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[GC 2005#番外編3]極私的GC雑感――世界「最高」のゲームショウ――
E3は,日本でもあらゆるメディアが取材を行っているので知っている人も多いだろう。基本的には,業界(=デベロッパ,パブリッシャ,バイヤー,メディア)の,業界による,業界のためのイベントで,一般人は基本的に立ち入り禁止だ。その4者がそれぞれキチンと立ち位置を確保してお互いを尊重しつつ運営されており,"ツーといえばカー"とくる独特の空気を形作っている。メディア(とりわけ各国のWebメディア)にとっては途方もなく疲れるイベントではあるが,その後1年間使える情報が入手できるので,必ず毎年"参戦"すべき必須イベントとなっている。
■GCには取材価値なし?
E3が毎回アメリカで行われているのに対して,ヨーロッパでそれに似た役割を担おうとしているのが,GC(Game Convention)だ。2003年から始まったばかりという非常に短い歴史しかないが,現在人気急上昇中。今年2005年には,かつてのヨーロッパ最大のゲームショウ「ECTS」が開催中止になり,さらにはGDC(=Game Developer Conference)までがGCに併設で開催され,名実共に"ヨーロッパ最大のゲームイベント"となった。挙げ句,2010年までの開催日程が決まっている。ちょっと気が早すぎ。
実は筆者にとって,今回は初めてのGC参加だ。しかも元々行く予定ではなく,参加を決めたのはギリギリ直前。
昨年から当サイト特派員の奥谷を派遣してはいるが,当時彼から漏れ聞こえてきていた「新作の発表はありませんでした」「プレイアブルはそこそこあります」「その作品に関してE3以上の情報はありませんでした」などの断片的な情報から,恥ずかしながら「行く必要はない」「行くにせよ大人数を派遣する必要はない」という判断をくだしていた。超大手ゲーム会社も,全体数からするとその数割が出展しているに過ぎず,目立った新作も発表されず,ましてや行くに不便なドイツの外れのほうで行われるイベントに,多くのリソースをかける必要はなかろう,と思っていたというのが正直なところだ。
しかしその考えは,いい意味で裏切られた。上で書き連ねたマイナス面はまったく正しいものだったのだが,別の意味で,GCは筆者が思っていた以上に「学ばされた」イベントだったのだ。
GCについて語る前に,まずはE3についてより多くを知っておいてもらう必要があるだろう。
E3は前述のように,業界が業界のために行うという色合いが強いイベントだ。なにせその本質はトレードショウ。一般プレイヤーは相手にしておらず,元々からして純粋にビジネスのために行われているイベントだ。ゲーム業界で利益を追求している人間によって作られた,利益を生み出すためのイベントなのである。
むろん,それはなんら否定されるものではない。ビジネスである以上利益を生み出すことは必須で,その目的で開かれるというのは,業界全体にとって価値がある。新作もそこでお披露目されることも多く,我々メディアにとっても,情報を待っているプレイヤーにとっても,とてもじゃないが無視できない,有意義なイベントだと思う。デベロッパ,パブリッシャ,バイヤー,メディアという業界を形作る4者がこのときばかりはそれぞれ同じ方向を向いて,ある意味において一致した利害関係の元で運営されている。
お互いがお互いに気を遣いつつ運営されているおかげで,我々メディアにとっても住み心地のよいイベントとなっている。情報の"基"であるプレスキットはどんな小さなブースであっても用意されているし,プロデューサークラスの開発者も,まだ見たことのない新作も,新しいムービーも,新しいフィーチャーのお披露目も,すべてがそのハレの日のために準備されているのだ。
とはいえ巨大なショウであるがゆえに,おのずと大作・新作だけに注目が集まりがちなのも,E3の特徴だ。放っておいても注目される大作の"続編"以外は,事前にゲリラ的にWebなどでプロモーションをして注目を浴びない限り,まずE3では陽の目を浴びない。
少しでも注目すべきポイントがある作品には来場者から暖かい応援が送られ,そこで目立てばパブリッシャーも決まり,成功への階段を着実に上っていく。一方,話題性がない,新しいグラフィックテクノロジーを使っていない,優れたゲームエンジンを採用していない,ゲームシステムが流行のものではない,著名な開発者/開発チームが関わっていない,などの作品は,その場にいる業界の面々にそれがマイナス面であると冷静かつ的確(かどうかはさておき)に判断され,脚光を浴びぬまま消えていく。それが「トレードショウ」の掟だ。
さて,そんなE3を横目に,GCはどんなイベントだったのだろうか。
(PCゲームの)ニュースメディア的な観点から一言で言うならば,「さほど価値はない」と言わざるを得ない。
ドイツ国内のマイナーなデベロッパのものをのぞいては新作の展示はなく,事実上一般プレイヤーのみをターゲットにしているせいかメディア用のプレスキットもあまりなく(大半のブースが用意していない),説明員もおらず(挙げ句出展されているのはドイツ語版だったりして,まったく手が出ない),インタビューするような著名プロデューサーがわんさかいるわけでもなく,メディアを集めて解説してくれるイベントがあるわけでもない。ゲームのことを0から100まで知ってもらおうという心意気は微塵も感じられない。プレイアブルで遊ばせておいて,ほぼ完全放置だ。
なにせブースにいる人は,バイトのお兄さん/お姉さん,現地パブリッシャーのおばちゃん,昨日電話で呼ばれた関係者の知人(本当にそういう人がいた)などで,ゲームの詳しいことは,何を聞いても分からない。そこへもってきて言葉が半分くらい通じない,プレスキットがない(あってもドイツ語Only)となっては,もはや手が出ない。ここでは,我々こそが部外者なのだ。
コンシューマ機についてはあまり詳しくないので的外れな判断かもしれないが,この国でゲーム市場の半分以上のシェアを占めるPCがこの状態なので,大差ないのではないかと思う。なににせよ,あのE3の"阿吽の呼吸"がまったく通用しないという意味においても非常にやりづらく,そうでなくても,記事のネタとしては疑問符をつけざるを得ない展示会だった。
しかしGCは,今まで筆者が見た中で「もっとも清く正しいゲームショウ」で,かつ「もっとも来場者が幸せそう」なイベントだ。E3はもちろん,東京ゲームショウまでもが"所詮は業界向けの内輪イベント"と思えてしまうくらいみな幸せそうに楽しそうにしており,会場と来場者の一体感の度合いが強い。とても混沌としていて,とても賑やかで,とてもピュアで,とても楽しそうなイベントだった。
一般プレイヤーのことだけが念頭に置かれているGCは,E3では一般公開されなかったような作品が,普通にプレイアブルな状態で展示してある。今回も,Star Wars:Empire at War,EverQuest2:Desert of Flames,Fable PC版,Black&White2,King Kong,Commandos Strike Force,Hitman:Blood Money,F.E.A.R.などが,説明員もなく,コンパニオンのお姉さんもなく,関係者以外が近づくと怖い顔で睨むSecurityもなく,さも当たり前のように珍しくないといった風情で普通にプレイアブルで展示されて放置されていた。E3での縛りや厳しいNDA,情報規制という言葉が微塵も感じられない。
そして来場者は,どん欲にそれを遊ぶ。飽きることなく遊ぶ。4日間もあるせいで,一つの作品を延々と遊ぶ。
業界人がその95%以上を占めるであろうE3にあったら誰も見向きもしないような作品や展示も,GCにかかれば立派な人気コーナーだ。全体で何百台あるか分からないプレイアブルの台は一瞬たりとも空くことはなく,1分でも無駄にすまいと,みな遊んで回る。あの一生懸命さと楽しそうな顔を見ると,「これは○○の焼き直しなのか」とか「こないだ出たゲームだしなぁ」とか「デモ版やったしいいや」とか,決してそんなことは考えてないんだろうな,と思う。なんというか,全然スレてないのだ。
来ている人も,まさに様々。さすがはNonトレードショウだ。
髪型の奇抜なパンク同士のカップル,アヒルみたいに孫を数名引き連れている老夫婦,おそらくは小学校の同級生だろうか,子供だけの数名のグループ,普通にそこらにいそうな高校生のカップル,ベビーカーを押している若夫婦,大学のサークル仲間みたいな集団,家族旅行の途中に寄ったかのような,軽装6人(祖母/祖父/父/母/子供二人……だと思う)の家族連れなど,その受け入れの間口が異様に広い。同じく一般プレイヤーを対象にしている東京ゲームショウと比較しても,段違いにその層が多彩だ。ちなみに統計を取ったわけではないので感覚からきた適当な数値ではあるが,会場にいた限りでの来場者の割合は,
・40% 子供(家族連れ含む)
・30% 若い女性(カップル含む)
・30% ゲーマーの集団(と思われる人々)など,その他大人
といった感じだろうか。実際はどうあれ,子供と女性の比率は,まず間違いなく高い。異様なまでに高い。会場で石を投げればどちらかに当たると言っても過言ではないだろう。
親が真剣に子供と一緒に教育ソフトで遊んだり,カップルでFPSの対戦をしたりしている風景から察するに元々抵抗がないのかもしれないが,そのごった煮の光景は相当衝撃だ。なんというか,まるで万博かディズニーランドかという種々雑多な客層が,我先にとゲームを求めてウロウロしているのだ。しかもE3以上に動けないほどにみっちりと。事実週末にさしかかった瞬間に来場者数は倍増し,ホール同士の連絡通路は文字どおり動けなくなり,入場規制がかかっていたわけだが……。東京ゲームショウより長い日程で入場者数も少ないのに,なぜこんなに大混乱で熱気があるのだろう。
彼らは何を求めて来ているのか。それはたぶん,純粋に「面白そうなもので遊びたい」というだけなのだろう。その真摯なテストプレイの態度や会場での盛り上がり,ピュアな反応を見ていると,そう思えてくる。
あっちのブースイベントでストラップをくれるときには,一斉にそちらに移動して,こっちのブースイベントでポスターをくれるときには,同じように移動していく。FPSの予選が始まるとなったら数百名がワクワクしながら待機して,X360のムービーが流れるときには,すごい勢いで席が埋まっていく。モノがもらえるもらえないに関わらず,なにかイベントがあればすぐ人だかりだ。
もらえるものにしても,せいぜいストラップだのあめ玉だのそういうものばかりなのだが,みな真剣に楽しんでいる。「エバークエスト ツヴァイ!」と叫ぶだけのイベントだったり,司会者がなんかクイズを出して,それに対して挙手して答えるアナクロなものだったり,単にMCがベラベラしゃべりながら音楽を流してるだけのものだったり,これがE3だったら一人も立ち止まらないだろうな,というイベントも,常に満員御礼だ。必ず数十名,場合によっては数百名も集まっている。eSportsの大会やPeter Molyneuxのトークイベントに至っては,誰かサッカー選手でも来ているのかと思うほどの人だかりだ。
やっている側はユーザーを楽しませようと一生懸命だし,楽しんでいるユーザーも,すごく真剣に楽しんでいる。仕事でビジネスのためにやっているという雰囲気は微塵もない,ピュアで楽しそうな巨大な空間が,そこに形成されている。
ゲームにしてもそうだ。大作・話題作はもちろんのこと,なんでもかんでも触って真剣に遊んでみないと気が済まないらしい。
延々1時間くらい友達同士でバイクレースを対戦してた小学生グループや,単にボールを投げて的に当てるだけのゲームにずらりと並んでいた子供達。子供と一緒にZoo Tycoonを真剣に見つめていたお母さん,地味な戦車ゲームを前に延々と熱く語り合ってた若者3人,孫と一緒にラグナロクオンラインに挑戦していたおばあちゃん(しかも最後は孫そっちのけで自分が),子供が対戦で勝ってストラップをもらい,ほくほく顔でご飯を食べてる親子連れ,どっちがやるかで口げんかしながらPSPを取り合いしているカップル。
彼らのそんな真剣かつ楽しそうな顔を見ると,自分達がいかに情報に溺れていて,葉を見て幹を見ず,何か大事な部分をおざなりにしていたか,まざまざと思い知らされる。
■ゲームは面白い。それを気付かせてくれるのがGCだ
筆者も仕事柄,公私を問わず,あれのゲームシステムはこうだ,これのグラフィックエンジンはどうだ,これの売りはここだ,このゲームはこの会社にとってこういう意味がある,などとよく語っている。それを伝えることは我々にとって重要な"任務"だし,それが不要だというわけでは,もちろんない。
だがしかし,それは本当にゲームの面白さを伝えてるんだろうか。我々メディアの書いている記事なんて,なんの参考にもなりはしないんじゃないだろうか。情報過多に溺れて,的はずれでトンチンカンなことを言っているだけじゃないだろうか。
DirectXの新フィーチャーを使ってるとか使ってないとか,ゲームシステムが数年前のものであるとかないとか,グラフィッククオリティが一世代前のレベルであるとかないとか,○○の流れを引き継ぐ正当な後継者だとかどうとか,もはやMMOの時代は終わったとか,eSportsってなかなか普及しないねとか,アイテム課金の功罪を語りましょうとか,市場を分析すれば面白いゲームを作る参考になりますとか,そんなようなことを偉そうに訳知り顔で言ったり書いたり分析したりしている自分達を含めた"業界人"が,とても恥ずかしくなったのだ。そんなことは,果たして重要なのだろうか。本当はどうでもいいことなんじゃないだろうか。少なくとも,GCであれほど楽しそうにゲームで遊んでいた彼らは,きっと気にしていないと思う。
"どうでもいい"こともあるし"どうでもよくない"こともある。それは頭では分かっているし,読んでくれている読者のみなさんも,それは重々承知のことと思う。なにか決定的な一意の答えなど存在しないだろうし,もしかしたらそれを考えること自体が「重要じゃないこと」なのかもしれない。
ゲームの面白さを世に知らしめることがミッションであるはずの人が,グラフィックの美しさやDirectXの新フィーチャーなどを真剣に語る必要があるのか。DirectXのフィーチャーを使っていたらゲームは面白いのか。ゲーム市場を引っ張っていくべき立場の人が,日本と韓国のゲーム文化を比較したり,統計から何かを決定的に結論付けるようなことをして何になるのか。統計なんてしょせんは"一部の姿"でしかないではないか。面白いゲームを伝えることが仕事の人が,作品が売れなかったときに,売れなかった理由を嬉々としてみんなで語ってみたり記事にしてみたりする必要があるのか。それは端的に言ってしまえば,多くの人がそのゲームを「面白くない」と思ったからではないのか。面白くないから売れない,以上の理由がどこにあるのか。そもそも"面白い"などという曖昧な言葉を,業界は安易に使いすぎだ。面白さなんて人それぞれなのに。
むろん,それらが極論だというのは重々承知している。グラフィックは確かにゲームの面白さの一要素ではあるし,統計から分かることだってたくさんある。売れなかった理由を考えることは次へつながる大事なことだし,もしかしたら多くの人が"面白い"と思えることが導き出せるかもしれない。そして逆に,多くの人が"面白い"と思うゲームなら売れるというわけでもない。数字が出せずに消えていった名作は,歴史の中にあまた存在する。いまこの瞬間も,世界中の関係者達が色々なことを考え,色々な策を立てている。作るほうも,売るほうも。
筆者風情が,ここで何かを悶々と悩んでも,何も状況は変わらない。おそらくは,ゲーム大国"日本"の業界を取り巻く環境や今まで自分がやってきたことへの自戒の念を込めて書いているだけだと思う。しかし,それくらい根底から「ゲームの面白さ」に対する感覚を揺るがされてしまった。
E3でも東京ゲームショウでもついぞ見かけたことのない,彼らの屈託のない心からの楽しそうな様子を見るにつけ,ゲームというものは本当はすごく面白いものなんだ,という当たり前のことを改めて気付かされたのだ。
一体なぜ彼らはあんなに楽しそうなのだろう。元々が"東側"であることを考えると,まだ純粋に娯楽に飢えていることが要因なのかもしれない。それが最も容易に思いつく理由だ。
しかしもはやドイツは世界有数のゲーム大国。ゲームに対する情報は紙媒体でもWeb媒体でも溢れかえっているし,そこらのスーパーマーケットでは1000円前後でパッケージ版ソフトが買えるようになっていて,ゲームの溢れかえり具合ときたら,日本以上かもしれない。情報過多になるほどには,うんざりするほど情報がある。それに毒されず,なぜ彼らはあんなに楽しそうなのだろうか。同じく一般ユーザー向けのショウである東京ゲームショウと比較しても,圧倒的に楽しそうに満足気にしている。単に民族の違うという話ではあるまい。
いろんな理由を考えてみたものの,「横にPSP(ドイツにおいてはまだ珍しい)と最新ゲームがあるのに,それに見向きもせずにPCでパズルゲームに興じる高校生の集団」や「お父さんと一緒にRise of Nationsを真剣にプレイする小学生」をスッキリと説明できて自分が納得できるような理由付けは,まだ思いつくに至っていない。
Xbox360の某格闘ゲームのムービーには見向きもしないのに,WarcraftIIIの大会が始まると,ビールとウインナー片手に何百人もが座り込んで大にぎわいだ。政治的背景や情報量から起こっているような,そんな誰にでも分かるような問題でないと思う。たぶん,何かが決定的に違うのだ。
その"何か"がなんなのか,帰りの飛行機でツラツラと考えていたが,やはり分からなかった。しかし,PCゲームのシェアがいまでも50%を超えているこのドイツという国で,そんな人たちとこの空間を共有でき,何かに気付かされたことは,非常に価値のあるものだった。少なくとも自分にとっては,またとない素晴らしい経験だった。自分の行動を恥ずかしく思い,反省し,と同時にゲームというものがまた一段と好きになった。
ついては日本のゲーム業界の人――とりわけ開発者やバイヤー,CESAのお偉い方々など業界を引っ張る立場の人達――は,ぜひ来年こそGCに来て,この空気を身をもって感じてほしい。何にでも喜んでくれて,何にでも興奮してくれて,何でも貪欲に遊んでくれる彼らと,何かを共有してほしい。筆者の貧弱な日本語能力では,この雰囲気をとうてい説明できない。ぜひその目で確かめてほしい。
そして,自分達が何を作ろうとしているのか,どんなゲームを売ろうとしているのか,どんな面白さを提供しようとしているのか,改めて考え直してほしい。いまやっていることが間違っているなどというおこがましいことを言うつもりは,毛頭ない。日本やアメリカは情報過多で,プレイヤーも制作者もいろんなものが麻痺して,悪しき固定概念から抜け出せずに同じところをグルグルしているだけなのかもしれない。しかしここに来て彼らを見ているうちに,きっと新しい何かに気付いてもらえると思う。
もしかしたら業界の人でも,忘れている人がきっといるだろう。筆者も忘れていたのかもしれない。ゲームは,本当はすごく面白いものなのだ。それを理論ではなくて"感覚"で理解できるこのイベントに,ぜひ来年こそは参加してみてほしい。そして願わくば,垢抜けてなくて野暮ったくてパッとしない,手作り感満載でビジネスの香りがしない,このお祭り騒ぎのGCというゲームショウが,ずっとこのままの姿であり続けて,ドイツっ子達に楽しさを与え続けてくれますように。(Kazuhisa)
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