思う。
※水野 良(みずのりょう):小説家,ゲームデザイナー。代表作は「ロードス島戦記」「漂流伝説クリスタニア」「魔法戦士リウイ」など。また,「ギャラクシーエンジェル」シリーズの総監修も手がける。大学在学中からRPGに関心を持ち,グループSNEの設立に参加。後に独立した。
川上氏:
まさに金字塔ですよね。
佐藤氏:
うん。その後にも,「フォーチュン・クエスト」だとか「ゴクドーくん漫遊記」みたいな作品が出てくるんですけど,どれも発端はコンプティークなんですよね。その意味でも,コンプティークは本当に特殊な雑誌だったという気がする。
4Gamer:
「フォーチュン・クエスト」とか,懐かしいです。あの作品はまさに僕の世代直撃でした。
佐藤氏:
ふふふ。そうでしょう? 実はあの辺の作家さんって,元はみんなゲームライターでさ。コンプティークが創刊したタイミングで集まってきた人達なんだよね。
川上氏:
へえ〜,そうなんですか。
佐藤氏:
中村うさぎさん(※)はパソコンゲームが大好きな主婦だったし,深沢美潮さん(※)も,ゲームのレビューとか取扱説明書とかを書いていたライターさんだったんです。水野くんも,最初は大阪の弱電系の会社に勤務してたサラリーマンで,ゲーム系のサークルをやってた人で。
※中村うさぎ(なかむらうさぎ):コピーライターやゲーム雑誌ライターなどを経て,小説家へ。ゴクドーくん漫遊記シリーズなどで知られる。後に「ビンボー日記」「ショッピングの女王」などのエッセイがヒットし,昨今はエッセイストとして活躍している。
※深沢美潮(ふかざわみしお):ファンタジー小説家。代表作は「フォーチュン・クエスト」「デュアン・サーク」「IQ探偵シリーズ」など。「Magic: The Gathering」のプレイヤーとしても知られており,雑誌で連載をしていたことも。
川上氏:
そのサークルが,あのグループSNE(※)なんですか?
※安田 均氏が中心となり,1987年に設立されたクリエイター集団/株式会社。テーブルトークRPGやトレーディングカードゲームの制作/翻訳などを行っている。
佐藤氏:
いや,その母体となるサークルですね。
川上氏:
あ,グループSNEすらまだ出来ていない時代なのか(苦笑)。
佐藤氏:
1983〜4年あたりですからね。あの時期って,Apple IIで初めてアドベンチャーゲームをやっただとか,あるいは「ウルティマ」や「ウィザードリィ」をやってましただとか,「ダンジョンズ&ドラゴンズ」にハマってましただとか,そういうものを原体験にしている人達がたくさんいて。そういう人達がね,どういうわけかコンプティークに集まってきたんですよね。
4Gamer:
あの,凄い不思議なんですけど,そういう後に業界に足跡を残すような人達が,揃いも揃ってコンプティークに集中した理由ってどこにあるんでしょうか。そこの目利きというか,探してくるための努力みたいなものって何かあったんですか?
佐藤氏:
うーん,なんでしょうね。そこはもう“時代性”としか言いようがないというか。僕らが探してくるとかってことではなくて,自然に集まってきたんですよね。それに結局ね,ゲーム周辺って意味でいうと,あの時代にキーとなる要素が3つあったと思うんです。
4Gamer:
3つ,ですか?
うん。一つめは,さっきも話したApple II(のゲーム)で,この影響は決定的に大きかったですよね。もう一つは「ダンジョンズ&ドラゴンズ」に代表されるTRPGと,アナログゲームの流れ。最後は,テレビゲームの源流となるATARI(※)の存在。この3つが,74年から78年ぐらいの間に生まれて。まぁ日本に輸入されるのはその少し後のタイミングになるんだけど,そうした“新しいもの”に衝撃を受けた人達が,後の時代を作り拓いていく流れというか,最初の“熱”みたいなものを作り出していったと思うんですよ。
※「ビデオゲームの父」と言われるノーラン・ブッシュネル氏が創業したゲーム会社。カセット式の家庭用ゲーム機の先駆けとなる「Atari 2600」などを発売した。
川上氏:
はい。
佐藤氏:
とくにこの辺りから,ゲームにも物語性が――要するに,単にルールがあるだけじゃなくて,その背後に世界観があって,それをベースにストーリーを作っていくみたいな文化というかね,そういうものが生まれてきた気がするんです。あるいは「ミステリーハウス」のようなアドベンチャーゲームだって,ゲームで物語を表現した最初のゲームの一つだと思うんですけど,そういうものが出てきた。
4Gamer:
なるほど。
佐藤氏:
その流れの中でね,安田 均さんが「ぜひやってみたい」と言っていたのがTRPGのリプレイで。ゲームの世界観を活かしてリプレイをやって,それが小説になっていくわけですけど,「ロードス島戦記」の成功を皮切りに,当時ゲームライターだった人が,「自分もやってみたい」って言って,みんなファンタジー小説を書き始めたんだよね。
4Gamer:
その意味でいうと,最近は,ゲーム雑誌から「ロードス島戦記」のような“コンテンツそのものが生み出される流れ”ってあまりないですよね。それとも,初期のコンプティークだけが特殊だったんでしょうか。さっきの話からすると,とくに才能ある人を選り分けて集めた……ということでもないんですよね?
佐藤氏:
そうですね。正直そこは,結構いい加減です。まあ,いい加減っていったら言葉が悪いですけど,例えば,「ロードス島戦記」のイラストレーションを出渕 裕さん(※)にお願いした経緯っていうのは,たまたま当時編集にいた吉田くんっていう人がとある展覧会を見に行って,「この人がいい!」って見つけてきたのが出渕さんだったりね。
こういう雑誌を作ろうって志をもって集まってきた人材の中から,イラストレーターだとか作家が生まれてくるプロセスっていうのは,厳選してどうこうってものじゃなくて。いろんな人間関係であったり,偶然であったり,ほんと「時代性」としか言いようのないものだと思うんですよね。
※出渕 裕(いづぶちゆたか):漫画家/イラストレーター/メカニックデザイナー。「機動警察パトレイバー」や「聖戦士ダンバイン」などのメカニックデザイナーとして有名。「ロードス島戦記」では挿絵・イラストを担当し,なかでもエルフのディードリットの耳を細長に描いたことで,現代にも続く「エルフのイメージ像」の原型を作ったと言われる。
川上氏:
ふーむ。なんか,スタジオジブリの鈴木さんも似たようなことをおっしゃる。アニメ雑誌の「アニメージュ」にしても,そこからいろんな才能が出てますよね。同様にコンプティークからも,凄い作家やクリエイターが生まれている。……雑誌ってそういうもんなんですか? それともこれは,雑誌の中でも時代性を持った,特殊な雑誌でしか起こりえない現象なんですか?
佐藤氏:
僕からするとね,やっぱり“黄金時代”というのかな。いろいろな才能が一気にどっと生まれる時代っていうのが,確かにあったと思うんです。この例えが正しいかわかりませんけど,1950年代のジャズの世界で,巨人といわれる人達が次々生まれたようにね。そうした黎明期特有の現象っていうのは,その時代にしかない一過性のものだと思うんですね。
川上氏:
はい。
1980年代半ば頃までの時代って,僕なりの解釈で言えば,1974年から1980年初頭に生まれた「ダンジョンズ&ドラゴンズ」「テレビゲーム」,そして「Apple」に代表されるパーソナルコンピューターという概念。アメリカで生まれたこれらの発明が日本に輸入されて,それに触発された人達が1983年あたりを境に立ち上がってきて,その後爆発した――というのが,この時代についての僕の総括。
ドラゴンクエストの堀井雄二さんなんかもそうだと思うんですけど,あの時代の人っていうのは,皆そういう体験をしてたんですよね。さっき挙げた3つのどれか,あるいはそのすべてに触発されて,1980年代という時代を迎えている。
川上氏:
うーん,なるほど。今の時代に当てはめて考えると,そういうのは何になるんだろう。
4Gamer:
そこはやっぱり,インターネットとかになってくるんじゃないですか? ドワンゴの昔の話のなかで,オンラインゲームの黎明期に物好きが集まってきたっていうあたりは,佐藤さんのお話に通じるものを感じますよ。
川上氏:
でも,僕らや僕らから下の世代ってさ。そういう上の世代の人達があっという間に駆け登っていくのを,なんかね,指をくわえて見てた世代じゃないですか。
4Gamer:
確かにそういう感覚はあるかもしれません。
川上氏:
で,「僕達の時代になったら,こういうことが起こるのかな」とかって思ったら,なんか,あんまり生まれてこなかったなって感じがするんです。
4Gamer:
でも,ニコニコ動画や昨今のライトノベルのブームなんかは,やっぱり一つの時代を築いていると思いますけど。
佐藤氏:
まぁただ,その意味でいうなら,もう一つ言えるのは,人口の問題というかね。例えば,ファミコンや少年ジャンプが流行する背景に,団塊の世代の子供達が大きなマーケットを築いていたことも大きいと思うんです。マーケットの大きさが,いろいろなチャンスや,実験する機会を生んでいたのは間違いないですよね。
川上氏:
確かに。そう考えると,今の若い世代って,消費の核になるような人口も収入もないですからねぇ。
4Gamer:
そんななかでも,少なくともニコニコ動画には,昔にあったような“熱気”が確かにありますよね。
佐藤氏:
うん,そうだね。
川上氏:
まぁ,経済圏とは離れてるけどね(笑)。ただ,ニコニコ動画のようなところから新しい世代のクリエイターが出てくるっていうのも,ある種の黄金時代と言えるのかもしれないよね。商業ベースにはなかなか乗りにくいけれど。
子供の頃,角川は「日本を代表する大企業」に見えた
川上氏:
ふと気になったんですけど,コンプティーク創刊当時のメンバーって何人くらいだったんですか?
佐藤氏:
僕を含めて3人ですね。
4Gamer:
たった3人……。
佐藤氏:
そもそも,僕が角川歴彦にテレビゲーム雑誌の企画書をもって行って会ったのは一回だけだったんですが,そのときに「わかった,やってみろ!」っていう事になっても,その時点では僕1人しかいないわけですよ。
で,その時に「コンプティークというゲーム会社があるから,そこに行ってみたら?」と会長に言われて行ってみたんだけど,その会社にも社長と秘書の女性しかいない(笑)。
川上氏:
え,コンプティークって会社名だったんですか?
佐藤氏:
そうなんだよね。なんか「Apple IIのソフトを日本に紹介しよう」みたいなことをやろうって会社で,僕はそこに入社したんです。
川上氏:
面白いなぁ。
佐藤氏:
角川とは何の資本関係もない会社でね。そのコンプティークの社長だった人が,僕とは別に,角川歴彦にパソコン雑誌の企画を出していたんですね。で,会長は最初,その人達にやらせようと思ってたんだけど,実際に編集経験のある人間がそこにはいなかったから,「君はここに入りなさい」って言われて,僕がそこで雑誌を作ることになった。
4Gamer:
でも結局,雑誌を作れる人は他にいないわけですよね。
そう,誰もいない(笑)。だから,しょうがないから,大学の後輩を一人,それと前にいた玩具業界からも後輩を一人連れてきて,3人で編集部を作ったんです。その後しばらくして,コンプティークって会社自体は潰れちゃうんですけどね。
あの頃は,今メディアワークスの社長をやってる塚田正晃くんがバイトでいて。さらにエンターブレインの浜村弘一くんがライターでいたんですよね。
川上氏:
え,浜村さんって元々ライターだったんですか?
佐藤氏:
そうですよ。彼は学生時代にコンプティークでゲームライターをしていたんです。塚田くんなんかは,「そろそろ卒論書かないといけないんです」とかって言って仕事を断わろうとするもんだから,「お前,仕事と卒論とどっちが大切だ!」って怒ったりして。懐かしいなぁ(笑)。
川上氏:
そうなんですか。なんか,人間関係がすごい入り組んでますね(苦笑)。じゃあ以前,アスキーが角川グループの傘下に入ったときって,ライバル企業に吸収されてしまった!みたいなドラマがある一方で,「浜村さんは古巣に戻った」みたいな見方もできるわけですか?
佐藤氏:
ある意味そうだね。「なんだ。浜村くん,久しぶり!」みたいな感覚はあったねぇ(笑)。
川上氏:
いやー,面白い。
佐藤氏:
それに,ゲーム雑誌が本当のゲーマーによって作られ始めるのは,実は彼らくらいの世代からなんだよね。それまでは,僕みたいに他の分野からの転身組が中心だったんだけど,浜村くんや塚田くんの世代っていうのは,それこそコンピューターゲームにどっぷり浸かってきた人達で。彼らは生粋のゲーマーで,ゲームのハウツーや攻略が書けるっていうんで,編集部に出入りしていたんですよ。
川上氏:
なるほど。ちなみに最盛期,例えば,1992年あたりでは社員ってどのくらいまで増えたんです?
佐藤氏:
その時は,僕らで70名程度,角川書店全体でも450名くらいですか。
川上氏:
その時でもまだ70人。うーむ。
佐藤氏:
んん?
いや,なんか僕らの子供時代の感覚で言うと,角川といえば,映画とかも作っていて,それはもう「日本を代表する大企業」ってイメージだったわけですよ。あるいは,ホビージャパンなんかも,それはそれは大きな企業だろうと思っていたんです(笑)。
4Gamer:
そうですよねぇ(笑)。
川上氏:
でも大人になって,社会全体を見回してみると,実は角川書店ですら,出版業界の中では小さな会社だったってことですよね。今でこそ,4大出版社の一角と言われていますけど,当時はそうではなかったわけで。
佐藤氏:
そうですね。角川書店は,1970年代後半に文庫本と映画のメディアミックスということをやって,ポコっと大きくなるんですけれど,それまでは本当に小さな出版社でしたから。
川上氏:
でも,映画で一大ブームを巻き起こしていた時の角川って,もの凄い大会社に見えたんですよ。
佐藤氏:
そんな事はないんです。映画が大ヒットしていた時期でさえ,確か会社の売上げは200〜300億円程度で。会社の規模という意味では,実はそれほどではないんですよね。
川上氏:
いや,なんでそんなことを思ったかというとですね。なんか最近の若い子達は,ドワンゴという会社を,巨大な会社だと思っているところがあるみたいなんですよね。
4Gamer:
ああ,権力の象徴的な。
川上氏:
そうそうそう。Twitterとかを見ているとね,ドワンゴはそれはもう超巨大な企業で,もの凄い利権をもっていて,まるで悪の巣窟みたいなね。そんなイメージで語られているの(苦笑)。
佐藤氏:
わっはっは。でもドワンゴだって,最初は10人くらいの規模からのスタートでしょう?
川上氏:
そうですね,はい。だから,若い子達の持ってるドワンゴ像って,僕のイメージとはかなりギャップがある。……だけど,自分の子供時代を思い返してみれば,そういうものなのかなぁと。
角川書店のお家騒動を振り返る
川上氏:
しかし,コンプティークが軌道に乗って,そこからいろいろな作家さんが生まれて。順風満帆だった頃に“あの事件”が起こるわけですよね。
佐藤氏:
そうなんですよ。文庫の流れが出来て,漫画雑誌も出来て,それからTRPGに対応した雑誌なんかも作って。コンプティークを発端として,いろいろな広がりを見せていた時期――もうある意味,僕的には絶頂期だったんだけど,92年に起きた事件(※)で,すべてが壊れてしまったんだよね。あれはとても悲しかったな。
※角川書店のお家騒動事件。当時,角川書店の社長だった角川春樹氏と,副社長を務めていた実弟・角川歴彦氏との対立が深まり,角川歴彦氏が突如辞任を発表。メディアワークスを設立し,氏の下にいた従業員も大挙してメディアワークスに移籍するという分裂劇が発生した。後に角川春樹氏が社長を解任されると,角川歴彦氏は角川書店に復帰。メディアワークスを角川書店の事実上の子会社化することで決着を見た。
4Gamer:
それで角川書店を出奔して,メディアワークスへの移籍劇が起こるわけですよね?
佐藤氏:
はい。
川上氏:
でも角川歴彦会長って,すぐに角川書店に戻られましたよね?
佐藤氏:
うん。1992年に辞任するんだけど,1993年には復帰していて。その後間もなくして社長に就任していますからね。
川上氏:
ですよねぇ。だから僕の感覚では,メディアワークスや電撃シリーズとかって,ずっと「角川グループだ」ってイメージがあったんですけど,実態としてはどういう感じだったんですか?
佐藤氏:
当時の角川書店に社長の長男が入社して角川歴彦が追い出されたような,大騒ぎをしていたわけですからね。角川歴彦も,それが重ね重ね嫌になってしまってさっさと出ていってしまった。だから,僕らはむしろ“反角川派”だったんですよ。
川上氏:
仲悪かったと(笑)。
佐藤氏:
しばらくの間はムチャクチャ仲悪かった(苦笑)。
川上氏:
でも,あのお家騒動の時に,角川歴彦会長が決起集会を開いて。その中心に佐藤さんもいたわけですよね?
佐藤氏:
そうですね。
川上氏:
その時の佐藤さんから見て,あの事件ってどういう見え方だったんですか?
佐藤氏:
僕はやっぱり,角川歴彦に育てられた人間だという自覚があったので,角川歴彦には角川書店を辞めてほしくなかったんですよ。でも当時,角川書店という会社が揺れに揺れて,やっぱりどちらかが出て行かなければいけないってなった時に,角川歴彦って人は,割とあっさり辞めちゃうんです。
川上氏:
あんまり執着はしない方ですよねぇ。
佐藤氏:
うん。だけど,ずっと角川歴彦の下でやってきた僕としては,「これは困ったなぁ」ってね。あの時って,割とこう,「佐藤の去就」ってものが注目されちゃってさ。本当に困ったんですよ(苦笑)。
川上氏:
人としての行動を試されたと(笑)。
佐藤氏:
そうそう(笑)。角川歴彦について行くってことは,今まで築きあげてきたものを全部手放すことになるわけだからね。実際,選択肢としては角川書店に残るっていうものもあったんだけど,結果としては,みんなを集めて新しい会社を興そう!って方向にいっちゃったんだよね。
川上氏:
でもそれって,普通なら明らかに「間違った選択」ですよね。そもそも新しく作るベンチャー企業が成功する確率だって,そんなに高いわけでもないでしょうし。
佐藤氏:
そうかもしれませんね。でも僕は,あの時は角川書店の方が「間違ってる」と思ったんです。だから,僕はそういう「間違った流れ」には乗りたくなかった。当時言われた「お家騒動」も「誰についていくか」も正しくなくて,ひとりひとりがオーナー会社からの自立を問われてたんだと思います。ただ,実際に会社を興した後は,僕も結構だらしなくてね。気づいたら会社にお金がなくて,泣きべそかきながら資金集めに奔走する時期が続いたりもしたんですけど。
川上氏:
今の佐藤さんって,すごく物腰柔らかで温厚な人に見えるんですけど,これまでとってきた行動だけを見ると,なんかね,まるで青年将校みたいな事をやってるわけですよ(笑)。昔は血気盛んだったんですか?
佐藤氏:
いやぁ,どうですかねぇ(笑)。
川上氏:
でも,当時の話をあんまりしないっていうのは,やっぱりいろいろ言いにくいこととかが多いんですか?
佐藤氏:
ん。どちらかというと,単に気恥ずかしいだけですね(苦笑)。でもまあ,結果として創業の経験をしたっていうのは,本当に勉強になりましたよね。
川上氏:
ああ,ちょっと人格変わりますよね。
佐藤氏:
うん。サラリーマンだった時とは,もう全然感覚が違うからね。
川上氏:
「この会社は大丈夫かなー?」とか,他人事として思ってるときと,大丈夫かなー?の当事者になるのとは全然違いますよね。