インタビュー
憧れの沖縄でゲーム開発を始めて9年目。サマータイムスタジオ弘津社長に聞くこれまでとこれから
ゲーム会社は関東地方に一極集中していると言ってもおそらく過言ではなく,CEDEC 2019に際して行われたインターネット調査「ゲーム開発者の生活と仕事に関するアンケート調査2019」(外部リンク)では,勤務地が関東地方となるゲーム開発者が全体の83.1%を占めた。
今回のインタビューのきっかけは,不定期連載「意外なところにゲーム人」の沖縄取材(関連記事)を進めていた折,岸本好弘氏から「沖縄に面白そうなゲーム会社がある」と連絡を受けたことだった。東京にあったオフィスを引き払い,沖縄へオフィスをうつし,今年6月には設立9周年を迎えるという。沖縄という地方で人材をどう確保しているのかも興味深い。
というわけで今回は,岸本氏がサマータイムスタジオ代表取締役社長 弘津健康氏に行ったインタビューをお届けしよう。弘津氏がゲーム開発に関わるようになったきっかけや,沖縄にオフィスを構えた理由,東京と沖縄を比較したときのメリットやデメリット,そして今後の展望などを語ってもらった。
サマータイムスタジオ 公式サイト
4Gamer:
本日はお時間をいただき,ありがとうございます。今回は岸本さんから,沖縄にあるゲーム会社としてサマータイムスタジオさんにぜひ話を聞いてみたいということで,取材をお願いさせていただきました。
岸本好弘氏(以下,岸本氏):
そうなんですよ。ちょうど連載の取材で沖縄を調べていたら,スカイダイビングの写真とかサーフィンの写真が公式サイトのトップにあるゲーム会社を見つけて,なんだろうと(笑)。
サマータイムスタジオ代表取締役社長 弘津健康氏(以下,弘津氏):
まあ,そうですよね(笑)。
岸本氏:
ただ,調べてみると沖縄でかなり長いことゲーム開発をやってらっしゃるんですよね。長年地方で活躍されている秘訣や経緯について,ぜひとも伺いたいと思いまして。
弘津氏:
ありがとうございます。私も岸本さんにお会いできてうれしいです。
岸本氏:
さっそくですが,弘津さんはもともと沖縄の方なんですか。それとも他県の方?
弘津氏:
生まれは山口県ですね。ただ,父親の仕事の関係で東京を中心とした関東圏でずっと暮らしてきました。
岸本氏:
就職も関東圏だったんですか。
はい。最初はゲーム会社ではなく,ケーブルテレビの運営会社で,インフラ整備を担当する法人営業をやっていました。20年前は,インターネットがまだISDNの時代で,これから光ファイバーを整備していこうという動きが出始めていた頃でした。
私はそのインフラを整備する人間として携わっていたんですが,その中でいろいろなコンテンツに触れていくうちに「ゲームそのものを作りたい」という思いが強くなっていったんです。
岸本氏:
コンテンツの方に興味が出てきたんですね。
弘津氏:
はい。ただ,そこからはかなり転職を繰り返しました。ゲーム会社の仕事と言っても,経理や人事のバックオフィス業務もありますし,広報業務なんかもありますよね。僕はビジネス的な経営戦略とか,ライセンス,タイアッププランの業務に携わることが多かったんです。
仕事としてはとても楽しかったですし,勉強にもなりましたが,それらの業務を経験すればするほど「もっと直接ゲーム開発をしてみたい」と思ったんです。
岸本氏:
コンテンツ作りをやらせてもらえなかったと。
弘津氏:
最後に在籍したのがアクワイアなんですけど,ここでやっと携わらせてもらえたんですね。ちょうどグリーやモバゲーがはやっていたころで,アクワイアの中でもモバイル向け・スマホ向けのゲームを作っていこうという動きがあり,そこのチームに入っていました。
アクワイアはコテコテのゲーム開発会社という雰囲気で,「そうそう,ゲーム会社ってこんな感じだよね!」と夢に描いていたゲーム開発に携われた喜びを噛みしめながら働いてましたね(笑).
岸本氏:
やっと念願が叶ったわけですね。でもそこからさらに独立されたわけですが,理由は何だったのでしょう。
弘津氏:
当時,日本のゲーム業界全体がスマホ向けのゲーム開発に乗り出そうとはしていたものの,なかなか踏み切れない状況があったんです。僕はスマホ向けのゲームには可能性があると思っていましたし,そういう状況をもったいないと思っていたんです。そこで小規模でもいいので,独立して会社を立ち上げることにしました。
岸本氏:
それはいつのことですか。
弘津氏:
2009年〜2011年あたりですね。
岸本氏:
まだコンシューマ畑の人間が携帯電話向けのゲームを軽く見ていた時代ですね。その頃はネイティブアプリではなくブラウザで動くモバイルゲームが主流でした。開発拠点はどうして沖縄になったんですか。
弘津氏:
単純に沖縄で生活したいと思ったからです。昔,仕事が辛くて生きるのに疲れた時期があったんですが,ある日ふと思い立って上司の机に書き置きを残して,沖縄旅行に行ったことがあったんです。
岸本氏:
思い立ったらすぐにやるタイプなんですね(笑)。
弘津氏:
夜に到着したので,景色は真っ暗だったんですが,そこで嗅いだ海の香りが強烈に心に残りました。そのとき「こんな自然豊かな場所で生活してみたい」と思ったんです。
岸本氏:
純粋な憧れだったということですか。公的な機関から補助金が出るからとか,人件費が安いからとか,そういったことを考えていたわけではないと。
弘津氏:
そうですね。公的支援目的で,沖縄に支社を置いているゲームの運営会社も多いですが,うちは補助金を受けていません。賃金も東京で働くのと変わらないくらいは出していますし。
岸本氏:
立ち上げ当初のメンバー何人くらいなんですか。
弘津氏:
私も含めて5人です。うちのCTOはテイルズスタジオ出身だったり,トーセさんにいた人間もいたりと,ほとんどがコンシューマゲームの開発に携わっていました。
岸本氏:
社員の皆さんは,沖縄に行くことに反対しなかったんですか。
弘津氏:
実は最初期の頃は,沖縄と東京にオフィスを構えていたこともありました。立ち上げ当時は会社の登記も東京でしたし,所帯を持っているメンバーもいましたから,東京と沖縄好きな方で働けるようにしようと思ったんです。
ところが,社員に要望を聞いたら全員が「沖縄に行きたい」と言うんですよ(笑)。所帯持ちの人も家族全員で沖縄に引っ越すと言うんで,だったら東京のオフィスをたたんで,沖縄だけでやってみようということになったんです。
岸本氏:
みんな沖縄に来ちゃったんですか! それはすごい。
弘津氏:
半分くらいは東京に残るんじゃないかなと思っていたんですが,みんな来ちゃいましたね(笑)。なかには「沖縄にゲーム会社を作るよ」と言ったら別の会社から転職してUターンした沖縄出身の人もいます。
9年間やってこれたのは,いい出会いとラッキーに恵まれたから
岸本氏:
現在設立9年目ということですが,会社は順調ですか。
弘津氏:
はい,順調です。東京のクライアントからもお仕事をいただけてますし,自社タイトルも小さいものを含めると13本ほどリリースしています。スマホゲームをイチから作ってリリースするという,ひと通りの流れは経験したつもりですね。
岸本氏:
受託と自社タイトルの比率はどれくらいなんですか。
弘津氏:
8:2くらいで受託が多いです。
岸本氏:
受託で稼ぎながら自分たちの好きなものを出してる感じですね。仕事を取ってくるときは東京に行かれるんですか。
弘津氏:
四半期に1回ほど行ってます。あとは「沖縄にゲーム会社があるって聞きました!」と,もの珍しさで興味を持ってもらった会社から問い合わせがあり,実際にお越しくださったケースがよくあります。
岸本氏:
それ「ちょっと視察に行ってきます!」って沖縄に行けるからじゃないですか(笑)。
弘津氏:
それもあるかもしれません(笑)。ただ,そこから具体的な契約に発展して,クライアントから次の案件を紹介していただいたり,別の方を紹介していただいたりと仕事がつながっていくこともあり,いい出会いに恵まれています。
岸本氏:
社員は何名なんですか。
弘津氏:
今は沖縄本社と台湾の支社を合わせて45人くらいです(※)。
※2019年11月の取材当時
岸本氏:
台湾にも支社があるんですね。台湾は別のプロジェクトを動かしているんですか。
弘津氏:
いえ,そういうわけではなく,同じプロジェクト内の仕事を日本と台湾で役割分担して,リモートでやり取りしています。
おっしゃるように昨今,「リモートで仕事ができる時代」と言われているにもかかわらず,うまくいっている事例をあまり聞きません。日本と台湾とのやり取りはうまくいってるんですか。
弘津氏:
特に日本と台湾との連携で大きなトラブルが起こったことはないです。言葉の壁も通訳ができる子が何人かいるので問題にならないですし,文化的な面も台湾の子は日本のアニメやゲームを経験して育っているので,日本人と感性が非常に近いですから。
岸本氏:
台湾はネット規制もないですね。
弘津氏:
はい。僕らと近い環境でゲームに触れられるので「あのゲームはこうだよね」と知識があることを前提に話が進められるので,クリエイティブにおける価値観の違いという点で苦労したことはないですね。
ただ,僕らは中途採用を行うのが難しかったので,基本的には新卒で採用した人を3,4年かけて育てていくという形を取っています。台湾支社は立ち上げてまだ1年とちょっとなので,育成途中という面で技術的な差異はありました。でも,そこは日本でカバーしてあげればいい話なので。
岸本氏:
台湾は日本と時差もほとんどないですし,文化的な共通点も多いし人柄も似ている。連携しやすい条件がそろっているのかもしれませんね。
弘津氏:
以前オンラインゲームに携わっていたときには韓国の会社とやり取りしていたんですが,技術力はピカイチな一方でゲームに対する価値観には乖離があって,結果的にそれがトラブルにつながってしまったことがありました。台湾はそういった面が少なかったので,やってよかったなと思います。
岸本氏:
でも,あまり台湾と組んでいる事例を国内では聞かないですよね。
弘津氏:
日本ではあまり聞かないんですが,うちの台湾オフィスがある高雄市には,中国国内でしか放映されないフルCGの映画を作っている会社だったり,ハリウッドと直接仕事をしている会社があったりしましたね。
意外と日本には情報が入ってこないんですが,技術力はもの凄いんですよ。現にウチの台湾オフィスの隣りにいた会社は「アイアンマン」の映画を作っていましたよ。
岸本氏:
突然沖縄に行って,台湾との連携もうまくいって,会社も順調。これはすごいことだと思うんですが,なにか秘訣があるんでしょうか。
弘津氏:
うーん……。私自身,地道にやってきただけなので分からないです。
ただ,受託の仕事が途切れて困っていたときに,突然何のつながりもなかったところから「仕事をお願いしたいです。契約は来週で」というお話があるというようなことが続けて起きたことがありました。タイミングよくラッキーなことが続いたというのは大きいと思いますね。
伝達速度は遅いが沖縄にやってくるのは,東京で洗練された技術
4Gamer:
弘津さんは東京と沖縄の両方でゲーム開発の経験があるわけですが,沖縄には東京と比べてどのようなメリットがあると感じましたか。
弘津氏:
メリットはやはり生活環境でしょうか。海や自然に囲まれていて,ストレスなく生活できますし,子供がのびのびと遊べる環境もあります。社員の子供にも,沖縄に来てからぜんそくが治ったという人もいます。
4Gamer:
逆にデメリットはありますか。
弘津氏:
致命的なものはないんですが,沖縄より東京の方がテック周りの情報が入ってくるスピードが圧倒的に速いので,そこはデメリットだと思います。
今はネットがあるから世界のどこにいても公平に情報が得られると言われていますが,それでも人を介した情報伝達というのが一番速かったりするんですよ。沖縄にいれば当然情報にラグが生じますし,東京でしか回っていない最新技術というのもやはりありますね。
岸本氏:
昔は技術を“企業秘密”にしているケースばかりでしたが,今は都内でゲーム関係の勉強会がたくさん開かれるようになりました。
弘津氏:
ラグが1日,2日ならいいんですが,1か月,2か月にもなるとスタートの時点で差がついているので,遅れを取り戻すとなると非常に時間がかかってしまいます。
僕らも東京ゲームショウに出展したり,Unite Tokyoに全社員を連れて行ったりしていましたが,当然膨大な費用がかかりますし,スケジュール管理が大変なので,毎回行くわけにもいきません。
岸本氏:
自分がイベントに行けなかったとしても東京なら知り合いの誰かが行っているので,後から話を聞けますしね。海外のイベント情報も入ってきやすいです。
弘津氏:
それもまさに人を介した情報ですね。東京にいたら少なくとも沖縄よりはテクノロジーの情報がカバーできたんじゃないか……というのは,こちらに来てから思いますね。ただ,この情報が入ってこないというのは,一方でメリットにもなっているんです。
岸本氏:
と言いますと。
弘津氏:
沖縄に入ってくる技術は情報が遅い分,伝わってくる段階である程度洗練されているんです。情報が多すぎると迷ってしまいがちですが,沖縄はあれもこれもと情報が入って来ないので,自分たちの使っているテクノロジーに迷いを抱かずに突き進めるんです。
岸本氏:
なるほど。東京にいると最新技術が入ってくるのが当たり前なので,その視点はあまりなかったですね。興味深いです。
人材に関してはどうですか。
弘津氏:
それに関してはあまり苦労はないですね。そもそもゲーム会社の数が少ないので,応募の方が圧倒的に多いんです。ある年は募集人員15名に対して200人くらいの応募がありました。
ただ,先ほども申し上げましたが,中途採用がなかなか難しいので,新卒で採用してイチから育てていく形にはなります。
岸本氏:
200人というのはすごいですね。
弘津氏:
求人広告も募集するときに地元紙に載せるくらいで,採用にかかっている費用は1年間で最大50万円くらい,9年間トータルでは300万円ほどです。確かに沖縄からゲーム業界を志して都内へ出ていく人もいますが,逆にゲーム業界で働きたいけど,地元に残りたいという人もたくさんいるんですよ。
岸本氏:
東京は超有名な会社に人が集まるので,小さい会社は大変だという話は耳にします。情報誌にお金をかけて広告を出しても人が来ないそうです。もしかしたら地方のほうが人を集めやすいという側面があるんでしょうか。
弘津氏:
僕も沖縄に来て初めて分かったんですが,地方にいる子たちでも,能力を持っている人やゲーム業界と相性が良い人ってたくさんいるんですよね。そこに企業側がリーチできていないだけなんじゃないかなと。人材で困っている会社が地方に足を運ぶというのは,重要なことだと思います。
今後は沖縄から飛び出して“eスポーツ温泉”を作る!?
岸本氏:
では,弘津さんが今後目指していることを教えてください。
弘津氏:
沖縄だけでなく,日本全国のさまざまな地方に開発拠点を置きたいと思っています。その第1弾として,西日本のとある場所で準備を進めています。今,交渉中なんですが,“源泉かけ流しのeスポーツ温泉”がついたオフィスというコンセプトで考えています。
岸本氏:
それ,どういうオフィスなんですか(笑)。
弘津氏:
PCをたくさん並べて,いつでもゲームができるシェアハウスのような環境を整えたいと思っています。ゲーマーや開発者がそこに格安で泊まれて,かけ流し温泉に入ったり,ゲームで対戦できたりするところです。
岸本氏:
なぜeスポーツ温泉を作ろうと思ったのでしょうか。
弘津氏:
もともと僕自身,FPSやMOBAが好きなんですよね。以前はオンラインゲームの会社にいましたし,「Alliance of Valiant Arms」のオフライン大会などにも参加していました。加えて僕らが今作っているゲームが、「BattleDunk(仮称)」というeスポーツ向けのタイトルなので,事業もeスポーツやブロードキャストといった分野に傾いていているんです。
ちなみに,弊社では従業員全員に「リーグ・オブ・レジェンド」をできるようになってもらっていて,週に1回社内で対抗戦も行っているんですよ。
4Gamer:
沖縄のeスポーツ関係の話だと,ファミリーマートとDETONATORがコラボしたラッピング店舗がオープンする(関連記事)という話もありますね。
弘津氏:
そうなんですよ,僕もびっくりしています。僕自身は,DETONATORに直接関係はしてないのですが,過去に在籍したメンバーに何名か知り合いがいて,昔一緒にプレイしていましたから。
4Gamer:
え,そうなんですか。
弘津氏:
現在も,DETONATORに所属してプロゲーマー,ストリーマーとして活躍しているSHAKAさんとは,オンラインのほかにもオフラインイベントで一度だけ一緒にプレイしたことがあります。同じ環境で同じ状況を見ているはずなのに,僕に見えない敵の姿が彼には見えている,僕とは次元が違いましたね(笑)。「ああ,こういう子がプロになるんだ」と。
岸本氏:
サマータイムスタジオさんは,今後沖縄県内のeスポーツ事業には関わる予定なんですか。
弘津氏:
今のところ予定はないですね。というのも,僕らが向いているeスポーツの方向が「リーグ・オブ・レジェンド」や「Dota 2」「Counter-Strike: Global Offensive」といった国内より海外で盛んなゲームに向いているんですよ。
ただ,eスポーツ温泉では,日本におけるeスポーツ人口の拡大のためにコミュニティに場所を貸したりするなど,少しずつ活動の幅を広げていけたらと思っています。「リーグ・オブ・レジェンド」をやっている人もいれば,隣りで「スマブラ」をやっている人もいる。そういう状況を作りたいですね。
4Gamer:
地方にそういったオフィスを作るのは,どういった意図があるのでしょうか。
弘津氏:
弊社の若いゲーム開発者たちに,クリエイティブの視野を広げられる場を提供したいからです。風に吹かれたススキの葉がどう揺れるのかとか,何千本もの木々が一斉に紅葉化していく秋の色といった田舎ならではの空気感,雪が木々に付着する樹氷やダイヤモンドダスト,吹雪の時の視界ゼロの状況だったりといった雪国だけしか見られない景色がありますよね。それを若い子たちが気軽に体感できて,自分のゲーム開発の糧にできるような環境を整えてあげたいんです。
理想は地方のいろいろなところに開発拠点があって,それを数か月くらいのスパンで若い子たちが回っていくイメージです。仕事はクラウドで共有しておけば問題ないですし。
4Gamer:
なかなか思い切った計画ですが,不安はありませんか。
弘津氏:
沖縄に来た経緯もそうですが,僕は「とりあえずやってみるか」という考えの人間なので,まずはチャレンジしてみたいという思いが強いです。もちろん,ある程度先のことは考えてはいますけどね。ゲーム業界に限らず,多拠点で事業を展開している会社というのはほかにもたくさんありますし。
岸本氏:
今は必ずしもゲーム開発が大都市じゃないとやっていけないわけではないですよね。
弘津氏:
そうですね。先ほども申し上げた通り,ゲーム業界で働きたいけど,地元に残りたいという若い人は沖縄に限らず各地方にいると思います。そこにもリーチできたらと。
岸本氏:
大都市で働いている開発者の中にも「子どもが生まれたけど,このままずっとここで働き続けるのか,地元に帰ろうか」と悩んでいる人もいると思います。
いろいろな地方に開発拠点を置くという弘津さんの試みがうまくいって,各地にゲームスタジオが増え,ゲーム業界で働く人たちにいろいろな選択肢が広がるようになる未来を期待しています。
弘津氏:
ありがとうございます。僕らも頑張っていきます。
<インタビュー収録日 2019年11月26日>
「サマータイムスタジオ」公式サイト
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