連載
【Jerry Chu】カメラに何を映すか
Jerry Chu / 香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー
Jerry Chu「ゲームを知る掘る語る」Twitter:@akemi_cyan |
カメラに何を映すか
ゲームのカメラは,プレイヤーにとって空気のようなものだ。
2Dゲームの場合,主人公が画面の中央に表示されればゲームプレイに差し支えることはあまりない。FPSゲームではキャラクターの視野そのものがカメラになるので,カメラの操作は極めて直感的だ。最近の3Dアクションゲームでも自由にカメラ視点を動かせるのは,もはや標準仕様になっている。
カメラは単純な機能のように思えるが,ゲーム内の風景を美しく見せるには工夫が必要だ。「どんなカメラワークが適切か」というテーマについては,第5回で取り上げているが,そのほかにもアクションゲームを快適に遊ばせるためのテクニックが存在する。
プレイヤーがステージの端に立つと,下にあるものが見えるようにカメラを持ち上げる。プレイヤーがシャンプすると,カメラが少し遅れて追随することで躍動感を演出する。戦闘シーンでキャラクターを背後からずっと眺めるだけではつまらないので,技を繰り出すとカメラが横に回り込んでアクションをカッコよく見せる。
プレイヤーが気づくことは滅多にないだろうが,ゲームを気持ちよく体験させるためには,カメラの視角や挙動を作り込まなくてはならない。ゲームプログラマーとして実際のプログラムに触れるようになり,あらためて実感したことだ。
巧妙なカメラワークと言えば,「サウルの息子」(公式サイト)という映画を見た。ハンガリーで制作された作品で,無類の映画好きとして知られる小島秀夫氏が絶賛していたので,ご存じの人もいるだろう。
「サウルの息子」の舞台は,第二次世界大戦中のナチスドイツの強制収容所。主人公は強制収容所の囚人であり,ゾンダーコマンドという特殊部隊に編入されて強制労働を強いられる。
ある日,主人公はガス室の死体を処理している最中,自分の息子と思しき遺体に出会う。息子の遺体が解剖されることを阻止したい主人公は,ユダヤ教に則って埋葬するために奔走する――。
ナチスに加担せざるを得ない立場を強いられながら,死した少年にせめてもの弔いを捧げるために命を賭ける主人公。その苦悩と葛藤は,見る者の心を揺さぶる。
演出手法における特徴は,常にカメラが主人公に密着していることだ。つまり,劇中は主人公の顔や背中が大半を占める構図に終始する。しかも,カメラの焦点は主人公に合っているため,そのほかの景色はほとんどピンボケ状態になっている。
カメラが主人公の存在を強調し,その後ろからずっと追随する。観客はまるで3Dアドベンチャーゲームをプレイしているような感覚になるだろう。
大胆なカメラワークではあるが,巧みな演出手法でもある。
まず,カメラは常に主人公にズームしているので,主人公の顔が見られるシーンでは,その表情の機微が明確に読み取れる。また,ナチスドイツの強制収容所を舞台になっているので,ガス室の死体処理や囚人の処刑といったグロテスクなシーンが多いが,こうした景色をはっきり映さないため,観客の不安感を抑えて想像を掻き立てる効果がある。
小島氏は「サウルの息子」のカメラワークについて,フレーム内に収めない情報を観客のイマジネーションに投影して,実際の様子を見せずに表現するものだと称賛しつつ,「ゲームにも使える手法」と評している。
「サウルの息子」の演出手法が優れている,という小島氏の見解には同感だ。だが,「ゲームにも使える手法」については,そのまま言葉どおりの意味ではないかもしれない。
「プレイヤーの視野を制限する」という手法を試みたゲームは過去にも存在する。
「バイオハザード」は固定視点を採用し,プレイヤーは通路の先に何があるかを確認することができない。「サイレントヒル」では濃い霧がかかり,プレイヤーは数歩先の範囲しか見えない。その先にどんなものが待っているのかを見せないことで,恐怖感を生み出す手法だ(当時の低い描画能力をカバーするための手法でもあるが)。
「メタルギアソリッド」シリーズは三人称視点の3Dゲームだが,キャラクターがロッカーやダクトに入ると一人称視点になる。この視点の切り替わりは映画「ハロウィン」の主人公がクローゼットに逃げ込むシーンを倣ったものであると,小島氏は「ゲームになった映画たち―シネマゲーム完全読本」(三才ブックス)のインタビューで明かしている。主観視点で周りが見えないからこそ,高い緊張感を生み出せる手法である。
映画のカメラは「演出」だが,ゲームのカメラは「機能」だ。
プレイヤーが状況に応じて判断を下す。それがゲームの本質であり,カメラはあくまでプレイヤーに状況を把握させるための手段でしかない。「Batman: Arkham」シリーズや「Dishonored」シリーズといった最近のステルスゲームには,「透視ビジョン」が搭載されている。プレイヤーは壁を透視して敵の居場所を確認し,アイテムの場所もハイライト表示される。昨今のゲームでは「壁が透けて見える」ことがあっても,「背景がぼやけて見えない」ことはないのだ。
透視ビジョンによってステルスゲームの面白さが損われる,と言いたいわけではない。もっとも,それは個人の感覚によるものだが。
「The Last of Us」では「聞き耳」という能力を使えば,壁越しに敵が可視化される。ステルスやアクションが苦手な人にとって,とても嬉しいシステムだろう。ただ,敵がどこにいるのか分からないほうが,本格的なサバイバルホラーが味わえると思う(実際,ハードモードでは「聞き耳」が使えなくなるが,サバイバルホラーを楽しみたいプレイヤーへの配慮だろう)。
「Mafia III」でもプレイヤーは壁越しの敵を透視できるが,生身の人間になぜ超人的な真似ができるか不思議だ。スモークグレネードを投げられたのに,はっきりと敵が見えるのもいかがだろう。情報を開示して快適に遊ばせるか,情報を隠蔽して緊張感を高めるか。その匙加減はゲームデザイナーが吟味すべき点だろう。
画面外の敵に攻撃されてイライラするのは,3Dアクションゲームをプレイしたゲーマーなら誰しも経験があるだろう。「サウルの息子」のような演出手法は,ホラーゲームやステルスゲームといった特定のジャンルや特定のカットシーンには使えるかもしれないが,あらゆるゲームに応用するのは難しいだろう。
ゲームに通ずる映画としては,「Hardcore Henry」(公式サイト)が挙げられる。昨今のFPSゲームを模倣した作品だ。現代の街で傭兵部隊と戦うというストーリーであり,「Call of Duty 4: Modern Warfare」や「Left 4 Dead」へのオマージュも込められている(出典元)。
筆者はFPSファンだが,「Hardcore Henry」にはあまり好感を抱かなかった。一人称視点に終始し,敵を銃殺したり刃物で切りつけたりするシーンは実写で描かれる。過激な描写を隠さずに見せるという点で,「サウルの息子」とは対照的だと言える。
ゲームのキャラクターを殺しても,大抵の人は眉をひそめないだろう。ゲームのキャラクターは本物の人間には見えないからだ。血飛沫が飛んだり悲鳴を上げたりこそするものの,CGで描かれた人形と認識しているので不快感はなく,一種のコミカルさすらある。
だが,ゲームでは珍しくない暴力的なシーンが実写で描かれると,リアルすぎて生理的な嫌悪感を覚えてしまった。グロテスクな描写が気になって,作品にのめり込めなかったのだ。
ゲームと映画には互いに学べるところが多い。しかし,一方の演出手法がそのまま通用するという単純な話ではない。それが「サウルの息子」と「Hardcore Henry」を見た後の感想だ。
話が長くなったが,「サウルの息子」は3Dアドベンチャーゲームの雰囲気があり,作品のクオリティも高い。ゲーマーの皆さんに強くお勧めしたい作品だ。カメラワークや演出面などは,ゲームデザイナーにとっても参考になるところが多いと思う。
■■Jerry Chu■■ 香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー。中学の頃は「真・三國無双」や「デビルメイクライ」などをやり込み,最近は主に洋ゲーをプレイしている。なるべく商業論を避け,文化的な視点からゲームを論じていきたい。 |
- この記事のURL:
キーワード