インタビュー
企画展「雑誌・攻略本・同人誌 ゲームの本」のキーマン3名に聞く,制作の舞台裏。“ゲームの本”を眺めれば,いろんな歴史が見えてくる
かつて“ゲームの本”は,今の何倍もの数,存在していた。1990年代半ばには,複数の総合誌に加え,PlayStation専門誌,セガハード専門誌,任天堂ハード専門誌がそれぞれ5誌以上ずつ刊行されており,その他にもアーケード専門誌やPCゲーム専門誌,ニッチなところでは評論誌やゲーム専門漫画誌などもあったほどだ。定期刊行誌以外にも,攻略本やアートワーク集,ファンブック,謎本など,枚挙にいとまがない。
今の4Gamerで述べるのはいささか自虐的な話になるが,ゲーム雑誌には今日のWebメディアには無い,多彩な面白さがあった。ライターの個性が出やすい攻略記事,自由度の高いレイアウトを活用した大判アートの掲載,ゲーム内では見られない設定画や没アートの公開,グッズを購入できる誌上通販,漫画や小説の連載,読者投稿コーナー……。書籍とWebは“収益形態”という根本を形成する要素が大きく異なるため,これらの多くが今日のWebゲームメディアに無いことを一概には責め難いものの,それでもこうした数々の“面白さ”がメディアから失われてしまったことは確かだ。
それらを一望できる企画展が開催されることは嬉しい限りだが,なぜこのようなニッチな企画展を,それも北海道の文学館が開催するのか。そのキーマン3名に,詳細をうかがってみた。
●寺農織苑氏
北海道大学大学院の院生。玩具やビデオゲーム機を博物館などで展示するにあたってのモデル構築を研究している。「ゲームの本」展の他,京都府・城陽市歴史民俗資料館で2018年に開催された「CONTINUE〜“ゲーム”90年の歴史〜」などにも携わる。
●藤井昌樹氏
博物館学的視点からゲーム文化を保存・継承していくことに関心があり,2012年に開催された「テレビゲームと文学展」から小樽文学館で開催されたゲーム関連の企画展に,フリーランスとして企画・立案として携わる。
●山本耕平氏
ゲーム関連書籍を中心とするコレクター/研究家。「ゲームの本」展の展示物は,大半が同氏の所蔵品による。札幌市豊平区でバー&イベントスペース「MAPLE LEAF CLUB」を経営。
※インタビューはオンラインで実施。
小樽文学館 公式サイトの企画展紹介ページ
「ゲームの本」展。その裏側と,企画陣のイチオチは?
今回は「ゲームの本」展ですが,小樽文学館では以前からゲーム関連の企画展を開催されていて,今回はその第5弾となります。第1弾は,2012年に開催された「テレビゲームと文学」展だったとか。
藤井昌樹氏(以下,藤井氏):
もともと小樽文学館とのつながりはあったのですが,スタッフに昔のナムコや任天堂のゲームを好きな方がいたり,山本氏のご協力を得られたことから開催に至りました。
そこから,まあ公立の文学館ですので,ゲームそのものの展示ではなくゲームに関連する文学作品の企画展にしようと。
2010年に,とある用事で東京に行ったのですが,そのとき「パックマン展 ── 80's to 10's ゲーム&カルチャー」を見て,「自分でも企画展をやりたい」と思うようになったんです。そこから2年間の準備期間を経て,最初の開催に漕ぎ着けました。
古今東西,ありとあらゆる「パックマン」が集結! 生みの親も現れた「パックマン展 ─ 80's to 10's ゲーム&カルチャー」オープニングセレモニー
10月2日から11日にかけて,「パックマン展 ─ 80's to 10's ゲーム&カルチャー」が,東京都内のアーツ千代田3331にて開催されている。このイベント開催の前日に,関係者とメディアを集めたオープニングセレモニーが行われたので,その模様をお伝えしよう。
4Gamer:
ゲームをテーマとした企画展自体が比較的希少ですが,その中でもとくに方向性がニッチですよね。反響はいかがでしょうか。
藤井氏:
「テレビゲームと文学」展などはゲーム自体をメインで展示したものではなく,そんなに広く告知もしなかったのですが,地元の皆様にはそれなりに来場していただけました。昨年の「ゲーセン物語」展は実際にアーケードゲームで遊べたり,メディアに告知も出したことから,もしコロナ禍でなければ道外からの来場者もけっこう望めたんじゃないかというくらいでした。今回は,それを上回る反響をいただいています。
プレスリリースの他にTwitterで発信したりもしているのですが,すごく拡散してもらえて,ありがたく思っています。来館者から「よくぞこういう企画展をやってくれた」という声をいただき,ゲームの歴史に興味がある人は地元にもたくさんいたんだな……と感じました。また,今回は図録の通販も行っているので,遠方の人からも良い反応をもらえています。
4Gamer:
展示品の収集はどのように行ったのでしょう。
藤井氏:
昨年の「ゲーセン物語」展もそうだったのですが,基本的にはゲームグッズを個人的にコレクションしている札幌や小樽市内の方からお借りしています。「ゲーセン物語」展の準備中に山本さんと知り合って,ご自宅にうかがったときに書籍のコレクションを見せていただき,これを軸にして企画展ができるなと思ったことから,「ゲームの本」展の企画が立ち上がったんです。
4Gamer:
コレクションの様子は図録の裏表紙の写真でもわかりますね。大量の木箱があるようですが,このすべてのゲーム関連の書籍が入っているのですか。
ゲームソフトだったり書籍だったり,いろいろ入っています。本来はワイン用の木箱なんですよ。ゲームソフトの収集用に使っていたんですが,書籍の収納にも向いていたので,そのまま使っているんです。
4Gamer:
ゲームの書籍に特化してコレクションを始めようと思ったきっかけは何でしたか。
山本氏:
今言ったように,もともとはゲームソフトをコレクションしていたんです。それを遊ぶときに攻略本もあったら,もっと楽しめると思って当時の本を集めていくうち,ゲーム自体よりも攻略本の方が面白いと感じるようになっていきました。
4Gamer:
攻略本には資料集や副読本としての側面もありますから,独特の魅力がありますよね。
山本氏:
当時は刊行リストなども世の中に出ていなくて,どのくらいあるのか分からなかったのもそそられましたね。そこから雑誌の面白さにも気付いて,今ではすっかりソフトよりも本の方が多くなっています。
本って,とくに雑誌とか,基本的には捨てられる運命なんですよね。でも読んでみると,その雑誌や攻略本にしかない情報がいっぱいある。そういうインターネット以前のメディアに掲載された情報って,検索しても全然出てこないんですよね。
4Gamer:
そうですね。例えばPlayStationの企画的なベースになったとされる「スーパーファミコン用CD-ROMドライブ」なんて,「そういった製品構想があったらしい」ことは有名ですが,どのように情報が出回ったのかを包括的に知りたかったら,昔の雑誌を紐解く必要があります。
山本氏:
著名人のインタビューやエッセイ,当時性を感じさせる公告,読者の投稿とか,今ではむしろ“新しい情報”に溢れていると思うんです。そういった情報が見捨てられたり無くなってしまう前に集めておこうと何年もやってきて,せっかく集めたんだから,後世に残していったり,広めていったりはしたいと思っています。あと,こういうコレクターがもっと増えてくれると嬉しいですね(笑)。
4Gamer:
昔のゲーム雑誌から得られるインスピレーションは多いので,私も神保町や秋葉原を巡って買い集めたりしています。公告に関して言えば,個人的には2000年代の雑誌広告はスタイリッシュかつインパクトのあるものが多くて,バナーや動画が主体の今からすると新鮮に感じますね。
山本氏:
ゲームのチラシなども,当時無料で配られていたものに,今では価格が高騰しているのもあるんですよね。僕は1980〜1990年代の雑誌をメインに集めているのですが,デザインやキャッチコピーが面白く感じます。
4Gamer:
各地で開催されたレトロゲーム絡みの企画展に関しては,「やはり来場者の年齢層が高い」,「ゲームに惹かれて若年層も来やすい」という,双方の声を聞きます。「ゲームの本」展の来場者層はいかがでしょうか。
寺農織苑氏(以下,寺農氏):
会場で取ったアンケートを軽く分析してみたところ,やはり年齢層は高く,とくに40〜50代に偏っているという結果が出ました。でも年齢層が高い人ほどアンケートに答えるという傾向があり,会場では若い世代の来場者もけっこう見かけますので,全体としては幅広い年齢層に来場していただき,博物館的には“利用者層の拡大”に成功していると考えています。懐古的な側面はありますが,若い世代には“自分達が生まれる前の娯楽”に触れられる機会として新鮮なのではないかと。
4Gamer:
今回の企画展でイチオシの見どころといったら,どこでしょうか。
寺農氏:
もちろん全部です! と言いたいのですが,それじゃ駄目ですよね(笑)。山本さんと藤井さんが言わなそうなところでいくと,“全体像”ですね。公立のミュージアムで行う展示ですので,単に展示物を置くのではなく,特定の法則に従って見られるようにしています。
4Gamer:
なるほど。
寺農氏:
その全体像をざっと見たうえで,初期の雑誌や,それ以前の同人誌などに目を向けてほしいですね。今はもう活版印刷も終わった時代ですし,10代20代はDTPで作られた書籍を見て育ってきていますが,全部手書きだった同人誌まで遡ることで,高価だった出版や製本の技術がだんだんと一般にも普及していった変遷の過程を読み取れます。それに,ゲーム雑誌の誕生には同人誌が深く影響していますので,展示的にもそこを踏まえることは必須でした。
4Gamer:
私は「ゲーメスト」(※1)が大好きなんですが,創刊時の編集部での合言葉が「いくぜ,同人誌のノリだ!」だったそうで。何か新しいものを生み出すには,やっぱりインディーズ的なスピリットが必要なんですよね。
※1 1986年〜1999年にかけて新声社が刊行していたアーケードゲーム専門誌。隔月刊だった最初期は,ゲームサークル・VG2の会報誌(=同人誌)を商業化するというのがコンセプトだった。初期〜中期は月刊,後期は月2回刊。軽妙な誌面作りとディープな攻略記事、個性的なライター陣で人気を博し、とくに1990年代には家庭用ゲーム誌,漫画誌,ファンコミュニティ誌など多彩な姉妹誌も展開された。その一方で新声社は事業展開に失敗し,1999年に倒産。それに合わせて同誌も事実上の廃刊となった。
寺農氏:
そういった当時の雰囲気にも注目していただきたいですね。今の雑誌はいろいろ配慮されていますが,昔はそうではないブッ飛んだ記事もあったりして,そういうことに寛容だった時代も展示物から読み取れると思います。
藤井氏:
僕はさっきも言った通り,学芸員でもなく,いち市民として企画に携わっていることもあって,展示物からゲームへの愛情を感じてほしいと思っています。すべての展示品がゲームファンの私物で,とくに今回は9割くらいが山本さんのコレクションですから,この企画展に山本さんの“ゲームが好き”という感情が集約されているわけです。逆に言えば,”ゲームが好き”という感情を持った人がいなければ,この企画展は生まれませんでした。
4Gamer:
物以前に,人があってこその企画展だと。
藤井氏:
そういった文脈で言うと,やっぱり同人誌は見てもらいたいですね。寺農さんも言われたように,黎明期の同人誌は何十ページも手書きで作られていますが,相当な作り手の熱量があった証だと思うんですよ。今回,地元のサークルということで札幌南無児村(なむこむら)青年団の同人誌も展示しています。
4Gamer:
ゲームフリークなどは有名ですが,そのサークルは初耳です。
藤井氏:
彼らが特徴的だったのが,ゲームに関する興味の中心が攻略だった1980年代に,作中の世界設定やキャラクターを掘り下げていたという点です。今ではそういうのも普通ですけど,当時としてはかなり特殊なんですよね。
そういったファン活動を先取りしていた人がいたことを知ってもらいたいですし,今も昔も“ゲームが好き”だという表現の本質性は変わらないということが分かってもらえると思います。この展示を見たことで,来場者それぞれの心に“ゲームが好き”という感情が呼び起こされると嬉しいですね。
私が注目してもらいたいのは,図録にも掲載しているゲーム雑誌の系統図です。黎明期から歴史を辿れるようにしたのですが,ゲームの歴史を研究している人から「こういうのを求めていたんだ」とご声援をいただけましたし,改めて見るとゲーム雑誌の歴史ってゲーム自体の歴史にもつながっているんですよね。
もともと任天堂一強だったところから,さまざまなメーカーのハードウェアが出てきて,それらが衰退していく様子も誌面からうかがえたり。ゲーム雑誌はPC雑誌と児童書という2種類の始まりがあって,さらにPC雑誌はラジオや無線の雑誌から始まっているとか,そういう発見もありました。
4Gamer:
来場者によって展示品の写真がSNSに投稿されているのを度々見かけるのですが,その中でも個人的にツボだったのが「スーパーマリオブラザーズのセーター」(※2)でした。そういった希少なもので,来場者に注目してほしいものなどはありますか。
※2 日本ヴォーグ社から1986年に発売された書籍で,ロイヤル工業から手芸店を通じて販売されたファミリーコンピュータ(ディスクシステム)用ソフト「アイアムアティーチャー スーパーマリオのセーター」の関連ムック。ムックは柄のパターンが豊富だが紹介されている寸法のバリエーションが少なく,ソフトは特定の柄しか収録されていないが細かく寸法を設定できる。
山本氏:
小ネタ的に入れている“変わり種”がいくつかあって,例えばPCエンジン(CD-ROM2)の「秋山仁の数学ミステリー」というソフトは日本放送出版協会(現・NHK出版)が発売したもので,書店のみで販売されてゲームの流通には乗らなかったため,“幻”と呼ばれるくらいレアなソフトです。そういった試みがあったことも知ってもらいたいですね。
4Gamer:
それ,市場に出たらすさまじい高値が付くやつですよね……。
山本氏:
あと「ドラゴンクエストIII (ヒ)攻略ガイド」(ヒの部分は,正しくはマル囲みの“ヒ”)という攻略本は,非公式のものでエニックスから販売差し止めの申請を出されたという過去があります。「Hacker」(※3)のような改造系雑誌もそうですが,賛否があったものをあえて展示して,こういうものもあったと知ってもらうのも,価値があることだと思っています。
※3 1986〜1989年にかけて刊行されていた,ハッカー・インターナショナルの制作による月刊誌。発刊は日本文芸社で,週刊漫画ゴラクの増刊という扱いだった。プログラムやソフトウェアの著作権等が制定・厳格化されるにつれて衰退した。
4Gamer:
会場が北海道というところで,例えば首都圏の我々からするとなかなか行きづらいところだったりします。巡回展となる可能性などはあるのでしょうか。
寺農氏:
「ゲームの本」展に関しては巡回展を想定していないものの,今後ゲームをテーマにした企画展が各地で開催される場合,お声がけいただければノウハウの提供は行っていきたいと考えています。
今回は北海道のサークルによる同人誌を展示していますが,そういったローカルな歴史が各地にそれぞれあると思うんですよね。そこを開催地に合わせてアレンジできたりすると面白いと思っています。
藤井氏:
その辺りは,まさに寺農さんの大学院での研究テーマでもあるので,今回のアンケート結果などを活かしてもらえるよう,期待しています(笑)。
寺農氏:
がんばります(笑)。
企画陣,思い出の“ゲームの本”あれこれ
4Gamer:
皆さんの個人的なお話もうかがってみたいのですが,とくに好きだったゲーム雑誌などはありますか。
山本氏:
リアルタイムで読んでいたのもありますが,「ファミマガ」(※4)です。ウソ技(テク)に翻弄されたりもしましたが(笑)。
※4 1985年〜1988年にかけて,徳間書店インターメディアから刊行されていた月刊総合誌。正式名称は「ファミリーコンピュータMagazine」。隠し要素やグリッチをフィーチャーした“ウル技”および嘘のウル技である“ウソ技”の掲載を特徴としていて,読者やメーカーから時には好評,時には批難を浴びた。
4Gamer:
バキュラは256発で破壊できるとか,シンシアと野球拳ができるとか(笑)。
山本氏:
個人的には,二流三流……と言ったら失礼なんですが,そういった雑誌が好きでした。ファミコン雑誌であれば「ハイスコア」(※5)とか。大手じゃないところが無茶したような雑誌だと,実はライターさんが攻略記事に力を入れていて他の雑誌よりも掲載量が多かったりするんですよ。その一方で,やりすぎてメーカーから怒られたりもしているのですが。
マイナーなところでは秋田書店の「ファミコンチャンピオン」(※6)も好きですね。読んでいて当時の苦労や熱い思いが感じられます。
※5 1986〜1990年にかけて刊行されていた,ハイスコアメディアワークの制作による月刊誌で,英知出版「ビデオボーイ」の別冊からスタートした(後期の刊行は日本文華社)。制作にはゲームスタジオの大森田不可止氏や,ゲームセンター・巣鴨キャロットの常連客などが携わっている。「ファリア」や「ゾンビハンター」といったゲームソフトのリリースにも関わった。
※6 1986〜1989年にかけて刊行されていた月刊誌で,月刊少年チャンピオンの増刊としてスタートした。ファミコンないしファミリーコンピュータを冠した雑誌としては最後発となり,他誌との差別化のためか幼年層向けの誌面構成だったり,スーパーカセットビジョン用ソフトを掲載したりするなど独自路線が目立つ。マイナー路線相応で販売は振るわず,末期は表紙イラストレーターに中沢数宣氏を起用するなど立て直しを図ったが,短期刊行で終わった。
4Gamer:
そういった本は個性がありますよね。私は「じゅげむ」(※7)がけっこう好きでした。
※7 1995年から1999年まで,初期はリクルート,中期以降はメディアファクトリーから刊行されていた月刊総合誌。ゲーム雑誌の中では一般向けPCゲームに強く,ソフトの紹介コーナーはPC98 / Macintosh / Windows / DOS/Vの4ジャンルでページが分けられていたほど。中期までA4ワイド判で刊行されていたのも特徴的。KONAMIから発売されたゲームボーイカラー用ソフト「おわらいよゐこのげえむ道〜オヤジ探して3丁目〜」は,よゐこによる同誌上の連載記事で企画が進められた。
山本氏:
ちょっと大人向けの誌面でしたよね。
寺農氏:
私が雑誌を読んでいたのは,山本さんや藤井さんよりも雑誌の種類が少なくなってしまった時期なのですが,「ファミ通」や「Vジャンプ」はよく読んでいました。ゲーム雑誌ではありませんが,「コロコロコミック」や「週刊少年ジャンプ」などでゲームの広告を見て,新作に期待したりもしていましたね。今はこういった展示に関わったりする中で,海外のゲーム雑誌に興味を抱くようになっています。
4Gamer:
アメリカの「Nintendo Power」やイギリスの「EDGE」など海外にもゲーム雑誌はいろいろとありますが,どういったところに魅力を感じているのでしょうか。
寺農氏:
ゲームを通して,一種の客観的な知見を得られるというところです。日本のゲームが海外でどのように評価されているのか調べるために集め始めたのですが,それだけでなく日本のゲームが海外で受け入れられていく過程が感じられたり,逆に日本に入ってこなかったゲームを知ることができたりもするので,どんどん惹かれていきました。
藤井氏:
僕は小学校高学年で「スペースインベーダー」に触れて,中学生で「ゼビウス」と出会って……というゲームの劇的な進化を目の当たりにしてきた世代で,それに伴ってゲームの雑誌もどんどん増えていく様子を見てきました。
初期のゲーム雑誌って多くが月刊誌だったので,次の号が出るまでに何度も読み返すんですよね。その中で,関心の無かったゲームにも少しずつ興味が涌いたりして新たな出会いにつながったり,そういう面白さがありました。
4Gamer:
そういった「偶然の出会い」みたいなものは,Webメディアだとなかなか提供しにくいところです。
藤井氏:
僕は今でも「Beep」(※8)が好きなんですが,あの雑誌は,ほぼすべてのプラットフォームを網羅していたので,「それを読んでいればあらゆるゲームの情報が入ってくる」くらいのボリュームがあったんですよ。僕はセガ・マークIIIを買って,当時セガの情報が載っているのはBeepくらいしか無かったので購読して遊んでいたのですが,そこからMSXなどにも関心を持つようになりました。
※8 日本ソフトバンクが1984年から1989年にかけて刊行していた月刊総合誌。当時“ゲーム情報誌”にあたるものがPC雑誌のみだった中で,家庭用のゲームにも強くフォーカスしていたことから,日本初のゲーム雑誌と呼ばれる場合がある。1989年に「BEEP!メガドライブ」としてリニューアルし,誌名変更を重ねつつ,2012年に休刊となった「ゲーマガ」まで続く。
藤井氏:
今のWebメディアだと情報量がものすごいですから,要所をピックアップしたら他は読まないということが多いと思うんですよね。その一方で,リンクを辿っていくことで関連情報を得やすいというメリットはあるとも思いますし,根本的にインフラの違いが大きいんですが。
4Gamer:
近年のゲームメディアを,どのように見ていますか。
山本氏:
僕は正直なところ昔のゲームで手一杯になっていて,最近のゲームはやってなくて,雑誌も買っていないんですよ(笑)。
ただ今回,ゲーム雑誌の系統図を作っていく中で,4GamerさんがソフトバンクパブリッシングのPC雑誌から派生していることを知ったり,もちろん電撃オンラインさんやファミ通.comさんもそうなんですが,長いゲーム雑誌の歴史が今でも続いていることを改めて感じました。「ログイン」なんかも「月刊アスキー」から派生したわけですが,そういった会社を超えるような部分は歴史的に残りにくいので,ちゃんと紐解いてまとめていきたいと思っています。
4Gamer:
そうですね。各社的に自分からは言いにくいこともあるでしょうし……。
山本氏:
それに,最近の書籍も面白い傾向があると思うんですよ。例えば「マインクラフト」とか「スプラトゥーン」とかの攻略本がけっこう出ているんですけど,非公式のものが多いんです。過去に非公式の書籍を巡っていろいろと揉めたこともありましたが,ゲームメディアの主体がWebに移行したことで,一種の新規参入が起こって昔みたいなことが繰り返されるというのは,ネット時代ならではの現象なのかなと感じています。
4Gamer:
確かに,旧来のゲーム雑誌や攻略本とは異なるルートから発生したゲーム関連書籍というものは近年増えていますね。その分だけ問題になって,発売中止となるケースもちらほらありますが。
山本氏:
やっぱり揉めるんですね(笑)。
4Gamer:
最近の雑誌は購入されていないとのことですが,ここ10年ほどで昔のゲーム雑誌がたびたび復活していますよね。「SAMURAI SPIRITS」(PS4/ Xbox One / ARCADE / Nintendo Switch / PC / Xbox Series X)の販促で「ネオジオフリーク」(※9)の名前を冠した冊子が配布されたり,パッケージ版「飛翔鮫!鮫!鮫! -TOAPLAN ARCADE GARAGE-」(PS4 / Nintendo Switch)の特典として「BEEP! サメフライング」が作られていたり。そういった書籍に関してはいかがでしょうか。
※9 1995年〜2000年にかけて芸文社から刊行されていた,NEO・GEO専門の月刊誌。SNK公認のオフィシャル情報誌という位置付けであり,設定資料やアートワークの掲載が非常に充実していた。
山本氏:
そういうのはやっぱり買っちゃいます(笑)。
とくにミニ系ハードに合わせていろいろ出ていて,「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」が出たときにファミマガやファミコン通信(ファミ通の初期誌名),「ファミコン必勝本」(※10)が復活したじゃないですか。展示の中でも,雑誌のバックナンバーをずらっと壁に並べていたりするんですが,その下の方に近年復活したものを入れています。
懐かしく思ってもらうと同時に,今でもそういう本があることを知ってもらいたいんですよ。
※10 1986〜1990年にかけてJICC出版局(現・宝島社)から刊行されていた月刊の任天堂専門誌で,“別冊宝島”シリーズの「ファミリーコンピュータ必勝本」から発展・独立したもの。ライターの個性を強く打ち出したことで一定の支持を得ていた。1991年に総合誌の「HiPPON SUPER!」となるなどリニューアルを重ねるが,方向転換の多さから固定読者をつかめず1998年に休刊した(当時の誌名は「攻略の帝王」)。
山本氏:
主婦の友社の「コンプリートガイド」やダイアプレスの「パーフェクトガイド」みたいな本には,私から一部資料を提供したりもしているのですが,同年代の人達に求められているのだろうと感じています。
あと,ゲームの特装版に付属する特典冊子でインタビューや攻略が載っていたりすると,「ああ分かってるな」と思いますよね。我々の界隈では,過去に活躍されていた方の発言や文章などを今残しておかないと,もう機会が無いだろう……とよく言われているのですが,同じ想いを持っている方や,そういった研究の流れが生じているのは,すごく嬉しいです。
寺農氏:
ゲームメディアというかWeb自体の話になるのですが,議論を交わせたりコミュニティが形成されたりはしやすいので,今は格段に同好の士が集まりやすくなったと思いますね。雑誌には読者投稿コーナーなどはあったものの,基本的には出版社が選んだものを我々が読むという一方通行的な媒体でしたから。
4Gamer:
1970年代後半にオフセット印刷が一般化していくに従って,ミニコミ誌や今日に近い形態の同人誌が普及したそうですが,それに似た変化が各種Webサービスの発達で起こっていますよね。同人ゲームの界隈などを見ていると,それを感じます。
寺農氏:
Twitterなどを見ていると,「こういう情報を求めているけど誰か知りませんか?」と言っている人に,詳しい人が「それはこうだよ」と教えていたり,全国の人達が情報の共有をされています。そういった情報を公開することで若い世代でも過去を知れるというのは良いですよね。
4Gamer:
そうですね。最近は「悪女」(※11)の扉絵に関して元ネタ提供を募っている人がいたりして,個人的に注目しています。
※11 1988〜1997年にかけて講談社の女性向け漫画誌「BE・LOVE」に連載されていた漫画。読みは「わる」。扉絵にゲームをパロディしたイラストを用いているのだが,その元ネタとなっているものはマイナーなPCゲームが多い。2度目の実写ドラマ化となる「悪女(わる)〜働くのがカッコ悪いなんて誰が言った?〜」が,4月13日から日本テレビ系の“水曜ドラマ”枠で放映されている。
寺農氏:
やっぱり,そういうのはWebのいいところです。その分,発信するときは得た情報を精査する必要がありますが。
4Gamer:
例えばYouTubeで公開されているゲーム関連の動画には,既にデマや誤解だと判明している都市伝説を改めて流布しているような,よろしくないものもあります。
寺農氏:
ええ。ゲームに限った話ではないですが,そういった情報も受け取ったら精査しないといけない。得られる情報量も増えているので,逐一考えなければいけないというか,判断が自身に委ねられるというのは難しいところです。
藤井氏:
僕は最近のゲームもやっているのですが,さすがに昔みたいに自力で攻略するような時間は無いので,攻略Wikiに助けられています。新作の情報もWebメディアを参考にしていますし,純粋に“情報を得る”という意味では,Webメディアは洗練されていますよね。もちろん紙ならではのメリットは今でもありますが,3Dの複雑なマップなどを紙上で表現するのは,どうしても限界がありますから。
4Gamer:
紙はレイアウトの自由度こそ高いものの,三次元的な構図を表現するのは難しいですね。
藤井氏:
あと,今のゲーム機は単体でプレイ動画を配信できるじゃないですか。昨年にアーケードアーカイブスで「源平討魔伝」が出たとき,Beepのライターだった人がTwitterに動画を投稿しながら攻略ガイドを書くというのをやっていたんです。
この,昔のゲーム雑誌で攻略ライターをしていた人が今のインフラを使って本質的には同じことをしているっていうのを,すごく面白く感じたんですよ。そうやって過去と現在が融合して相乗効果を起こすこともあるんだなと。そういったところから「過去の雑誌を今フォーカスすることには意味がある」と思ったりもしています。
虎は始まったら左を向いて切ると出現しなくなって楽に立ち回れるぞ!
— 大滝みやび(にら) (@Miyaby_N) October 9, 2021
義経はジャンプ→ボタンを使わず剣振り下ろし!兜割りで倒すのだ!
#アーケードアーカイブス #源平討魔伝 #NintendoSwitch pic.twitter.com/9nRsnGJZDN
これからの“ゲームの展示会”に向けて
4Gamer:
今後の展望などがありましたらお聞かせ下さい。
寺農氏:
先ほど話が出ましたが,私は「ゲームの展示会をパッケージ化する」ということをテーマとして,博士論文を書くために研究しています。今回の「ゲームの本」展はひとつのパッケージとして完成してきているので,これが終わったら企画をまとめて,いろんな博物館に打診してみようと考えているんです。
そのうえで,企画展を学術的にどう捉えていくのかというのを考えるため,各地の人達から意見などを集めて,反映させていければと思っています。それ自体から,企画のブラッシュアップや,派生した研究テーマが出てきたりもすると考えているので,展望としてはいろんなところでやってみたいですね。
藤井氏:
小樽文学館の企画展に携わってきましたが,去年と今年とで連続して関わりすぎてしまったところもあるので,私個人としてはインターバルをいただきたいと思っています。さらにその後はどうするかと言ったら,やっぱりゲームをアーカイブ化する活動をやっていきたいですね。
「ゲーセン物語」展や「ゲームの本」展を通して,記録を後世に残すというのが大事なんだと気付きました。次にやりたいと思っているのが,プレイヤー目線の記録を残していくということです。ゲームというインタラクティブなコンテンツはプレイヤーがいてこそ成立するものですし,その時々でプレイヤーがどのようにゲームと接していたか,どう感じていたかを記録しておきたいんです。一連の企画展で多くのゲームファンと出会えたので,そういう人達にヒアリングして,企画展なりWebメディアなり,何らかのアウトプットをしたいんですよ。
4Gamer:
とくにアーケードゲームだとプレイヤーのオーラルヒストリーは重要なところです。個人的に惜しんでいるのが,例えばフィーチャーフォン時代のソーシャルゲームに関する記録って,ゲームメディアでもほとんど残してこなかったんですよね。ゲーム自体の情報もそうですし,プレイヤーのナラティブなんて全然です。
藤井氏:
そういった記録を残す手法自体も,後の世代に伝えていかなければならないと思うんですよ。僕は世代的に1980〜1990年代のゲームを中心に活動していますが,それを2000年代に10代だった人達が記録を残したいと思ったときにブラッシュアップされた手法が必要だろうと。
本にしてもチラシにしても,当時は普通にあった物なのに今は希少品なんですよね。だから今あるスマートフォンだって,40年後には「そういえばスマホって昔あったよね」と言われているかもしれないし,ちゃんと残していかなければならない。一連の企画展を通して,博物館自体が何のためにあるのかを強く実感したんです。歴史を学ぶというのがどういうことなのか……テスト勉強のためだけにあるんじゃないんだって(笑)。
そのように自分の関心があるものだと本質的な理解につながりやすいので,押し付けるような形ではなくて,自然に理解できるような筋道を作っていければと思っています。
山本氏:
私はゲームソフトや書籍をコレクションしていく中で,「素晴らしいゲーム文化を残していきたい,伝えていきたい」と思っていたのですが,ここ数年で具体的な形がアーカイブ活動なのかなと思うようになりました。そのためにもゲーム仲間をもっと増やしていきたい,ゲームを好きな人達が集まって語らえるような場所を作りたいと思い,3年くらい前に脱サラして「MAPLE LEAF CLUB」というバー&イベントスペースを開いたんですよ。店内にアーケードゲームの筐体を設置してイベントをやったり,ちまちまと活動を続けています。
それだけでなく,今回の企画展のような形でもそういった場所を作れると分かったので,それをどのように広げていけるのか,今後もやっていきたいですね。まだまだ知らないこともいっぱいあると改めて分かりましたし,とくに地方それぞれのゲーム文化の深堀りは,今後のテーマとして研究していきたいですね。
4Gamer:
北海道ですとハドソンやデービーソフトが印象的ですね。
山本氏:
家庭用ゲームにおけるハドソンはもちろん,デービーソフトから独立していった企業が今でもゲームを開発していたりとか,この2社はゲーム業界に大きな影響を与えています。その辺りも,もっと掘り下げて「すごかったんだぞ」と伝えていきたいです。
4Gamer:
一般的なレベルで“ゲームの歴史”と言うと,任天堂で,PlayStationで……といった話ばかりになりがちなので,このような歴史的検証・総括を含む企画展の存在は,メディア的な観点からしても嬉しく思っています。今後の発展にも期待しています。
小樽文学館 公式サイト
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