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「Starfield」も“精神的祖先”と認めざるを得ない,1984年のスペースゲーム「Elite」を知る
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印刷2023/10/30 12:00

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「Starfield」も“精神的祖先”と認めざるを得ない,1984年のスペースゲーム「Elite」を知る

下記の記事は,游研社(→リンク)に掲載された記事を,許可を得て翻訳したものです。可能な限りオリジナルのまま翻訳することに注力していますが,一部,画面写真などを変更したり,文化的な背景などで理解されづらいものについては日本向けに表現を変えたりしている箇所があります。→元記事

画像集 No.029のサムネイル画像 / 「Starfield」も“精神的祖先”と認めざるを得ない,1984年のスペースゲーム「Elite」を知る


コンピュータ黎明期における,ギーク二人のきらめき


 重力の制約から逃れて宇宙船を操縦し,星の合間を旅し,人類だけでなく地球外文明を相手に貿易をしたり,戦闘をしたり。その果てしない探索を続けられるのが,スペースシミュレーションゲームの魅力のポイントだろう。現実から解き放たれた,宇宙というサンドボックスの中で,さまざまな遊び方ができ,どれを選ぶのも自由なのだ。

 「Mass Effect」シリーズや「No Man's Sky」,「Star Citizen」や「EVE Online」などのオンラインゲームを含め,そして今もっとも話題の「Starfield」も,そのどれもが,そんな自由をプレイヤーに与えてくれた。

 スペースシミュレーションの自由を定義し,その源となったものは,遡ること20世紀,1984年のPCゲーム「Elite」だ。「Elite」は,プレイヤーがさまざまなゲームプレイスタイルで遊べるようにした,世界で最初のスペースシミュレーションゲームとして知られており,オープンワールドの先祖とも言える。

「Elite」
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 それだけでなく,「Elite」はワイヤーフレームで3Dグラフィックスを表現する初のPCゲームであり,プロシージャル生成で架空の銀河や惑星をランダム生成した,宇宙をテーマにした最初のオープンワールドゲームでもある。「Starfield」より39年も早く,「No Man's Sky」より32年も先に。

※ワイヤーフレーム(wire frame):平面に,3次元座標(XYZ軸)を作って立体物を描画する方法。それより以前は「2001年宇宙の旅」(1968年)や「スター・ウォーズ」(1978)などの映画に多用された。1980年にATARI向けに発売された「Battlezone」も,ワイヤーフレームを使ったグラフィックスで話題を呼んでいた。
※プロシージャル生成(procedural generation):アルゴリズムに基づいてデータを生成する手法


 こんな,歴史に名を刻んだ画期的な傑作は,2人のイギリス人大学生の奇想天外な発想によって生まれた。その時の彼らは,まだ20歳未満だ。


スペースシミュレーションゲームの先駆けが誕生


 1981年に英国放送協会(BBC)は,リテラシー教育推進プロジェクト「Computer Literacy Project」の一環として,フルキーボード付きで,初心者にも理解しやすいBASIC言語を使うマイクロコンピュータの開発を依頼しようとした。最終的にはAcornsoft社がその案件を手にし,1982年1月に「BBC Micro」を世に送り出した。

BBC Micro Model B(イギリス国立コンピューティング博物館
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Acorn BBC Micro Model A(The Centre for Computing History)


 多くのイギリスの若者たちはAcornのPCでコードを書き始め,その中に当時18歳のデビッド・ブレイベン(David Braben)と,当時19歳のイアン・ベル(Ian Bell)がいた。
 その年の10月に,ブレイベンとベルはケンブリッジ大学ジーザス・カレッジで出会った。ブレイベンは楽天的で外向的な性格を持ち,一方ベルは悲観的で内向きなところがあって,二人の性格は大きく異なっていた。 もちろんほかの学生から見れば,二人ともコーディングに取りつかれたオタク(Nerd)で,SFやコード,ゲームを遊んだり,作ったりする趣味を共有していた二人だった。

ブレイベン(左)とベル(右)。異なる雰囲気を持つ二人(1985年1月「Micro Adventure」より)
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 当時ブレイベンとベルは各自のゲームを開発していたが,意見を交換してみたところ,二つのゲームを一つにして,宇宙空間で敵船とバトルを繰り広げるゲームにすることにした。

 彼らはいくつかの点について合意をした。まず,宇宙はビデオゲームの次の主戦場になるだろう。なぜなら,宇宙を舞台にすると環境的な要素を考えずに,暗闇の中で惑星の光を出せば簡単に作れるし,「宇宙だ」「星だ」という認識もされやすい。
 そして,宇宙を舞台にするなら,3Dのゲームにしなければならない。

 いまから40年前には,3Dは斬新な概念でしかなかった。アメリカのATARIが1980年に発売したPCゲーム「スターレイダース」でも,スペースシミュレーションゲームとはいえ,3Dグラフィックにできず,宇宙船の動きと視野を奥行きあるようにしただけだった。

「スターレイダース(Star Raiders)」
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 同じく1980年にATARIが発売したアーケードゲーム「Battlezone」は,3Dのベクターグラフィックスでタンクと簡単な地形を作り出したタンクバトルシミュレーションだった。

 この二つの3Dゲームは,直接「Elite」にインスピレーションを与えることとなった。BBC Microはゲームのためにデザインされたコンピュータではないため,スペックはアーケードよりも限られている。ブレイベンは線を減らしたモノクロのワイヤーフレームを使い,ゲーム内の宇宙船を描くことにした。

ベルが1983年に手描いたゲームコンセプト図
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 ブレイベンとベルは,市場にあるゲーム……とくに宇宙を舞台にするゲームは,何かが欠けているように思った。

時代を作った名作「スペースインベーダー」
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 1980年代初期,イギリスで一番人気のあるゲームは「スペースインベーダー」と「パックマン」だった。
 どちらもアーケード由来のデザイン理論を遵守し,限られた3つのライフでどんどん難しくなっていくステージにより高得点を目指すゲームで,「Elite」開発の参考になる「スターレイダース」や「Battlezone」もスコアアタックゲームだった。

「Battlezone」,40年前のゲームを遊ぶには少し想像力が必要そうだ
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 しかしブレイベンは,コインを入れて短時間で楽しさを得られるジャンクなエンタテイメントに興味がなく,より長いゲーム体験を追求した。彼はプレイヤーに,単純的なスコア稼ぎよりも広い世界の探索をさせ,「総合的な環境シミュレーション」を体験してほしかったのだ。

 ゲーム開発に詰まって未来が見えなくなって途方に暮れたときには,ブレイベンとベルの共通の趣味が役に立った。宇宙テーマのTRPGだ。キーとなる金銭システムは,プレイし続けるモチベーションとなり,報酬にもなる。しかもこれは,PCゲームにも落せそうだ。
 プレイヤーのスコアはゲーム内の貨幣となり,その貨幣を使って宇宙船のアップグレードをすることで,プレイヤーはより困難なチャレンジに挑戦できる。

 さて,それはどうやってプレイヤーに稼がせればいいだろう? ベルが好んでプレイするTRPGの「トラベラー」では,プレイヤーは商人を演じ,恒星間貿易に携わることが可能だった。彼らはこのトレードシステムを「Elite」にも導入した。

1977年,初版の「トラベラー」。副題は「遠い未来のSF冒険」(左),右は1987年に安田均氏による日本語版
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「肉食系アート卒業生」がいる惑星


 完全な経済と貿易のシステムが追加できたら,スペースシミュレーションのメカニズムとデザインロジックは,すでに完成目前だ。

 プレイヤーはCobra Mk.IIIの艦長となり,戦闘や交易でクレジットを稼ぎ,燃料を買い,船をアップグレードし,危険な銀河で生計を立てていく。場合によっては,何度もセーブデータを読み込むことも必要だろう。

 前世紀のSF作品の影響を受け,アップグレード可能な宇宙船のオプションは豊富に用意されている。宇宙船同士のドッグファイトがゲームプレイの主軸なので,シールドやレーザーをアップグレードしたり,ミサイルを購入したり,敵ミサイルを無効化するECM(Electronic Counter Measure)を搭載したり。

メイン画面に表示されている主人公の艦船。デザインがコブラの頭に似ているので名づけられた(左)
ミサイルの攻撃力はレーザーよりはるかに高いが,高価な上に妨害されやすい(右)
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 恒星間の大型貿易を成約するには,より大きな燃料タンクと貨物タンクにアップグレードする必要がある。ほかにも「燃料スクープ」という特殊なアップグレードをすることによって,惑星に接近して燃料補充でき,敵船を撃破することによって落ちてくる貨物を回収することができる。

 キューブリックの名作「2001年宇宙の旅」のファンであるブレイベンとベルは,映画の中にある宇宙船と宇宙ステーションがドッキングする過程を,ゲームで再現することにこだわった。スペックの制限により,ゲーム内の惑星の表面にはオブジェクトを置けなかったが,プレイヤーが宇宙ステーションとしかドッキングできないようにすれば,惑星と接触する機会は減り,ある程度ゲームの見た目を高いレベルに保てる。

「2001年宇宙の旅」のドッキングシーン
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 プレイヤーは,手動操縦で宇宙ステーションにドッキングさせ,壁にぶつかったら宇宙船が破壊されて即ゲームオーバーとなる。幸いなことに,ドッキングプロセスを自動化させるアップグレードも,ゲーム内で買えるようになっているが。

このデザインのおかげで,偉大な司令官たちの多くが冒険の第一歩でいきなりつまづいてしまった
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 プレイヤーが遭遇する船のほとんどはエイリアンか海賊のもので,それらを撃破すると当局から賞金をもらえる。プレイヤー自身が海賊になることも可能であり,攻撃してこない商船を攻撃し,その積荷を奪って利益を得ることができる。ただその場合,プレイヤーは指名手配される側になり,懸賞金レベルがどんどん上がっていくと,当局の上級船に追い詰められるリスクを背負わないといけない。

星系警察のViper戦闘機
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 ここまで来ると,すでに当時のゲームが手にできていないほどの自由を備えられた。こんな自由を満喫できる宇宙空間を作るべく,二人は星系のデザインに取り掛かったが,再びハードウェアの制約が立ちふさがった。

 BCC Microのメモリは32KBしかないが,画面表示で常に一部のメモリを使っているので,実際に使えるメモリは22KBしかない。星系情報をロードするには,全然足りないのだ。スペックの制限に苦しめられたベルは,「2時間コードと睨めっこして3KBを省けたのなら,その2時間には大変な価値がある」と語っていた。

 より少ないメモリで銀河や惑星を生成するために,彼らはある種のアルゴリズムを導入することを計画した。数列の3番目以降,各数が前2つの和に等しいというフィボナッチ数列を思いついたのだ。フィボナッチ数列から十の位の数字を取り除き,1桁の数字だけを残すと「0,1,1,2,3,5,8,3,1,4,5,9,4……」という擬似乱数列ができあがる。実際には彼らは十六進法でコーディングするが,基本の原理はこうなっている。

 数列中の数字は,星系の大きさや位置,惑星の数を決めるものもあれば,惑星の名前,大きさ,政治ステータス,経済状況,人口規模などを定義する数字もある。

人類コロニー,経済:裕福な農業惑星,政府:専制
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Ian Bell:クラシックEliteをC言語でコーディングしなおしたText Elite


 理論的に,特定の星系を生成するためには,数列に並べられた6つの数字があれば生成できる。この6つの数字列は「シード」と呼ばれ,わずか6バイトのメモリ消費で済む。この6バイトのメモリは2の48乗,つまり約282兆個の星系を作り出すことができる。

 プロシージャル生成も,もちろん完璧ではない。とある星系は「ケツ(Arse)」という単語が含まれていたので,審査時に除外された。発売後も,「ロバ(Donkey)」という名前の惑星を発見したことがあり,惑星に対する説明につじつまが合わないときもあった。惑星によっては,「食用詩人」や「肉食系アート卒業生」が生息するところもある。
 しかし全体的に見ると,「Elite」に対してのプロシージャル生成の導入は,確実に利益のほうが弊害を超えていた。ゲームの自由度はさらに広げられた。

 惑星によって政治や経済的状況は異なり,プレイヤーもプレイスタイルをそれらに合わせる必要がある。
 たとえば,農業が盛んな惑星では食料が安く売られ,工業が盛んな社会はその逆なので,食料売買で惑星間貿易をして利益を得られる。無政府状態の惑星はより危険だが,麻薬や軍需品,奴隷などの違法商品の取引ができ,罪を犯しても指名手配されないというメリットがある。

安く買って,高く売る
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“ハームレス”から“エリート”までの道のり


 1983年初,ブレイベンとベルの中ではゲームの構造がすでに固まったので,パブリッシャーを探し始めた。

 ブレイベンは,大手パブリッシャーのほうがプロモーションをかけられると思い,Thorn EMIに声をかけたが,すぐお断りの手紙が戻ってきた。
 「このゲームは,3ライフシステムを実装するか,10分以内にクリアできるようにするかどちらかにしてください。夜を通してゲームをプレイする環境ではないし,プレイヤーは貿易やら3Dやらのことは知らない。技術的に目新しいが,色が少なすぎるかな……」とのことで,EMIはまだ「スペースインベーダー」レベルの認識に留まっていたため,「Elite」の売りのポイントをすべて欠点として捉えていたのだ。

 一方ベルは,Acornsoftに打診した。彼はそれ以前にもゲームを開発した経験があり,Acornsoftと1本パブリッシング契約を結んだことがあるためだ。Acornsoftはとても話しやすく,「Elite」のポテンシャルに理解を示し,その場で契約をした。

Acornsoftの責任者デビッド・ジョンソン(David Johnson)。ちなみに,この契約をサインするとき,わずか27歳だ
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 その後の流れにおいても,Acornsoftは確かにいい相手であったことを証明した。ブレイベンは,Acornsoftには大規模なパブリッシングを引き受ける力がないと考え,Acornsoft版のゲーム開発が終わったら,ほかのプラットフォーム向けに開発/販売したいと話した。そんな,パブリッシャーからしたらワガママでしかない話についても,Acornsoftは同意を示した。

 コンピューティング能力の限界を隠し,テスト作業を軽減するため,Acornsoftは生成できる星系上限を8つまでとした。それでも星系一つあたり256個の惑星があるので,全部で2048もの惑星となり,膨大な数となる。

 Eliteにはメインストーリーがないため,Acornsoftは簡単な目標を立ててほしいとリクエストした。他人に自慢できるような何かをプレイヤーに提供してほしいということで,ランクシステムが生まれた。プレイヤーは宇宙船を撃破することによって,より高いランクに評価され,「ハームレス(Harmless)」から徐々に「危険(Dangerous)」まで昇り,その後は「致命的(Deadly)」を経て,最終的には一番上の「エリート(Elite)」に辿り着く。

「ハームレス,前科なし,100クレジット」 すべてのプレイヤーは無一文に近いステータスから始まる
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 最高ランクの「エリート」にちなんで,このゲームには堂々たるタイトルもできた。エリートになるまでに6800機を撃破しなければならず,プレイヤーが長くプレイする目標になる。

 Acornsoftは,イギリスの小説家ロバート・ホールドストック(Robert Holdstock)氏に依頼し,「Elite」の世界観の補足となる中編SF小説「The Dark Wheel」を書いてもらった。小説は「Elite」と同時発売され,取説やゲーム内の宇宙船が一覧できるポスター,ハガキなどの景品も用意された。プレイヤーがエリートランクになったら,Acornsoftにハガキを送れば,特製バッジが入手できるのだ。

「Elite」フルセット(Frontier Astro
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「The Dark Wheel」(英語)


 1984年9月20日,いよいよ「Elite」が正式発売され,すぐにイギリスのゲーム市場を席巻した。BBC Micro版だけでも約1万800本が売られ,イギリス全土に人気を呼び起こしたのだ。
 ブレイベンによれば,イギリスの放送局ITN(Independent Television News)のスタジオで,すべての人がPCで「Elite」を遊んでいた。
 スタジオに入ってきたニュース編集者が何事だと驚いたら「気にしないで,ゲームを遊んでるだけだから」と返事が返ってきて,「いやいや,すべての人が同じゲームを遊んでいるって? これこそがニュースだ!」と答えたという逸話がある。

エリートバッジ(Reddit:CMDR_Charybdis)
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 11月3日,ハル・バートラム(Hal Bertram)というイギリス人プレイヤーが,最初にエリートランクに辿り着いた。そして同年末,エリートになったというハガキが届きすぎて,バッジを配布しきれないとAcornsoftが発表した。

 当初EMIの断り状に書いてあった通り,すべての人が「Elite」の高い自由度と高難度に適応できるわけがない。1985年1月,Acornsoftが出版する雑誌「Micro User」では,読者から送られてきた「Elite」に対する2通の批判レターを掲載した。

 一人の読者は「スターゲイト」のファンだと自称し,「Elite」の広告を見てゲームを入手したが,プレイしたらすぐにでも売りたいと言った。「私は26歳で,それなりに協調性はあると思います。いままで問題なくPCゲームをプレイしてきましたが,Eliteは私の能力の範疇を超えた……斧でキーボードをぶっ壊したいとこれほど思ったことはないです」
 もう一人は,ランダム生成のマップはプレイヤーの学習曲線をブチ壊すと主張した。「勝てるチャンスのあるものが,ゲームだと言えます。失敗の連続は私を苛立たせ,すぐにアンチ側の気持ちになりました」

 そうした意見もあった中,「Elite」が商業的に成功していたことは確実だった。
 ブレイベンは,ほかのプラットフォームで「Elite」をパブリッシングしたい夢も叶えた。彼らはエージェントに依頼して,1984年の年末に「Elite」パブリッシング権利のオークションをした。ブリティッシュ・テレコム(British Telecom,現BTグループ)傘下のFirebird Softwareによって落札され,ブレイベンとベルにそれぞれ6桁にもなるポンドを支払ったのだ。
 当時のブレイベンはまだ20歳。ベルも21歳で,彼らは一夜にして大金持ちになった。

照れ笑いするブレイベンとベル
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歴史に残るEliteと,それに続くElite


 Firebird Softwareは,「Elite」をより高性能なプラットフォームに移植することで,次々と商業的な成功を収めた。コモドール64版では,64KBのメモリを持っていることから,カラフルな3Dグラフィックスが実現された。それに,プレイヤーの宇宙船がスペースステーションにドッキングする時,「美しく青きドナウ」の旋律が流れる。これも「2001年宇宙の旅」のオマージュだ。

 1991年に欧州版NESに発売された唯一のコンソール版「Elite」はバーチャルキーボードを備え,コントローラーのボタンが足りない問題を解決した。

NES版「Elite」
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 「Elite」は,最終的に各プラットフォームで合計17ものバージョンを発売し,ベルが推定した全プラットフォームのグローバル売上は60万本だったが,ブレイベンは100万本あるはずだと主張した。数十年にわたり,欧米の主流メディアやゲームメディアは「Elite」を高く賛え,イギリスのゲーム産業の強力な土台を築いたと評価した。

 「Elite」の旅はまだ続いているが,ブレイベンとベルのコンビはハッピーエンドを迎えなかった。

 ブレイベンは,「Elite」をビデオゲーム業界に身を置く足がかりとしたが,ベルはそう思わなかった。ゲーム開発よりも人生を楽しみたくて,数学やオカルト,合気道などほかのことに没頭し,表に出ることをほとんどしなくなった。

「Frontier:First Encounters」中のCobra Mk.III艦
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 合意のうえ,ブレイベンは自分のゲーム会社を設立し,続編の「Frontier:Elite II」(1993年)と「Frontier:First Encounters」(1995年)を独自に開発した。両タイトルとも新世代のゲーマーに支持されたが,初代「Elite」のように成功することはできなった。特に後者の「Frontier:First Encounters」はパブリッシャが破産寸前で,圧力を受けたので未完成の状態で発売し,賛否両論の評価となった。

 ブレイベンは,続編の印税をベルと分け前にすると約束したが,2年も経たないうちに2作もの続編を出し,「Elite」というブランドを潰しかけたことで,二人は続編と版権にまつわり激しい口論をして裁判にもなりかけた。結局は不仲のまま別れ,二度と顔を合わせて話すことはないままだ。

 1999年,ベルは自身のサイトで初代「Elite」とファンメイドバージョンのソースコードを掲載した。それに対してブレイベンは,著作権侵害訴訟を起こし,ゲームとともにサイトも削除するように要求した。2009年,二人とも「Elite」25周年記念イベントで登壇することに同意したが,同じステージに立たないことが前提だった。

 2013年,中年に差しかかったベルはオートデスクのシニアソフトエンジニアとして,オートデスクの同僚からインタビューを受けて「20歳の自分の耳元で囁きたいアドバイスは」という質問に対し,「デビッド(ブレイベン)はあなたにフェアであるということを信じるな」と答えた。

An interview with Ian Bell(Kean Walmsley,2013)


ブレイベンは業界の活躍で「英国映画テレビ芸術アカデミー フェローシップ賞」(2015)や大英帝国勲章OBE(2014)など数多く受賞している(写真はRetro Gamerより,2014)
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 一方,ブレイベンは現在もイギリスゲーム業界で活躍し,若き日の夢を実現している。
 2008年,彼はケンブリッジ大学コンピュータ研究所のチームと「Raspberry Pi 財団」を設立し,「子供たちにプログラム可能で安価なコンピュータを提供し,コンピュータサイエンスと関連トピックの研究を促進し,コンピューティングの学習に楽しみを取り戻すこと」を目的としている。過去の「Computer Literacy Project」を彷彿とさせるが,オマージュの意味合いもあるだろうか。

※2012年に初代Raspberry Piを発売してから今まで人気は衰えず,今年はRaspberry Pi 5を出している

 そしてブレイベンは,「Elite」のIPを諦めなかった。2012年11月,ブレイベンはKickStarterでクラウドファンディングを立ち上げ,60日間に125万ポンドの集金目標を立てた。今時のゲームエンジンを使ってシリーズをリスタートし,新作「Elite Dangerous」を作るとのこと。同じ思いを抱える2.5万人の「Elite」ファンを集め,58日目に125万ポンドの目標達成をした。

 2年後の2014年,「Elite Dangerous」は発売された。2020年までの販売本数は350万部を超えたが,残念なことに公式がローカライズをする意欲がないのと,ゲーム自体がフォントにロックをかけていることで,有志のローカライズもできなかった。そのため,あまり人気は出なかった。

※(編注)原文では中国語ローカライズされてないため中国では人気がないと書かれているが,これは日本においても同じ状況。対応言語は,英語,フランス語,ドイツ語,スペイン語,ポルトガル語,ロシア語の6種のみ。


 ブレイベンもきっと,初代「Elite」は彼とベルに偶然降りかかった素晴らしきハプニングだと考えているだろう。どれほど続編を出しても,初代のポジションには到達できない。
 21世紀のいま,ハードウェアもソフトウェアも急速に発展した。「Elite」は独特な宇宙空間の体験と自由の精神で,それを体験した世代のゲームに対する記憶と嗜好を築き,次の数世代にもわたるゲーム開発ロジックに影響を与え,後世のゲームの一部または重要なインスピレーションの源となった。

 「Elite」の精神的な続編ともいえるスペースシミュレーションゲームは,広大宇宙の中の群星のように,百花繚乱。繰り返し進化をして,独自の特色を生み出している。

 「Mass Effect」はノンリニアのストーリーを導入し,壮大なスペースオペラを作り上げた。「No Man's Sky」はプロシージャル生成に磨きをかけ,惑星表面でのサバイバルと世界の冒険を広げた。「Starfield」はロールプレイの部分に注力したし,「Star Wars:Battlefront」は,AI制御のBOT戦艦をリアルなプレイヤーに変えた。

初期の「Star Wars:Battlefront」開発チームの多くは,「Elite」と共に過ごした青春時代があった
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 ブレイベンとベルは,この後も和解しそうにないが,彼らの名前はCobra Mk.IIIと共に,初代「Elite」のタイトル画面に永遠に残る。彼らが好むと好まざるとに関わらず,ゲーム開発と革新の歴史の,同じページに登場するのだ。(著者:照月

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参考記事

Masters of their universe(the Guardian,2003)

The Elite Home Page(Ian Bell)

The Platform and the Player: exploring the (hi)stories of Elite(Game Studies,2013)

The Elite Story(Right On Commander!,2004)

Elite (or, The Universe on 32 K Per Day)(The Digital Antiquarian,2013)

The History of Elite: Space, the Endless Frontier(Game Developer,2009)

BELL VS BRABEN(2014)

The Story of Elite: A Space Opera | Kim Justice(Kim Justice,2019)

How Elite Influenced Starfield and 40 Years of Space Games(IGN,2023)


  • 関連タイトル:

    Elite Dangerous

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