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せがた三四郎を演じた藤岡弘、さんも登場。セガサターンの歴史を振り返る「セガサターン25周年大感謝祭ステージ」をレポート
最初に登場したのは,元「ゲーマガ」編集長・梅田浩二氏,元「週刊ファミ通」編集長・バカタール加藤こと加藤克明氏,セガホールディングス代表取締役社長COO・岡村秀樹氏,トムス・エンタテインメント常務取締役・竹崎 忠氏だ。
岡村氏は,当時セガサターンの事業部長として全体の陣頭指揮を執っていた人物だ。竹崎氏は,セガサターンの魅力を伝えるべく奮闘したセガのPR責任者,梅田氏はセガAM2研の広報を担当し,後にセガサターンの専門誌「セガサターンマガジン」の編集者としても活動した。そんなセガサターンを語るうえでは外せない面々を中心にトークショウが行われた。
セガサターンの激動の歴史をキーマンたちが振り返る
まず加藤氏が,当時の岡村氏と竹崎氏の印象について,「すごく真面目で丁寧な対応だった」とコメント。竹崎氏はメガドライブの愛好家としても知られており,発売されたタイトルすべてを所有していることから,竹崎氏の自宅まで取材に行ったことも振り返っていた。
続いては,年表を用いてセガサターンを振り返ることに。加藤氏によると,セガサターンのデビュー当時は「次世代ゲーム戦争」と呼ばれたようなゲーム業界が猛スピードで拡大していた時期で,ゲームのみならず一般メディアもこぞって取材を行うようになっていたという。逆に,メディアである自分たちが取材を受けることもあったそうだ。
当時のコンシューマ市場では任天堂のハードが圧倒的なシェアを誇っていたが,セガサターンのローンチタイトルとして,アーケードでムーブメントを起こした「バーチャファイター」がリリースされると,大きな話題となったことで「いけるんじゃないの!?」という空気があったそう。
さらに岡村氏からは“セガサターン”という名称がどのように決まったのかというこぼれ話も飛び出した。
岡村氏いわく,「セガサターン」はもともと開発上のコードネームだったそうで,ほかにもいくつかの候補が挙がっていたという。ただ,セガサターン以上にインパクトのある名称が出てこなかったことから,コードネームがそのまま正式名称になるという珍しい事例になったのだと語った。
また,セガサターンは発表当初,シャンパンゴールドのカラーだったが,塗装代が高くなってしまうため,マットシルバーに変更してコストダウンを図ったという裏話も飛び出した。ただ,さすがに「コストを下げるためにカラーを変えた」とは言えないため,当時は「ワールドワイドの趣味趣向を調査した結果」と方々に回答していたと,今だから話せるエピソードを語っていた。
続いては,いろいろな意味で話題となった「セガールとアンソニー」のCMに関する話に。これは,セガサターンを遊ぶセガールと,競合ハードを遊ぶアンソニーという2匹のチンパンジーが登場するCMで,内容としてはかなり際どいものだった。
このCMについて岡村氏は「禁断の園に足を踏み入れた」と語り,「裏を返せば,それだけ熾烈な背景があった」と続ける。CMは話題性が重要なため,いかにユーザーの関心を引きつけるかという部分も熟慮して作られたCMだったと振り返った。
そして,話題はセガサターンにとって快進撃とも言える年だった1995年へ。年末には,「バーチャコップ」「バーチャファイター2」「セガラリーチャンピオンシップ」というアーケードの大人気作が移植され,セガサターンは一時期市場で完売状態となる。店頭からセガサターンがなくなったことはチャンスロスだったと述べつつも,あのときの勢いは凄まじいものがあったと,岡村氏と竹崎氏は感慨深げに語っていた。
翌年の1996年になると,ボディカラーをホワイトにチェンジし,価格を2万円までに値下げした通称「白サターン」が発売され,一気に売上を伸ばす。
1997年には加藤氏お気に入りの「サカつく」が登場し,さらにソニックチームの意欲作「ナイツ」も発売となった。「ナイツ」は3D空間を自由に飛び回る浮遊感がウリのゲームで,同時発売の「セガマルチコントローラー」によるアナログ操作も好評を得た。竹崎氏は「ナイツ」の主題歌「DREAMS DREAMS」が大好きで,今でもよく聴いているという。
セガサターンと言えば,本ステージと同日に最新作「新サクラ大戦」の詳細が明らかとなった「サクラ大戦」シリーズの話題も外せない。「サクラ大戦」のムーブメントには様々な要因があるが,舞台がその1つであることは間違いないだろう。
竹崎氏は,今でこそ当たり前となった「2.5次元」という舞台の表現方法の走りは「サクラ大戦」だったのではないかと述べる。そして,原作者の広井王子氏が「舞台をやりたい」「実際の声優に舞台で歌ってもらう」という明確なビジョンを初めから持っていたことが,「サクラ大戦」の舞台の成功に繋がったのではと続けた。
飯野賢治氏率いるワープがセガサターンへ電撃参入したことも大きなトピックとなった。競合メーカーのイベントでセガサターンへの移籍を発表するなど,今思うと本当に物凄いことをやってのけたと岡村氏は振り返った。
当時は現在のようにマルチプラットフォームが当たり前の時代ではなかったため,どの陣営に付くかということも重要な判断だったようだ。また加藤氏によると,飯野氏は話題作りのセンスに長けており,「エネミー・ゼロ」の限定版を飯野氏自らが直接購入者に届けるというイベントを行うなど,その発想力は凄いものがあったと当時を思い起こしていた。
せがた三四郎復活! 藤岡弘、さんがステージに登場
セガサターンを振り返るトーク後には,セガサターンの後期を象徴するキャラクター・せがた三四郎を演じた藤岡弘、さんが登場。せがた三四郎について熱いトークが繰り広げられた。
まずは,せがた三四郎のオファーを初めて受けたときの印象が藤岡さんの口から語られた。藤岡さんは最初,広告代理店の博報堂から絵コンテを見せてもらったらしいのだが,そのコンテのキャラクターが藤岡さんそっくりだったのだという。
つまり,せがた三四郎というキャラクターは,初期の段階から藤岡さんを想定して作られており,「貴方しかいない!」と熱烈なラブコールを送られていたのだと明かす。セガの直球な姿勢やせがた三四郎というキャラクターの詳細を見て心が動き,オファーを受けることに決めたのだという。
梅田氏は,せがた三四郎のCMについて「野球少年やクラブで遊んでいる何も悪くない若者をなぎ倒して『セガサターン、シロ!』と言い放つインパクトが物凄かった」と語る。
藤岡さんはこのCMの内容について最初は「これは,大丈夫かな」と心配になったそうだがも,「真剣に厳しく愛を持って挑めば分かってくれるんじゃないか」と思い,賭けに出る思いで撮影に挑んだそうだ。
その後は,数パターンのCMが公開され,会場は大盛り上がり。「修行編」「サターンボンバーマン」「ウィンターヒート」「プロ野球 グレイテストナイン98」「せがた三四郎 真剣遊戯」のCMに隠された,撮影の秘話を惜しげもなく披露していた。
特に「真剣遊戯」はせがた三四郎のCMにおける最終回ということもあり,さまざまな思いが交錯したという藤岡さん。撮影では,共に,真剣に取り組んできたスタッフを見て,涙が流れてきたという。撮影はまさに真剣勝負であり,これが本当の意味での感動ではないかと当時を振り返った。
MCから「せがた三四郎は,藤岡さんによってどのような存在か」と問われると「一瞬一瞬に命をかけて熱く生き抜く。それを身体で体現できたのが,せがた三四郎。この思いを伝えることができて本当に良かった」と会場のファンに熱く語った。
最後には,セガ・インタラクティブのサウンドクリエイター光吉猛修氏が登場し,登壇者と共に,せがた三四郎のテーマ「セガサターン、シロ!」を熱唱。来場者全員が1つとなり,イベントは大盛況のうちに幕となった。
セガフェス2019公式サイト
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