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ビデオゲームの語り部たち 第12部:「ゲームインみとや鶯谷店」の閉店で新たな道を歩き出した武井幹夫氏と「ファイティングバイパーズ」筐体の今
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印刷2019/04/30 00:00

連載

ビデオゲームの語り部たち 第12部:「ゲームインみとや鶯谷店」の閉店で新たな道を歩き出した武井幹夫氏と「ファイティングバイパーズ」筐体の今

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 2018年11月3日に掲載した本連載「ビデオゲームの語り部たち」の第9部「『ファイティングバイパーズ』に魅せられた武井幹夫氏のゲームセンター人生と『ゲームインみとや鶯谷店』の閉店」は,大変多くの読者に読んでいただけた。

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 メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏が,ビデオゲームの歴史で記録・記憶しておくべき人々や場所などを振り返る連載「ビデオゲームの語り部たち」。第9部で登場いただくのは,8月に閉店した「ゲームインみとや鶯谷店」で最後の店長を務めた武井幹夫氏です。

[2018/11/03 00:00]

 人は,「かつてそこにあったもの」に得も言われぬ感情を抱く。喧騒と興奮に溢れ,名もなき者たちが夜な夜な対戦と交流を楽しんだゲームセンターの灯が消えたことに,哀切を感じた人が多かったのだろう。みとや鶯谷店に「古き良きエンターテイメント」「時代を映した文化」といったものを重ねたのかもしれない。

 だが,何かが終わることで始まるものもある。それはいつの時代も変わることがないはずだ。そう考えたとき,筆者は武井幹夫氏と,みとや鶯谷店で稼働していた「ファイティングバイパーズ」の筐体をもう少し追いかけようと決めた。本稿はその取材の記録である。


不安の中で新たなスタートを切った武井氏


 連載の第9回で紹介したように,ゲームインみとや鶯谷店は2018年8月31日に歴史の幕を下ろし,閉店から約1週間をかけてゲーム機の売却と廃棄,フロアの原状復帰が行われた。
 すべての作業が終わり,ガランとしたフロアに立ってみると,居並ぶゲーム筐体やその前に座るプレイヤー,賑やかな電子音,機器の放熱などで息苦しさすらあったのが嘘のように広く感じられ,さらに寂しさが増したことをよく覚えている。

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 現在,そのフロアには居酒屋の「鳥貴族」が入っている。内装は全面的にリフォームされ,みとや鶯谷店の面影は欠片もない。辛うじて当時を偲ばせるのは,ビルの入口からフロアへと続く,ゴム製の滑り止めが付いたモルタルの階段だけだ。

 筆者はみとや鶯谷店閉店後も,武井氏とメールで連絡を取り合っていた。
 武井氏の新たな職場は,みとや大森駅前店。パチンコホールである。慣れない遊技機の仕事ということで,武井氏も不安の色を隠せないようだった。

 「これから始まることなので,正直言って何も分かりませんし,ゲームセンター以外の仕事はほとんど経験がないので不安です。
 店長だったのに,新人レベルの業務からスタートすることになったのも,ちょっとショックでしたね。会社からすると『ゲームは長いけど,遊技機系は新人』ということなのでしょうが」

 いろいろな思いを抱えつつも,武井氏は「やってみなければ分からない」と自分を納得させたようだ。
 だが同時に「合わなかったら,みとやを辞めるかもしれないですね。昔お世話になった渋谷店の店長が商売をやっているので,そこで働かせてもらうかもしれません」とも漏らしていて,筆者はそれが気になっていた。
 そして,みとや大森駅前店での勤務が始まったと思われる時期になると,武井氏からの連絡は途絶えてしまった。


居場所をなくしたゲーム筐体の行き先


 武井氏と連絡を取りながら,筆者はみとや鶯谷店で稼働していたゲーム筐体の行方も追っていた。

 本連載の第9部でも書いたように,店内にあった筐体のほとんどは,3台のトラックに分けられ,それぞれの場所へと運ばれた。

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 残念ながら引き取り手がなかったものは,店内でバラバラに分解されるなどして運ばれていった。可能なものはリサイクルされたうえ,残りは産業廃棄物として処理されることになるという。20年くらい前には,焼却炉でまとめて処分されると聞いた覚えがあるのだが,時代が変わってエコが優先されているようだ。再利用されるのはいいことだが,分解作業の過程を見ていると,やり切れない気持ちにもなる。

 マージャンやリズムアクションなどの大型筐体は,千葉県の業者に引き取られていった。新しい活躍の場に向け,整備されたうえで販売されるという。

 アストロ筐体に組み込まれたものをはじめとするレトロゲームの一部は,埼玉県戸田市にある中古アミューズメント機器販売業者,セブンズに送られた。

 ファイティングバイパーズは,新たな導入先として埼玉県のふじみ野市にある「アミューズメントフィールドBAYON」(以下,バイヨン。公式サイト)に売却されたと聞いていたが,筆者はそこへ向かう前に,ゲームセンターの閉店が相次ぐ現在の中古ゲーム機器の流通事情などを聞くため,セブンズを取材することにした。

 セブンズの倉庫には,懐かしいロゴが描かれた筐体が所狭しと並んでいた。これだけでもマニア垂涎のものだろう。それぞれが新たな稼働先でプレイされることを夢見ているに違いない。

 セブンズ代表の佐藤光司氏に話を伺った。

セブンズ代表 佐藤光司氏
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 「うちでは,中古のゲームマシンを買い取り,それを清掃,整備して商品の状態にし,販売しています。メインの販売先は全国のゲームセンターさんですが,このところ個人の方からも問い合わせが多いですね。レトロアーケードゲームの筐体は高額で取引されることもあります。また,最近は海外のお客様からもお問合せが多く,少量ですが輸出も徐々に増えている状況です
 ゲームマシンのレンタル業もやっていて,そのためというわけではないのですが,常に使えそうなパーツはストックしています。ブラウン管,レバー,ボタン,ネジ類などですね」

取引先への在庫案内や注文受付は「ちょっとローテクですがFAXと電話です」(佐藤氏)とのこと
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筐体だけでなく,チラシもストックされている。写真のものはナムコの「ファイナルラップ」
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 買い取ったアーケードゲームは,埼玉県や千葉県をはじめとした関東地方にある大型の遊戯施設に販売するケースが多いという。価格は新品の10分の1くらいとのこと。

 昨今はレトロゲームマシンの保存活動が活発になっており,大手のアミューズメント系ゲーム会社がコンタクトを取ってくることもあるという。
 個人客には,大きな倉庫を借りてアーケードゲームをコレクションしている上顧客もおり,開発メーカーが現物を保有していない筐体もコレクション品として現存しているものがあるそうだ。

 「精密な電気製品ですから,特に個人の方に販売する場合は,取扱いに注意いただくようお願いしています」

セガの「バーチャコップ」(初代機)
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 トラックで搬送する際の衝撃でコネクターや回路接点が破損することもあるため,納品には細心の注意を払うという。
 マンションに住んでいる個人が購入した場合,筐体のサイズが大きくて扉からは入らず,窓を外してベランダから搬入するというケースもあり,購入する側も事前に予備知識があったほうがいいとのこと。

 売れ筋商品を聞いてみると,意外な答えが返ってきた。

 「あまり知られていないんですが,両替機は隠れたベストセラー商品で,常に需要があります。古いゲームのチラシも人気がありますね」

 最近は,相次ぐゲームセンターの閉店によって,市場の状況にも変化が生まれているという。

 「鶯谷のみとやさん以降も各地でゲームセンターが閉店していますが,各店舗で稼働していたものに加え,倉庫に保管されていたものが放出されたせいなのか,多数の筐体が中古市場に出てきています。弊社にも入ってきていますが,残念なことにリサイクルが叶わず,廃棄処分になるものもあります。
 希に30年前のゲームがきれいなまま入荷するといったこともありますが,そういったものは年々数が減っていて,店舗で稼働しているものを見ることも減ってきましたね」


新天地で稼働するファイティングバイパーズ


 みとや鶯谷店の閉店を取材する中で,ファイティングバイパーズの筐体がバイヨンで再稼働するという話を聞いていた筆者は,バイヨンの公式ツイッターでファイティングバイパーズの筐体が設置完了し,稼働開始の告知がされたのを見て,取材に向かった。

バイヨンのエントランス
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「リーサルウェポン」のピンボール
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 池袋から電車で30分ほどのふじみ野市にあるバイヨンは,2000平方メートルという広大な敷地面積を誇り,最新のマシンは言うに及ばす,レトロゲームやピンボール機まで多種多様なゲーム筐体が揃っている。その中には筆者が昔プレイしたことがある「リーサルウェポン」(メル・ギブソンとダニー・グローヴァー演じる刑事コンビが活躍する映画)のピンボールもあった。

 そんなバイヨンの店内には,古いアーケードゲームが数多く設置された「MAエリア」と呼ばれている一角がある。MAとは「Memories of the Arcade」の略だ。

 壁面にはレトロゲームのポスターが数多く貼られており,遊び方が分からないプレイヤーのために,ゲームの資料やパンフレット,コマンド表,攻略本などが用意されている。ゲームの入れ替えも頻繁に行われており,導入予定のゲームの告知も目立っていた。
 毎週金曜日は一部の対戦台がフリープレイになるということもあって,学校帰りの中学生や高校生が自然と集まり,プレイを楽しんでいるという。筆者が訪れたときは,ファイティングバイパーズがフリープレイの対象となっており,新規顧客の獲得に一役買っているようだった。

 旬が過ぎたレトロゲームということを考えると,意外なほどの注力ぶりだが,こういった店側のさまざまな施策の効果もあってか,MAエリア以外の客付きもいいようで,この地域のゲーム・エンターテイメントカルチャーの促進に貢献しているように見えた。

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 MAエリアにあるゲームのプレイヤーには,それを良く知る強者もいれば,初めてプレイする人もいるだろう。リリースから長い時間が経っても,幅広い層に楽しくプレイしてもらえるということは,ゲームにとって幸せなことのように思えた。

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武井氏の選択と現在,そしてこれから


 1か月ほど連絡が取れなかった武井氏から,久しぶりにメールが届いた。

 「黒川さん,お久しぶりです。今は大森店で勤務しています。ガラケーではなく,PCのメールにしました」

 そこからやり取りが再開したのだが,1週間くらいたった頃に,意外な連絡が届いた。

 「来週くらいには転職をしようと思っています」

 パチンコ店での仕事があまりフィットしなかったのだろうか。ちょっと早い決断かもしれないが,当初から不安を感じていたように,そのあたりの感触は本人が一番よく分かっていたのだろう。そこから間を置かずに届いたメールは,新たな職場を伝えるものだった。

 「以前みとや渋谷店でお世話になった店長がやっている八百屋に転職します。黒川さんもよかったら遊びに来てください。お土産に野菜をいっぱい差し上げます!」

 そこには退職するという悲壮感はみじんもなく,むしろ生き生きとした空気が感じられた。聞けばパチンコの仕事に馴染めず,ストレスで体重も減少してしまったとのこと。やはり不安どおり,合った仕事ではなかったのだ。

 後日,仕事を覚えて落ち着いて話ができそうだという連絡を受けたので,職場で話をうかがうことにした。

びっくり屋 武井幹夫氏
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 現在武井氏は,麻布十番本店,広尾店,東麻布店,白金店の4店舗を展開する生鮮食品店「びっくり屋」の従業員として働いている。
 みとや渋谷店時代の縁とはいえ,八百屋というのは正直なところ意外な選択だ。もう一度ゲームセンター関連の仕事に就くことは考えなかったのだろうか。

 「自身の能力や年齢等を考えると,ほかのゲームセンターで働いても役に立てないと思って,ほとんど諦めていました。声をかけられることもほんの少し期待していましたが,今のゲームセンターの経営事情を考えると,あり得ない話ですよね。
 パチンコ店での勤務開始まで時間もなかったので,選択肢はありませんでした」

 ゲームセンターを離れたことで,何か気持ちに変化はあっただろうか。

 「まったく違う職種に就いてしまいましたが,ゲームセンターの動向は気になります。20代の頃に,ファイティングバイパーズやほかの対戦ゲーム,そしてゲームセンターでできた友人関係は,40代の今になっても続いていますし,ゲームやゲームセンターに対する気持ちや考えは変わっていません」

 武井氏は,かつて自身がみとや本社に掛け合って鶯谷店への導入を決めた「ファイティングバイパーズ」が,今もバイヨンで稼働していることを聞くと,喜びの表情を見せた。

 「バイヨンさんは都内からちょっと距離があるので,気軽に訪問することはできませんが,今でも稼働していることは本当にありがたいです。ファイティングバイパーズの稼働が始まった1995年には,全国のゲームセンターでコミュニティが誕生したと思いますが,20年以上経った今も稼働していることで,かつての仲間たちが再会したり,新しい出会いが生まれたりするきっかけになると思います」

 連載の第9回で書いたように,若き日の武井氏は,「家業を継ぐための勉強をしたい」と半ば両親を騙すようにして上京し,収入の多くをゲームにつぎ込んで,ついにはゲームセンターで働くことになった。いわば好きなゲームにその身を捧げるような人生を送ってきたわけだが,違う道を歩き始めた今,何を思うのだろうか。

 「頭も良くないし,能力もないのに,ここまでよく生きてこれたなぁと思います。今まで知り合った方々のお陰です。ありがたいと思います。
 自分自身は今後ゲームセンターの経営や運営には関わらないと思いますが,思い返せば10年20年前には,自分が八百屋になるとは思っていませんでしたから,これからの人生もどう転がるか分からないですよね」

 現在,武井氏は毎朝,市場で仕入れた野菜をダンボール箱から出して小分けにし,ラップで包むといった仕事をしているという。近隣には大型のタワーマンションが多く,そこへの配達にも行くようだ。筆者の前で「こうやって野菜を小分けにしてラップで包んで店頭に並べるんですよ」と実演を交えて教えてくれた。

 「野菜を切ったり,袋に詰めて陳列したりする作業に正解はないので,毎日試行錯誤ですが,それが面白くて楽しく仕事をしています。
 何故パチンコ屋を辞めたか,自分で考えてみると,体力的な問題もありますが,一番の理由は業務内容がシステマチックだったからだろうと思うんです。
 出玉が入った箱の並べ方,箱の角度,接客に至るまで,何から何までマニュアル通りなのが性に合いませんでした。若い子達には分かりやすく教えやすいのかもしれませんが,自分のような昭和世代には合いません。
 びっくり屋は,接客の決まりはなく,感謝の気持ちを素直に伝えるだけなので,自然に振る舞えて楽しいですよ」

 武井氏はそう言って,破顔一笑した。

 取材を終え,お土産としてもらった抱えきれないほどの野菜を手にした筆者に,武井氏がこう話しかけてきた。

 「ファイティングバイパーズ好きが集まる集会が,毎年お盆と年末に新宿西口のスポーツランドであるんです,20年くらい続いているんですが,黒川さんもスケジュールが合えば参加してみてください」

 それを聞いて,筆者は「やはりそうか」と思うとともに,安堵感のようなものを感じた。職業は変われど,武井氏のゲームに対する想いは変わっていない。

 現在バイヨンで稼働しているファイティングバイパーズに,さまざまな場所を辿った歴史があるように,ゲームに関わった人々にもそれぞれの歴史がある。そこで出会ったものごとが忘れさられたり,なかったことにされるほど残酷なことはない。
 大切なことは,自分の過ごした日々を糧に,常に前を向いて歩いていくことではないか。ゲームやゲームセンターへの思いを胸に秘めながらも,「びっくり屋」ではつらつと働く武井氏を見て,筆者はそんな思いを抱いた。

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著者紹介:黒川文雄
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 1960年東京都生まれ。音楽や映画・映像ビジネスのほか,セガ,コナミデジタルエンタテインメント,ブシロードといった企業でゲームビジネスに携わる。
 現在はジェミニエンタテインメント代表取締役と黒川メディアコンテンツ研究所・所長を務め,メディアアコンテンツ研究家としても活動し,エンタテインメント系勉強会の黒川塾を主宰。
 プロデュース作品に「ANA747 FOREVER」「ATARI GAME OVER」(映像)「アルテイル」(オンラインゲーム),大手パブリッシャーとの協業コンテンツ等多数。オンラインサロン黒川塾も開設


取材協力:アミューズメントフィールドBAYON
住所:埼玉県ふじみ野市うれし野2-16-1 LCモールうれし野 2F
電話:049-265-1400
営業時間:10時〜24時
休み:なし
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