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[CEDEC 2011]逆境をチャンスに。「装甲騎兵ボトムズ」の監督,高橋良輔氏が語るアニメで培ったノウハウ
高橋良輔氏 |
高橋氏の代表作は,「装甲騎兵ボトムズ」「太陽の牙ダグラム」「ガサラキ」など。泥臭くリアルなロボットが登場し,シリアスな内容のストーリーが展開される作品が多く,ファンの支持を得ている。
講演を行う前日である9月7日に,アラスカ旅行から帰ってきたばかりという高橋氏は,虫プロ時代のエピソードから講演を始めた。
高橋氏は,3年間勤めた自動車販売会社を辞め,1964年に演出として手塚治虫氏が立ち上げたアニメーションスタジオの「虫プロ」に入社した。
CEDEC 2011の会場となったパシフィコ横浜 |
人と同じことをやっていたのでは追いつかないと考えた氏は,アングラ演劇を観るようになり,その魅力に取り付かれた。一時はアニメ以外の場所に身を置いてもいいかと考えたそうだが,「芝居をすることは,生活を捨てることと同義」といわれるほど過酷なものだったために断念。当時昇り調子だったCMフィルムを数本撮影したものの,「自分の体質に合わなかった」ことからアニメの世界へと戻ったという。
アニメーションを日本では“アニメ”というが,これはアニメーションという単語を略した以上の意味がある,と高橋氏は語る。
1960年代当時,30分のアニメを作るには2万枚の原画が必要とされたが,手塚氏はその1/10である2000枚で「鉄腕アトム」を作成するよう指示した。反発するスタッフに,手塚氏は「これは“アニメーション”ではなく“TVアニメ”。“メーション”を取って意識を変えてくれ」と説いたという。これは動きを簡略化し,1秒あたりに使用するセル画の枚数を減らす,リミテッドアニメという手法であり,「鉄腕アトム」によって進化したといわれている。
絵の動きが少ないということから一時は危惧された同作だが,手塚氏の「物語が面白ければ子供達は必ず見てくれる。絵が動くか動かないかではなく,ドラマがあればいいのだ」という信念は正しかったようで,当時の子供達から熱狂的な支持を得た。
当時の常識を遙かに下回る動画枚数の「鉄腕アトム」が人気となったことにより,1週間に1回というペースでTVアニメを放映することが可能となった。「アトムは産業としてのアニメを育てた」と高橋氏は考察する。
CEDEC 2011のテーマはCRPSS BORDER。というわけで,ゲームに直接たずさわっていない人達の講演も多かった |
その後アニメ業界が豊かになり,原画枚数を増やせるようになったが,「原画の枚数をかけなくてもいいのではないか」と感じる,面白くない作品も増えたそうだから不思議なものだ。
高橋氏は,日本人には「欠乏の中に才能が出てくるというDNA」があるのではないかといい,逆境をチャンスに変えるマインドセットが必要であると説いた。
現在はDVDなど映像ソフトの売上が落ち,ピンチとされる日本のアニメ界だが,高橋氏は「ビジネス的なピンチはチャンスに繋がりやすい」と励ます。
ビジネスを行うために企画書を書くというのは当たり前で,その前の段階が大切。自分が会う人々に「こんな企画がある」と繰り返し話すことでチャンスが生まれ,そこでは企画を盗まれることを恐れてはならないという。例え同じ内容・プロット・絵の作品が出てきても,作り手が違えばまったく異なるものになる,というのが高橋氏の考え方だ。「一つや二つ企画が横に流れてもびくつく必要はない」と氏は語る。
作品作りには資金が必要となるが,資金調達の際には,組織の中にいるサラリーマン的な人を味方につけるのが大事だという。有能なサラリーマンであるほど良い人材を見つけようとしているため,彼らがほかに発想を求める際に,企画が届くようにしておくことがコツだそうだ。
高橋氏が40年以上のキャリアを積むうえで感じたのは,失敗を恐れる必要はないということ。
「もし失敗したとしても,仕事をした人を悪く言う組織はない。失敗した仕事もちゃんと見ているし,仕事をしたという事実も残る。これが世の中の面白いところだ」とチャレンジの大切さを説く。
差別化から生まれた「装甲騎兵ボトムズ」
同作では空軍・海軍的なかっこよさが描かれたが,同じものを作っていたのでは差別化が難しいと感じた高橋氏は,あえて地味とされる陸軍に特化し,「装甲騎兵ボトムズ」を作ったそうだ。
ボトムズでは,ロボット(アーマード・トルーパー)をデザインするさいに,顔といった「ロボットアニメ的な部分」を外し,自らが愛する顕微鏡やカメラ,重機などのテイストを入れたという。
同作で印象的なのは,アーマード・トルーパーの頭部に3つの回転式レンズがついていることである。どうしても表情が必要となるアニメのロボットだが,これは先に述べた顔をなくすというコンセプトと矛盾する。そのため,レンズを回転式にすることで状況に合わせた“機械の表情”が出るように工夫したそうだ。
こうした差別化の甲斐あり,リアル方向のものであれば高橋良輔に任せよう,という風潮が生まれたという。「自分の方法論を見つけ,工夫し,頑固に押し通すとチャンスが生まれると思っている」と高橋氏は自らの取り組みを総括した。
高橋氏は最後に「志を立てるということは,どこかで挫折して死ぬかも知れないということだが,それを恐れていては作品は作れない。だから仕事が来る間はがんばってアニメーションを作りたいと思う」と締めくくった。
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