インタビュー
電王戦,なんで勝てたんですか?――「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第15回は,「BM98」を開発した伝説的なプログラマー・やねうらお氏がゲスト
「BM98」を作った伝説的なプログラマーだった,やねうらお氏
やねうらお氏:
しかし,この連載に呼んで頂けたのって,やっぱり電王トーナメントで勝ったのが大きかったんですよね? そうじゃなきゃ川上さんも,僕なんかのことは知らないままだったでしょうし。
川上氏:
いや,実を言うと,以前よりやねうらおさんのお名前は存じ上げてました。というか,僕も「BM98(※)」はやってましたしね。
※KONAMIの音楽ゲーム「beatmania」を模したシミュレータ。併せてBMS(Be-Music Source file)という,MOD感覚で音楽制作&演奏が可能なファイルフォーマットを提唱し,ネット界隈で一大ムーブメントを巻き起こした。
やねうらお氏:
え,「BM98」をやったことがあるんですか!
川上氏:
そりゃあ,あの当時,「BM98」は一大ムーブメントを巻き起こしてましたから。みんな知ってるでしょう。
4Gamer:
当時の作曲家の方の中には,後にプロに転向したり,著名なボーカロイド・プロデューサーになった方も多くて。ある意味で,ニコニコ動画の源流とも言えますよね。
そうかも。それに「BM98」って,いわゆる“コピー”じゃなくて,フルスクラッチの“クローン”なソフトウェア(※)だったり,ご自身では曲データ自体の提供はしてなかったりと,著作権的なリスクを明確に避けているようにも見えていました。だから「これは著作権に詳しい人がやっているのかな」と思っていたんですが,実際のところはどうだったんですか?
※ソフトウェアのソースコードの中核部分を流用するなどの「コピー」行為は明確な著作権違反となるが,見よう見まねで似たようなソフトウェアを制作する「クローン」は,(厳密には)著作権的には違法にはならないことが多い。しかし,知的財産権・特許等の権利関係上,模倣品と見なされるため,グレーゾーンに該当する
やねうらお氏:
どうでしたかねぇ。あんまり考えてなかったかも……(苦笑) まぁただ,著作権のお話とはちょっとズレるんですけれど,当時,「BM98」をマネタイズしていく手段がなかったものですから,ビジネスとしての展開をあまり考えておらず、厄介事はすべて避けたかったというのはありますね。Web広告も今ほど発達してなかったですし,あれが商売になっていれば,僕の人生もまた違ったのかな……と思わなくもないんですけど。
4Gamer:
「BM98」のようなプラットフォームがビジネスとして成立するには,まだ時期尚早だった面はあったかもしれませんね。
やねうらお氏:
むしろ,「BM98」は使う人が増えれば増えるほど「起動しません」「ディレクトエックス(DirectXのことらしい)とはなんですか?」「あのアーケード版にあった××という曲はどこでダウンロードできますか?」みたいな問い合わせが多くなって。一時期は,完全に無料サポートセンターみたいな状態になってて大変でした。
4Gamer:
そもそも,「BM98」を作った経緯ってどんなものだったんですか?
やねうらお氏:
僕はもともと,いろいろなゲームを逆アセンブルしては,自分でそっくりの模造品を作るっていうのが趣味だったんですけど,その流れでって感じですね。確か,ちょうど大学を出て就職したての頃で。面白いことに,ここでちょっとBio_100%(※)が絡んでくるんですけど。
※アスキーネットを中心に活躍したフリーウェアおよびシェアウェアゲームの開発者集団。後にドワンゴに合流し,初期の開発部隊の屋台骨を支えた。
川上氏:
ええっ,そうなんですか(笑)
はい。というのも,当時,Bio_100%の方が作ってたWinGLというゲームライブラリがありまして。それがソースコードを見るには,5000円払う必要があった。「これ作ってる人,凄い技術力を持っているくせに,えらくセコいんだなぁ」と思いまして,そう考えてたらなんだかメラメラと闘志が湧いてきたんです。「こんなもんに5000円払うくらいなら,自分で作ったるわい!」と。いろいろやってるウチに,「BM98」を作れるだけの下地が出来上がってしまったんです。
川上氏:
じゃあ,シェアウェアで5000円取ろうとしたセコい森 栄樹(※)がいたから「BM98」ができたと。そういうことですか(笑)。
※ハンドルネームはalty(アルティ)。Bio_100%の代表で,プログラマーとして活躍。MicrosoftでDirect Xの開発に関わったのち,ドワンゴに合流した。ドワンゴの代表取締役副社長兼CTOを経て,現在は独立。
やねうらお氏:
そうです!
川上氏:
それ,相当面白いお話ですね! そんな裏歴史があったとは。
4Gamer:
すいません。5000円がもったいないから「BM98」が出来ちゃったって,さすがに話が飛びすぎてるので,その間を埋めてもらっていいですか……(苦笑)
やねうらお氏:
はいはい。えーと,僕は5歳からプログラムを初めて,高校くらいまではプログラム三昧だったんです。
川上氏:
5歳からって。あれ,今おいくつですか。
やねうらお氏:
えっと,41歳ですね。だから,僕が5歳のときって,ちょうど「TK-80(※)」が出た頃で。5歳の時から,それを使ってプログラムを組んでいたんです。
※1976年にNECがマイクロコンピュータ(マイコン)の普及を図るために発売した,安価なトレーニング用組立キット。CPUにはインテル社の8ビットマイクロプロセッサ8080と互換性のあるμPD8080Aを備え,表示装置にLED(発光ダイオード),16進キーボードを持つなど,機械語でのプログラミングおよびその実行が可能なマイコンだった。
川上氏:
えーっと,TK-80を5歳でって……難しくないですか?
やねうらお氏:
……いや?
川上氏:
5歳でiPadを使うとかっていうのは,今の時代でもよく聞きますけど,TK-80を5歳でというのはあまり聞かないような(笑)。
やねうらお氏:
でもあれって,結局はただの電卓のお化けみたいな代物でしかなくて。命令の数も少ないですし,何かを入力して,すぐに結果が見られるって意味ではハードルが低かったんですよ。
川上氏:
低い……かなぁ(笑)。
やねうらお氏:
少なくともシンプルで分かりやすかったとは思います。だって僕,その後にWindowsのプログラムに触れて,「プログラムってこんなに難しいのか」と思って,一度職業プログラマーの道を諦めましたからね。
川上氏:
ああ,確かにWindowsは難しかったですよね。なんか抽象的なものに対して操作を要求されたりして。
やねうらお氏:
僕は,高校ぐらいのときに,東京大学の東大理論科学グループっていうところと,京都大学の京大マイコンクラブっていう,二つのグループの会報を知り合いのつてで読んでいたんです。で,それを読むと,毎回「ああ,世界にはこんな凄い人がおるんか」と衝撃を受けるわけですよ。当時は,プログラムの技法としてレイトレーシング(※)とかがはやっていて。それをやるには,数学の知識とかもかなり求められた。
※コンピュータによって3次元の画像を描画するアルゴリズム手法の一つ
川上氏:
懐かしいですね。
やねうらお氏:
で,「ああ,プログラムだけ書けてもあかんのか」と,そういうショックを受けまして。大学を卒業して就職するって頃には,もうプログラムの方には進まないでおこうって考えるようになっていました。それで,プログラムとはなんの関係も無い,梯子を作ってるメーカーに就職するんですけど。
4Gamer:
なぜ梯子メーカーに。
やねうらお氏:
大学の事務局横の掲示板にあった求人の張り紙のなかで,一番自宅から近い会社だったからです。(笑) それでも会社自体は楽しかったんですけどね。ただ,就職して1年くらいすると,僕はプログラムが書けるものですから,エクセルとかでもマクロを組んで,自分の仕事のかなりの部分を自動化していました。他の先輩が2〜3日かけてやる仕事を,僕はボタンをポチって押したら終わるみたいな。で,余った時間で何してたらええんや!と持てあましてたので,業務時間中にこっそりとゲームライブラリを書き始めたんです。
川上氏:
そうしたら「BM98」が出来てしまったと。
やねうらお氏:
そういうことです。ちなみに僕,当時は仕事でその会社のホームページとかも作っていたんですけど,その頑張って作ったサイトにはほとんどアクセスがないわけですよ。だけど,「BM98」を公開したとき,確か3日で10万件くらいのアクセスがあって。僕の会社でやった仕事ってなんだったんだ?とか,いっそ会社のサイトに「BM98」を置いたろうかな!とか思いましたよね(笑)
ゲーマーとしてのやねうらお氏
川上氏:
ちょっと話が巻き戻ってしまうんですけど,やねうらおさんって,ゲーマーとしてはどんなゲームをプレイされてきたんですか? この連載って,出ていただいた人にゲーマーとしての人生を語っていただくっていう,一応のコンセプトがあるんですけれど。
やねうらお氏:
ゲームですか? 僕は一度ハマってしまうと,熱中しすぎて現実世界に戻って来れないタイプの人間なので,最近はあんまりやらないようにはしているんですけどね……。昔はいろいろ遊んでましたよ。
川上氏:
子供の頃にハマってたゲームでいうと,どのあたりになるんですか?
えっと,これは自分のブログでも書いたことあるんですけど,最初にハマったのは「ドルアーガの塔」ですね。
4Gamer:
おお,定番ですよね。
やねうらお氏:
ただ当時は,僕もまだ子供だったのでお金がなくて。あのゲームって,各階ごとに宝物を出現させるための謎(出現パターン)が設定されていたじゃないですか。だから,プレイは一回もできなかったんですけど,その出現パターンだけを全部暗記してて。
川上氏:
え,プレイはしてなかったんですか?
やねうらお氏:
はい。一回もやってませんね。
4Gamer:
一回もやったことないのに,60階分の宝物の出現パターンは覚えていたってことですか?
やねうらお氏:
そうです。僕にとっての「ドルアーガの塔」は,ひたすら宝物の出現パターンを覚えるって遊びでしたね。だから例えば,学校でテストが終わった後の残り時間とかは暇だから,時計の秒針が指す時刻を見て,その秒針が示す階の出現パターンを順番に思い出したり。「1Fグリーンスライム3匹,2Fブラックスライム2匹,3Fブルーナイトどちらか,4F扉を通過……」とか,そんな感じで遊んでましたねぇ。
川上氏:
それは“ハマった”と言えるんだろうか……(笑)
やねうらお氏:
まぁ,僕は「ドルアーガの塔」でゲームというものに出会ったんですが,その次に,日本ファルコムさんの「イース」に出会うんです。
4Gamer:
「イース」はちゃんとプレイされたんですか?
やねうらお氏:
えっと,いや……(笑)。「イース」はX1(※1)ってマシンで触れたんですけど,そのオープニングの曲がPSG音源で奏でられているんですね。で,それがですね,ソフトウェアによってまるでFM音源のような音色で鳴ってたんですよ。僕はもう,そこで「こんな音出るんや!」といきなり感動して。ゲーム開始して3秒でリセットボタンをポチッですよ!
X1では,リセットボタンを押すとメモリにプログラムが残った状態になったんですが,それを利用して「イース」を速攻でダンプ(※2)したんです。「この音はどうなってるんだ?」というのが気になって,ひたすら音源ドライバを解析してました。だから,その解析が終わるまでゲーム自体のプレイ時間は3秒のままでしたねぇ。
※1:シャープが製造していたパソコンの名称。型名はCZ-800シリーズ
※2:ファイルやメモリの内容を記録あるいは表示すること。プログラムの挙動を追跡するために利用することが多い
川上氏:
いやはや,素晴らしいですね(笑)
どこまで話していいのか分からないけど,当時のファルコムのゲームって本当に凄くて。あの時代にちゃんと移植性を考慮して,PSG音源ドライバを始めとした各種プログラムが,綺麗にモジュール化されていたんですよ。だから,後に同人ソフトでPC88版の「イース3」を,X1に移植してた人がいたんですけど,あれも結局,すべてモジュール単位で実装されてるから出来たことなんですね。たぶん,ファルコム自身も自分でX1版を出すことができたはずなんですけど,市場的にもう出す意味ないだろうだとか,ビジネス的な意味で出さずじまいってだけだったんでしょうね。
川上氏:
へえ〜。でもX1とPC88って,VRAMのマッピング方法がだいぶ違いますよね? それを仮想化するのって結構大変なような。
やねうらお氏:
そうなんですよ。だから「イース」はその意味でも凄くて。その辺の部分が見えてくると楽しくて仕方がないわけです。もうプレイはそっちのけで,夏休み中ずっとイースを逆アセンブルかけてたのが,中学3年生くらいの頃ですかねぇ。
4Gamer:
どういう中学生だったんだろう……(苦笑)
やねうらお氏:
中学〜高校生くらいの頃は,本当にいろんなものを片っ端から逆アセンブルしてました。アーケードのゲームとかも,逆アセンブルかけては,そっくり再現するのが好きで。
川上氏:
いやでも,一貫してますよね。最近だって,自分自身で将棋はあまり指さないけど,将棋プログラムを作って将棋ってゲームを“遊んでる”わけですし。それはそれで,確かに“ゲームを遊んでいる”と言えますよねぇ(笑)。
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