連載
【Jerry Chu】どこまでがネタバレなのか
Jerry Chu / 香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー
Jerry Chu「ゲームを知る掘る語る」Twitter:@akemi_cyan |
どこまでがネタバレなのか
ゲーマーにとって,ネタバレほど恐ろしいものはないだろう。
物語の続きを見たいから頑張ってプレイしてきたのに,ネット上でそれを知ってしまうと途端にゲームへのやる気が失われる。ボス戦の勝利後に流れる華麗なカットシーンは,難関を乗り越えたプレイヤーへの褒美でもあるが,それを動画配信サイトで見てしまうと少し申し訳ない気持ちになる。
有志のファンが運営している攻略サイトでは,ネタバレになる部分を伏字にしたり,文字の色を反転したりといった措置を施しているところが多い。
もちろん,4Gamerのようなゲームメディアのレビューでは,ストーリーの具体的な部分にはなるべく触れないようにしている。やむを得ない場合でも「以下,ネタバレ注意」と書いておくのは,当然といえば当然の配慮だ。
この連載でもネタバレを避けるために曖昧な表現を意図的に使ったり,物語の核心を避けたりしてきた。そのせいで「本当にゲームをクリアしたのか」と疑われることもあったが。
さて,今回のテーマは「ネタバレ」である。「ペルソナ5」(PlayStation 4 / PlayStation 3)と「メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ」(以下,MGS2)のストーリーに言及しているので,未プレイの人は注意してほしい。
発売前の公式情報はネタバレにあたる?
「ペルソナ5」には,あるサプライズなシーンがある。
主人公が「とあるサービス」を頼んでみると,そこに現れたのはなんとメイド姿のクラス担任,川上先生だったのだ。
川上先生は美人で悪い人には見えないが,どこか無気力で消極的な雰囲気を感じさせるキャラクターである。主人公のクラス担任ではあるが,災いの種とされた主人公を疎遠にしている。
そんな川上先生が,まさかメイド姿でアルバイトをしているとは! 主人公は驚きを隠せず,サプライズとユーモアに溢れたワンシーンである。
さまざまな出会いと出来事を通して,キャラクターの意外な一面が垣間見えるのは「ペルソナ5」の大きな魅力だ。この出来事を経て,主人公は川上先生と親交を深め,その苦悩を分かち合う。偶然に生まれた絆が,非常に印象的なキャラクターだ。
しかし,「ペルソナ5」のクリア後,サントラの発売日を知りたくて公式サイトを覗いたところ,再び驚かされた。どうやら「川上先生はメイド」という設定は,発売前に明かされていたようだ。
つまり,「ペルソナ5」の情報を発売前から追っていたファンなら,ゲームをスタートした時点で川上先生の正体を知っていたはず。筆者はゲームの発売前にあまり情報を見ないようにしているので,前述のシーンでは素直に驚いたが,ファンはどんな思いだったのだろうか。
「ペルソナ5」の公式サイトを眺めてみると,発売前に明かされた情報はかなり多いことに気づく。川上先生のみならず,絆を結べるキャラクターのほとんどが紹介されていたようだ。
新島 真のペルソナはバイクである。佐倉双葉のペルソナはUFOである。こうした情報も発売前に知らされていた。これまでのシリーズ作品に登場した仲間専用ペルソナはほとんど人型だったから,乗り物が出てくるとは筆者は予想していなかった。しかし,熱心なファンは早い時期にお見通しだったわけだ。
もちろん,こうしたケースはネタバレとは言えないだろう。なにせ公式情報だから。だが,事前に知っていることで,確実にサプライズが失われる情報でもある。
多くのゲームメーカーは,発売後のネタバレに細心の注意を払う。「ペルソナ5」はPlayStation 4の標準機能である「シェア」によるプレイ動画やスクリーンショット撮影を制限している。また,ゲームメディアのレビューにおいて,公開可能範囲が設定されているタイトルは少なくないそうだ。
プレイヤーやメディアによるネタバレを警戒しているにもかかわらず,公式サイトがネタバレにも思えるような情報を出すのは,どうにも腑に落ちない話だ。
とはいえ,メーカーにとって避けては通れないジレンマでもあるのだろう。事前情報をまったく出さないでもゲームを買ってもらえるならいいが,そうはならない。
「個性的なキャラクターとの出会い」や「ペルソナを召喚する戦い」は,「ペルソナ5」のセールスポイントだ。ゲームの魅力を伝えるためには,キャラクターやペルソナなどの情報を公開せざるを得ない。
ゲームの情報を明かすべきか,隠すべきか。たいへん困難な損得勘定であろうことは想像に難くない。
「公式情報によって,ゲームの面白さが削がれてしまう」といった事態は,当然ながら「ペルソナ5」に限らない。「人喰いの大鷲トリコ」の中盤,トリコが乗ると崩れる木の橋が登場する。E3 2015のデモで公開されたステージだ。
橋から落ちる主人公をトリコが間一髪で救い上げ,崩れていく橋を走り抜ける。非常にスリリングなシーンだが,E3 2015のデモを見ていると緊張感が半減してしまう。ステージの構造から音楽,カメラワークまで,ほとんどの展開がE3 2015のデモと同じなので,本来は息を呑むようなシーンなのに台無しになった気がする。
「FINAL FANTASY XV」(PlayStation 4 / Xbox One)の主人公の車,レガリアは改造を施すことで空を飛べるようになる。これはクリア後の特典だが,空を飛べること自体は発売前から強調されていた。
これを知っていたので,実際に車が飛んだときに「まさか飛べるとは!」と心躍ることはなく,逆にクリアするまでは飛べないと知って,「いつになったら飛ばせてくれるんだ!」と苛立ちを覚えた。
物語の核心に迫るようなネタバレではないが,個人的には伏せておいてほしかったところだ。
ネタバレを忌憚しなくてもいい?
もっとも,「ネタバレや事前情報をそこまで忌憚しなくてもいい」という意見もある。物語で最も重要なものは,「結末」ではなく「描かれ方」だ。
「硫黄島の手紙」や「ヒトラー 〜最期の12日間〜」といった歴史映画の結末は,最初から分かりきったことだ。マーベル映画でも最後は必ずスーパーヒーローが勝つ。これはお約束だ。
これらの作品の魅力は,意外性に満ちた驚きの展開ではなく,キャラクターの心理や人物関係の描写,戦闘の演出などにある。物語の描かれ方がすばらしいものであれば,たとえネタバレされたとしても作品の価値は損なわれない。
「ペルソナ5」や「人喰いの大鷲トリコ」のケースについては,発売前の情報が「ゲームの面白さを削いだ」というより,「ゲームの楽しみを先にもらった」と表現したほうが正確かもしれない。驚きとスリルが失われたのではなく,ゲームをスタートする前に味わっただけだ。
しかし,ゲームの情報を明かすだけでなく,ゲームの楽しみを増幅させるような宣伝手法は存在しないのだろうか。
発売前の宣伝もゲームの一部
2001年に発売されたMGS2は,スネークを操作するタンカー編と,雷電を操作するプラント編によって構成されている。実質的にプラント編が本編だ。
MGS2の主人公が雷電であることは,今となっては周知の事実だが,その存在は発売直前まで隠し通されていた。体験版にはスネークが活躍するステージが収録され,PVやスクリーンショットもスネークの登場シーンがほとんど。PVでは本来なら雷電の登場シーンをスネークに入れ替えて,主人公がスネークであるかのように見せた。
だからこそ,本編で雷電が登場するシーンにファンは大いに驚いたのだ。
いや,「驚いた」というより「がっかりした」のほうが実情に近いかもしれない。スネークは当時,一世を風靡した人気キャラクターである。「メタルギアソリッド」のファンは,誰もが再びスネークと一緒に戦うことを持ち望んでいた。
それなのに続編ではスネークが脇役になっていて,その代わりにまったく知らないキャラクター(雷電)が主人公となる。ファンであるからこそ,期待を裏切られた気持ちになっただろう。
雷電の存在を隠したことについて,小島秀夫氏は「(ファンに)驚いてほしかった」と語っている(「RTX Sydney 2017」でのインタビューより)。しかし,筆者は「それ以上の意味があった」と考える。
MGS2をプレイした人なら分かると思うが,「情報科学による思想操作」が本作の重要なテーマだ。事件の黒幕は,情報操作によって社会と文化をコントロールすることを目論んでいる。雷電はVR訓練で実戦以上の経験を積んだと豪語するも,スネークは実戦をどこまでシミュレートできるかを疑う。人間だと思われていた存在が,実は人工知能だったという衝撃の事実も明らかになる。
インターネットや無線通信,VRシミュレーションといったデジタル情報は,いかに真に迫っても虚像に過ぎない。現実を正しく再現できるとは限らず,悪意ある者によって捏造されることもあり得る。それをMGS2は語ったのではないか。
ゲームはまさにデジタル情報の産物だ。ゲームのグラフィックスはコンピュータによって描画されるものだから,虚像を作り出すことに長けている。実写映画では撮り終わった後に俳優を入れ替えることは困難だが,デジタルゲームならキャラクターのモデルを入れ替えるのは造作もない。
デジタル情報に手を加えれば,虚像をでっち上げることは簡単だ。実際,小島氏は「MGS2の主人公はスネークである」と発売前に思い込ませた。
「主人公をスネークと思い込ませる」という宣伝手法は,単にファンを驚かせるためではなく,ゲームのテーマに呼応していたと考える。あらためて発売前の情報を見直すと,販売戦略の範疇にとどまらず,デジタル情報の脆弱さを暴いたパフォーマンスアートのようだ。
思えば,小島氏はゲームの宣伝やPVにも趣向を凝らしてきた。氏の最新作「DEATH STRANDING」も謎めいたティザーだけを見せて,ファンの想像力をかき立てている。ディテールは明かされていないが,ティザーにはいろいろなヒントが詰め込まれており,そこから想像する時点で「すでにゲームは始まっている」と小島氏は語る(「RTX Sydney 2017」でのインタビューより)。
つまり,発売前のプロモーションもゲームの一部であるということだ。情報を明かすことで作品の魅力を伝えるのではなく,逆に情報を隠すことで作品の魅力を引き立てようとしているのだろう。
MGS2や「DEATH STRANDING」のような芸当は,誰でも真似できるものではないかもしれない。だが,単なる種明かしではなく,ゲームの楽しみを増幅させるような宣伝手法を考えてほしいと願う。
■■Jerry Chu■■ 香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー。中学の頃は「真・三國無双」や「デビルメイクライ」などをやり込み,最近は主に洋ゲーをプレイしている。なるべく商業論を避け,文化的な視点からゲームを論じていきたい。 |
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