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「抗戦オンライン」の続編(?)「亮剣オンライン」の情報がちょっとだけChinaJoyにありました
隣のブースがけっこう張り出しているせいか,窮屈そうな配置ではあったものの,青く短い中国風の上着を着たお姉さん方がこれまた青い手提げ袋に,ビラを入れて配っていたのである。
まあ,ここで「青く」「青い」と強調したことの意味に心当たりのある人には,その博識に心から讃辞を捧げたいが,それは当面さておいて,順に説明しよう。
ちなみに最大同時接続者数は約6万人で,今回の出展は「新兵」募集キャンペーンのアピールのためであるようだ。配っていたビラには「喜迎抗戦周年」とあって「……2008年は何の60周年なんだろう?」と怪訝に思っていたのだが,どうやらサービス1周年ということらしい。
ビラには新旧要素を取り混ぜて,大略以下のようなゲームのトピックスが書かれていた(意訳)。
■低レベル装備の改造が可能
■リアルな指揮系統
■さまざまな生活要素
■軍事指揮(帷幄)にまつわる戦略/戦術要素
■中国式の結婚システム
■時代背景をよく示す実在人物が登場
■超人気の歴史副読本
■アイテム販売システム
■故宮モーターグランプリ
■軍事大演習
……さすがにゲーム内の要素について事細かく聞く時間はなかったが,なんだか普通のMMORPGにある要素が「抗戦 Online」にもあると思うだけで,不思議な気分になるものだ。
ちなみに「新兵」募集のキャンペーンは,ゲーム内で歴史上の人物に会うと,プレイヤーキャラクターのレベルに見合った装備品一式がもらえるというもの。そしてその人物とは,抗連(東北抗日民主連軍)団長 柴 子容,后勤団長 願 長春,アメリカの記者であるエドガー・スノーだ。正直,前の二人はよく分からないが,エドガー・スノーといえば中国共産党の根拠地を取材して,『中国の赤い星』を著したことで知られるジャーナリスト。さすがに「美国記者埃徳加斯諾」という表記は,前半四文字がなかったら読めなかったとは思うが。
宋氏の話によれば,2008年5月に宝徳網絡と,中青団の投資基金が合併して中青宝徳網絡という会社になり,引き続き「抗戦 Online」そのほかの開発と運営を行っている。つまりジョイントベンチャーではなく,本当に合併新会社である。この場合の投資基金が政府系か民間かを聞いてみたところ,民間の資金であるとのことだった。
ただし「亮剣 ONLINE」はドラマ「亮剣」を原作としているわけではなく「『亮剣』の精神を盛り込んだゲーム」だという。八路軍/新四軍/東北抗日民主連軍の兵士としてプレイするMMORPGであるところは「抗戦 Online」と同様で,違いはアートワークとプレイ方法にあるという。
まだ中国メディアにも詳しい話をしていないとのことで,これ以上の話は聞けなかったのだが,サービスは2009年以降になり,「抗戦 Online」とは並行サービスされる別作品という関係だ。「抗戦 Online」のリニューアル版ではないのかと聞いたところ,それは明確に否定,あくまで別作品とのことだった。
では「抗戦 Online」や「亮剣 ONLINE」が中国政府肝煎りのスペシャルプロジェクトなのかといえば,別にそう判断する客観的な理由は見つからない。中青団は映像作品や音楽CDの制作にも広く携わっているので,その意味では文学,演劇,映画などで数ある抗日モチーフ作品と変わらぬ位置付けといえよう。
とはいえ中青団の投資基金を――実際にお金を出しているのが民間だったとしても――一般的な企業投資と同一視できるかといえば,それはたぶん違うだろう。そもそも「抗戦 Online」のサービスについては最初から教育的意義が強調されていて,それは以前談話をお伝えしたとおりである。
ちなみに中国最大規模のオンラインゲーム「征途」の最大同時接続者数は150〜160万人といわれ,ヒットタイトルはおおむね40〜50万人。日本の数字と引き比べるときは,日中双方におけるオンラインゲーム一般のサービス規模を念頭に置かないと,大きく捉え違えてしまう。
つまり,賠償だ,戦争責任だと言い立てることを考えようが考えまいが,中国共産党軍 → 現政権はまず,抗日救国の英雄達でなくては“ならない”。要はそういう構図なのだ。
まず,なぜこれをわざわざ記事にしたのか。それは,「ある事柄を意図して言う」ことが政治的なら,「ある事柄を意図して黙る」ことも,同じように政治的だからである。「歌舞音曲の自粛」やら“菊のタブー”やらを肌身に知っている日本人であれば,この構図はご理解いただけると思う。
しからばそこで我々メディアはどう行動すべきだろうか。 一元的な答えが出せるとも思えない問題だが,「肯定的であれ否定的であれ,分かる限りのことを誠実に(ここは努力目標にならざるを得ないが)伝える」ことが,答えの一つだとは思う。その製品をどの程度肯定すべきか否定すべきか,それを読者各人が考えるための材料を提供できれば,それでメディアは一つ仕事をしたことになる……と信じたい。逆にいえば,我々にできることはそれしかないのだから。
ゲームの政治利用云々は,より難しい論題だ。例えばそれを美しくないと考える権利は誰にでもあるが,禁ずる権利は誰にもない。もし禁ずべきだと考えるなら,それは日本の商業作品にも立派に影響する言論統制となってしまう。日本にだって,日本側でしかプレイできない第二次世界大戦ゲームは多々あり,そこでの戦争は,制作元それぞれのリサーチやゲームデザインで描かれている。個々の作品が,見る人の立場次第で偏ったものに映っても,なんら不思議ではない。実際,個人的なプレイ体験を交えていえば,日中戦争に勝ててしまう国産ゲームは決して少なくない。政治性の有無はそう簡単に線を引ける問題ではないため,副作用が大きいのだ。
仮に政治の観点で我々日本人が考えるべきことを述べるなら,まずはこのしたたかで,一筋縄ではいかない隣人と,どううまくやっていくかであろう。そのための前提を築く場合を含めて,これもまた中国オンラインゲーム市場のファクターであるところの抗日モチーフ作品に関し,知らないよりは知っておくべきだと信ずる次第である。
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