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印刷2008/03/04 16:00

連載

EU3 その時歴史は動いた…り,動かなかったり敦
第3回:地中海世界の逆襲(オスマン帝国)

 

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緑色のエリアが,プレイ開始直後のオスマン帝国。後世を知る我々はどうしても,北アフリカや中央アジアを席巻した大勢力を想像してしまうが,この時点では大きな誤解だ

 ヨーロッパ世界にとって,「中央アジア/西アジア系イスラーム勢力」は長らく潜在的な脅威であった。
 最初の兆候はニコポリス十字軍(中世最後の大規模な十字軍)を撃退したことであり,その実力はやがてコンスタンティノープル攻略という形で,ヨーロッパの構造そのものに衝撃を与える。
 オスマン帝国のヨーロッパ世界に対する伸張はその後も止まらず,1529年にはオーストリアの首都ウィーンを包囲するに至った。この包囲は不成功に終わるが,ヨーロッパは深く震撼することになる。
 ヨーロッパ方面への進出とともに,周辺のイスラーム勢力を次々と併呑し,長きにわたる隆盛を誇ったオスマン朝だが,ウィーン包囲を最盛期として帝国は徐々に衰退期へと向かっていく。1683年には第二次ウィーン包囲を行うが,ヨーロッパ連合軍の前に大敗,カルロヴィッツ条約でついに領土の一部を失う。
 「ヨーロッパ世界」に対するアンチテーゼであり,またヨーロッパの方向性を決定付ける要素でもあったオスマン帝国だが,果たしてヨーロッパ世界との対決に敗れることは宿命だったのだろうか? 今回はこの課題に敢然と立ち向かってみよう。
 いやまあ,右上の画面で示したとおり,この時点でのオスマン帝国は小アジア半島とバルカン半島にまたがる,比較的有力な国というレベル。民族史的,宗教史的な大目標を前に,いきなり不安が立ちこめるわけだが。

 

 

野蛮人達にふさわしい末路を……と思ったら

 

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 試行錯誤の第1弾は正面突破。なあに,こっちは天下のオスマン帝国である。ゲーム開始時において技術力の差はなきに等しいのだから,一気にラッシュをかけてオーストリアを脱落させてしまえば,ヨーロッパはイスラームのものだ。簡単簡単。

 なんてことを思っていた時期もありました……。

 実際,ゲーム開始直後のラッシュは非常に景気よく進行する。トランシルヴァニアとセルビアを征服し,ハンガリーの属国化まで一気呵成に進行。ハンガリーが属国になれば,ウィーンは文字どおり目と鼻の先だ。
 兵役人口の回復を待って,内政を少々整えたところで,気合い一閃オーストリアに吶喊。いかにオーストリアといえども,オスマン+アナトリア高原の3小国+ハンガリー+トランシルヴァニア+セルビア+ワラキアの大連合軍に太刀打ちはできまい。相手に同盟国が付くなら,金を積むなり領地の一部を割譲するなりして,脱落させるのみ。バルカンの僻地の一つや二つ,ウィーンとの引換券になるなら安いものだ。

 

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セルビア,トランシルヴァニア,ハンガリーを席巻し,また国内の技術発展の遅れを生じさせないように最初から科学革命。一見すると典型的なラッシュプレイなのだが……話はそううまくいかない

 

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ヴェネツィアと戦争しているオーストリアに向かって宣戦。正当な開戦理由など,戦争がもたらす結果でカバーすればいい……はず

 というわけで,やってきました第一次ウィーン包囲。緒戦を数の暴力で押しきり,オーストリア防衛軍を退ける。あとは時間の問題だ。というか,この際一気に突撃をかけてしまうのもいいかもしれない。ポーランド,リトアニアといった国がかなりうざったいので,素早く結果を出してしまったほうがよいだろう……。
 そんなことを考えてゲームの進行を一旦停止させたところに,不思議な光景が。さきほど壊滅させたはずの,2万人を超えるオーストリア軍が,すでに再建されている。いったいこれは?
 なんとか第2波も撃退したが,すぐに第3次攻撃が開始される。すでにこちらの兵役人口はゼロ。相手だって苦しいはずだ。ここをしのげば,勝機はあるはず。
 だがオーストリアの白い軍勢は,まるでオーストリアでは兵士が畑で採れるんですといわんばかりの勢いで数を増やしている。何かがおかしい。

 

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オーストリア救援のため参戦したボヘミアを,逆に電撃戦で脱落させて属国化。順調な流れである

 

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さらにドイツ諸州を味方につけていくオスマン帝国。オーストリアが屈服する日も近い

 じっと考えてみた。オーストリアに兵役人口が残っているとは思えない。とすれば,敵兵の大半は傭兵で,オーストリアは借金を繰り返して兵数を維持しているのではないか。そうでないと,えんえん騎兵8000が湧き出続ける理由が説明できない。
 そうと分かれば,こっちも同じことをするまでよ。というわけで,借金を積み上げて傭兵を雇用,オーストリアの騎兵打撃軍にぶつける。傭兵は減っても金で補充されるから,先のことさえ考えなければとくに問題はない。いくぞ総力戦,アララト山ノボレ!

 やがてオスマン帝国の財政は完全に破綻し,長引く戦争に倦んだ国民は内乱を頻発させ始めた。オーストリアもまた財政は破綻しており,オーストリア国内でも反乱の形跡が見て取れる。だが,戦争は完全に泥沼化し,ときたまウィーンにオスマン軍が押し寄せるものの,野戦で疲弊したオスマン軍は後続のオーストリア軍を押し返せない。講和で領土割譲を迫ろうにも,オーストリアは決して首を縦に振らないし,ウィーンは首都のあるプロヴィンスなので,全土を併合するときにしか割譲対象とならない。

 

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ついにウィーン包囲。しかし,見て分かるとおりすでに兵役人口はなく,財政は破綻している。その割にオーストリア軍はまだまだ元気そうに見える。こりゃダメっぽい

 

 そこに,ポーランド/リトアニア連合からの宣戦布告。もはやオスマン帝国にこれをはねかえす力はなく,戦線は後退する。オーストリアとは苦い苦い白紙和平を結び,ポーランド/リトアニア連合には賠償金と領土割譲で手を打ってもらった。
 その後もオスマン帝国内部での内乱は収まらず,やがて中央アジアのイスラーム勢力から宣戦され始めた段階で,帝国の運命は決まった。西のほうではオーストリアがなんだか寂しい国家へと衰退していっているが,同時にオスマントルコもまた,寂しい国家へと縮退していくのだった。

 うーん……。ダブルノックダウンというやつですね。

 

 

ヨーロッパ的外交を駆使してヨーロッパを蚕食

 

 では問題点の分析に移ろう。最初にして最大の問題は,オスマン帝国は外交的にヨーロッパ周辺地域の孤児であるということだ。たとえ相手が強国でも,2国で挟み撃ちにしてしまえば大丈夫なのだが,オスマントルコにはそのためのタッグパートナーが一人もいない。
 そして敵が多すぎる。ポーランド/リトアニア連合があって,オーストリアがあって,それに加えて教皇庁やドイツ諸州,ときにはイタリアの都市国家からも宣戦される。これらすべてを一度に捌くのは,上記のとおり無理ではなかったが,捌くだけで国家の総力を使い果たしてしまう。
 そしてもう一つ重大な政治的要因がある――この頃のオーストリアは,神聖ローマ帝国の盟主である。EU3で神聖ローマ帝国の盟主は,その加盟国の数に応じた人的資源ボーナスを得る。常備軍化されたオーストリアは,オスマン+オスマン同盟・属国軍よりも,人的資源に恵まれていたのだ。
 要するに「ラッシュでウィーンを陥落させたとしても,その先はない」ということである。オーストリアを屈服させるためには,オーストリア1国だけではなく,中欧〜東欧のキリスト教世界すべてを敵に回して,勝てるだけの力をつけねばならない。なんという無理難題。

 

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オスマン朝にはときどきこの手の素晴らしい君主が登場する。いやなぜか,すぐ次の年にはまともな国王に代わるんですけどね。なぜでしょう?

 

 ともあれ,問題点が明らかになった以上,次は対策立案である。とにもかくにもオスマン帝国がスーパーパワーの一つであることに疑いの余地はない。1対1であれば,普通はオスマントルコ側が勝つ。2対1になっても,オスマン連合軍の力を結集すれば平押しできる。
 また,技術開発がヨーロッパ圏に比べて遅くなる問題に対しては,国内政治を徹底して改革派にシフトさせ,技術開発速度を上げることで対応する。これによって宣教師による改宗は不可能になるが,それはかまわない――剣で打ち倒したあと,素直に軍事力を提供してくれるなら,コーランまでは強要しなくてもよいではないか。「柔らかい専制」が持ち味なんだし。

 残るキーポイントは,いかにして敵集団を切り崩すかである。そこを思案しつつ,リベンジマッチに挑んでみよう。

 

 

異教徒は異教徒をして,治めしめよ

 

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方針を変更,北方への進出を開始する。なかでもベッサラビアは重要な回廊。ここは,あらゆる努力を傾注して確保すべき

 最初に問題になるのはハンガリーである。ゲーム開始直後,ハンガリー/トランシルヴァニア/セルビアの連合軍が攻め寄せてくる。しかし,これ幸いと返り討ちにしてハンガリーまで制圧してしまうと,オスマン帝国と境を接するヨーロッパ国家の数が増えてしまうし,防衛すべき国境線もいきなり伸びてしまう。
 ここはハンガリーに「属国の解放」で手を打ってもらい,トランシルヴァニアとセルビアのみの割譲で最初の戦争を終わらせることとする。正直言ってハンガリーはさして恐れるに足りない国家で,兵役人口と予算に限界があり,長期間の戦争となると,やがて勝手に白紙講和を申し出てくるため,隣人としては望ましいのだ。

 

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ハンガリーは到底オスマントルコには抗し得ない。であるからこそ,その地位を保証することで国境の安定を確保する

 そのうえで,最初の攻撃目標をポーランド/リトアニア連合に絞る。
 ……本当のことを言えば,たぶんこれは間違いで,最初はクリミアや各種ハン国といった中央アジアのイスラーム小国家を併呑するほうがよい。そしてそのまま北上,モスクワとカザフスタンを制圧し,そこから東進していけば,戦線正面は非常に限定されたものになる。だが,それだとなんだか連載第一回の裏返しになってしまう(おまけにこっちはモスクワの数倍のパワーがある)ので,あくまでも戦争はキリスト教徒と行うことにした。
 そんな大人の事情はともかく,ポーランド/リトアニア連合に絞るといっても,この2国は必ずセットで付いてくるので,常に戦争は2対1。時代が進むにつれて,彼らの技術的な遅れは顕著になるが,人的資源は比較的豊富だ。泥仕合を続けると,結構タフな相手となってくる。

 それでもあえて,オスマン帝国はポーランドとの泥試合を続けた。経済的にほとんど価値がなくとも,ポーランド領とあればこれを削り取り,しかしリトアニアからは金以外の賠償を取らなかった。
 そうこうするうち,待ちに待った状況が発生した。度重なる戦争で疲弊し,さらには戦況に比してずいぶんと寛大な講和条件を数度蹴ってきたポーランド国王に対して,民衆の不満が爆発して国内が不安定化,随所で反乱が発生し始めたのだ。これを見たポーランド周辺諸国は,こぞってポーランドに宣戦。ついにキリスト者達の国家は,その本性を剥きだしにし始めたのである(いや,EU3のAIだと,キリスト者だろうがムスリムだろうが仏教徒だろうが,弱体化した国はすごい勢いで食い物扱いされますがね……)。
 ポーランドは,デンマークやドイツ諸州などによって,あっという間に蝕まれていった。我に勝機ありというわけで,ズタズタになったポーランドの残骸に宣戦布告。電撃戦でポーランド全土を占領し,属国化した。こちらの対ポーランド宣戦布告に合わせて,周辺のキリスト教国が続々と我が国に宣戦布告してきたが,彼らとてついさっきまでポーランドと戦争していたので,国力的に息が続かない。軽くあしらってやると,次々に白紙和平を申し出た。自業自得である。

 

 

神の恩寵を再び東地中海に

 

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オスマントルコの属国となったポーランド。モンゴルにだって攻められたことがあるんだから,こんなこともあるかと

 ポーランドを属国とし,軍事同盟の締結にも成功したことにより,自動的にリトアニアもまた軍門に下ることになった。オスマントルコはリトアニアに直接の支配権を及ぼせないが,リトアニアの政治的権限はポーランドにある。援軍にはならないが,邪魔されることもほとんどないというわけだ。
 これによって,北方の脅威は大いに縮減した。ポーランドは完全に形骸化しており,リトアニアは事実上完全中立。北と西には小国が乱立しているものの,オスマントルコにしてみれば良いエサの群れである。彼らの兵力を全部足したって,オスマンの連合軍を上回ることはできないのだ。
 続いて,ドイツ諸州の刈り取りを行う。この手の小国は神聖ローマ帝国の構成員であり,彼らを神聖ローマ帝国から脱落させることは,そのままオーストリアの軍事力に響く。国策として「神の御心のままに」を採用,異教徒に対する宣戦布告への安定度ペナルティを排除し,準備は万端だ。

 ……と思ったら,フランスでは異常事態が進行していた。世界最先端の技術で武装したブルゴーニュと,巨大な陸軍を擁するフランスが,フランスを縦に二分する大戦争を展開していたのである。
 しかもここに宗教改革の火の粉が飛んだからたまらない。新しいもの大好きなブルゴーニュはプロテスタントを奉じ,フランスはカソリックを国教にし続けた。フランス統一を目指すヘゲモニカルな闘争は宗教戦争へと発展し,いつ果てるとも知れぬ様相だ。
 そして,ここに至ってオーストリアは「ブルゴーニュに接するカソリック国」として,この宗教戦争に巻き込まれた。敵味方入り乱れる混沌の中欧情勢のなかで,神聖ローマは瓦解していき,それはそのままオーストリアの弱体化へと繋がっていった。

 

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ハンガリー領の奥へ進軍し,そのまま属国化。イタリアにおけるアラゴンの支援が実に心強い

 オスマン帝国は,キリスト者らの凄惨な殺し合いを傍目に,次の戦争の準備に入った。いやはや,あんな戦争に関与するのは御免こうむる。というわけで,攻撃目標はハンガリー。これまで緩衝地帯だった国を陥落させ,オーストリアへの直登ルートを確保しようというものだ。
 我が国の動きに対して,ついにヴェネツィアが動いた。ヴェネツィアは旧ユーゴスラビア方面に支配地域を増やしており,ハンガリーへの宣戦布告に呼応して,オスマン帝国との戦争に踏み切った。また,北方諸国もこの宣戦布告に呼応する形となり,かくして戦争はオスマン連合軍対ヴェネツィア同盟軍という状況に発展したのである。
 だが,戦争の行く末は奇妙な形によじれ始めた。ヴェネツィアとの間で,地中海およびイタリア半島の覇権争いをしていたアラゴン(カソリック)が,オスマン朝に同盟を打診。オスマンはこれを二つ返事で了承し,ここに至って戦争は,キリスト教圏対イスラームという文明論的な構図から,大きくズレはじめたのである。

 

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ついに北イタリアにオスマントルコ領が成立。これでオーストリアの飛び地を,直接攻略できるようになった

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ケルンテンで産出される金は,帝国の財政を大きく好転させてくれた。さすがにここは譲れないので,直轄領のまま維持

 

 アラゴンはイタリア半島を北上,ヴェネツィアの地上軍は二正面戦争にまったく耐えられなかった。当然であろう。また,世界に冠たるヴェネツィア海軍も,オスマン/アラゴン連合海軍の数の暴力の前には,海の藻屑となるほかない。ヴェネツィアの衰退は確定した。
 同盟の主戦力が崩壊してしまえば,あとは掃討戦である。ハンガリーはほとんど抵抗できないまま属国化され,ヴェネツィアがバルカン半島に保有していた領土は,いったんオスマン領として接収されたのち,すべてハンガリー(およびワラキア)へと譲渡された。領土の拡大は,べつに帝国の望むところではないのだ。

 

 

最後から二番目の預言者を奉ずる国々に幸あれ

 

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オスマントルコの属国となったオーストリア。もっとも,地政学的に見るとウィーンはブルゴーニュに包囲されているわけだが

 中欧を席巻し,バルカンを安定させ,北イタリアの一部を直轄領とした(金鉱があるので……)オスマン帝国は,満を持して「瀕死の重病人」オーストリアに宣戦布告。神聖ローマ帝国の盟主は抵抗らしい抵抗もできないまま,オスマントルコの属国となることを了承した。ちなみにオーストリア国王が神聖ローマ帝国皇帝を兼ねるというところは変わらないので,形式上,神聖ローマ帝国は,オスマントルコ帝国の封臣ということになる。なんだか,良い具合に歴史が中世に巻き戻ってきましたよ。
 続いてデンマークなど,かつてポーランドを分割していった国々に宣戦布告。旧ポーランド領を回復し,ポーランド/リトアニア連合は昔日の栄光を取り戻した。いや,盟主としてオスマン皇帝を戴くことを除いてだが。
 こうやって属国に領土を与えていったことには理由がある。属国である彼らに,ある程度の国力を持ってもらわないことには,彼らの国内で発生した反乱に対処できないし,ましてや今後に控えているであろう対ブルゴーニュ戦争で足を引っ張るだけの存在になりかねない。

 

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ヨーロッパ地域に広がるオスマン同盟。反ブルゴーニュ包囲網ともいえる。ブルゴーニュもたいへんだ

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完全に形骸化した神聖ローマ帝国。でも皇帝はオーストリア国王。で,その人はオスマン皇帝の臣下

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落ち目のアラゴンに代わって,カスティーリャが同盟相手として浮上する。冷徹な政治の世界である

 

 フランス方面は,ほぼブルゴーニュの勝利で情勢が決定していた。ブルゴーニュは高度な技術力を活かしてさらなる拡張路線を続行。アラゴンはカスティーリャとブルゴーニュの挟撃にあって,また海外ではイギリスに植民地を奪われ,風前の灯火となっている。
 もっとも,オスマン帝国はすでに同盟相手をカスティーリャおよびポルトガルに切り替えており,ブルゴーニュ包囲網の形成には成功している。だが,ブルゴーニュの軍隊とまともに戦争できる軍隊がオスマン帝国軍しかいないため,いましばらくは同盟国の底上げを待たねばならない。とはいえ,おそらく50年以内には対ブルゴーニュ戦争が開始され,ブルゴーニュは100年以内にいずれかの国の属国となるだろう。オスマン帝国の選択肢は,その扉を開けるか否か,それだけである。

 

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ボヘミアにヴァレンシュタイン発見! ……三十年戦争がこんな形で起こるなんて,誰にも想像できなかっただろう

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新大陸の覇者となった,ポルトガル。時期的な問題もあるとはいえ,イギリスの蚊帳の外っぷりがものすごい

 

 

カエサルのものはカエサルに

 

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我がオスマン連合は,スンニ派イスラーム,ギリシア正教会,カソリック,プロテスタントから成る国家でありまして……

 さて,欧州におけるイスラームの孤独な戦いで幕を開けたオスマン朝による逆十字軍(新月軍?)が,いつしかどっぷりとヨーロッパ的な国際政治に飲み込まれたところで,今回のプレイを切り上げよう。
 オスマン帝国の潜在能力は非常に高いし,顕在化している力にも素晴らしいものがある。実際問題として,そういう国であったのだから当然だが。それでも,安易なラッシュ頼みでは史実以上の拡大ができなくなっているのは,Paradox Interactiveらしいバランス取りの妙であろう。
 とにかく財政的に厳しいのがアキレス腱で,その気になれば大規模な精鋭部隊を構築できるものの,それを実行に移した日には,その後100年くらいインフレと借金に苦しみかねない。今回のプレイでも,オスマン帝国は自領内にあまり建物を建てられていないし,防御施設のグレードアップもほとんどできていない。陸軍のクオリティでヨーロッパ諸国に後れをとらない,その一点にすべてを投じたからだ。

 とはいえ,最も興味深かったのは,ウィーンを陥落させ,オーストリアを属国化して,あらためて抱いた感慨,すなわち「いったいこれは何のための戦争なんだろう?」ということだ。

 

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なぜかよく分からないが,東方植民地域に教皇領が成立。このまま時代が進めば,「次期教皇としてラツィンガー・ハジ氏が選出されました」とか,なりそうである

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教皇領がついに陥落,オスマントルコの属国となる。もう何が何だか分かりません。改宗は求めていないから,直接的な問題は生じないとはいえ,教権はどうなるやら

 

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宗教分布。信教の自由を完全に認めてきた結果なのかどうか,宗教的統一は絶望的。この帝国が崩壊したときに引き起こされるであろう混沌は,想像を絶する

 第一回ウィーン包囲を挙げるまでもなく,ヨーロッパでオスマン帝国(あるいは乱暴にいえばイスラーム)とは,即ち凶暴で凶悪な破壊者であり,いつこちらに押し寄せてくるか分からない怪物と理解されてきた。だがオスマン帝国に,ヨーロッパという社会を崩壊させ,オスマン帝国の支配によるヨーロッパの成立を図る意志があったのかどうかとなると,正直言ってこれは謎としか言いようがない。
 そしてEU3において,この謎に対しては,「その意図はなかったのではないか」というデザイナーの判断が下されているように思う。実際,ゲームのなかで,ヨーロッパ人が思い描いた「災厄」を実現してみると,いかにこれが現実味を欠いた空想であるかがよく分かる。何をどうやったら,今回のヨーロッパに最終的な平和をもたらせるのか,正直想像がつかない。陣取りゲームだからと言ってしまえばそれまでだが,ここまで入り組んだ社会で“異教徒”に対するレッテル貼りを防ぐことは,いかに寛容を旨とするオスマン帝国といえども無理な気がする。

 もしオスマン帝国がその総力を結集し,ただただヨーロッパの破壊だけに邁進したならば,ヨーロッパはもっと深手を負っていただろう。だが,そんなことをする必然性がない。わざわざヨーロッパ側に進出し,言葉も習慣も文化もまるで違う異教徒を制圧し,複雑極まりない外交に身を投じるくらいなら,スンニ派世界の統一を優先したほうがよいに決まっている。その後に必要なのは帝国を維持するための経済力であり,そして実際,オスマン朝はその道を選んだ。その結果が,現在我々が知るところの広大なオスマン帝国の姿である。

 

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そういえば,ジョン・レノンというアーティストがこんな世界を想像してみようとか歌ってました

 今回のプレイは,ウィーンを手中に収めるという,非常に象徴的な目標を掲げて行われた。そしてその目標を果たしてみてたどり着いたのは,実はウィーンを陥落させる必要は,少なくともオスマン帝国にとっては,ないのではないかという推測であった。そんなことをしなくたってオスマン帝国はオスマン帝国としてのプレセンスを維持できる。
 むしろ,自分達が世界有数の大国であるという驕りに身を委ねることなく,帝国を帝国たらしめる基盤の維持と拡充に(たとえそれが血を吐くような努力であったとしても)努めたならば,落日は遙か先にまで遠のいたのではないか――そんなデザイナーの思想が,端々から見えてくるプレイであったといえよう。
 ……とはいえ,もしイスラーム勢力がもう少しヨーロッパ側に張り出していたら,国民国家と政教分離,とくにフランス革命を経て成立した強固なそれが,緩んでいた可能性があるかも……とか想像するのは,それなりに楽しいものだが。フランスもすっかり別の国になったしね。

 

■■徳岡正肇(アトリエサード)■■
『クルセイダーキングス デウス ウルト』が日本語ローカライズされますよ」とイの一番に伝えたら,電話口でも分かる苦笑を漏らした,Paradox Interactive通PCゲームライター。ぜひそのときの表情を見てみたかったという話はさておき,今回の勝因はズバリ「第三世界への想像力」であろう。しかしそれが,ジョン・レノンの想像より数段辛口な気がしてならないことは,あらためて言う必要もあるまい。
  • 関連タイトル:

    ヨーロッパ・ユニバーサリスIIIナポレオンの野望【完全日本語版】

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